第5話 烈女、実家のオラオラなバックアップと恫喝でわからせる③
ヤンキー節全開でイキり始めた烈に、高陵王はたじたじになった。
確かに王太女なのに序列十一位はまずい。明らかに身分に釣り合っていない。
王太女は暁においては皇太子であるし、そうでなくとも長女の公主は長公主と呼ばれ、高い地位に置かれる。烈が怒るのも無理はないと思った。
「わ、わかった。ではそなたは猛人ではなく鯉妃とする……よう皇帝に奏上する」
「鯉妃って何よ」
高陵王はすっかり怯えた声で言った。
「そ、側室の第一位だが」
「……」
そううっかり言ってしまった瞬間、目の前に現れた殺伐極まる悪鬼の形相を彼は生涯忘れなかった。
猛る羅刹女、憤怒の阿修羅、炎をまとい剣を振りかざして雄叫びをあげる不動明王……そんなありきたりな例えでは言い表せない凄まじい気迫と闘気を浴びた。
端的にいうと、個としての高陵王はこの瞬間、秒速を越えた光の速さで滅殺され、天壌無窮のスピリチュアル大宇宙へと飛ばされた。
そして男は、MANは、肉体の殻を脱ぎ捨てたXY染色体と化し、苛烈すぎる蛮勇の閃光に晒されたのである。
閃光とは広大無辺にして一塵法界、迅雷風烈の無双烈士、那侘弟鼓呼烈。
彼は大宇宙で真理を悟った。これは……格が違うと。
男と女、XYとXXという遺伝子上の性別は関係なかった。
この生きものとは蟻と象、雲と泥、天地開闢、一粒の金平糖とメロンパンくらいの無限の開きがある。
自分はビッグバンを迎えようとする空空寂寂の十次元大宇宙に放たれた原始重力波に跡形もなく吹き飛ばされ、細胞どころか原子すら残らないレベルのゴミカスであると思い知らされた。
それは三千世界における人類の叡智、生まれては滅び、選ばれては生き残れる進化の枝葉、その無慈悲な剪定の結果でもある。
生物的絶対強者である烈はガチギレなるままに、低くドスの効いた声で呟いた。
「……もういい」
おもむろに懐から親書を取り出した。それを目の前の男の胸に叩きつけた。ドンッと派手な音がした。
「うおおっ?」
男は巻き起こった衝撃波で吹っ飛び、後方の壁に叩きつけられた。
呻きながらもなんとか身を起こすと助けを求めた。
「だ、誰かある。爺、爺ッ!」
男は……否、スピリチュアル大宇宙、正式名称は大宇宙鏖殺諸法無我共栄圏(だいうちゅうおうさつしょほうむがきょうえいけん)から脱出して自我を取り戻した高陵王は、生まれた時から仕える老僕の名を呼んだ。
楊源はというと、烈のすぐ傍にうつぶせで倒れていた。
が、その背中はかすかに上下しており、なんなら出口に向かって少しずつ後ずさっている。烈の怒りの波動に当てられて死んだふりをし、一人で逃げようとしていた。
楊源はなんとか戸口の前まで戻ると、老人とは思えない瞬発力で立ち上がり外へ飛び出していった。
「じ、爺……? そんな」
側近に見捨てられ、一人残された高陵王はひどく狼狽えた。
そんな彼をあざ笑うかのように、破壊神・烈がつかつかと寄って来た。転がった高陵王を冷たく見下ろしながら言った。
「この私が? 側室の第一位? 何言ってんの。寝言は寝て言いなよ。むしろ永遠に眠ってな。十八年生きてきて、これほどの屈辱を受けたのは初めてだから」
「そ、そんなに?」
高陵王は驚愕した。
そこまでひどいことを言ったとは思えないのだが、混乱の極致にあるため言い訳の言葉すら出てこない。
よくわからないが、不用意な発言で烈の逆鱗に触れてしまったことは確かなようである。
「もう許さないからね。婚約してないけど婚約破棄でいいし、結婚自体チャラでいい。どのみちあんたはここで死ぬんだし、暁もまるっと滅ぼすから」
「えっ、ええええ――っ?」
突然の非情すぎる宣告に、高陵王は目の前が真っ暗になった。絶望のあまり、あやうく大宇宙鏖殺諸法無我共栄圏に出戻るところだった。
自分はここで処刑される上に、とばっちりで国まで滅ぼされる?
皇帝の妃となる他国の王女を迎えにきただけなのに?
烈は高陵王が胸にかかえた書状を指差した。
「読みな。あんたの遺言状だよ」
「……ううっ」
高陵王は命じられるまま、震える手で書状を開いた。
それは阿羅裸汗から暁の皇帝に宛てられた手紙だった。
彼は仕方なく手紙に目を通した。
『剣女をやるといったが、それは嘘だ。おめえには地獄への片道切符をくれてやる。俺が目に入れても痛くねえほどかわいがっている懐刀の烈女だ。どう考えても家庭的な女じゃあねえが、武勇と蛮力はピカイチよ。もしこれを雑に扱ったらどうなるかわかってんだろな。秒でブッ殺して人間盆栽にしてやるから覚悟しとけよ。あと婚資として毎年、絹と茶と米とナタデココをトン単位で上納しやがれクソが。寄こさねえなら組のモン全員でカツアゲに行くからな。首洗って縄をかけて待っとけ』
というような熱い恫喝文が綴られていた。
阿羅裸汗は文盲で読み書きができず、烈の結婚にも興味がないため、これは恵彌嘛與が勝手に書いたものである。
ハッタリであるが、若くいたいけな高陵王をビビらせるのには十分だった。
彼の顔は蒼白になった。
「政略結婚とは……傾国、亡国の罠だった……?」
全身をぶるぶる震わせたその時だった。
部屋に兵士が飛び込んでくると叫んだ。
「た、大変です。国境に垂逸軍の騎馬隊が押し寄せてきました。関門前に集結し、太鼓や銅鑼を叩いてオラつきまくっています」
「何だと?」
「スキンヘッドやモヒカンの凶悪なゴロツキどもが咆哮し、煽り散らかしています。もしあれが門を打ち破って、せ、攻め込んできたら……」
それ以上はビビりすぎて声にならないようだった。その場に倒れるように平伏して震えている。
確かに外からは、ジャーンジャーンというけたたましい金属音やダダダダッと煽るような激しい打音が聞こえてくる。
太鼓や銅鑼は戦意高揚のために打ち鳴らされ、戦闘開始の合図でもある。
砦にいる兵士はわずか数十人。もし垂逸の騎馬隊が突撃してきたらひとたまりもない。ここは……草木も生えない焦土と化してしまう。
茫然とする高陵王に見せつけるように、烈は懐から発煙筒を取り出した。
「部隊の展開が終わったみたいだね。この発煙筒に火をつけて外に放れば、あんたたちは一巻の終わり。狼煙を合図に叔父貴の軍団が突っ込んできて……あとは言わなくてもわかるね」
関門突破、砦崩壊、炎上する町や村、蹂躙される人民……不穏すぎる想像が、高陵王の脳内を走馬灯のように駆けた。
彼はこの世の終わりみたいな顔をし、悄然と呟いた。
「滅ぼされる……のか。暁は、蛮族に蹂躙され灰塵に帰してしまうのか……」
追い打ちをかけるように烈は言った。
「ま、この砦くらいは私一人で制圧できるけどね。でも近隣の町や村の攻略はそれなりに人手がいるかなあ。略奪品も運ばなくちゃいけないしなあ~」
高陵王はすがりつくように烈を見上げた。
彼はまだ若く経験不足ではあるものの、この状況が理解できないほどボンクラではなかった。後宮の位階ごときで、国難を呼びこむわけにはいかなかった。
悲痛な声で叫ぶように言った。
「わかった。そなたを雑には扱わぬ。そなたは皇后にする」
「皇后。ふーん、皇后て何?」
「皇帝の正妻だ」
「正妻。念のため聞くけど、皇后ってのが後宮で一番偉いんだよね?」
「ああ、皇后より上はない。後宮の女主人にして絶対的支配者、それが皇后だ。天上天下唯我独尊最強無比のそなたにこそふさわしい最上の位だ」
「うーん、どうしよっかな……」
「頼む。皇后になってくれ。わしはどうなってもよい。そなたに完膚なきまでに粉砕され、大宇宙の塵芥になってもよい。だから……どうか民の命だけは助けてくれ」
土下座をする勢いで懇願すると、烈の総身から発せられていた闘気が消えた。彼女はあっさりと怒りの矛をおさめた。
今までの激憤が嘘のように言い放った。
「わかりゃいいのよ、わかりゃ」
彼女は、手に持った発煙筒をぽんと放り投げた。
はっと一声、落ちてきたそれを右手のひと差し指で突くと、発煙筒はボウンと大きな音をたててはじけ飛んだ。
高陵王は降りそそぐ火薬をかぶりながら、自らの運命もまたこの筒と同じかもしれない……と思った。




