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恋せずにいられない --こゝろによせて  作者: あくた咲希
吸血欲求か? はたまた恋か
4/10

 図書室に返却どころの話ではなかった。あの日、なんとか自宅のアパートにたどりついたはいいものの、そのまま倒れた。

 今日は土曜日だ。昼頃にのろのろと起きだして、シャワーを浴びた。頭がはっきりしたのは、宅配便の声を聞いたときだった。バスタオルを腰に巻いただけの姿で小包を受け取ると、人のよさげなおっさんは、風邪を引くなよと俺を気遣って去っていった。

 靴箱にはめ込まれた姿見には、まだらヒゲと濃いクマの、我ながらヒドイ顔の俺が映っていた。げんなりしつつ身なりを整えてから、スチールベッドにあぐらをかいて小包を開けた。

 箱のふたに手を触れたとたん、何かが飛び出してきて目と目の間にぶつかった。

 六畳ワンルームの部屋を見回してみると、丸テーブルの上にテニスボール大のまっくろな毛玉がいた。

「あ、おまえ……マル?」

 毛からぴょこんととびだした、小豆みたいな二つの目がこちらを見る。

「マルでないよー。マルはオヤ。ボクは、コ」

 どこにあるのかわからない口でのんびりと言い、ぽーんと跳ねて、てのひらに乗ってきた。

「ボクの名前は、佐久也につけてもらえって」

 マルというのは、おやじとおふくろのところにいるペットで、こいつとそっくりな毛玉だ。何をするでもないが癒しにはなる。

 マルの分裂体にコマルと名づけ、布団の上にぽいと投げた。コマルはしばらくころがっていたが、そのうち、ぴーぴーと寝息を立てはじめた。

 箱には、コマルのほかに手紙一通と写真が一枚、なぜか八橋らしき菓子箱が、繭の形をしたクッション剤に埋もれて同梱してあった。自宅プリントの写真には京都の金閣寺をバックに、外見は俺とそう変わらない年頃の両親が写っている。

 うちの親は、最近は会っていないからよくわからないが、互いの血を与え合って生きていた。人間の血を吸ってもいいはずなのだが(実際そうしている夫婦が多いんじゃないか)、徹底して他人の血を遮断しているのだから不思議だ。愛がどーたらと力説してたっけ。

 吸血鬼の血って無味乾燥で、母乳程度には味があるとかドクターが言ってたけど。人間の血がハイリスク・ハイリターンだとすると、吸血鬼のはノーリスク・ローリターン。老化には関与しない。

 和紙の封筒をあけると、これまた和紙の品のいい便箋が二枚、三つ折りになって入っていた。


『前略 元気でやっていますか? ママたちは先日、八〇〇回目の結婚記念で、京都旅行に出かけてきました。パパが参加した学園闘争の大学も覗いてきちゃった。怪しげな地下室があって面白かったわ。佐久也にも見せてあげたかった。帰ってきてみるとマルが分裂していたので、子のほうを送ります。水をあげてね。名前は佐久也がつけて。大事にするのよ。

 たまには顔を見せてね。ただいま家族旅行を計画中♪ 佐久也もネットをつないでくれれば連絡をとりやすいのに。せめて携帯電話ね。とにかく、いざってときに連絡がつくように。

 それじゃ、今回はこれで。体に気をつけるのよ。

 太一くんみたいになる前に、ママたちにちゃんと相談するのよ。

 ママたちの奇跡 佐久也様

                                       伊夜(いよ)


「追伸。パパが娘がほしいなと言ってます。もちろん佐久也のお・よ・め・さ・ん……はーと」

 便箋を元どおり封筒に戻して、写真と一緒に箱に詰めて、テーブルに放った。クッション材が何個か跳ねて散らばる。八橋は国語のジジィにでもやるか?

 コマルを少しどかして、片腕を枕に寝ころんだ。もう片方の腕で遮光カーテンの片側をひっぱる。外は曇天で、部屋はたいして明るくならない。気分はまだすぐれない。

(こんなんじゃ、この先みい子と付き合ってくわけにはいかないよな)

 新たな狩場を開拓するか……。

 みい子の出身校は共学だと言っていた。なぜそっちへ入学しなかったんだ俺。もとい、担当役人はなぜ「男子高ですよ」と忠告してくれなかったんだ。

 ほかにアテもないので、みい子の出身校を覗いてくることにした。電車で二時間てとこだが、休日でも部活はしているはず。女子バレー部がインターハイ地区予選で残っているのだ。俺好みの小柄な子はいないだろうけど、肌は瑞々しいだろうし、血は旨そうだ。

 玄関の鏡でなにげなく確認すると、前髪が少し伸びて目にかかっていた。

 外に出てドアに鍵をかけた瞬間、ドアの郵便受けの隙間からコマルが飛び出してくる。

「ついてくるなら、人に見つからんようにワキにでも隠れとけ」

「えぇー。ワキ毛があるからヤ」

「おまえも毛だろうが」

 真実を突きつけると、コマルはしぶしぶ俺のシャツにもぐり込んだ。どうしてもワキは嫌だったらしく、背中側にまわってマスコットよろしくベルトにぶらさがる。

 左手首に巻いたチェーンの時計を見ると、一時を一〇分ほど過ぎたところだ。昼時だが、胃はもたれていて空腹感はない。

 それでも、みい子の血はちゃんとエネルギーに変換されたらしく足取りは軽い。俺は水たまりをリズミカルに越えつつ、駅まで走った。


 部外者立入禁止と札がかかり、重々しく閉ざされた鉄扉はとても高校の門とは思えないシロモノだった。ここは刑務所か。勝手に入ったら、つまみ出されるだけじゃすまなさそうだ。

 わざわざ電車を乗り継いでやってきたってのに、のっけからコレか。脱力……。みい子を呼び出してみようかとも考えたけれど、例のメモは制服のポケットに入ったままだし、女の子を物色するのに付き合わせるのは気がひける。

(俺を、好きだって言ってくれたんだもんな)

 笹倉みい子。ストライクゾーンどまんなか。問題は年齢。年齢だけなのだ。

 新たな問題は、さて、どうやって目の前の高校に侵入するかである。正門はひらきそうになかったので裏門をさがした。同じような鉄扉で鍵はかかっていたけれど、こっちは飛び越えられないこともない。

 それにしてもなんという鉄壁の守り。感心して、なかば呆れて、裏門の隙間から中を盗み見たり、助走がどれくらい必要かを目算する。

 その中で監視カメラを見つけて気がそがれた。バレー部員の血は魅力的だけれど、それ以上にお縄は勘弁願いたい。

「時代はかくも残酷に移り変わりゆく……」

「ボク、カラダが乾いてきちゃったんだけど」

 コマルが腹のほうに移動してきてシャツの裾をぺろっとめくり、遠慮がちに水をほしがった。毛の色がずいぶんとくすんでいる。小包配達の間、よく我慢したもんだ。

「自販機……は、ないか。向こうのあれはスーパー……だな。コマル、また隠れて」

 コマルが背中に移動し終えるのを待たずに、黄色のビニールシートを天幕にしたやっつけのバザーみたいなスーパーへ走った。着いてみれば、奥にはちゃんとした店舗が構えてある。

 バザーじみた場所を通り抜けて、ひんやりとした空気が流れてくるほうへ歩いてゆく。品数が多いわりに整頓された店内だ。

 手書きのポップに月間奉仕品と紹介された、五〇〇ミリと一.五リットルのミネラルウォーターを一本ずつ手に持って、ほかに何を見るわけでもなくレジに向かう。

 客は少ない。レジは一台しか稼働しておらず、そこへペットボトルを差し出した。

 値段確認のために黒い表示画面を一瞥するついでにレジ員を見る。こんな店で働いているのはオバちゃんだろうと油断していたところへ、目に飛び込んできたのは、

「みっ、みい子?」

「えっ、ええっ」

 彼女のほうも、俺が買い物にくるなんて予想しなかったのだろう。

 みい子はパーカーに細身のジーパン、その上に黄色のエプロン姿で、ひっつめ髪にしている。薄くリップをぬっただけの顔を真っ赤にして値段を読み上げて、金を受け取り、お釣りとレシートを返して、ありがとうございますと言った。意外にもスーツ姿よりおとなびて見えた。腹がキュンと鳴る。

 次の客にレジから押し出されて、振り返ると、みい子はすでに仕事をする女になっていた。顔なじみの客らしく、談笑を交えながらも手はしっかりテキパキと動いている。

 やがて、渋めだが若い男の声でタイムセールを告げる店内放送がかかり、ほかのレジにも店員がスタンバイしはじめた。オバちゃん集団が入り口から押し寄せてくる。

 こちらに顔を向けたみい子と目が合った。一瞬、眉毛が下がって泣きそうな顔をした。

 俺は、お買い上げ済みテープを貼ってもらったペットボトルを持つ右手を、じゃあね、みたいな感じでちょっとあげて、店を出た。

 ひと気のないところをさがして近辺をうろつく。結局、店の倉庫っぽい建物の裏側に座り込んでミネラルウォーターのキャップをあけた。

 一.五リットルの飲み口に毛玉が飛びついて、ゴッキュゴッキュと豪快な音を立てはじめる。徐々に毛づやが戻ってくるのを確認して、俺も水をひとくち含み、舌の上で転がした。生温くなったのをゆっくり喉に押し流し、ひと息つく。

 気づけば、みい子の仕事が終わるのを待っていた。人通りがないのを幸いに、コマルをつついたり話相手にしたりして時間を潰した。

 ……時計の針が七時を指した。夕焼けの色がいっそう濃くなって、俺の左側に伸びた影がだんだんまわりのアスファルトに溶けこんでゆく。

 痺れを切らして立ち上がる頃には、影とアスファルトはすっかり同化していた。

 店先の回収箱に空のペットボトルを入れながら、中の様子をうかがう。ひと気はなく、みい子の姿もない。

 いくらか落胆して、そばにあったベンチに腰をおろした。その前を、

「どーもありがとうっしたー」

 段ボール箱を山積みにした台車を押しながら、エプロン姿の男が通り過ぎていった。放送と同じ声だなと思っていると、ゴロゴロという音が止まったので、なんとはなしに顔を上げた。

 思わず、肩がすくんだ。

 台車の男が俺を睨みつけている。

 エプロンの下は、白無地の半袖Tシャツに、あちこちが擦り切れたジーパン。すすけた紐のスニーカーは底がかなり擦り減っているようだ。ひとめ見て、たいへんな働き者だとわかる風体。散髪に行くひまもないのか、額をあらわにしてひとつにまとめた長い髪はやや乱れていたが、不快ではなかった。涼しげな容姿のせいだろうか。しかし切れ長の一重の目から感じる視線は到底、心地のよいものではない。

「お兄ちゃん、魚屋さんの冷蔵庫から変な音がするって――」

 声がしたほうを見ると、店の脇からみい子が上半身をのぞかせていた。

 男は台車から段ボール箱を降ろすと、俺の前を通り過ぎ、みい子の向こう側へ消えた。

 しばらくそのうしろ姿を見送っていたみい子が小走りに駆け寄ってくる。

「時間、大丈夫だったら、あすこの学校の正門のところで待っていてくれる?」

 うっすら頬を上気させて、小声で告げた。俺が頷くと、ほっとした表情で店に戻っていく。

(……何をしているんでしょーかね、俺は)

 高校の鉄扉に寄りかかってぼんやりしていると、コマルが右肩に乗っかってきて、小豆の目玉をくるくる回転させて言った。

「ねぇ。さっきの、佐久也のおよめさん? あっ、でも聞いてたイメージと違うなァ。伊夜ママたちが言ってたよ。佐久也がおよめさん連れてくるの、いつカナ」

 うちの親は、家族なるものに執着があるらしい。何かにつけ人間の暮らしを羨んでいて、末は数世代で同じ家に住みたいなどと言う。

「ばーか、あのコは人間だ」

 ドクターいわく、吸血鬼と人間とでは種が違うために子をなせないのだ。ただでさえ吸血鬼は長い寿命と引き換えにしたように生殖能力が低く、俺などは性欲すら控えめだ。

 コマルを指ではじき、手紙の追伸文を思い出した。

 俺の嫁、ね。

 おおかた幼なじみのなきの鳴乃あたりを想像しているんだろう。もう何百年と会っていないし、顔もよく覚えていない。

 大体、幼なじみとはいっても鳴乃は俺よりもずっと年長者で、うちの親よりも年季の入った吸血鬼だ。たしかに俺をよくかわいがってくれて、いろいろ手ほどきをしてくれた女の人ではあるけれど。

 しゃべり散らすコマルを黙らせ、背中に追いやった。みい子が走ってくるのが見えたからだ。

 みい子は髪をおろしエプロンを外していて、夕闇の中、ひどく恥ずかしそうに、口をひらきかけては閉じてを何度かくりかえす。お疲れさまと俺が声をかけると、顔をぱっと明るくして微笑んだ。そして、店とは反対方向に歩きだした。

 レンガを重ねて小屋にしたバスの停留所があり、そこのベンチに隣り合って座った。薄暗い蛍光灯がときおり点滅して、みい子の顔を活動写真のように細切れに浮き上がらせる。

 バスはもうないらしく、あたりはひっそりと静まり返っている。

 俺はというと、募る空腹感に耐えながら、無言でみい子の左手を握っていた。

 そんなとき、ガヤガヤと集団の声が聞こえてきて、ジャージ姿の背の高い男女たちが道路を横断していった。中に、抜群にスタイルのいい女が一人まじっている。その女が何かのはずみで振り返り、こっちを見たような気がした。でもすぐに談笑に戻ってゆく。

 彼女たちのうしろ姿を見送り、俺はどうにもやるせない気分になっていた。腹がへって苛つきもしていたが、我慢して当たり障りのない話題をさがした。

「みい子、あすこでバイトしてんの」

「バイトっていうか。家事手伝い」

「じゃ、実家なんだ」

「うん」

「あれって、兄貴?」

「うん。店長」

 みい子は短く答え、自分からは話してこようとはしない。

 とつぜんの再会で戸惑うのはわかる。が、俺はだんだん苛立ちをおさえられなくなってきた。

 握った手をさらにぎゅっと握りしめる。するとみい子は、涙に滲みかけた目で俺を見つめ返してきた。

「あたしだって。……あたしだって、怒ってるんだからね」

「……何を」

「返事、待ってたのに」

 吐き出すように言い、眉間に力を入れた。怒っているらしいが、なんていうかかわいい顔で、

「っ……なんて顔してんだよ。素直に泣けば」

 苛々が一気に消えうせて、俺は手を握ったまま、もう片方の手でみい子の頭を抱いた。

 ふぇぇと情けない声がして、つないだ手にぱたぱたと冷たいものが落ちてきた。

 しばらく俺たちはそのままで、降りはじめた雨の音を聞いていた。俺はみい子の頭にあごを乗っけて、訊いた。

「みい子って、『こゝろ』読んだことある?」

「漱石? うん、急にどうしたの?」

「どんな話だったかなって」

「えっと……三角関係みたいな、そんな話」

 超端的に答えるみい子を上向かせ、キスをした。

「読み込んでないだろ、英語のセンセー」

 急にそわそわしてきた。

 みい子の耳元から首筋、鎖骨までのラインを撫でて、唾を呑み込んで、また撫でて――を何度もくりかえす。くすぐったがり、はにかんで笑うのがたまらない。

 ぽそりと耳元で声がした。

「やっぱり、およめさんなんでそ? 好きっていう気持ちが大切だって、オヤがゆってたよ」

「コマっ--」

 首を回したが、コマルはすでにシャツの中に逃げていた。

 みい子がきょとんと俺を見る。

 なんでもない、と抱きしめてごまかして。俺は、心の中でコマルを罵った。

(何わかったふうなこと言ってんだよ。好きも何も、おまえら結婚なんてしねーじゃんか。そもそも好きってなんだ。血を吸いたいって思うことか? でもみい子の血はダメなんだ、旨いけど……合わなくて。それでも好き、なのか? 不毛じゃね?)

 後半は、誰に問うでもなく。俺は、みい子の首筋をただ撫でつづけた。

 腹、減ってるのに。

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