ミカン色の浮き輪~白浜のあかりちゃん~
じりじりと太陽が照りつける、白浜の海岸。僕、凪は、親友の連と一緒に小学校最後の夏休みを満喫していた。
「よぉ、凪。ゴムボートもってきたから膨らませるの手伝えよ」
「わかった」
連が持ってきたのは、ホームセンターで売っているような安いやつだ。僕たちはプラスチック製のポンプで、汗だくになりながら空気を送り込む。二人で乗っても、もう一人くらいは乗れそうな、少し大きめのゴムボートがみるみるうちに形になっていった。
完成したゴムボートを海に浮かべ、僕たちはパドルを漕ぎだす。目指すは、海水浴場の遊泳エリアを示す『これ以上進んではいけません』と書かれたブイが浮かぶあたりだ。
正直、二人とも泳ぎはあまり得意じゃない。でも、このゴムボートがあるだけで、なんだか無敵になったような気分だった。
「わたしも乗せてぇ~」
突然、すぐそばの水面から声がした。見ると、一人の女の子が犬かきでバシャバシャと水をかきながら、こちらへ近づいてくるところだった。よくあんな泳ぎ方で、ここまで来られたものだと感心してしまう。
「お、おう、いいよな」
連が少し照れながら答える。
「う、うん、いいよ」
僕も同意した。
少しだけ年上に見えるその子は、赤いセパレートタイプの水着を着ていた。下の方がヒラヒラと揺れている。女子の水着に詳しくないから名前は分からないけど、僕も連も学校指定の地味な海水パンツだったから、その姿がやけにまぶしく見えた。
女の子はゴムボートのへりにつかまり、はぁ、と息をつく。
「わたし、あかり!」
そう言って、彼女はニッと笑った。
それから僕たちは、三人で夢中になって遊んだ。水をかけ合ってはしゃいだり、浜辺に戻って巨大な砂の城を築いたり。城を守るために堤防も作ったけれど、寄せては返す波にあっけなくさらわれてしまった。
一通り遊び尽くした後、あかりちゃんが「最後にボートに乗りたい」と言ったので、僕たちはもう一度、沖のブイの近くまで漕ぎ出した。太陽が少し傾き始め、水面がキラキラとオレンジ色に輝いている。
ボートから降りて、三人でぷかぷかと浮いていた、その時だった。
「くっ! あ、あしが!」
突然、右足に激痛が走る。しまった、足がつった! もがけばもがくほど、体は沈んでいく。ゴムボートまで、戻れない!
「これ使って!」
パニックになる僕に、あかりちゃんがすっと何かを差し出した。それは、鮮やかなミカン色の浮き輪だった。浮き輪はいつの間にか僕の腰についていた。
僕は必死にそれにしがみつく。おかげで何とか水面に顔を出すことができた。連とあかりちゃんが、僕をゴムボートへと引き上げてくれる。そして、そのまま二人はボートを力強く押しながら、バタ足で砂浜まで運んでくれた。
ほうほうの体で砂浜にたどり着き、息を整える。いつの間にか、あかりちゃんの姿はどこにもなかった。ただ、僕の腰には、少し古びたミカン色の浮き輪が、しっかりと巻き付いていた。
足の痛みが治まると、僕は浮き輪を返しに彼女を探して砂浜を歩き回った。けれど、赤い水着の女の子はどこにも見当たらない。
あかりちゃんを探し疲れて、海の家でアイスを食べていると、不意に一人のおばさんに声をかけられた。
「そ、それは……もしかして、あかりという娘が持っていた浮き輪じゃないかい?」
「はい、あかりちゃんに助けてもらったんです。これを返そうと思って、彼女を探していました」
僕の言葉を聞いた瞬間、おばさんはその場に泣き崩れた。肩を震わせ、嗚咽を漏らしている。聞けば、あかりちゃんは彼女の娘で、去年、この海水浴場でおぼれて亡くなったのだという。
「そ、そんな……」
僕はかける言葉も見つからず、ただ呆然と、泣き続けるおばさんの隣に立ち尽くしていた。
しばらくして、少し落ち着いたおばさんに、僕は尋ねた。
「ねえ、おばちゃん。この浮き輪、もらってもいい?」
「……いいよ。きっと、あかりがあんたにくれたんだろうから……」
おばさんは、そう言って寂しそうに微笑んだ。
それから十数年の時が流れた。
僕は医者になり、あの日以来、初めて一人で白浜を訪れていた。
昔よりも、ずっと日差しが強い気がする。猛烈な暑さだ。
そのとき、砂浜の一角がにわかに騒がしくなった。
「きゃーっ、人が倒れてる!」
「お医者様はいらっしゃいませんかーっ!」
甲高い女性の悲鳴と、助けを求める男性の声。熱中症か、それとも溺れたのか。詳しい状況は分からない。
でも、僕の体は考えるより先に走り出していた。あの日もらった、命を繋ぐ優しさを、今度は僕が誰かに渡すために。
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