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恋せずにいられない --こゝろによせて  作者: あくた咲希
吸血欲求か? はたまた恋か
5/10

 俺が電話も引いてないし携帯も持っていなくて、ついでに倒れていたこと(理由は言わなかった)を知ると、みい子はあたふたして謝っていた。たった数日のことなのに、何も知らずに恨みごとなんて言ってごめん、と。その後、みい子をさがす兄貴の声が聞こえてきて、雨の中を傘もささずに慌てて行ってしまった。

 もういちど、会う約束をして。

 それが、今日だった。

「起きてー。佐久也ぁ、お水ほしいー」

「……蛇口ひねれば出るだろ……」

「やああん。天然水がいいのぉおお」

「贅沢いってんじゃねぇよ毛玉が」

 背中でうるさく跳ねるコマルを布団ごと跳ね飛ばして、寝癖頭をかきまわしながら欠伸をした。例によって、眠れなかった。枕元に転がる目覚ましのアナログ針を見る。ただいま、九時。

 たった一度きりみい子の血を吸っただけだというのに、体の変化は止められなかった。髪が伸びて、髭もまた汚らしげに生えている。

 とろとろと身支度をした。たしか散髪屋がすぐそこにあったはず。

 尻ポケットに財布を突っ込んで、玄関のドアを開けたとたん、さわやかな香水の匂いがいっきに流れ込んできた。

 見れば背のすらりとした女が、八重歯をちらりと覗かせて笑っている。

「やだ、そんな頭でどこに出かけるの?」

 女は、ホットパンツから伸びる引き締まった足でずかずかと押し入ってきた。狭い玄関で胸が触れんばかりの至近距離で、猫みたいな目で俺を見上げ、いたずらっぽく笑う。

(あ。きのうのジャージ集団の……)

 耳の上で切り揃えられたベリーショートは自然な感じに赤茶けていて、そのてっぺんに、黒くて丸い物体がぴょこんと現れた。

「昨日、こいつにアトつけさせたんだ」

 コマルにそっくりな毛玉を指さして、女は得意げに笑った。

「ひっさしぶり! 元気してた、佐久也クン」

 名前を呼ばれてようやく、思い出した。

 鳴乃(なきの)だ。幼なじみであり、吸血鬼の大先輩の。

「あんた、あの高校にいたのか」

「そ。三年生、最後の夏。佐久也クンは? 何? 男子高?」

 鳴乃は遠慮なしに部屋に上がり込み、布団をたたんで横にどけて、腰をおろした。

「キミ、男専門になったの?」

「なわけあるか」

 仕方なくきびすを返し、窓際に座り込む。

「男子高と知らずに入学しちまったんだよ」

「そか。昨日、ちゃんと女の子といたもんね」

 ベッドから身を乗り出して、鳴乃が興味津々って感じの顔で俺を覗き込む。

「これからデート?」

 昔から鳴乃は人の恋愛ごとに首をつっこみたがる性分だ。

「そうだよ。一時半に待ち合わせ」

 みい子は午前中は店の手伝いがあり、俺は食事時を外したかったので、その時間になった。

 鳴乃がポンと手を打った。ベッドを降り、ペン立てにささっていたハサミを手に振り返る。

「シャワーあるよね? 髪、切ったげる」

「え。できるの」

「伊達に何千年って生きてませんって。ほらほら、行った行った」

 昔のよすがか、俺は彼女のリードに逆らえず、上半身はだかになって風呂場に移動した。トイレとは分かれているけれど、たいして広くないし、二人だと少々きつい。

 俺は洗い場の床に膝をつき、バスタブの縁に手をかけて、頭を前へ突き出した。

「佐久也クン、あれからどうしてたの」

 鳴乃がガシガシと洗髪しながら訊いてきた。

「キミって基本的に吸血欲求しかないじゃない。それで、女の子と仲良くなれてるの?」

「まぁ……必要であればいろいろするし」

「そっか。アタシが教えてあげたことも多少は役に立ってんのね」

 見えないが、鳴乃は笑っているらしい。笑い声は立てなくても、口調からわかる。

「それで、今はあの子が相手なんだ?」

 鳴乃は、泡を流した俺の頭をタオルで包み込み、上半身を起こさせた。

「けっこう親密な間柄に見えたけど?」

 ひょいと乗り出してきて顔を覗き込んできた。

 胸が腕にあたる。水風船みたいな感触で、それ以上でも以下でもない。でも懐かしいやわらかさだ。

 だから、俺はつい相談する気になった。

「彼女さ、あれで二十一歳なんだよ」

「えーっ。ずっと若く見えたわ」

「俺も十六ぐらいだと思った。うちの高校に教育実習できてて、まぁなんつーかいじられキャラだったんで気にかけてやってたんだ」

「あら、優しいじゃない」

「そんでまぁ、彼女が俺を気に入ってくれてだな。そんとき二週間ぐらい断血状態で、ちょっと機会があって、噛んだはいいんだけど」

「ははあ。血が合わなかったってわけ。それなのに好きなわけ?」

「……それがわからん」

「そかぁ」

 鳴乃は勝手に得心すると、

「そんならお腹へってるんでしょ、吸ってもいいよ。腹の足しにはなるでしょ」

 そう言って、俺の前に腕を差し出した。

「首は痛いから、ここでよろしく。ほれ、遠慮せんでいいよ」

 ほれほれ、と腕を曲げ伸ばしする。でも、吸血させてもらうのもカッコ悪いので丁重に断る。

「自分でなんとかするから、大丈夫」

「なんとか、ねー」

 鳴乃は背後に引っ込むと、頭皮マッサージをはじめた。

「でもさ、あんまりにもお腹すいてると正常な判断できなくない? アタシだったら好きとか嫌いとか関係なく、誰でも彼でも吸いたくなっちゃうかも」

 何か含むものを感じて、俺は振り返った。鳴乃は俺に前を向かせて、話をつづける。

「その子に執着してる理由って、吸血欲求からかも。彼女のことが好きかどうかわかんないんでしょ。それなら、お腹いっぱいになった状態でデートしたら、何かわかるんじゃない?」

 姉が弟に諭すような感じで、鳴乃は丁寧にゆっくりと言った。俺はなるほどと思った。

「鳴乃に会えてよかったわ、マジで」

 本心から言うと、

「へへっ。そんなこと言ってるとー、まぁた、愛しちゃうわよっ」

 冗談(もしかして本気か?)で返された。

「いける口なら、鳴乃さんお得意の飛鳥鍋をごちそうしてあげるとこなんだけどね」

 鳴乃は明るい。あけすけな雰囲気が爽快で、丸めてた背がシャキンと伸びるような心地がする。ハサミの音も気分をすっきりさせるようだ。

 鳴乃よりも短くなった髪の毛先をワックスで散らし、今までしたこともないヘアスタイルの自分を鏡で見て、気合が入るのを感じた。

「さんきゅ。上手いじゃん」

「伊達に何千年って生きてませんよぉ」

 鳴乃が胸を張り、改めて腕を差し出した。俺は合掌して、柔肌にそっと歯を当てた。


 待ち合わせには充分すぎるほど間に合わせたつもりだったが、みい子はすでにそこにいた。Aラインの清楚な水色ワンピースが彼女をよけいに若く見せている。改札口の向こう、キオスクのそばにたたずんで、きょろきょろするでもなく、俯くでもなく、じっと前を向いていた。

 その顔がふと傾き、二つの瞳が俺の姿をみとめる。笑顔が咲き、靴のつま先がこちらを向く。

 みい子が駆け出すより先に、彼女の前へ到着した。見おろした顔はナチュラルメークで、実習のときより心持ち唇が華やかだった。その唇で、俺の新しい髪型を褒めた。

 俺はごく自然にみい子の手を取り、明るい空のもとへ歩きだした。みい子はちょっとためらった様子だったが、すぐに手を握り返してきて、寄り添うようにしてついてきた。

「みい子、どこ行くんだっけ」

「動物園。古くてちっちゃいとこだけど。あ、行ったことあるかな」

「はじめてだと思う」

「そ。あたしは数年ぶりだよ」

 そんな付き合いたての恋人同士らしい会話をしながら、大昔に舗装されたっきりの道を進んだ。

 ふだん住んでいるところも都会ではないが、このへんはまさに田舎で、軒の低い商店が道の脇にひしめき合っていた。賑やかで、駄菓子屋には子どもたちが物珍しそうに集っている。それを見守る親は、みな一様に微笑を浮かべ、自身も懐かしげにクジやコマを眺めている。

 みい子がべっこう飴を買ってきた。飴なら食べられないこともなさそうだ。

「小さい頃、おに……兄と、よく遊びにきたの」

 みい子が目を細める。

「成長すると、なんていうか変わっちゃって。兄がただの口うるさい父親みたいに思えてきたり、あたしは一人でもなんでもできるんだ、こどもじゃないんだって勘違いしたり」

 歩きながら、ひとりごとのように話すみい子を、俺は不思議な思いで見つめていた。

「中学のとき、兄の目を盗んで、ここにこようとしたの。でもね、信じられない話だけど途中で迷子になっちゃって。ようやくたどりついたときには待ち合わせの時間、過ぎちゃってて……あ、デートだったの。そのときの彼は怒って帰っちゃったあとで。かわりにお兄ちゃんがいた。もうそのとき、悲しいやら悔しいやら不甲斐ないやらですごい泣いちゃった」

 みい子がどうしてそういう話をするのか、正直なところよくわからなかった。間が持たないとか、そういうのではないように感じられたけど。

 妹思いの兄貴――将史だっけ、あの目つきの悪い店長のことを自慢しているふうでもない。過去の失敗談を笑い話にしているのでもない。

 ぐるぐる考えながら、ふと、俺からは何も話題を提供していないことに気がついた。この流れで昨晩のテレビドラマの話をするのは変だ。だからといって俺の家族話をするのはいかがなものか。なんたって吸血鬼一家だ、何をどう話せばいい?

 手頃な思い出話といっても思い浮かばない。鳴乃のことは、話して聞かせることじゃないし。

 吸血鬼であることを隠さないでよければ、いくらか、ないではないのだが。ほとんどが忘却の彼方だが、中には面白いこともあったはずなのに。

 そうすると、俺にはみい子に語ってやれることは何一つないんじゃないかと驚いた。みい子の人生の何十倍も生きているというのに、これは、何やら恥ずかしい。

「あっ、見えてきたよ石見くん」

 思いきりレトロチックな動物園のゲートに、俺は心底、救われた心地がした。

「あは、変わってない。象の鼻アーチ」

 みい子は届きっこないのに背伸びして、ペンキの剥げた象に手を伸ばした。

 俺は楽勝、とアーチにタッチした。

 みい子が悔しそうにへの字口になって頬を丸くして、ぷーっと吹き出す。

「石見くん、こっどもー」

「みい子が、だろ?」

 券売機でおとな二人券を買って、俺たちは象の鼻の下をくぐった。

 その日のデートは、始終なごやかで、楽しかった。

 俺は、みい子を好きだと思った。

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