第十九話 フィオナが託してくれたもの
蒸気の精霊トゥルーとの戦いは、終始一方的だった。実体がないものに、攻撃が当たるはずがない、リュウガは半ば捨て鉢のようになっていた。
「リュウガ君! どこ? 私を引っ張って!」リナが叫ぶ。
リュウガは、声の出所を頼りに、リナの右手をグイと引き寄せた。
「よう、お嬢さん」
まるで、社交ダンスにでも誘うような格好でリナを引き寄せる。二人の顔の距離は驚くほど近かった。
「彼女から、精霊から攻撃を受けたら教えてっ。私に分かるように!」
「オッケイ、くるぞっ!」
グハッ! リュウガはトゥルーのチャクラム攻撃を受け、後ずさりしながらリナの左手を握り続ける。攻撃を受けるたびに強く握り、それで合図を送る。
――ちょうど、十回目の攻撃をくらったとき。
プシュワー! 何かを勢いよく噴射する音が響いた。空気中に漏れる……黒い霧状の物体。それがまとわりつくように、トゥルーを包み込む。
「リュウガ君、これで目印がついたはず! 黒い塊を狙ってみて!」
リナの声がする。リュウガの間近にいるので、霧に邪魔されず姿が見える。その手には……短い杖を持っているのが見える。
「お前、何だ、その杖は。いつのまに」
「フィオナさんに、もらったの。護身用にって。ふだんはコンパクトにここに隠していたの」
と、ミニスカートを太ももが見えるほどまで上げて指し示す。そこには、黒革の杖のホルスターが装備されていた。――なかなか刺激的だな、グッジョブ。
「それ、ウォンド(短めの魔法杖)じゃないか? お前、魔法使えるのか?」
「これは、杖に魔法が仕込んであるからそのまま使えるって、オイルのようなエネルギー魔法が出るとかっていってたの。あっ、ほらっ、精霊さんが苦しそうにしてるよ」
リナの言うとおり、トゥルーはもがき苦しむように、宙をのたうち回っていた。リナが杖から放った攻撃でスチームの一部が黒く染色され、その姿が浮き彫りになる。
――そのウォンドがダークウォンドという名称で、この世界の最強の魔法杖であることを、このときの二人は知らなかった。
「なるほど、俺は偽物のスチームを殴ってた訳だ。あいつが本体だな。ようし、ちょいと懲らしめてやる」
リュウガはそういってジャンプ一閃。天高く飛び上がり、トゥルーの黒い塊に拳を繰り出した。ちょうどお腹の辺りに命中……するが、手応えがない。
あれ……あれ? リナが実体化させたんじゃないのか?
リュウガは空中で大きくバランスを崩しながらも、右拳を振り抜く。前のめりになりながら……トゥルーの体を素通りし、体の慣性はやり場のない怒りのようにプツンと途切れ、それから地面に叩きつけられた。
「いってえ……どうなってんだ。ちきしょう」
リュウガは強く打ち付けられた腰をさすりながら、ぼやいた。
数秒間、ボンヤリと目の前に提示された世界を眺めていたが、何かがおかしい。
辺り一面が真っ白なので、一瞬見間違えたが、ここはさっきまでいた場所ではない。スチームの霧はすっかり晴れ、代わりに一面が雪景色になっているのだ。
参ったな。精霊の体をすり抜けて、別の世界に飛ばされちまったのか。異世界から異世界に更に飛ぶなんてことがあるのか……。んっ? リナとミカンがいない。となると、やっぱりここにきたのは俺だけか。彼女達が心配だが、この世界の謎を解く方が先だろう。きっと、トゥルーにつながっているはずだ。
リュウガの目の前に、広大な雪原フィールドが広がった。雪は光を乱反射し、水面のように照り返している。見渡す限りの雪景色の中、遠くに一軒の山小屋が見えた。
あそこまでいってみよう。ハア……ハア。リュウガは思ったより体力が奪われることに驚いた。雪の中を歩くのはなかなか重労働だ。
古くからそこにあるような、山小屋の前にたどり着いた。すると……
「お兄ちゃん、何やってるの?」
雪と同化しそうなほど真っ白な少女が、リュウガに話しかけてきた。トゥルーか? と思ったが、あの精霊のすがたよりも遥かに幼い。ミカンよりも更に小さいぐらいだ。
少女は真っ白い防寒具のようなコートに身を包み、手には猫のぬいぐるみを抱えていた。リュウガが答えあぐねていると、その少女が言葉を紡いだ。
「お兄ちゃん、遊ぼ。ここは、友達が誰もいないから寂しくて。ねぇ、遊ぼうよ」
そう言いながら、リュウガの袖を引っ張る。
「分かった、分かった。でも、お兄ちゃんはここで少しだけ用事があるんだ。人捜しっていって分かるかな?」
「分かんない、遊ぼうよー」
「よし、分かった。遊ぼうな。その前に一個だけ聞いてもいいかい? あの小屋には誰か住んでるの?」
「うん、私のお母さんが住んでるの。ねー、遊ぼうよー」
お母さんか。だとしたら、微妙だな。まあ、精霊の年齢なんて見た目じゃ分からないだろうけど。とりあえず見てみるか、トゥルーかどうかを。
ペチャッ! リュウガは小屋を見るそぶりのまま、その少女の顔に雪玉を押し当てた。隙を突かれた彼女は、鼻の頭を白くした。リュウガのイタズラに気づいて言った。
「やったなー。お兄ちゃん、負けないぞー」
それから笑い合うようにして、雪玉遊びを汗がかくぐらいに付き合った。やがて、向こうも疲れてきたと思うころに小屋に向かった。
ガラス窓から中をのぞき込むと、ベッドに一人の女性が寝ている。――雰囲気的なものになるが、病気に伏せっているように見えた。部屋の隅に置かれた加湿器のようなもので、蒸気を吹き上げているのが見えた。
「あれって、君のお母さん? そうだ、名前もまだ聞いてなかったね、お兄ちゃんはリュウガ、っていうんだ」
雪を散々いじって冷たくなった手を差し出す。少女は何も答えなかった。まるでかくれんぼをして、忘れ去られた子供のように見えた。
無声映画のように、リュウガの前にただ小屋の中の光景が映し出される。少女は、この先に何が起きるのかを知っているかのように沈黙している。
「そういうことか……」リュウガはつぶやいた。
少女もゆっくりとリュウガを見返す。
「お前さんが、トゥルーなんだな。今俺が見ている光景は、小さい頃の記憶。お前がいつから精霊の役目を、母親から引き継いだのかは知らない。だが、……スチーム、つまり蒸気はお前さんにとって、神聖で優しいものだったんだな」
少女がその言葉にコクリとうなずいた。
「そして、友達を探していた。ずっと寂しい思いをしてたんだろう。でも、せっかく皆が城に集まるようになっても、上手く対処することができなかった。エネルギー魔法を授けることもできず、苦しんでいた。そんなところかな」
リュウガは、少女のほっぺたにまだ冷たい手を当てた。彼女は、それをギュッと自分のほほに押しつけた。さよなら、子供のスチーム精霊トゥルー。
そこで暗転した。さっきまでいた部屋に戻ると、立ちこめていたスチームは消えていて、目の前に成長したトゥルーの姿があった。
「よう、また会ったな。スチームの力を無理矢理手に入れようとして悪かったな。でも、俺たちには必要なんだ。力を貸してくれるか?」
「それでは……、その……私の友達になってくれますか?」トゥルーが言う。
「それは……、却下する訳にいかないだろ?」リュウガは笑った。