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恋せずにいられない --こゝろによせて  作者: あくた咲希
はじまりは教育実習
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 十七歳以下の女性が望ましい。なお、処女か否かは問わない。できれば、美しいほうがいい。

 我が糧は人間の血。でも――現代は吸血鬼には少々、生きにくい時代。



  第一話 はじまりは教育実習



 十七歳以下の女性が望ましい。これはドクターにも忠告されたこと。MAXステータス(記憶力や運動能力などの最高値)を維持するため、吸血対象を十七歳以下に限る。性別についての指示はなかったが断固として女がいい。なお、処女か否かは問わない。そーいう経験のあるなしで味はそう変わらない。かえってコクが出るのだと美血家は言うとか言わないとか。そして、できれば美しいほうがいい。欲は言わないが首筋は美しくあってほしい。

 俺、ヴァンパイア。日本生まれの吸血鬼。

 我が糧は人間の血。人間の食べ物は胃腸が受けつけてくれない。だから、自分好みの美人の生き血が唯一のグルメである。

 この現代においてサラサラ血の美人に遭遇するということ、それは希有だ。二つの条件をクリアしている上に、必要最低条件である十七歳以下の女性となると、もう。

 吸血鬼は基本的に不死だが時の過ぎる速さは人間と同じ、一日に三度は腹がへる。背に腹はかえられないから、グルメとはほど遠い吸血生活を送ってきたぜコンチクショウ。

 そんな俺とは対照的に、けして妥協しないヤツもいた。俺とは年齢が近く、百年あたり前までつるんでいた悪友の太一である。

 それが――去年の夏のことだ。炎天下の運動会の開会式で倒れ、人間の病院に入院した。点滴は吸血鬼にも有効らしいが、それだけでは間に合わず先月とうとう骨と皮だけになって死んだ。老夫婦の養子として人間社会にもぐりこんでいたそいつは人間と同じように火葬され、人間の墓地の一角に眠っている。看取ってやれなかったが葬式に参列した俺に、養父は一冊の文庫を差し出した。

 悪友の死は、吸血鬼社会の役所が発行する公報グローバル版にもでかでかと掲載された。『One young vampire died of hunger!(若き吸血鬼、飢餓で死亡!)』 以来、公報の枠外には「贅沢は敵」だとか「モッタイナイ」だとか、そんなキャッチコピーが躍るようになった。

 今日も俺は校舎の屋上で、昼休みを一人で過ごしていた。梅雨の晴れ間の日差しはやけにぽかぽかだ。

 俺、何回目の高校生だろう。

 学生をやりはじめたのは明治の頃だったか、悪友とともに下宿を借りて日夜、人間の若者と議論を交わしてみたりしたものだ。あの頃とはうってかわってフランクになった学生生活も、これはこれでいいものである。共学が一般的になって女の子とも出会いやすくなったし。

 ただ、ここにきて男子高に入学してしまうなんてな……。

 いくらなんでも男の血を吸う気にはなれないっての。転校という手も考えたが、人間社会で戸籍を持たない身としてはそれも難しい。そこんとこをうまくやってくれる吸血鬼社会の役人が活動するのは春先だけで、現在は休業中。

 しばらくは偶然の出会いに賭けるしかなかった。吸血行為に及ぶには、多少は親しくなってからでないと無理だから。今この時代、うかつに吸血しようとすると即犯罪者だ。婦女暴行。住居不法侵入。捕まった仲間の噂もちらほら聞く。

 俺はため息をついて日陰に移動した。ネクタイを緩めてコンクリに寝ころぶ。なんの変哲もないスニーカーを脱ぎ捨てた足を適当に組むと、グレーの膝小僧が視界に入る。

 数日ぶんの空腹を紛らわすために、ひと眠りすることにする。


「こらーっ! こんなとこで何してるっ?」

 頭上からの声に、反射的に跳び起きた。

「とっくに授業はじまってるんだからねっ」

 女の声。教師陣までむさ苦しい男揃いな男子高に、女の声!

 逆光に目を細めながら凝視すると、スーツに身を包んだ小柄な女が仁王立ちをしているではないか。

 セミロングの髪が屋上の風になびいている。薄ピンクの指先で、俺の曲がったネクタイをキュッと締める。

「勝村先生が問題児って言ってたの本当だったんだ。全校朝礼、出てなかったでしょ。教育実習生がくることも知らなかったでしょ」

「……は。教育実習生?」

 というからには、大学生だろう。現役で進学したとしても二十一歳か、二十二歳のはず。

 それがどう見てもこの女は高校生だ。身長が一八〇超ある俺より小さいのは当然としても、幼い。

「ほんとに大学生?」

 ぽろりと疑問を口にすると、女は、丸っこい顔にカーッと血をのぼらせた。

(あ、旨そう)

 いや違う、

(あ、やばい)

 と身を引いたが、時すでに遅く。

「何よ! 童顔なのは生まれつきよ! みんな初対面でひどいよ!」

 などと吠えかかってきた。

 うん、童顔ってだけの問題じゃないと思う。めちゃめちゃ声が高いし、反応が単純。

 だから俺は、小さな女の子にするように頭をくしゃっと撫でてしまった。

「ごめんごめん、悪かったな――、あ」

 教育実習生はくりくりした目にみるみるうちに涙をためて、でも必死に唇を噛んで、我慢して。ぷるぷるときゃしゃな全身を震わせた。こりゃ実習期間中マスコット決定だな。

(ついでに……まじ旨そう)

 腹がキュンと鳴った。しかし十七歳以下でないとダメなのだ。

 難儀なもので、吸血鬼は年寄りの血を吸うと老化してしまう。これは何も吸血鬼に限ったことではなく、いつだかどこだかの実験でも、若マウスの血を注入された老マウスは回復力が増し肝機能が活性化し、逆は衰えたという。そんなメカニズムで、健やかに生きてゆくには人間の若い血が必要なのである。

 吸血鬼の子どもは、生まれて三年ぐらいで乳離れをする。俺だってものごころつく頃にはすでに狩りをしていた。

 体の成長が一段落する頃、つい、年上の女が魅力的に見えちまったりして。いつかの戦乱の世だったかな、合戦の跡地をうろついていた俺を拾ってくれた女の血を吸ったとき、ひどい二日酔いをしたのだ。

 ああ俺これが限界だ、吸血するなら若い子にしよう、と。その頃ちょうどドクターからのお達しもあった。さて――

「俺、教室に戻るけど。センセーはどうする。そんなんじゃ戻れないっしょ?」

 ぽろぽろ涙をこぼしはじめた実習生を見おろして、俺は頭をかいた。

「あー。だから、泣きやんで。な?」

 抱き寄せて、背中をさすってやる。

 実習生は俺にしがみつき、わぁぁんと声を上げて泣きはじめた。こんなんで先生をやっていけるのか? ……心配だ。

「二時半か。六限は国語だったな。センセーって国語教師志望?」

「ぐすっ、英語。勝村先生が指導してくれてるんだ」

「なんだ、担任の使いっ走りか」

 おおかた国語のヒステリック禿げジジイからヘルプを求められ、担任の勝村のやつ、自分じゃ面倒だから実習生を仕向けたってとこだな。

「今はまだいいが、本当の先生になったら生徒の前でこんな、泣いたりとかしちゃダメよ?」

 冗談めかして言うと、実習生はキョトンと顔を上げて、まじまじと俺の顔を見つめた。まるっこい子どもみたいな目。もしかすると血液の年齢も若いかもしれん。

 わきあがってくる吸血欲求を必死に抑えている前で、センセーは目をしばたいてから頷いた。

「石見くんて、意外にいいコね」

 スーツの袖から覗いたブラウスで涙を拭い、にこっと笑う。

 教育実習ってことは、これから二週間この学校で過ごすわけか。大丈夫なのか? どちらかというとチャラい高校だぞ。

 聞けば母校の抽選にもれたとかで、兄貴がかつて世話になったというこの高校に受け入れてもらったらしい。兄貴は、やめとけと止めたらしいけど。(チャラ高出身者にしては正しいぞ兄貴。)

「家から通える範囲でないと困るし、教員免許ほしいから。都会に出て、一人暮らしするの」

 俺を連れ戻すという任務を忘れた様子で夢を語るセンセーは、どう見繕っても世間知らずのお嬢ちゃんだった。現実をすっとばして夢ばっか見てる。こんなんで二週間、耐えられるのか。

(……なんとかフォローしてやるか)

 幸い俺は問題児で、ケンカも強いと評判だ。このコの授業で騒ぐ奴がいたらシメてやるか。

「じゃ。センセー、職員室、ちゃんと戻れる? 化粧、直してから行けよ」

「うん。あっ、そんなにひどい?」

「マスカラがちょっと落ちた程度かな」

 センセーは慌てて、胸ポケットから折りたたみミラーを出して確認した。

「あー、やだ。せっかくうまく出来たのに」

 地団駄らしきものを踏んでから、階段につづくドアを開ける。

「先生、先に戻るから。石見(いわみ)くんも早く教室戻るんだよー」

 手を振ると、鉄筋の階段を降りていった。

「……甘い。詰めが甘い」

 ヤンキー座りをしたところで、思い直した。

 彼女のために、ジジイのわめく教室に戻ることにしますか、っと。

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