第十七話 獣人族のいたずらっ子、ミカン
リナが大歓声に迎えられて物見やぐらを降りる途中、リュウガは目を細めた。
――美味しいところ、全部持ってかれちゃったな。
そしてヘルムートは「スチーム魔法の習得場所は、この街の誰でも知ってるから」と言い、近くにいたネコ耳の少女をあてがった。リュウガに丁寧にお礼を言うと、憲兵団の見回りがまだあると言い残して、去っていった。
さて。
「おし、えて、よっと」
いきなりだった。目の前のネコ耳獣人が、リュウガの顔をその手の平で押しながら、話しかけてくる。
プニプニした肉球付きの手なので対して痛くはないが、妙に腹立たしい。顔を押さえつけるんじゃない。しかし、ネコ耳少女は淡々と続ける。リナよりも随分と年下に見えた。
「早く、レベル上げの方法を。おし、えて、よっと」
言いながら、リュウガの顔を「真ん中、右、左」の順で押す。リュウガは顔を引きつらせながら、
「よう、嬢ちゃん。俺の顔で押し順遊びしてるんじゃねえぞ」
「いいから、ニャンニャン。おし、えて、よっと」
リズミカルに自分のお尻を振って――獲物に攻撃を仕掛けるかのように、押してくる。正に猫パンチか。おい、連続で繰り出されると、鼻の呼吸が妨げられて苦しいじゃないか。
リュウガの元に戻ったリナも、見知らぬ猫少女の攻撃に呆気にとられているようだ。それでも、その少女の容貌をみとめるなり言った。
「やー。この子、可愛いー。スリスリしたくなっちゃう。リュウガ君の知り合い?」
自分よりも頭三つ分は低い位置にある、ネコ耳をなでながらリナが言う。
「知り合いの分けないだろっ。スチーム魔法の習得場所を知ってるっていうんで、ヘルムートさんが押しつけていったんだ」
「スチーム魔法はね、この先のスチーム城にいくといいの。ここは、その城下町なんだよっ」
「何だ、普通にしゃべれるじゃないかよ」
「えへっ、あたいはミカン。獣人族だぞっ、えっへん」
「あっ、ああ。俺はリュウガ。人間族だ」
「私はリナ。えっと……風使いのリナ。一応、人間やってます」
一応って何だ一応って、とリュウガはツッコミ心が芽生えたがスルーしておいた。しかし、目の前のレザー装備を身にまとった獣人少女はなかなかユニークだ。
「この町のプレイヤーは、スチーム魔法を習得するぐらいしか、やることがないから。みんな張り切って並んでるのっ。もう、その順番待ちが凄いんだな、これが。でも、リュウガたんだったら順番を飛ばしてもらうことも、できるかも。だって、レベル99なんでしょ?」
リュウガたんって……まあいいか。好きな呼び方もMMOの楽しみの一つだしな。
おっ、何気にこの子、やることが素早いな。俺の隠していたステータス表示を、タッチしてのぞき見したか。……って、もしかしてさっき俺の顔を、ペシペシやってたのはそのためか! いや、あんなに触らなくても一回だけで閲覧できるからさ……頼むよ、ほんと。
「ミカンちゃん。彼がレベル99で驚かない?」リナが会話に加わった。
「別に、どうしてー?」ミカンは、子供のように言う。
「だって、あなたはまだレベル1でしょ。どうやって外の怖いモンスターをやっつけたか。それとも、何か方法があるのか気にならない?」
リナはリュウガから、どうやってレベル99に上げたのかを聞いていた。そして彼女は、この時点でレベル5に上がっていた。リュウガはそれについての種明かしを、町のみんなに後でするつもりだった。
「リュウガたんがレベル幾つでも驚かないけどー、ミカンもレベル上げたいぞー! だから、早くおし、えて、よっと」
駄目だ、この子がこのモードに入ってしまうと、ペシペシが始まって先に進まない。よし、先を急ごう。
風を切るように、ミカンとリナの手を握ってさっそうと歩く。どのみち、この町は一本道なので行く先は分かっている。リナは急に手を握られて驚いていたが、少しだけ強く握り返した。
「うん、この先だよー。スチーム魔法を教えてくれる、精霊がいるお城はっ」ミカンが上機嫌で言う。
スチーム城につながるアーチ型の城門が見えた。その城門をくぐった瞬間に、違いをすぐに感じた。ここから先は、スチームの量が尋常じゃないと。この匂いを例えるならば、現実世界のクリーニング店が近い。
蒸気を操る精霊が統治する城か――。ここでは、蒸気の力で飛行艇が空を飛ぶそうだ。そしてこれから迎える冬の季節も、町を包む蒸気のおかげで寒くないだろう。果物の蜜柑が美味しい季節がすぐに来ることを想像し、リュウガは微笑んだ。ミカンって名前をつけるぐらいだから、きっと好きなんだろう。
「ミカン。お前って、蜜柑が好きなのか?」と試しに聞いてみる。
「うん、だーい好き」
「これから、蜜柑の美味しい季節だぞ。たの、しみ、だっ」とリュウガは言って、ミカンの小顔を三回押してやった。
――スチーム城内。城全体は、石造りでできている。
予想したとおり城の長い通路に、長蛇の列ができていた。皆がスチーム精霊に面会して、その教えを請うているのだろう。
リュウガたちが、百人ほどの列の最後尾に並ぼうとしたとき。
「何だよ、散々待たされて、5秒で終わりかよ。大体……却下って、何だよ却下ってさ。精霊さまがそんなに偉いのかよ」
あからさまに悪態をつく男が、奥の十字架が描かれた扉から出てきた。列を待つ人を足蹴にする勢いだ。
「ねえ、どんなことをするんだい? その精霊様の前ではさ」気軽さを装ってリュウガが聞く。
「何って? そんなの分っかんねえよ! たった5秒で追い出されたんだからさ。スチームをどう思うか? 何て質問をされてどう答えりゃいいんだよ!」
男の声は通路に響き渡り、皆もその好奇心からかリュウガとの会話を聞くべく静まり返った。
「何て、答えたんだい?」
「そりゃあ……その、熱いものって答えたんだよ」男が照れくさそうに言う。
すると、当たり前すぎる男の答えに、周りからクスクスと笑い声が起きる。だからと言って、並んでいる者の中により適切な答えを導き出せる者はいなかったが。
「そっか、ありがとう。とても参考になったよ」リュウガは嫌みではなく、本当にそう思って口にした。
「ち、ちきしょー。そうやって俺を馬鹿にすりゃ、いいんだ! お前だって俺と変わらない、レベル1の雑魚なんだからな、きっと同じ思いを……えっ? あんた、何だいこの数字……99って。まさか、レベル99?」
男はリュウガを小突くそぶりを見せ、念のためにステータスを確認していた。男の言葉で、並んでいる全員の視線がリュウガたちに注がれる。中には、リュウガの演説やリナの歌声を聞いていた者がいたようで、二人の素性を周りに説明している。
海が二つに割れるように――いや、波が舟を運ぶように、並んでいる人たちが手を水平に動かして案内する。ここは先にどうぞ、と。
リュウガとリナはバツの悪さを覚えながら――、ミカンは上機嫌で尻尾を振りながら先へ進む。やがて、トントン拍子で扉の前にたどり着いた。
この中に帝国を牛耳る、スチーム精霊がいる。どれ、その姿を拝んでやるか。
両開きの扉が、ゆっくりと開かれた。