第9話 烈女、心霊スポットの新居に入宮し、無駄に皇帝をビビらせる①
烈は新しい住まいである宮城へと入った。
その規模と壮麗さは北の比ではなく、わかりやすくいうと、とにかくめっちゃ広くてゴージャスでイケてるかんじだった。
烈は新生活に対しては、大いに期待を膨らませた。
入宮すれば、皇后としての栄光の日々が待っている。
本来は正式に入宮し位階を授けられるまでは、後宮手前にある仮宮に留め置かれる。しかし、それも婚儀を挙げるまでのこと。
皇后への冊立が約束された烈は、その手順も省略され、後宮の中でも一番豪華で広い飛天霓龍殿に通された。
ここは皇后とその子供たちが住まう専用の御殿で、先帝の正妻である前の皇后が亡くなってからは閉鎖されていた。
北から参った王女が急遽入るとなって、後宮はにわかに活気づいた。
殿舎内は、掃除やら家具の搬入やらリノベーションやら草むしりやらで大勢の女官や宦官、職人が入り乱れて働いていた。
烈は一人という身軽さゆえに、邸内を好きに歩いて回った。
広大な中庭を一周すると、石畳の露台から豪壮な新居を満足げに眺めた。
持参金である家畜の大部分は都の郊外にある牧場に預けてきたが、アルパカだけは自分の住まいで飼うことにした。
邸内に新たな厩舎を建てて、そこに納めるよう命じた。
日が暮れると、舜が楊源を伴って飛天霓龍殿へ通ってきた。烈と夕食を共にするためである。
食事は日に四回あるが、皇帝はそのうちの一回は必ず皇后、もしくは一番位階の高い妃と共にしなくてはならなかった。
皇帝としての務めであり、後宮以外の出先でも適用される。
舜は勝手がわからないのか、間違えて厠に行ってしまったり、庭に迷い出てしまったりしながら、なんとか烈のいる部屋へやってきた。
ひどく緊張した面持ちで、足取りも酩酊したようにおぼつかない。
ソワソワして落ち着かない舜を見て烈は言った。
「あんた、ここ初めてなの?」
「初めてではない。子供の頃に何度か来たが……いつまでたっても慣れぬところでな」
「自分の家なのに何ビビってんのよ」
烈の気丈な声にも安心できないのか、舜は怯えたように辺りをきょろきょろと見回した。
楊源が、やたら挙動不審な主のかわりに説明した。
「実は飛天霓龍殿には、幽霊が出るという噂があるのでございます。非業の死を遂げた后妃や女官たちの怨霊が夜な夜な邸内を徘徊しておるとか……。血まみれの前皇后のお姿を見たと申す者も……。翌朝には、御殿のあちこちにバナナの皮が散乱しているそうで。なかなかに怪奇現象に満ちた御殿なのでございます」
中華の後宮あるあるな怪奇譚で、ここには権力闘争に敗れ悲惨な最期を迎えた妃その他が怨霊となって棲みついているらしい。その中には前皇后の姿もあるという。
要するに、この世ならざるものが出てしまう心霊スポットらしかった。
舜はおどろおどろしい話にヒッと情けない声をあげたが、烈の反応は違うものだった。
「え~何それ。幽霊がいんの? しかも前皇后て義理のおっかさんじゃない。姑が出るなんてめんどくさ……」
悩ましげにこめかみを指で押さえると、楊源が揉み手をしながら殊勝に続ける。
「嫁姑問題は主婦のお悩み相談の鉄板。頭の痛いことでございますからねえ。家事育児のダメ出しに、過干渉のお小言や嫌味……。嫁をいびって憂さを晴らす鬼姑。旦那は大抵頼りにならずストレスは溜まる一方。王太女さまのご心痛、爺はお察しいたしますぞ」
「嫁ぎ先に姑はいないって聞いて、気楽に暮らせると思ったのに。他はどうでもいいけど、前皇后の霊が出てきたら挨拶しないといけないなあ……」
と烈はため息をついた。
「そういう問題なのか?」
と、舜は恐怖を忘れて真顔でつっこんだ。
烈は食事のために、舜を広々とした居間に案内した。
居間の壁には、歴代の皇后や皇配、その他皇族の遺品らしき剣や短刀、槍、戟、棍、矛、大鉈、大斧、大弓などの武器や盾などの防具がみっちりと隙間なく飾られていた。
団欒の間というより武器庫、もっというと拷問部屋か処刑場のような簡素で実用的な作りである。
室内には、少し前に戦場で血と汗を吸ってきたような、荒々しく殺伐とした空気が漂っていた。
烈はこの雄々しい内装が気に入っていたが、舜の顔は蒼白になった。
ここで食事をするなんて、まさに処刑前の最後の晩餐、引導を渡す前のお情け……そんな気がする。
舜はぶるりと震え、烈の衣の袖を掴んだ。
「烈女よ、許してくれ。わしはまだ死にとうない……」
「えっ、何言ってんの?」
「ここは呪われておる。何も喉に通らぬ。晩餐は別のところにせよ」
「も~しょうがないなあ」
烈は仕方なく、女官たちに食事は外の露台に運ぶように命じた。
春の宵は、暖かな湿り気を含んで、ゆるゆると更けてゆく。
回廊にぶら下がった何十という灯篭に火が入れられ、煌々と輝いた。庭の灯篭にも灯りがともる。辺りはぼんやりと明るくなった。
烈と舜は露台に出て、燭台の灯がゆらめくロマンティックな食卓を囲んだ。
少し離れたところに座した楽士たちが笙を吹き、胡琴を弾く。しっとりとした甘い調べが流れた。
なかなかにいい雰囲気で中華三昧した後は、デザートにリンゴが出た。
烈が薄切りされ花のように盛りつけられたリンゴを食べていると、フーンフーンという鳴き声が聞こえた。
控えていた従僕たちが、さっと道を開けた。
何かがやってくる。
少しして暗闇からぬっと現れたのは、灰色の毛をしたアルパカだった。
麒麟の光臨、それも皇帝たちのいるところに自らやってきたとあって、周囲はどよめいた。何かの吉兆であろうかという期待が満ちた。
アルパカは烈の横まで来ると、彼女の腕に甘えるように鼻を擦りつけた。
舜が興奮気味に言った。
「これはそなたを慕って参ったのか。名前はあるのか」
烈はアルパカの頭を優しく撫でた。
「あるよ。これは私と同じ日に生まれた姉妹アルパカの猫ちゃん。乳兄弟みたいなもんよ」
なんなんだそのネーミングはと舜は思った。
「アルパカなのか猫なのかはっきりして欲しい」
「猫ちゃんはリンゴが好物なんだよ。食べていると、匂いを嗅ぎつけてやってくるんだよね」
烈は猫ちゃんにリンゴのかけらを与えた。
猫ちゃんはリンゴを食べ終えると上機嫌にフーンフーンと鳴き、さらにねだった。
烈は猫ちゃんを撫で回し、微笑みながら言った。
「同い年だけど、猫ちゃんは相当なばあさんなんだよね。いつ死んでもおかしくなくて、一緒に来られただけでも奇跡だよ。よーしよし、お前が死んだらおいしく食べてあげるからね」
「フフヒーン、フヒーン!」
十八年間寄り添った乳兄弟から、無慈悲に食材に格下げされたことを理解したのか、猫ちゃんは悲鳴のような声をあげた。




