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世界で初めての魔女

作者: オータム
掲載日:2026/10/13

「助けて……!」


その声が耳に届いた瞬間、衛藤賢人(えとう けんと)の足は止まった。

放課後の校舎裏。

焼却炉の陰で、三年の男子が二人が女子生徒を壁際に追い詰めていた。

腕を掴まれているのは、霧島唯(きりしま ゆい)だった。


「スキルもねえ無能のくせに、いつまで優等生面してんだよ」

「頭がいいって、今の世の中じゃ何の役にも立たねえんだぜ?」


唯は唇を噛み、それでも相手を睨み返していた。

中学の全校集会で表彰状を受け取っていた時と同じ、曇りのないまっすぐな目だった。


賢人は踵を返しかけた。

あの二人は『格闘』のスキル持ちだった。

対する賢人のスキルは『身体能力向上』。

名前だけは立派だが、元の体が貧弱すぎて、底上げされたところで大した戦力にはならなかった。

殴り合えば十秒ともたないことは、賢人自身が一番よくわかっていた。

見なかったことにすればいい、と賢人は思った。

今までだって、誰も彼を助けてはくれなかった。

勉強ができず、母親に「唯ちゃんはあんなにできるのに」と言われ続けた幼い日々も。

死に物狂いで勉強して唯と同じ高校に合格した時、周囲に「まぐれだろ」と笑われた時も。

一年前に魔物が現れ、役に立たないスキルしか発現しなかった息子を、父親が「期待外れ」と吐き捨てた時も。

誰も守ってくれなかったのだから、彼が同じことをしても責められる筋合いはない――はずだった。


「……やめろよ」


賢人の声は情けないほど震えていた。

それなのに彼の体は勝手に動き、二人と唯の間に割り込んでいた。


「あ? 衛藤じゃん。名前だけは賢そうな落ちこぼれが、何の用?」


返事をする間もなく拳が飛んできた。

一発目で賢人の口の中が切れ、鉄の味が広がった。

二発目で膝が折れた。

それでも賢人は、唯の前から退かなかった。

腕を広げ、よろめきながら立ち上がり、また殴られた。

何度目かで頬が地面に押しつけられた時も、彼は両手で相手の足首を掴んで離さなかった。

教師の怒鳴り声が響いたのは、それからずいぶん経ってからのことだった。


賢人が目を開けると、白い天井があった。

そこが保健室だと気づくまでに、少し時間がかかった。

ベッドの脇の丸椅子に、唯が座っていた。

膝の上でスカートを両手で握りしめ、じっと賢人の顔を見ていた。

腫れ上がった瞼で、賢人はどうにか笑ってみせた。

うまく笑えたかどうかは、賢人自身にもわからなかった。


「……ありがとう」


唯はそれだけ言って、うつむいた。


「……どういたしまして」


答えながら、賢人はぼんやりと考えた。

唯と口をきくのは、いったい何年ぶりのことだろうか、と。


一年前、世界は変わった。

世界中の都市が次々と機能不全に陥り、得体の知れない植物に覆い尽くされた。

そして立ち込める赤い霧の中から、おびただしい数の魔物が這い出してきた。

魔界汚染――人々はその現象をそう呼んだ。

発電所も農地も、赤い霧の向こうへ消えた。

食料もエネルギーも、魔物を倒して手に入る魔石で取り戻すしかなかった。

だが魔物は桁外れに強く、人類の生存圏は日を追うごとに狭まっていった。

唯一の希望は、魔物の死体から稀に転がり出る「スキルストーン」だった。

体に取り込めば、超常の力が手に入る。

銃でも魔物は殺せたが、一匹仕留めるのに何人もの命が失われた。

スキルなしに戦うことは、事実上不可能だった。

しかしこれまでに見つかったスキルは、殴る、蹴る、走る、斬る――近接戦闘に関するものばかりだった。

しかも元から体が強い者ほど、その恩恵は大きかった。

こうして世界は、筋肉が正義で、腕力が身分となった。

全国模試で一桁の順位を誇っていた唯は、スキルストーンを使っても何ひとつ発現しなかった。

「神童」は一夜にして「無能」になった。


「スキルがなくても、実地訓練で後から別の石で発現した例がある」


政府はそう言って、スキル未発現の生徒を月に一度、魔界汚染区域へ送り込んでいた。

建前は「生存確率が極めて高い、安全圏での適性検査および物資回収」とされていた。

だが本当の目的は、誰もが知っていた。

食料も、エネルギーも、圧倒的に足りなかった。

社会の役に立たない非力な人間には、魔物と戦って死んでほしい――それが国の本音だった。

大人たちが綺麗事で塗り固めたその制度を、生徒たちは自嘲を込めて「口減らし」と呼んだ。

実際、スキルを得て帰ってきた生徒は、これまで一人もいなかった。


唯の名前が討伐隊の名簿に載ったのは、保健室の一件から二週間後のことだった。

賢人はその日のうちに職員室へ行き、護衛に立候補した。


「……衛藤くん、どうして」


出発の朝。

軍用トラックの横で、支給された古いライフルを抱えた唯が言った。


「安全圏での任務と言っても、スキルの無い生徒だけで行くなんて危ないからな」

「知ってるでしょ、この任務から戻ってきた人はいないって」

「俺みたいにスキルはあっても弱い生徒は、護衛任務に就くことが推奨されてるんだよ」

「義務じゃないんだから、死に急ぐことなんてないじゃない!」

「俺なりの事情があるんだ。大きな声を出すと目を付けられるぞ」


唯は何か言いかけて、結局黙った。

その横顔から、賢人はそっと目を逸らした。


汚染区域の入り口。

錆びたフェンスの前で、引率の兵士は書類を読み上げるように告げた。


「スキルを発現するか、区域内の魔物を全て駆除するまで、帰還は許可しない」


生徒の誰かが息を呑んだ。

――やっぱり、死ねってことか。

賢人は胸の内で吐き捨てた。


赤い霧の中で、生徒たちは一人、また一人と消えていった。

悲鳴が聞こえ、振り返った時にはもう誰もいなかった。

そんなことが何度も繰り返された。

三日目の夜。

崩れかけたビルの三階に残っていたのは、賢人と唯の二人だけだった。


懐中電灯を消した暗闇の中、賢人は手探りで弾倉に弾を詰めていた。

弾は、弾倉あと二つ分しか残っていなかった。


「……ねえ」


唯の声がした。


「あの日、どうしてあんな無茶して、助けてくれたの」

「男は女の子の前だと、カッコつけたくなるものなんだよ」


少し、間があった。


「私のこと、女の子だと思ってたの? 幼馴染じゃなく?」

「女の子と思われるのが嫌なら……それこそ、子供の頃一緒に遊んだ仲だし、助けるのは普通だろ」

「中学校に上がってからはあまり話すこともなかったし、私と遊んだことなんて忘れてるかと思った」

「そういえば、ずっと話してなかったな」


暗闇の中で、衣擦れの音がした。

唯が膝を抱え直したのだった。


「ごめん、避けてて。おばさんは私のことを褒めて、あなたのことを貶してばかりで……あなたには嫌われたかと思ってた」

「俺も避けてたから気にすんな。思春期ってそういうものらしいぞ」


くすっ、と小さな笑い声が闇に溶けた。

唯の顔は見えなかった。

けれど賢人には、その笑顔が小学生の頃と少しも変わっていないことがわかった。


その時、階段のほうで、硬いものが床を擦る音がした。

賢人は懐中電灯を点けた。

光の輪の中に浮かび上がったのは、大型犬ほどの大きさの、鱗に覆われたトカゲのような魔物だった。


「下がってろ!」


賢人は引き金を引き続けた。

魔物が飛びかかってくるたび、『身体能力向上』で底上げされた脚で辛うじてかわし、また撃った。

弾倉ひとつを丸ごと使い切って、ようやく魔物は動かなくなった。

その死体の上に、淡く光る石が転がり出た。


「『身体能力向上』だ。唯、使え」


唯は頷き、石を胸に押し当てた。

しかし、いつまで経っても石は彼女の体に吸い込まれなかった。

唯は自分のライフルから弾倉を外し、空であることを確かめた。

そして、静かに言った。


「やっぱり、ダメだったみたい。私はこれまでだから、一人で帰って」

「スキルを発現するか、区域の魔物を全滅させない限り、帰れないって命令だ。俺だけ戻るわけにはいかない」

「大丈夫だよ。護衛に立候補する人はいないし、また立候補するって言えば、賢人君は許してもらえるよ」

「俺の弾が尽きるまでは、一緒に戦うよ」

「そんなのダメだよ。私は昔から体が弱くて運動もできなくて……きっとどんなスキルも発現できないから……賢人君が命を懸ける意味は無いよ……」

「女の子の前でカッコつけられる。男として大きな意味があるぞ」


賢人は最後の弾倉を叩き込んだ。

直後、割れた窓から二匹目が飛び込んできた。

賢人は撃って、撃って、撃ち続けた。

最後の一発が、魔物の眉間に吸い込まれた。

崩れ落ちた死体から転がり出たのは、紅く燃えるような光を放つ石だった。

その表面には、『魔法』の二文字が浮かんでいた。

それは、これまで誰一人として目にしたことのないスキルだった。


「唯、昔一緒にやったゲーム、覚えてるか?」

「懐かしいね。あまりやってると、おばさんに怒られたっけ」

「大抵のゲームは、知力が高ければ高いほど、魔法の威力が大きくなる」

「そうなの?」

「だから、これはお前が使ってくれ。俺が使うより効果があるはずだ」

「え……いいよ。賢人君が倒した魔物から出たんだから、賢人君が使ってよ」

「女の子は、今みたいな暴力がものをいう世界だと大変だろ。身を守るために、使ってくれ」


唯は驚いたように目を見開き、それから静かに頷いた。

石が彼女の胸に吸い込まれた。

次の瞬間、紅い光が唯の全身を包み込んだ。

そして、彼女の指先から炎が奔った。

廊下の奥から押し寄せてきた魔物の群れが、轟音とともに火の海に沈んでいった。

熱風に前髪を煽られながら、賢人はただ口を開けて見ていることしかできなかった。

唯は呆然と自分の手を見つめ、それから、賢人の手を掴んだ。


「帰ろう」


その夜、ゲートまでの道に立ち塞がった魔物は、一匹残らず灰になった。

唯は一度も、賢人の手を離さなかった。


ゲートの前で、兵士が目を剥いた。


「生還した……? 二人とも、スキルを発現したのか」

「こいつは発現したけど、俺は……」


言いかけた賢人の口の前に、唯の手がすっとかざされた。


「二人とも発現しました。私は『魔法』のスキル、こちらは『魔法強化』のスキルです」

「……え?」


唯は賢人のほうを向き、早口で続けた。


「『魔法』のスキルストーンを落とした魔物を倒した時、もう一つスキルストーンが出て、あなたの体に入っていったのを見たの。戻ってくる時、手をつないで試したから間違いない。あなたは『魔法強化』のスキルを持ってる」


賢人の心臓が跳ねた。

――俺にも、力があった。

役立たずじゃなかったんだ。

まだつないだままの手の温かさが、その事実を証明しているように賢人には思えた。

その指先がほんのわずかに震えていたことに、彼は気づかなかった。


世界初の魔法スキル。

そのニュースは一晩で世界を駆け巡り、各国が魔法の石を落とす魔物を探して狩りを始めた。

唯の報告は、何の疑いもなく受け入れられた。

前例のないものを、疑う方法など誰も持っていなかったからだ。


翌月の口減らしの名簿には、賢人の名前があった。

強化系スキルでも、自分で戦えないなら同じだ――という理屈だった。

それを止めたのは唯だった。


「彼の魔法強化で私を強化してもらえれば、彼が新しいスキルを得るために汚染区域へ行く必要はありません」


政府から派遣された現地の最高指揮官でもある校長は、眼鏡の奥の目を細めた。


「では、証明したまえ」

「この区の西方汚染区域を解放します」


その言葉通り、唯は賢人の手を握ったまま、軍が一年かけて一歩も進めなかった区域を、わずか半日で焼き払った。


世界は変わり、賢人の周りも変わった。

校舎裏で賢人を殴った三年は、廊下ですれ違うたび青い顔で道を譲るようになった。


「賢人は昔から、やればできる子だと思ってたのよ」


そう言って夕飯のおかずを一品増やした母の横で、父は気まずそうに新聞をめくっていた。


唯は魔物の侵攻があるたびに前線へ出て、賢人はいつもその隣で手を握っていた。

敵を焼き払うたび、唯の呼吸は浅く、荒くなっていった。

賢人の手を握る小さな手は氷のように冷たく、小刻みに震えていることもあった。


「賢人君の魔法強化の力があるから、平気だよ」


唯はそう言って笑っていた。

だが三か月後の防衛戦の最中、彼女は糸が切れたように崩れ落ちた。


◇


軍の医療施設の廊下で、白衣の男が賢人に一枚の紙を差し出した。


「アメリカで『能力鑑定』のスキル保持者が見つかった。彼女の協力で、君たち二人を密かに鑑定させてもらった」


紙には賢人の名前と、たった一行『身体能力向上』とだけ記されていた。


「君に魔法強化の能力はない。最初から、ない」


男は淡々と続けた。


「霧島唯は、強化があるように見せかけるため、戦闘のたびに己の限界を超えて魔力を絞り出していた。倒れたのはそのせいだ。……君を口減らしから守るために、ずっと嘘をついていたんだよ」


ようやく得られた賢人のこの世界における生存権は、すべて、唯が命を削って作り出したものだった。

紙が、賢人の手の中でくしゃりと潰れた。


◇


軍法会議の法廷は石造りで、ひどく寒かった。

被告席から見上げた裁判長の顔に、賢人は見覚えがあった。

眼鏡の奥で細められた目――「証明したまえ」と言った、あの校長だった。


「霧島唯。これまでの戦功を鑑み、謹慎処分とする」


裁判長は書類から目を上げずに言った。


「衛藤賢人。能力詐称の罪により、単身で魔界汚染区域へ赴き、当該区域を完全に解放すること。果たせなければ死刑とする」


法廷にいる誰もが、それが実質的な死刑宣告だとわかっていた。


「待ってください」


唯が立ち上がった。


「私は、彼がいるほうが力を出せました。私にとって、彼が強化能力者であることに違いはありません」

「黙れ。発言は許可していない」

「黙りません」

「これ以上続けるなら、謹慎では済まさん。家族にも友人にも生涯会えず、死ぬまで魔物を狩り続ける討伐懲役とする」


それでも唯は、口を閉じなかった。


「魔法強化の能力の報告をしたのは私です。認められないのであれば、私を罰することで構いません」


裁判長が机を叩いた。


「その男にどれほどの価値がある! お前の人生の全ての時間を捨てる価値があるのか!? 黙れ!!」

「私の大切な幼馴染で……恩人です!」


唯の声が、石の天井に跳ね返った。


「私を何度も助けてくれました! 男子に襲われそうになった時も、スキルが発現しなかった時も、見捨てずに戦ってくれました! この魔法の力だって、もともと彼のスキルになるはずだったのに、私に譲ってくれたんです。それで私は生きることが許されて……だから、私の全てを賭けて守るんです!! そう決めたんです!! 私はどうなってもいいから、彼は助けてください!!」


法廷が、しんと静まり返った。


「もう、十分だよ。ありがとう」


賢人は立ち上がった。


「魔法の力は、お前だからこそここまでの力を発揮できたんだ。ちゃんと勉強して、色々なことを考えて……もともとの頭の良さはあるだろうけど、本当に真面目で努力家のお前だから、世界中の人が希望を抱く強さになったんだよ。俺がスキルストーンを使っても無理だった」

「賢人くん……」

「お前はもっとたくさんの人を救えるし、何ていうか、いい奴だから……幸せになる資格がある。幸せになってほしいと思う。だから、俺のことは気にしないでくれ。戦いからは逃げられなくても、幸せになってくれ」


言い終えた瞬間、賢人の背中に銃床が叩き込まれた。

彼の視界に床が迫り、唯の叫び声が遠ざかっていった。

賢人は床に倒れたまま、動かなかった。


「結論が出たようだな」


裁判長が書類を揃える音が、やけに大きく響いた。

――また、だ。

唯は奥歯を噛みしめた。

賢人はまた、自分を捨てて唯を守ろうとしたのだ。

小学生の時、上級生に帽子を取られた唯のために、泣きながら取り返しに行ってくれたことも。

中学で口をきかなくなってからも、廊下ですれ違うたびに少しだけ振り返り、唯の無事を確かめていたことも。

唯は全部、覚えていた。


「最後のチャンスをください」


裁判長の手が止まった。


「彼がいれば、私がすごく頑張れることを、証明できればいいですよね?」

「言っておくが、この場で魔法を行使して逃亡を図れば、お前の両親を含め、交流のあった関係者は全員死刑になる。おかしなことを考えるなよ」


唯は頷き、賢人の傍らに膝をついた。

切れて血の滲んだ彼の唇を、指先でそっとなぞった。


強化スキルなど、本当はなかった。

それでも、すべてが嘘だったわけではないと唯は思っていた。

あの夜、手をつないで帰った時、唯の炎は確かに強くなったのだ。

賢人と生きて帰りたい――そう願うだけで、彼女の体の奥からいくらでも力が湧いてきた。

だから、唯は迷わなかった。


「大好きだよ……。私は君と、幸せになりたい……!」


唯は、賢人に口づけた。


――その瞬間、法廷中の窓ガラスが砕け散った。

唯の体の奥で、何かの蓋が外れた。

熱が、光が、とめどなく溢れ出していった。

法廷にいた全員が息を呑み、憲兵たちは本能的な恐怖に後ずさった。

床が、いや、大地そのものが揺れていた。


「な……何を、した……?」


机にしがみつきながら、裁判長が呻いた。

彼の眼鏡は斜めにずれていた。

唯は唇を離し、賢人の髪を一度だけ撫でた。


「全力を出しました。好きな人とのファーストキスで、とんでもなくやる気が出たので」


扉が乱暴に開き、真っ青な顔の兵士が転がり込んできた。


「報告します! 二十三区内の魔界汚染地域に火の玉が降り注ぎ……確認できている限り、数十か所の汚染地域が焼き払われて消滅しました!」

「馬鹿な……」

「これで、彼を解放してくれますよね?」


裁判長は震える指で眼鏡を直し、長い、長い息を吐いた。


「……わかった。ひとまずは認めよう。今後のことは上層部に報告して決めることになる」

「報告……ですか」


唯は少しだけ考えた。


「私が彼にキスしたことは、書かないでおいてくれますか? まだ告白とかしていなくて……彼が意識して変に距離をとられてしまうと、私、悲しくて死んでしまうかもしれないので」


法廷にいた大人全員が、なんとも言えない顔で唯を見た。


「……わかった。善処しよう」


賢人が医務室で目を覚ましたのは、その日の夕方だった。

ベッドの横には、あの保健室の日と同じように、唯が座っていた。


「……俺、生きてるのか」

「生きてるよ。死刑も取り消し。全部終わったの」

「終わったって……俺が寝てる間に、何があったんだ?」


唯の肩が、びくりと跳ねた。


「な、何もないよ! ちょっと魔法を使って、ちょっと汚染区域をいくつか消しただけ!」

「ちょっとの規模じゃないだろ、それ」

「とにかく何もなかったの! はい、この話はおしまい!」


真っ赤な顔でそっぽを向く唯を見て、賢人は首を傾げた。

なぜか彼の唇の端は、少しだけひりひりしていた。


それから一年が過ぎた。

魔法系のスキルストーンは特定の魔物から出ることが判明し、人類の戦力は桁違いに増強された。

世界中に魔法使いが生まれ、汚染区域は少しずつ地図から消えつつあった。

そして賢人は、久しぶりに前線へ呼び出されていた。


防壁の上から見下ろすと、地平線まで魔物の群れが黒く埋め尽くしていた。

賢人の隣では、世界で一番有名な魔女が、なぜかそわそわと前髪をいじっていた。


「それで、今回はどうして俺は呼ばれたんだ?」

「研究でわかったんだけど、やっぱり魔法を使う時には気持ちが重要で、頑張ろうって思えば威力が増すし、心が落ち着けば魔法を放って消耗した精神力もすぐに回復するんだって」


唯はおずおずと左手を差し出した。


「だから、私の手を握っててほしいの」

「どうして……?」

「君が手を握っててくれれば頑張ろうって思えて、心が落ち着くからでしょ! はっきり言わないとわからないの!?」


怒られて、賢人は目を瞬かせた。


「いや、だからどうして俺なんだ? 俺にそんな力はないぞ……?」


賢人の鑑定結果は、今も『身体能力向上』だけのままだった。

唯は大きくため息をつき、それから賢人の目をまっすぐ見上げた。


「あのね、言ったじゃない。男は女の子の前だといいカッコをしたがるって」

「言ったな、そういえば」

「女の子も同じ。女の子は好きな男の子の前だと、いいカッコをしたがるし、心穏やかになるんだよ」

「え……?」


――好きな、男の子。

賢人は頭の中で何度もその言葉を繰り返したが、意味はひとつしか思い浮かばなかった。

唯の耳は、夕焼けのように赤く染まっていた。


「君は? 好きな人とか、いないの?」

「俺は……その……」


賢人は喉が詰まって、声が出なかった。

顔が熱くなっていくのが、自分でもわかった。

だから賢人は、答えの代わりに、差し出された手を握った。

唯が、ふわりと笑った。


「……あとで、ちゃんと言葉で聞かせてね」


その日、霧島唯は、人類がそれまでに倒してきた魔物の総数を上回る数万匹の魔物を焼き払い、いくつもの街を解放した。

その間ずっと、彼女の左手は、魔法に関するスキルを何ひとつ持たない幼馴染の手を握っていた。

後日、報道陣に強さの秘訣を問われた唯は、こう答えたという。


「私には、世界でただ一人の強化能力者がついているので」


その記事を読んだ賢人が、まだ伝えられずにいた「答え」を言いに行ったのは――また、別の話である。

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