第二十一話 その季節まで
「ミカーンッ!」リュウガはあらん限りの声を張り上げた。
獣人族の少女の体が、落ち葉が舞い上がるように飛ばされる。地面に叩きつけられる直前で、リュウガがその身を両手ですくった。ほとんど重さを感じなかった。
「リュウガたん。えへっ、ミカン、やられちゃった。ごめんね……せっかくレベル上げしてもらったのに」
「バカ野郎! そんなことはいい。大丈夫だろ? 大丈夫なんだろ?」
両手で抱きすくめながらリュウガは必死で問いかける。ミカンの可愛らしい顔には、傷一つついていない。そこに希望を込めて。しかし、彼女に致命的なダメージがあることを、リナが教えた。
リナは口を真一文字に引き結んで、ミカンの体の一部分を押さえていた。それは、おびただしい出血を伴う背中だった。それだけで十分だった。しかし、リュウガは涙を流すリナを責める。
「リナ、何を泣いてる。ミカンは大丈夫だ。大丈夫なんだ! こんな小さい子が殺されるわけがない。やられちゃいけないんだ……」
自分に言い聞かせるように語るリュウガの言葉が、宙を漂い千切れていく。
「リュウガたん。ありがとう。この世界、楽しくなかったけど……最後の最後、たのし、かった、ぞ」
リュウガはその言葉に、顔を近づけた。最後にペシペシをさせてやるために。しかし彼女には、もうその力すら残っていなかった。愛らしいネコ耳をピョコンとだけ動かして……シャボン玉が消え入るように、消失した。
「うぉおおおおーーー! ミカンッ。お前の大好きな蜜柑の季節は、これからだろう。まだ……これからなんだよ。頑張れよ。一緒に食べようと思ってたのに。何でだよ……。何で……」
許せねえ。力が全てと言いたいのか、この世界は。ならばこっちにも考えがある。
リュウガが修羅の形相で立ち上がったとき、それを右手で制する人がいた。それは、見たことのない表情を見せるリナだった。
「私がいく。絶対に許さない。リュウガ君はみていてくれる?」
「バカ野郎! お前まで失うわけにいかないだろうが! 下がってろ」
「でもね、リュウガ君。どのみち、あのハーデスは誰も逃がす気はないらしいの。みて、城に向かって逃げる人達を全員刈り取っている。一人も逃がす気はないみたい」
リナの落ち着き払った言葉に、リュウガは驚きながらも、彼女の真意を測った。たしかに、ハーデスはリュウガ達を除く全てのプレイヤーを皆殺しにしている。レベル差から考えて、逃げ切れる訳がなかった。
何のために――? ここまでゲームバランスが崩壊した世界を提示して何になる?
怒りと憎しみだけが溜まる世界なんて――。
リナが首を振り、トントンと軽く体を動かし始める。どうしてもお前が戦うつもりか?
いいだろう。それなら、俺も援護しよう。どっちみち、果てるときは二人一緒だ。
ブゥウウウン! うなりを上げるような轟音。みるみる内に、リナの戦闘意志を示すように、その温度が上がっていく。怒りの度合いに呼応して引き上げられていくような、温度上昇。スチーム魔法を習得したからこそ、それが発現していることは間違いない。
「蒸気の精霊、私にその力を!」
「クハハッ! レベル20程度の小娘が、このハーデス様に攻撃するだとぅ? 傷一つつけることはできぬわっ!」
リナの両手からは、光線のような蒸気が一直線に放出された。遮るもの全てを溶解させるように。そのスチームレーザーは、ハーデスの目の前でピタリと止まった。
「ふぅー。ぬるい、ぬるい。この程度のスチームなど、ぬるめのお湯を浴びているようなものだ。ほら、もっと温度を上げないか?」
ハーデスはそういったが、リュウガの目には相当な温度を既に超えているように見えた。周りとの温度差で視界が大きく歪み、蜃気楼のような現象に見えているからだ。
「あれで、びくともしないのか。それじゃ、俺の拳はどうなんだ。ダメージが通りそうもないか」
リナの体から発する光が、一段とその強さを増した。地上から宙に向かい、蒸気の光線で迎え撃つ。そして、リュウガがリナの近くに寄り添って手を添えると、その力が更に増した。
0ダメージの表示が続く。最初は、点のようなダメージだった。2ダメージの表示が混じった。
巨大なダムが、ただ一点のごく小さい穴で決壊するように。ダメージを示す数値が、リュウガの怒りと憎しみの感情と呼応するように、倍加していく。
2、4、8、16、32、64、128、256、512、1024、2048、4096、8192、16384、32768……。
そして、無限に増え続けるダメージの数値が、ハーデスを飲み込む。やがてダメージは百万を超えていった。
「ぐぬぉおお! 何だ、この力は。あり得ないっ、あり得ない。貴様が、そこまで怒りを抱えるのであれば……それに貴様自身が飲み込まれてしまうぞーっ! グハアッ!」
巨大すぎる感情の渦をまともに受けて、ハーデスは遂に消滅した。リナが肩で呼吸をしながら、リュウガに微笑んだ。リュウガは答えた。
「俺の怒りと憎しみで、俺自身が飲み込まれてしまうって? その心配ならいらねえよ。まだ、先に楽しみをとってるからな。俺の怒りをぶつけるとすれば――今からまみえる奴らに対してだ」
リュウガ達をまばゆいばかりの光が包み、空間のテクスチャが反転する。まるで、今までの光景を投影していたプロジェクターの電源をぶつんと切るように。
――そして、彼らが現れた。