手紙
部屋に戻されてから幾許か時間が過ぎ、客人が帰ったと使用人が伝えに来た。とはいえまだ太陽は天高く登りきっていない頃。用事も何もなく、窓際に座り書斎から取ってきてもらった本のページをめくる。西側に大きな窓が作られたリリアンの部屋はまだ影濃く、明かりを灯しているとはいえ文字を読むには不向きだった。
百五十六ページ、王国法第五条四項「爵位の継承」についての解説文を読み始めたところで扉がノックされ「はい」と返答する。
アデルが扉を開けると、少し疲れた顔のルイスが入ってきて、リリアンは早足で近付いた。
「お義兄様、どうしたのですか。お疲れのご様子ですが、ご来客と何か問題が……?」
「ああ、いや、何もないよ」
「本当に?」
「本当だよ」
リリアンの髪を撫でる手が優しい。
「何か飲まれますか、紅茶? それとも果実水?」
「いいや、すぐに出るから。届け物があってきただけなんだ」
「届け物、ですか?」
リリアンが首を傾げると、ルイスがジャケットの内ポケットに手を入れ、一息ついたあと、おずおずと便箋を取り出した。
その便箋は一度開けられているのか、蝋のついた蓋の部分がひらひらと揺れている。
「お手紙? わたくしにですか?」
「ああ」
差し出された手紙を、少しの不安と一緒に受け取る。
「これは、その、どなたから」
「……フェリクス王太子殿下だ」
「王太子殿下……!?」
記憶を失う前の友人だろうか、と予想をつけていたのに想定外の人物の名が上がり目を丸くした。
「昨夜の夜会に来ていなかったのを気にかけてくださったようでね」
「まあ、王太子殿下はとても優しいお方なのですね」
感心したように言うリリアンに、ルイスは一度きつく目を閉じて少し口角を上げる。
「そうだね。とても優しい方だよ、とても」
「お義兄様は王太子殿下のことをよくご存知なのですか?」
「んー、知っていると言えばそうかもしれないね。幼い頃王太子殿下の遊び相手だったんだ」
リリアンの知らない頃のルイスの話に目を輝かせるも、ルイスはこれでおしまいとでも言うように頭に手をポンと置いた。
「また聞かせてくださいね、お義兄様の幼い頃のお話」
「……気が向いたらね」
ジャケットのカフスが光る向こうの目が合わないから、ああ気が向くことはないんだろうなと悟る。
「……わたくしも王太子殿下と仲が良かったのですか?」
「どうだろう。交流はあったよ」
「そうですか。あの、このお手紙はどうすれば良いですか」
「お前の気が向かなければ読んで放置しても構わないよ。ただ、……返事を待っているという伝言は預かっている」
それはつまり返事を書きなさい、ということだ。
リリアンは頭を悩ませる。手紙の返答などしたことがないのだ。
とりあえず読んでみなければどうにもならないけれど、受け取った手に汗が流れる。
「いつ頃までに返事が必要ですか……?」
「いつまででも良いんじゃないかな」
「王族の方相手にそのような」
「良いんだよ、別に」
ルイスの目がわしゃわしゃと髪を乱す。後ろの髪が前に来て目にかかった。髪を直そうと顔に手を伸ばすと、その手をルイスに掴まれる。
「……お義兄様?」
宵闇の瞳がリリアンを見つめる。
いつも冷たい手が、ひどく熱い。
「お義兄様、どうしましたか」
「お前は」
言いかけて、止まる。義兄の言いたかった言葉は分からない。けれど、なんとなく、以前のリリアンなら分かるのだろうと、そう思った。
「……リリアン」
「はい」
「お前はこれからどうしたい」
ぽすん、とリリアンの肩にルイスの頭が乗っかる。耳元で囁かれた言葉は多分言いたかったこととは違う。
「わたくしの、これから」
ルイスの息が首筋にあたりくすぐったい。
「……分かりません、けどお義兄様のお役に立てればと思っています」




