みずみずしいなにか
それは、どこにでもいる……のかもしれない。いないのかもしれない。
見ようとしなければ、危害はない。
だが、一度その水面を覗き込んでしまうと……
もう、終わり。
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「うぁ〜〜」
電車に乗ってきてすぐに、気怠そうな声を抑えようともせずに発する女子高生。
一部の乗客は彼女に厳しい目線を送ったが、彼女はそれを気にも留めず手元のスマートフォンに視線を落とす。
「えっ!?○○くんが炎上!?愛人騒動で!?うそ〜〜!!」
乗客達の目線はさらに厳しいものとなっていく。舌打ちをして別の号車に向かおうとする人も出てきた。
窓の外では、太陽が沈みかけている。
「ちょっと、みうっち〜。車内でそんな大声はメーワクだよ〜〜」
「そーだそーだー」
「……」
『みうっち』というあだ名で呼ばれたのは、高瀬美雨、16歳。
彼女を呼んだのは彼女の友人で、上から順に木更津美咲、鷹田恵奈、波多野沙良だ。
「ねぇねぇ聞いてよ美咲ちゃ〜ん!〇〇くんが愛人がどうとかで炎上だってぇ〜」
「なぬっ!?〇〇くんが!?マジ!?」
「マジマジ。マジでショック〜」
一拍置き、
「うわっ、調べたけどガチじゃん……ちょっとだらしないトコあるなとは思ってたけどやっちゃったか〜」
「……」
小柄だが気の強く真面目な恵奈が抑えめの声で呟き、無口な沙良がいつも通り黙りこくる。
「え〜ん、推しだったのに」
「ホントショックだよ……」
『だからさ……』
美雨と美咲が目線を合わせ、恵奈に向かって口を揃えて言う。
『えなえな〜、慰めて〜!』
恵奈は呆れたようにため息をつき、返す。
「あのなぁ、お前ら」
『?』
「注意しなかった私も悪いけどさぁ、うるさいんだわ」
「うっ」
「いや、まぁ……」
恵奈から目を逸らす2人。圧が強すぎるから直視できないなんて、口が裂けても言えない。
周りの乗客の表情が少しばかり穏やかになり、そして一瞬で引き攣る。なぜもっと早く注意しなかったのか……とは思うが、乗客の大半を占めるいい大人の男性達も恵奈の圧に押されているようだ。
「もっと周りの迷惑にならないように、とか気をつけろって、この前言ったよな?」
いや、あなたが放っている圧の方が迷惑です!
これが乗客達の総意だ。あっ、赤ちゃんが今にも泣きそうに。
『申し訳ございませんでした』
「土下座はやめろ。余計迷惑だ」
完璧なシンクロ土下座を決めた2人だが、悪手だったようだ。圧が強くなる、強くなる……
『まもなく、×△駅。お出口は〜〜』
機械的な女声のアナウンスが響く。なんて素晴らしいタイミングだろう。
「あ、じゃあ降りるね。じゃ、じゃあね、みうっち〜〜」
「う、うん、じゃあね〜。また明日」
美咲の視線によくも私を置いて逃げやがってという恨みの感情が含まれている気がしないでもない。
「……」
「……じゃあね」
恵奈が沙良以上に無口であることに、そしてそれなのに笑顔であることに冷や汗をかきつつもホームに降り、改札へと向かう。
無言の後に舌打ちのような音がしたが、気のせいだろう……きっと。
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学校帰りにゲームセンターで散財(エナドリだけゲットした。恵奈が可愛いキャラのクレーンゲームに挑戦したがうまくいかず、台パンしたら景品が落ちてきてめっちゃ喜んでた、怖かった)してきたため、周囲はすでに暗くなり始めている。
空がやけに鈍い灰色に覆われているが、暑い。夏真っ盛りの時期だ。
大型ショッピングモールを過ぎたあたりで、ふと足を止める。ある方向へと意識が向いたからだ。
彼女の視線の先には登下校の際にいつも見る細い道。道といっても建物同士の間にある隙間のようなもので、すぐ行き止まりになるが。
(なんか……すごく気になる)
なぜか生まれた興味に抗えず、道(?)を進む。
「……何もない」
そこには水溜りのようなものがあるのみだった。
だがここ最近雨は降っていないし、ここに水溜りがあるのは不自然だった。
(うーん、なんでここに水溜りがあるんだろう)
水溜りに顔を近づけ、覗き込んでみる。
するとその時、水溜りの水面が不自然に揺れたように感じた。
「えっ!?」
確認のために再び水溜りを覗き込む。
しかし今度は何も起きない。いや、少し揺れているように感じる。そして、何かに見られているかのような感覚が彼女に芽生えた。
「……気のせいか」
そう呟いたのは、自分に言い聞かせるためだったのか。
彼女が帰宅した頃には、水溜りのことなどすっかり忘れてしまっていた。
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次の日の朝。
いつも通りの平凡な朝。母が朝食を食卓へ運ぶ横で父親がテレビを見ている。
「お父さん、ちょっとは家事の手伝いしたら?」
「ん?あ、そうだな」
娘の愚痴は、この父に効かない。
「いただきます」
不真面目JKのように思える美雨だが、それは友人である美咲達と一緒にいる時に見せる面。普段の彼女は結構落ち着いている方だ。
水の入ったコップを手に取る。
美雨はどうしてもお茶の味が好きになれず、いつも水を飲んでいる。
コップを傾け、飲む。だが、喉に流し込む時、僅かに、僅かにだが嫌な感じがした。
(何だろう、疲れてるのかな)
その程度にしか考えず、それ以上は考えなかった。
今日も学校に行く。そして授業を受け(聞くとは言っていない)、学食で買った菓子パンを頬張る。そして午後の授業へ向けて睡眠……すい、みん……
……ハッ、遅刻!?
という状態になる。ちなみにこれで6回目である。
担当の先生が美雨への説教を始めようとする。だが、口を開きかけた瞬間、何かに怯えたかのように口を閉じ、何事もなかったかのように授業を再開した。いったいなぜだろう、と考えた生徒はいないらしい。
だって、先生が必死に恵奈から目を逸らそうとしてるんだもん。恵奈の方からとんでもない圧が発生してるし。
そんなこんなで午後の授業も無事(?)に終了し、美雨は手を洗うためにトイレに寄った。蛇口を捻り、水が流れる。それは勢いよく流れるはずだったが、途中で止まってしまった。
それでも水滴は少しずつ落ちてくる。だが、それはあまりにゆっくりだった。重く、遅かった。
水滴をよく見ると。どれもが同じように、まるで生きているかのように形を変えていることに気づいた。
「……何なのよ」
そして最終的に、
「ひっ」
やがて落ちてくる水滴は人の形に見えるようになった。
不安感がじわじわと彼女の背を這い上がっていく。
「気のせい、気のせいっ」
水道から背を向けてそう呟き、そこから逃げるかのように走り出す。
その後は何もなく家に着いた。
しかし、手を洗う時、水を飲む時、トイレに行く時、「水」に何らかの違和感がある。
それは水面が揺れているように感じたり。
あるいは水から視線を感じたり。
そんな現象を不気味に思いつつ数日、彼女は次第に水を飲むことに抵抗を覚えるようになった。
視界に水が入ると心臓が早鐘を打つようだった。
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ある日の夜、風呂に入った時。
浴槽に貼られたお湯は静かに揺れ、ライトを反射してきらめいている。
美雨は特に意味もなく顔を湯に近づける。
当然、湯には普通に自分の顔が映る
――はずだった。
そこに映った自分、その奥の方になにかがいるような、得体の知れないものが自分を見つめてくるような、水溜りを覗いた時と同じような感覚に陥る。
(何かおかしい。あの水溜りを見た時から)
気味が悪くなり、風呂から上がろうとする。
しかしそれは許されなかった。
湯の中のなにかと目が合ってしまった。気がした。
それの視線が美雨の全身を締め付ける。
それはなにかでしかない。
しかし確かになにかだった。
脳が、体がなにかとしてそれを認識してしまっているのだ。
恐怖で叫びたいのを堪え、何とか束縛から逃れ、浴室の扉を思いっきり閉める。
「何……何なの……怖いよ……」
彼女は震える声でそう言った。
体の震えをおさめようと急いで体を拭き、服を着る。
あれは温かい湯などではなく、いくら目を凝らしてもあの水溜りでしかなかった。
だんだんと気持ち悪さが胃液と共に込み上げてくる。
彼女はトイレのドアを開き、えづき、胃の中のものを吐き出そうとする。
もう耐えられ無さそうだ。
しかし。
顔を乗り出し、口を開いた時。
トイレの水面がゆらめいた。
そしてその水面の奥には確かに顔があった。
目も口も鼻もないはずなのに、眼球のような光沢があり、こちらを見つめてくるようだった。
その顔はやはりなにかだった。
彼女は悲鳴を上げながらトイレから飛び出し、吐瀉物を口の端からこぼしつつ四つん這いになって地面を這った。
家族たちはすっかり寝ていたため、彼女の絶叫に気づくことは無かった。
彼女は眠れなかった。真っ暗な中、一人きりで、恐怖に震えて。
しかも今夜は雨が降っている。
――雨粒一つ一つの向こうに、あれがいるんだ
嫌でもそう考えてしまう。
鳴り止まない雨音は、確実に彼女の精神を蝕んでいった。じわじわと、じわじわと。
いつの間にか長い夜が明けていた。
勿論、彼女にそんなことに気づく余裕はない。
「美雨、美雨?起きてー。学校遅刻するわよー」
母親の声。
それに対する返答はない。
「美雨?大丈夫?美雨?」
「だ……大丈夫……よく寝れなかった……だけ……」
明らかに大丈夫ではないことは、母親にも感じ取れただろう。それほど彼女は精神的に疲弊していたのだ。
「美雨……辛いことがあったら、話して頂戴ね?」
「……うん。ありがと」
とは言うものの、その声は酷く枯れていた。
「学校の方には連絡しておくから、今日は休みなさい」
彼女は無言で頷いた。
「じゃぁ、ご飯食べにきてね。先に行ってるわ」
一階にあるダイニングへと向かう。眠っていないので歩くこともままならないが、これ以上親に心配をかけるわけにいかず、無理をする。
「……いただきます」
「どうぞー」
いつもだったら母の優しげな声は美雨にちょっとした癒しをもたらすが、今は違う。
「……どうして、私だけ」
「……? なんか言った?」
「いや」
それは、紛れもなく本心だった。
ぞわり、と悪寒が彼女の背中を走る。
手元には、水が入ったコップがあった。
波打つどころか、触手のようになって美雨に向かってきているように感じられた。
「……!!」
叫び出したいのを、泣き出したいのを必死に堪え、いつも通り水を飲もうとする。
しかしそれはできなかった。
水を飲むことは、「なにか」が自分の体内に侵入してくることと同義だった。
「ご馳走様」
「あら?お水は?水分摂らないと体に悪いわよ?」
「今は水飲む気分じゃない」
食事を食べ終わった彼女は、さっさと自分の部屋に戻って行った。
水と人生は切り離すことができない。
人はどうやっても水無しでは生きていけない。
その事実が彼女を追い詰めていた。
いっそ消えてしまいたい、と思ってしまうほどには。
それでも次の日から彼女は学校に行った。
水さえ見なければ、「なにか」を見ることもない。無理してそんな考え方をするようになった。
水も飲んだ。
その度に異物が食道を這いずるような感覚に襲われた。
そして視覚以外の五感でも「なにか」を感知するようになってしまった。
耳の奥、鼓膜の裏から滲み出してくるような囁き声が聞こえてくるようになった。水の音が聞こえるとそれに合わせて「なにか」が囁いてくる。
『お水、飲まなきゃ死んじゃうよ』
「うるさい!やめてっ!!」
そして、声はどんな時でも聞こえるようになってきた。
四六時中聞こえてくるその囁き声は、ただでさえ弱っている彼女の精神を容赦なく削り取っていった。
「美雨、お願いだから水を飲んで」
ある日を境に、美雨は完全に水を飲まなくなってしまった。
当然、母親は泣きながら懇願した。
だが、彼女は首を振るばかりだった。
彼女は日に日にやつれ、顔色も悪くなっていった。
吐き気も酷くなり、目はどんどん虚になっていった。
そんな中でも、囁き声が消えることはなかった。
そして、限界が来てしまった。
肉体的にも、精神的にも。
ある日、彼女は倒れた。
「美雨!!美雨!!しっかりして!!」
「美雨っ!!」
目を覚ました時に聞いたのは、そんな両親の声であった。
「ああ、美雨……!!良かった……」
「うん、本当に良かった。にしても、美雨、やっぱりお水はちゃんと飲まないといけないぞ」
父がそう言った瞬間、美雨は絶叫した。
「やめてぇっ!!水っ、水なんて飲んだらっ!!」
「みっ、美雨!!どうしたの!?落ち着いて!!」
何事かと駆けつけた看護師でも、彼女を落ち着かせるのにはかなりの時間がかかった。
重度の脱水症状であったため、彼女は入院することになった。
この時、すでに彼女は点滴されていた。それに気づいた彼女は、まさに半狂乱といった感じで点滴を外そうと暴れた。これもまた看護師総出で抑えられた。
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美雨は、手鏡を見つめるようになった。
じっと、じっと。
それは、自分が自分であることを確認するための儀式のようだった。
彼女は水が不足しているのにずっと涙を流していた。
その涙からは水たまりのような匂いがした。
目に溜まって潤む涙の向こう側にも、「なにか」がいた。
ある晩のこと。
病室のベッドの中、美雨は目を覚ました。その顔は青褪め、全身が小刻みに震えていた。
その時、かすかに水音がした。
音は確かに、ベッドの下から聞こえてきた。
「やだ……もうやめてよ……」
そう呟き、目をぎゅっと瞑る。
だが、音が止まる気配はない。
それどころか、少しずつ近づいてきているような気さえする。
そして、
ぴちょん。
彼女の頬に一粒の水滴が落ちた。
その音は水の音だったはずだが、彼女の耳に響いたのは、
『さぁ、おいで』
そんな言葉だった気がした。
「あ、あぁ」
彼女は目を開いてしまった。
その目線の先には
天井に張り付き、蠢き、波打つように揺れ、形を変え続ける「なにか」がいた。
「なにか」は不気味なまでに透明な水の塊だった。
美雨は悲鳴をあげた。ただでさえ掠れている声がさらに掠れるほど、必死で叫んだ。
「どうしたの美雨!何があったの!?」
その時お見舞いに来ていた母親が慌てて部屋に駆け込んできた。
「天井に……なにかが張り付いてるの。水。水の塊が、動いてるの」
しかし天井には、何も異変はなかった。
母親は美雨を抱きしめ、いつものような優しい声で言った。
「大丈夫。何もいないわ。きっと、夢でも見たのよ」
美雨は涙を流しながらそれを聞いた。
母の優しさではなく、誰も理解してくれない孤独に対して泣いた。
そして、自分で流した涙さえ水だった。
もう彼女の精神はとっくに限界を迎えていた。
翌日の昼過ぎ。
美雨はいつも通り虚ろな目で手鏡を見ていた。
なぜ自分がそうしているか、それさえ分からなかった。
鏡に映るのは、青白く、やつれた女の顔。生気が少したりとも感じられなかった。
ただ、鏡に映る自分を眺め続けていた。
「美雨。美雨?」
その声が聞こえてハッとする。
そこには親友ーー恵奈の姿があった。
「お見舞い……来てくれたんだ」
「当たり前だろ、親友なんだから。お前が倒れたって聞いた時は驚いたよ……なぁ、その顔、声……大丈夫なのか?」
彼女にいつものような圧は感じられない。
そこには優しさだけがあった。
「大丈夫。えなえなが来てくれたから」
「ははっ、そうk」
刹那、降ってきたなにかによって恵奈の体が潰された。
「……えっ」
驚きのあまりそんな声しか出すことができなかった。
恵奈がいた場所には、昨日に見た蠢く「なにか」がいた。
そして、恵奈の体は、それと同化した。
美雨は理解した。さっきの恵奈は、「なにか」が化けたものだと。
手元の鏡に視線を戻すと、どこからか落ちてきた水滴が鏡の中の自分の輪郭をなぞるように垂れて来た。
水滴が鏡像の美雨の喉元あたりまで垂れてきたその時。
世界が歪んだ。
部屋の壁がぐにゃりと曲がる。
酷い耳鳴りがし始め、やがてそれはぽちゃん、という水音になる。
天井の「なにか」がこちらに腕を伸ばしてくる。
鏡の中の自分の表情が諦めたような笑顔になる。
現実の美雨もこんな顔なのだろう。
それは完全に壊れた人間が浮かべるモノだった。
美雨は突然、人の体の6割は水でできていると習ったことを思い出した。
「……ははっ」
美雨は、乾いた声で笑った。
そうすることしかできなかった。
「なにか」は すでに自分の中にいたのだ。
全身に染み込み、蠢いていたのだ。
最初から、逃げられるはずなどなかった。
高瀬美雨という人間は、壊れた。
そして、完全に姿を消した。
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貴方は、知っていますか?
とある通りの近くにある水溜りの向こう側には「なにか」がいる。
そしてそれを見てしまった者は姿を消す……っていう噂を。
実際、とある女子高生が失踪し、彼女の家族、友人、そして警察が探しても見つからなかった事件があったそう。
一度見てしまったら、戻って来れない。。
だから、もしもその通りに用事があっても、水溜りを覗き込んdだりしないでくださi 。
なにかgがっが、あなたを壊してしまうかもしれませんかrrrら ?
気wお縺、keてくD?縺輔>縺ュ 、 。
短編、いかがだったでしょうか。
ぜひ評価とコメントしていって下さいね。凄く励みになります。
あと、後日談も用意しています。是非読んでくださいね→https://ncode.syosetu.com/n4721kp/
でも、もし、もしもしてくれなかったら、読んでくれなかったら、あなたの周りにも「みずみずしいなにか」が……
なんてね。