朝食
くゎ、と欠伸を噛み殺し目尻の涙を拭う。長いダイニングテーブルの短辺、リリアンの斜め前に座っていたルイスがその様子を見てくすりと笑った。
「眠そうだね」
「……いえ」
「昨日はいつもより寝るのが遅かっただろう、あとで仮眠を取ると良い」
「そこまででは。大丈夫です」
気恥ずかしさを誤魔化すように一房胸元に流れていた髪を弄る。
黒々とした重厚感のある木の扉がゆっくりと開き使用人達が朝食を運んできた。焼き目のついたパンに野菜がゴロゴロと入ったスープ、艶やかなサラダとフルーティーな香り立つ紅茶。今日もまた美味しそうだ。
義兄がパンを手に取り口に入れたのを確認し、スプーンを手に取る。
「そういえば、以前オーダーしたドレスの仮縫いができたらしい。午後に試着に来るそうだ」
「はあ」
「ぼくはその時間不在にするが、そもそも試着に異性は厳禁だからね。困ったことがあればアデルを頼りなさい」
ルイスがリリアンの後ろに視線を送ると、そこに立っていた壮年の女性が胸に手を当て承ったとばかりに頭を下げる。
アデルは長いことこの家に仕えてきた義兄の信頼厚い使用人の1人だ。現在はリリアンの側仕えとして勤めている。
「あの、お義兄様。聞いても良いですか」
「ああ、なんだい」
「試着の際わたくしは何をすべきですか?」
「何をすべき、……そうだねぇ。ぼくは服を着せられて作業が終わるのを待って脱いでってするだけだけれど。女性も同じではないかな」
顎を指でなぞり、ルイスはアデルを見遣る。リリアンが振り返ると彼女はゆっくりと頷き「同様です」と言った。
「ただお嬢様がご試着をなさる際、お飾りの位置などには時折ご意見を」
「だそうだ。相手は平民だし、お前の事情も多少は耳にしているはずだ。気負わず楽しんでおいで」
「はい。……頑張ります」
気負わないように、気負わないように、と口の中で反芻するリリアンをルイスが笑う。
「気負わずと言っているのにねぇ。ああ、そういえば昨日話した夜会で出た食事、興味を持っていただろう?」
「はい」
少し眠い中で話した記憶を思い出し頷いた。
「そのお食事がどうかされたのですか」
「コックがレシピを知っているらしくてね」
「まあ、そうなのですね」
「今日は難しいそうだが、材料が揃い次第作ってくれるそうだ」
「本当ですか……!」
ぱあっと顔を輝かせたリリアンにルイスが「楽しみだね」と微笑む。
「はい……! お義兄様があまりにも美味しそうに話すから気になっていたのです」
「はは、そうだったかな」
「それはもう」
「夜会は好まないが、あの場所の料理はやはり一流でね」
「そんなことを言ってはコックが嫉妬しますよ」
この家のコックも優秀なのだから、とパンを小さく千切り頬張る。朝食だから少し薄めに味付けされているが、どれもこれも絶品ばかりだ。
「そうだね」
ルイスもスプーンに掬ったスープを口に運ぶ。
「坊ちゃま、お食事中に申し訳ありません」
足早に入室し近づいて来た執事のジャンに、ルイスはカトラリーを置き顔を向ける。執事が口に手を当て耳打ちすると、義兄は大きく目を見開きバッと立ち上がった。その勢いで椅子が倒れ、大きな音にリリアンの肩が跳ねる。
「リリアン、自室に戻りなさい。アデル、食事をリリアンの部屋に運ぶように」
「どうされたのですか?」
「すまない、客人が来ると先触れがあってね。その人が帰るまで部屋から出てはいけないよ」
「え、あ、はい」
早口でそう告げてルイスは部屋を出た。椅子を直したジャンも彼を追い、他にも数人の商人がついていく。
「お嬢様」
アデルが、急な忙しなさに目を丸くするリリアンに声を掛けた。その声にはっとし立ち上がる。リリアンも彼らの出て行った扉をくぐった。
これまで客人が来ることは珍しくなかった。義兄の仕事相手がその殆どでリリアンは顔を合わせることも少なかったが、屋敷内を歩いていて偶然に挨拶を交わすこともゼロではない。そんな彼らは数日は前から約束を交わしていたようだし、客人が来るからリリアンに部屋を出るなとルイスが命じることもなかった。それに、こんなに忙しないことも。
一体誰が来るのだろうと、リリアンはルイスの後ろ姿に髪を引かれるような気持ちだった。