第6話 烈女、神獣・麒麟を率いて霊験あらたかに都へ入城す①
一時間後――。
烈は屋敷の奥の豪華な食堂にて、高陵王と共に食卓を囲んでいた。
卓の上には満漢全席のような豪華な中華料理が所せましと並び、烈はそれらを存分に味わっていた。どれも頬が落ちそうなほど美味である。
彼女はすっかり機嫌を直していた。舌鼓を打ちながら言った。
「ヤバいくらいにおいしいね~。そうそう、最初からこうしていればよかったんだよ。こっちも無駄にオラつかずに済んだのに」
正面に座った高陵王は呆れたように言った。
「いや……玄関でそなたを迎えたあと茶の間で茶を飲み、支度が整い次第、食事を共にするつもりだったのだが」
「あそこは玄関だったんだ」
どうりで部屋に家具らしきものはなかったし、高陵王や楊源も立ったままだったわけである。
高陵王に垂逸の王女を軽んじるつもりはなかった。
暁の礼儀作法に乗っ取り、出迎え、飲茶、食事と順を追ってもてなすつもりでいた。歌や舞踊といった宴会芸が披露されるのは食事が済み、酒の席に移ってからである。
烈が冷遇されていると勘違いし、激怒してイチャモンをつけていただけだった。
主を置いて逃げた楊源はちゃっかり戻ってきており、後ろに控えていた。彼は深い皺を刻んだ顔に、満面の笑みを浮かべた。
「不運な行き違いや王太女さまからの熱いわからせはございましたが、和睦が成ってようございました。これで爺の宿願は果たされました。皇帝陛下との無事のご成婚のあかつきには安心して往生できます。想像するだけで、今から感謝感激感動の涙にあふれ……ううう。あ、爺の好物の肉巻きと蟹の酒蒸しは残しておいてくださいませ。あとでいただきますので」
高陵王は白けた顔をして言った。
「爺、わしを見捨てて逃げたくせにずうずうしいぞ」
「な、何をおっしゃいますか。違うのです。誤解です。爺は王がご誕生した時から仕える第一の忠臣でございますぞ。あなたさまを置いて逃げるわけがありませぬ。爺には殿下がご薨去あそばした際、玉体をお守りし丁重に葬るという崇高な使命があるのです。先ほどは断腸の思いであの場を離れざるを得ず……。殿下を埋葬したあとは墓の前で自刃し、あとを追うつもりでございました。爺は、爺はァ……!」
「勝手に殺すな。見え透いた自裁ムーブもやめよ。元はといえば、お前が猛人などと言い出したから話がこじれたのだ」
と言いつつも、高陵王も大事に至らなかったことにはホッとしていた。
外からは相変わらず太鼓や銅鑼の音が聞こえてくるが、今はマイムマイムやリンボーダンスのリズムを刻んでいる。
烈が侵攻の合図の狼煙を上げなかったため、国境侵犯や焼き討ち、大規模な略奪はかなわなかったが、折角南まで来たのである。野営してキャンプファイヤーを楽しんでいる陽気な蛮族どもだった。
高陵王は烈に向かって言った。
「位階のことだが。猛人はともかくとして皇后と鯉妃の待遇はほぼ変わらぬ。軍部でいうなら上級大将と大将くらいの違いでしかない。皇后は霓龍の化身であり、鯉は龍の前身で世をしのぶ仮の姿でもある。どちらも龍で后の扱いだ。そなたを侮辱したわけではない」
烈はそっけなく言った。
「待遇の問題じゃないから。正妻と側妻じゃ印象がまるで違うじゃない。側室じゃ世間体が悪い」
「世間体……。そなたには無縁なもののような気がするが」
「世間体は重要だよ。正しく一番じゃないと意味がないし、子分にも示しがつかない。とにかく私が皇后だからね」
「う、うむ。おそらく大丈夫だが都に戻ったら皇帝に奏上して、そなたの皇后冊立をはかる」
そこで烈は、高陵王の澄ましかえった顔をじっと見た。
「奏上なんてする必要ない。あんたが今ここで決めればいい」
「えっ」
「茶番はもういいよ。あんたが皇帝の夏候舜でしょ」
「……」
高陵王は息を呑み、あやうく持っていた箸を取り落とすところだった。
少し間を置き、彼は困惑を声にした。
「どうしてわしが皇帝だとわかった? 暁に間者を送り込んで調べたのか。それとも宮廷に内通者が……?」
「あんたの釣書に書いてあったから」
「釣書?」
「釣書の家族構成欄に『今上帝・夏候舜は先帝の末子、兄たちは全員死亡』て書いてあった。身長、体重もね。あと左の目尻に泣きぼくろがあるってことも。一目見て、あんたが皇帝だとわかったよ。なのに、弟とか嘘かますから馬鹿馬鹿しくて」
「なんだそれは。わしは釣書など作成しておらぬ。送れと命じてもおらぬ」
高陵王……否、舜は動揺し、しばし沈黙した。それから、幾分低まった声で老僕を呼んだ。
「爺、説明せよ。なぜわしの釣書が垂逸に渡っておるのだ」
「そ、それは……」
楊源は慌て、その場しのぎの嘘で取り繕おうとした。
しかし、舜の目に冷ややかなものが浮かぶのを見て観念した。
「も、申し訳ございません。すべては爺の落ち度でございます。その、なんと言いますか……先日流行りの妓楼へ視察にまいりましたところ、そこは阿羅裸汗の妃が経営する極道の店でして。美女がいるはずの閨房へ入ったらオラオラな若衆が待ち構えており……純朴で世間知らずの爺は悪逆なる美人局の奸計にはまってしまったのでございます。そのまま監禁され脅迫され……主上の釣書を作成してしまったのでございます」
「おっかさんの店、暁にも進出してたんだ」
と烈は感心したように呟いた。
舜は別の驚きを込めて言った。
「妓楼? お前は陽物を失った宦者ではないか。なぜ女を買いに行っている」
「違うのです、殿下……ではなく主上。これは市場調査でございました。主上の好みにかなう女人を探し出して後宮の華とすべく、爺は日夜街を歩き回って粉骨砕身、滅私奉公しておったのです。けして、けして己の卑しい淫欲から犯した過ちではなく……」
「まったくお前というやつは。よりにもよって美人局に遭って皇帝の個人情報を売り渡すとは」
楊源はその場によよと泣き崩れ、大袈裟な嗚咽をもらした。嘘泣きにも年季が入っている。
「どうか、どうか爺の長年に渡る献身に免じて、平にお許しを……。爺に私情は微塵もございませぬ。常に主上の御為を思って、老骨に鞭打って働いているのでございます。この忠誠の心あればこそ、主上がお考えになった恋愛浪漫譚にもご協力申し上げたわけですから」
「それもお前が釣書を渡したせいで台無しになったわけだが」
舜は深々とため息をついた。
楊源を叱責しつつも、烈の前では道化を演じていたと思うと恥ずかしくて仕方ない。あまりにも間抜けすぎる。
バレてしまった以上、実在しない皇帝の弟を騙ることはできない。早急に訂正しなくてはなるまい。
彼は照れたような、ふて腐れたような、いかにも居心地の悪い表情を浮かべながらも、襟を正し、改めて名乗りをあげた。
「知られてしまったからには仕方ない。いかにもわしが暁の虹龍にして今上皇帝、夏候氏の総代にして首長の舜である」
烈は舜を軽く睨みつけた。
「偉そうに。私を騙そうとしたことは忘れないから」
「だ、騙そうとしたわけではない。これは……そなたを楽しませようとして仕組んだ余興だ」
「ま、いいけどね。皇后にするなら許す」
と言いながら、烈は再び料理の皿に箸を伸ばした。
くだらないとは思うが、詐称について怒るつもりはなかった。
なにせ自分は妹の身代わりで来たのだし、舜はそのことをまったく知らされていなかったのだ。お互い様な気もする。
舜も烈が怒らないことに胸を撫でおろした。
「うむ。皇帝に二言はない。垂逸国の後継、那侘弟鼓呼氏の王太女・烈よ。そなたは入宮次第、わしの皇后に冊立する」
努めて厳かに言いながらも舜は思った。
何か騙されているような気もするが……気のせいだろうか。
そもそも垂逸から嫁いでくるのは、十五歳の剣王女のはずだった。
舜も歳下のうら若い姫が来るとあっては、甘くこそばゆい期待をいだかないこともなかった。
若い身空で異国へ嫁いでくるのはさぞ心細かろう、頼りがいのある夫として幼な妻を導いてやらねば……という親切心とも下心ともつかない淡い思慕を育てながら、はるばる国境まで繰り出してきたのだった。
それなのに、実際に来たのは十八歳の屈強な烈王太女だった。
いきなり姉さん女房に属性チェンジした上、性格がぶっ飛びすぎていて、舜は出会って数分でスピリチュアル大宇宙へ飛ばされる羽目になった。
さらにはオラオラな軍勢まで引き連れてきており、暁はあわや侵略の危機に晒されたのだった。
この時点で壮大な結婚詐欺に遭ったような気がしてならない……。
だが、彼は危機管理という一点においては非常に優秀だった。
詐欺なんて言ってしまったら最後、今度こそ命は……ない。
破壊神・烈を復活させてしまい、北の関所は壊滅し、陽気なキャンプファイヤーは煉獄の業火と化す。
垂逸の恫喝に屈してしまった以上、舜は烈と結婚するしかないのだった。
こうして烈は、実家の武力をちらつかせつつ、イチャモンと逆ギレによって暁国の皇后の座を約束された。




