第8話 烈女、神獣・麒麟を率いて霊験あらたかに都へ入城す③
何気なくアルパカを見た舜は、ぎょっとして目を見張った。
飛び上がるように勢いよく立ち上がった。
「あれは……もしや麒麟? 麒麟ではないか」
「キリン? アルパカのこと?」
と烈は不思議そうに言った。
「北ではアルパカというのか? あれは絵姿で見た麒麟そのものだ。なんということだ。わしは四瑞の一端を、神獣を初めて見たぞ……。あまりの神々しさに目が潰れそうだ」
舜の声は感動に震えている。
「あの麒麟たちはそなたのものなのか」
「うん、私の家畜で財産」
舜は烈のあっけらかんとした返事に、思わず変な声が出そうになった。
何を言っているのだこやつはと思った。
「家畜? 麒麟は天帝の使いで、慈愛に満ちたまことに尊い生きものであるぞ」
「そうなの? 初めて聞いた」
「信じられん。神獣を飼い慣らし、それらを率いてやってくるとは」
どれほどの徳を積めばそんなことが可能なのか……。
舜は烈をまじまじと見た。
急にこの女が行徳に厚く、仁愛に満ちた仙女か女神のように思えてきた。
アルパカの見た目は小さなラクダか首の長い羊なのだが、なぜか暁では神獣・麒麟が地上に降りた際の第四形態だと信じられていた。
信仰の対象であり、祠や廟が作られて大事に祀られるのが常であったが、過去に連れてこられたどのアルパカも長生きはしなかった。
アルパカが死ぬと、人々は人間の不徳の致すところに天帝が怒り、慈悲深いアルパカは人の罪業を背負って代わりに死んだのだと考えた。
そうでなくても、神獣は不浄の地・暁には長くとどまることのできない儚く美しい生きものとされていた。
王侯貴族から庶民に至るまで、家では青龍や鳳凰、霊亀と並んでアルパカの絵姿や彫像を飾り、供物を捧げて崇めていた。
舜は茫然と呟いた。
「暁では生きられぬ麒麟が、戦の絶えぬ北の地では生い育つのか? 因果なものよ。否、蛮勇の地を仁徳でもって鎮めるために天帝がおつかわしになるのであろうか……」
引き寄せられるようにふらふらと歩き出し、食い入るようにアルパカを見つめた。
草を食んでいた黒毛のアルパカが、視線に気づいたのか頭を上げた。つぶらな瞳で舜をじっと見た。
目が合った瞬間、舜の胸は激しく高鳴った。か、かわいい……。
彼は、勢いよく烈に振り返った。
「烈女よ、あの黒いアルパカをくれ。わしは黒麒麟が欲しい。これを皇帝の神獣としてそばに置きたい」
「だめだよ」と烈はにべもなく断った。
「なぜか。一騎だけでよい。大事に世話をする」と舜は食い下がった。
「世話がどうこうじゃない。アルパカは仲間や家族と一緒にいなくちゃ生きられないの。寂しいと死んじゃうんだから」
「なんと。それほどにか弱い生きものなのか。さすが仁獣……」
地上の麒麟は、群れて暮らす繊細な生きものらしい。
群れから引き離せば死んでしまうとあっては、無理強いはできない。舜は落胆しつつも引き下がった。
やがて食卓に豪華な昼食が運ばれてきた。
舜と烈は向き合って食事を始めた。
食べながら、舜がそういえば……と口火を切った。
「昨日から疑問に思っておったが、そなたの侍者はどこにおる。荷駄人や家畜の世話係はおるようだが、他の者は見えぬ。あとから来るのか」
「付き人のこと? そんなのはいないよ」
「いない?」
舜は不可解とばかりに小首を傾げた。
「他国へ輿入れするなら、運命を共にする乳母や侍女、お目付け役の爺や、護衛のための軍将などが大勢ついてくるものではないのか」
「え~いらないよそんなの。私は強いもの」と烈は胸を張った。
「いや、強さの問題ではなく……。とすると、ここへは一人で来たのか」
「うん」
「……」
烈は元からぶっとんだ女であるが、それにしても頓狂にすぎると舜は思った。
人買いにさらわれたわけでもないのに、単身で嫁いでくる王女なんて聞いたことがない。
元より異国から輿入れしてくる王女は、妻というよりは人質としての意味合いの方が強い。人質なので、もし両国の間がこじれれば、真っ先に斬られる運命にある。
即位してすぐに垂逸から縁談が来た時、舜は阿羅裸汗が暁の公主の降嫁を求めているのだろうと思った。それならそれで、応じただろうとも。
要請どおり夏候氏の縁戚か家臣の娘を公主に仕立て上げて、さっさと北に送ったはずだった。オラオラな蛮族の王を、女一人で懐柔できるのなら安いものだった。
ところが、なぜか垂逸の方から娘を差し出してきた。
それも王太女である。
烈自身がいくら優れた武人であっても、個人の力には限界がある。
本来であれば、身を守るため派閥を作るため、側近や護衛と称して同郷の者を数百人引き連れて来てもおかしくないはずだが……。
納得がいかないまま舜は尋ねた。
「異国には一人で嫁ぐのが北の流儀なのか?」
「違うよ。侍女も従者もいるよ。私が連れてこなかっただけ」
烈は恵彌嘛與に宣言したとおり、一応にもヤンキーを引退し、暁ではカタギとして生きるつもりでいた。
北での傍若無人な生活ぶりや、蛮勇の黒歴史を知る者を連れてくるわけがなかった。都会デビューを果たすためには、ジモティの存在は邪魔でしかない。
「それに私は皇后になるんだし。後宮にいるのは、全員家来になるわけだし。そいつらを使うからいいよ」
「うーむ。潔いが、いささか腑に落ちぬ」
と言いながら、舜はなんとはなしに目線を下げた。
烈の、肩から下の豊かな双丘が目に飛び込んでくる。
出会った時から気づいてはいたが、舜は今更ながらにドキッとした。
この女は中身こそ相当にアレだが……乳はでかい。
乳はまったくもって悪くない。
舜の密かな動揺をよそに、空は澄み渡り、流れる雲の隙間からは太陽の光が漏れ、放射状に広がってゆく。
神々しい光の輪の下、二人の周囲をアルパカたちが餌を求めてゆっくりと歩き回る。あたかも天の祝福と加護を授けるかのように――。
あまりにも尊すぎる光景だった。
神獣に見守られながら食事を続ける皇帝と王女に、暁の護衛官や従者たちは興奮し、感動の涙を流した。
「ぬおおお、麒麟がかわいい。キュートがすぎる。胸キュンが止まらない……」
「これが神獣の特殊スキル・癒しの波動か。すごい。すごいぞ。万年クソ上司や使えねえ同僚、アホな後輩に削られきったペラペラのメンタルがみるみる回復してゆく!」
「ストレスに晒される現代社会においては、まさに生けるマイナスイオンよ……。麒麟の吐いた息を吸うだけで、医学的にも免疫力の向上や精神の安定、安眠効果が期待できる」
「皇帝陛下は麒麟を従えた天帝の御娘を娶られるのだ。なんという僥倖か……ありがたや」
と口々に言い、勝手に癒されまくっていた。アルパカ効果は暁の民にも覿面であった。
麒麟が光臨したとの噂を聞きつけた近隣の民も、地からわくようにわらわらと集まってきた。
いつの間にか皇帝とアルパカに向かって万歳三唱と読経が始まり、円陣を組んで拝跪ひしめく異様な光景となった。
やがて人々はトランス状態に陥り、麒麟の来駕を祝うべくその場でクネクネと踊り始めた。
昼間から酒を飲んだわけでもあやしげな薬をキメたわけでもないのに、集団催眠と幻覚で一体感を高めるカルトな宗教団体のようだった。
皇帝一行は北部の民を惑わしつつも、物見遊山をしながらゆっくりと南下し、七日目に暁の都・獅庭に到着した。
都の民はなんかたまたま暇だったので、だらけた寝巻き姿のまま皇帝の花嫁行列を見物することにした。
内情がまるで伝わってこない北の新興国から嫁いできた王女を見ようと、城門の前や通りに集合した。
彼らはどちらかというと、華燭の名目ながら人質としてやってきたのであろう若い異人の王女に同情を寄せていた。
が、物見高い野次馬たちは、入城してきた威風堂々の女傑を見て肝をつぶした。
王女は車でも輿でもなく、錦と鉄板で飾り立てた軍馬に跨っていた。なめし革に金銀の装飾を施した鎧を身にまとい、腰には長剣を佩いている。
武人の貫禄を兼ねそなえ、精悍な顔は自信に満ちあふれ、肩をそびやかして闊歩している。
彼女の全身からほとばしる威圧感、カリスマ性に民衆は圧倒された。
さらには数十頭の麒麟を引き連れており、その霊験あらたかな押し出しは、人々を軽い恐慌状態へと陥らせた。
花嫁は人質どころか、戦に大勝して凱旋した大将軍のようだった。
あれは誰やねん……。そんなざわめきが、さざ波のように広がってゆく。
先を行く将軍花嫁とアルパカに付き従うように、皇帝の御車も入城した。
これも立派な隊列ではあったが、王女の武威と神獣パワーが席捲したあとでは随分と見劣りがした。
民は新皇帝のことを「どちらかというとモブ顔の生っちろい兄ちゃん」という認識でいたが、王女の強烈な存在感に比べると吹けば飛ぶような軽さ、儚さがあった。
むしろ彼の方が、異人に捕らわれた虜囚のようだった。
いや、どっちが旦那やねん……。また困惑のざわめきが広がった。
そして、民衆が感じた皇帝夫妻の第一印象は、特に外れてはいなかったのである。
暁の皇帝・夏候舜は、すでに那侘弟鼓呼烈という蛮勇の女の剛腕に絡めとられてしまっていた。
車上の彼はというと、道に居並んだ民衆を眺めながら呑気にあくびを噛み殺していた。
後世の歴史に語られるように、壮大な結婚詐欺の被害者という認識はなく、ゆえに余裕をかましていた。
この時の彼はまだ、安逸の幸せの中にあった。
これから襲い来る、数々の受難を知らなかったからである――。




