第10話 烈女、心霊スポットの新居に入宮し、無駄に皇帝をビビらせる②
悲鳴をあげかけたのは舜も同じだった。
「食べる……だと? 麒麟を? 神獣を?」
信じられない思いで目の前の女を見つめた。
「き、麒麟を食べるなど、考えるだけでおぞましく罪深い。悪鬼、妖魔の所業ではないか。なぜそんなむごいことをする」
「何がむごいの。食用じゃないけど死んだら当然食べるよ。放っておいても狼の餌になるだけだし、勿体ないじゃない。ステーキや肉まんにしたらおいしいだろうな」
「肉まん! 神獣の肉まんとな」
無邪気な烈の返事に舜は震撼した。
もう幽霊どころの騒ぎではない。
神獣のむくろを食らおうとするこの女の方がよほど怖い……。
ひとしきり戦慄したあと、彼は猫ちゃんを憐れみのまなざしで見つめた。
「主に食われるは眷属の宿命なのか。猫麒麟も哀れな……」
それから、烈にじっとりとした非難の目を向けた。
「やはり、そなたは羅刹女であろう」
「なんでよ。人は食べないよ。人肉饅頭には興味ないから」
烈は憮然とし、舜を睨み返した。
猫ちゃんは食欲には勝てないのか、卓上のリンゴを見つめながらブルブルと震えている。
結局、猫ちゃんは舜のリンゴを全部もらい、食べ終わると逃げるように夜闇に消えていった。
怪談みたいな夕食を終えたあと、舜は気を取り直し「ではな。明日また来る」と言った。
即位して以来、己の住居であり、政務をとる場所でもある正宮に戻るつもりでいた。
烈はきょとんとした。
後宮まで来ておいて帰るとはどういう了見か。
およそこの世に、妓楼へ行って茶だけしばいて帰る男がいるのか。
牛丼屋へ行って「牛丼並み、牛肉抜きで」と注文するようなものではないか。お前は一体何しに来たんだ感があった。
「なんで? 泊っていけばいいじゃない」
と言うと、舜は困ったように眉を顰めた。
「しかし……ここはまだ掃除やなんだで落ち着かぬ。今からわし用の寝所を作らせるのも気がひける」
「そんなことしなくていいよ。私の部屋に泊まればいい」
「なっ」
途端、舜は弾かれたようにのけ反った。顔がみるみるうちに赤くなった。
「ば、馬鹿を申すな。そなたに会いに来ても同じ部屋に泊まるなどありえぬ」
「なんでよ」
「そんなことをしたら、わしとそなたが同衾したと思われるではないか」
「思われていいよ。一緒に寝て何の問題があんのよ」
「よ、よくない。わしは婚前交渉に耽るほどふしだらな男ではない。みくびるでない」
「……ふしだらて。意味がわかんないし」
烈は呆れ果てた。
最初から結婚は確定事項である。入宮も果たした。あとは婚儀を挙げるだけであって、何を今更。
もともと北では、性に関してはおおらかな気風である。
婚前交渉は当たり前であるし、男も女も純潔性は重視されない。
一夫多妻も一妻多夫も近親婚もレビレート婚も同姓婚も略奪婚もなんでもオールオッケーだった。
結婚せずに、気心の知れた複数の男女で野合することも多かった。
北の関所の招待所でも都に向かう道中も、烈と舜の寝所は別々に用意されたが、烈としては舜が夜這いをかけてきても一向に構わなかった。むしろなんで来ないのだろうと思っていたくらいである。
舜は引かなかった。
こればかりは譲れないという頑なさで、
「とにかくわしは皇帝なのだ。結婚前の不純異性交遊はならぬ。すべては婚儀が終わってからである」
と百万年ぶりに聞いたような死語丸出しの主張をした。
「何それ。信じられない」
烈はぼやきながら、椅子の背もたれに寄りかかった。肘をつき、どうしたものかと思案する。
別に今すぐ舜が欲しいわけでもないが……。しち面倒くさい男である。
烈は冷めた目で楊源を見やった。
「楊爺、舜はいつもこんなんなの?」
「はっ、主上におかれましてはこの歳ごろの男子にしては純情なところがおありになり……男女の契りは正式な結婚後でなければという清潔な誓いを立てておいでです。特に爺の施した性教育が、間違って功を奏したわけではございません」
「ここは後宮なのに」
どこの乙女なのかと思いつつ、烈は舜に言った。
「まあ、いいけどさ……。私も無理強いする気はないし。舜がそうしたいなら婚儀のあとでいいよ。帰りたいなら帰れば?」
烈の許しに、舜はホッと安堵の表情を浮かべた。
「う、うむ。心して待て。わしも男だ。いずれそなたを失望させはしない。爺、戻るぞ」
「御意」と楊源は恭しく答えた。
彼も後ろに控えた女官たちも、神妙な顔をしてかしこまりながら、心の中では「もうどっちが嫁だかわかんねえな」と思っていた。
翌日の朝見時――。
舜は玉座の間に居並んだ廷臣に、烈の皇后冊立をはかった。
廷臣らは「マジっすか」と仰天し、朝からげんなりする羽目になった。
彼らも皇帝に伺候するからには、みな野心をたくましくし、出世を望んでいる。
暁の古い格言にこうある。
「外戚にあらずは宮人にあらず、卵を孵さずばチキン南蛮にならず」
何ごとも為せば為る。とにかく卵を孵さねば、うまいメシにはありつけない。宮仕えの極意ともいうべき一文である。
殿上人になりながら、憧れの職業・外戚を目指さぬ者はいない。
当然、妙齢の姉妹や娘を後宮へ送り込むつもりでいた。
血縁を皇帝の寵姫とし、権力を握り、ウハウハのリッチ生活を夢見ていた。
それなのに、いきなりトップの皇后が冊立しては、後続の妃は立つ瀬がないではないか……。
しかし、表立って立后を反対することは難しかった。
かろうじて主張できたのは、「異国の王女を入宮と同時に皇后に冊立するのは前例がない」という実に弱いものだった。
皇后にするにあたり、烈の生まれや血統に問題はなかった。王太女にして将軍という高い身分であるし、母親は末席とはいえ暁の貴族の出身である。
暁では生きられないとされる神獣の麒麟まで引き連れてきて、カリスマ性も充分である。
また彼女を下手に扱って、オラオラな実家を敵に回せば国家存亡の危機だった。烈を溺愛しているらしい阿羅裸汗を怒らせては、暁は北からの侵略に晒されてしまう。
もちろん暁も国軍を有してはいるが、長く続く太平の世にすっかり平和ボケしくさっていた。
軍部は将官という肩書が欲しいだけの、貴族のボンクラ子弟の巣窟となっている。
有事の際は、敵軍と戦うどころか蜘蛛の子を散らすように逃げるだけで役に立たないことは明白だった。
下手を打てば、外戚になる前に無職になってしまう。
大多数の廷臣は思った。この歳で職安通いはきつい……。
最終的には「しゃーねーな、許してやんよ」という諦めムードの中、烈の皇后冊立が決定した。




