第一話 ハーデスト・オンラインの初日
――VRMMO(Virtual Reality Massively Multiplayer Online)は、仮想現実技術、すなわちバーチャルリアリティを利用した、オンラインシステムのことだ。一般に、大規模で多人数が同時にプレイできるゲームを指す。多くは、自らの分身となるキャラクターを育てるRPGの体裁をとる。そして、本編の主人公――真城リュウガが関わることになるのも、正にそのタイプだった。
だが、しかし……。それは常識が通用するVRMMOではなかった。
オープン初日。MMOを体験したものであれば、その日が感慨深いものであることは分かるだろう。学園祭のようなざわめきと、修学旅行のような妙な高揚感を足した感じといえばよいのだろうか。
ハーデスト・オンラインにおいても、数万人のプレイヤーがその地に降り立ち、それぞれが思いをはせていた。中央ステージと呼ばれるその場所には、一本の巨木――マザーツリー――がそびえたち、それを取り囲むようにして村などの集落が形成されていた。
マザーツリーは現実ではありえないほどの大木で、高さは高層ビルの比ではない。しかし幹の太さはそれほどではなく、重力的な物理法則は無視するような形で天空に伸びていた。まるで、この世界の非常識ぶりを象徴するような巨木だった。
大空は青く、空気は澄み渡っていた。いわゆる中世ヨーロッパの原風景が近く、小川や水車小屋が遠くに見える。まるで絵はがきを切り取ったような風景だ。
雑然とした都会育ちのものが多いのだろうか。そうしたのどかな光景を前に、歓喜の声を上げるものが多くいた。
〈いやっほう! 俺、中学二年の高校生設定です! そんな訳あるかってツッコミはなしの方向でー。みんなヨロシクねー。職業は戦士を目指そうと思ってまーす〉
〈えっと……。あのぅ。こんにちはー。VRMMOというか、この手のゲーム自体が初めてでよく分かりません……。足手まといもしれませんが頑張ります。風使いリナって言います。気軽に誘ってください〉
〈急募! ギルドメンバー求む! 詳しくは青よろいのエルフアバターまで!〉
所信表明じみた演説や、この世界の感想、そしてパーティーメンバーの勧誘をするものなど。たどたどしいながらも空間チャットを利用し、話すものが多くいた。身振り手振りを加えた御丁寧な自己紹介だ。チャットは、流麗なボイスで届けられる。各々が、興奮しているのが伝わってきた。
友好的なプレイヤーがいる一方で、達観した雰囲気を醸し出して、斜に構えているプレイヤーもちらほら見かける。そうした孤高タイプの多くは、開幕ダッシュと呼ばれる、最初に差を付けるプレイを好むものたちだ。
これは、レベルや所持金で周囲に差を付けることができれば、おいしい狩り場の独占や取り引きなどにおいて、優位にことを進められるケースが多いからだ。
真城リュウガも、そのタイプのプレイヤーだった。応用が利きそうな人間タイプのアバターに身を包みながら、廃プレイヤーとしてすべきことに考えを巡らせていた。
「おーおー、ここがハーデスト・オンラインの世界か。物々しい名前の割には、割と普通の見た目だな」
リュウガは両手両足をグッと動かし、その感覚を確かめながら誰とはしにつぶやいた。有利にプレイを進めるためには、慌てずに何が最も効率的かを考えなくてはならない。
ただ闇雲に荒野を駆け回って、モンスターを狩り始めるのは愚の骨頂だ。このゲームにおける、優位性をまず先に考えなくてはならない。
――レアモンスター狩りを主体とした経験値重視にするか? それとも金策による装備の拡充か? それとも、早めのパーティーメンバーの確保か?
リュウガは方向性を確認するために、ステータスウィンドウを開いた。
レベル:1
種族:人間
職業:なし
HP:30
攻撃力:105
右手:20
左手:15
右足:40
左足:30
防御力:50
所持金:1000ワールド
経験値:0exp
次のレベルに必要な経験値:5000exp
他に、命中力、素早さ、賢さ、運の良さ、精神力などが見えたが、どれも一桁の数値が書かれていたので、余り重要ではないだろう。
んーと、珍しいのは、各手足に攻撃力が割り振られていることくらいだな。おやっ?
ステータスを一通り確認すると、リュウガはあることに気がついた。
この「次のレベルに必要な経験値」が5000expって、随分と多くないか? まあ、まだ一体のモンスターがどの程度の経験値をドロップするか分かってないから、あれだけど。
そして、リュウガは攻略の流れを決めるべく思考を巡らせた。
そうだな、まずはオーソドックスに武器屋と防具屋で商品を確認するか。あとは、魔法系の扱いがどうなっているか確認してと。今はまだどのクラスにも所属してないから、魔法や特技なんて使えそうもないけど……(説明ウィンドウには、存在すると記載されていた)。
そしてリュウガは、武器屋探しを始めた。この中央ステージは変わっていて、マザーツリーの周辺はのどかな集落がひろがり、その外に草原らしきフィールドが広がっているのだが、ツリーの真下のエリアは未来都市のようになっていた。
メタリックのテクスチャを多用した未来都市部分の半径は、百メートルほどだろうか。先ほどオープンチャットを展開していた彼らも、その部分の台座にのってしゃべっていた。
マザーツリーを登るように、らせんの自動階段が続き、未来都市部分は何層かの階を形成している。床には未知なるエネルギーが走っているのか、血管のように入り組んだラインがまばゆい光を放ちながら脈動している。それぞれの階に店が軒を連ねているため、買い物は合理的にできるようになっている。少なくとも、村の一軒一軒を歩いて、武器屋の看板を探すことはない。
目的の武器屋は、二階に上がってすぐの場所にあった。二本の剣が交差する文様が描かれている扉の前に立ったそのとき。
一階の中央広場に、ひときわ大きな声が響き渡った。
「おい! やべえぞ、みんな! このゲーム、どうやらクソゲーらしいぞ。攻撃が全く当たんないってさ。さっき、戦ってるヤツ見たけど、速攻やられてたぞ!」
もう冒険に出たヤツがいるのか? それがリュウガの第一感だった。
システムにログインしてから、まだ三十分もたっていない。だが、急いで行動すれば一通りの装備を調達して、野に飛び出すことも可能だ? それにしても、攻撃が当たらないだと? まさか、武器屋を訪れないで冒険に飛び出したんじゃないんだろうな?
「もしかして、初日にありがちなバグじゃないの?」若い女兵士風のプレイヤーが言った。
何人かがうなずいているのが見えた。すると、背の低いドワーフ風アバターの男が駆け寄ってきて言った。
「やられると、一発でアウトらしいぞ! 俺の連れがさっきやられたけど、それっきり消えちまった……。連絡も何もなしで、いきなりやめちまうダチじゃないんだ。慎重に行動した方がよさそうだ」
その言葉に、辺りが騒然となる。全員の脳裏に恐怖の二文字がよぎった。VRMMOを経験したことがあるものならば、一度は聞いたことがあるうわさ、デスゲームだ。
デスゲーム――つまり、ゲーム内での死が現実世界での死に直結するということを指す。都市伝説のように、こうしたゲームをプレイするときにはこの言葉がつきまとう。
リュウガはもう何十本もこの手のゲームをプレイしてきたが、当然本物のデスゲームなどというものに遭遇したことはない。
またいつものヤツだろ、と笑い飛ばしたかった。だが、今回は妙に引っかかるものがあった。
もしかしたら、一度このゲームで死んでしまうと、二度とプレイできないというペナルティがあるのかもしれない(それでも十分すぎるほどだが)。ハーデスト・オンラインがその触れ込み通りの最高難易度なのであれば、そのぐらいの仕様があっても不思議でない。だとしたら、半信半疑のまま雑なプレイをするのは危険だ。もう少し情報を仕入れてから動いた方がいい。すると……
「キャアアアアアッ!」
明らかに女性の悲鳴。それも複数の声が重なり合っている。
リュウガは二階の手すりから身を乗り出し、一階をのぞき込んだ。
そこには、全身に弓矢が刺さり、血まみれになってうつぶせに倒れている何者かの姿があった。