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月夜


「どうかな」

「よくお似合いです」


 普段のシャツとスラックスの姿とは違い、黒を基調とした正装を身に纏う姿は麗しい。ただでさえラフな格好でも見目が良いというのに、細かな刺繍の施されたジャケットに宝石の輝くカフス、かっちりとセットされた髪型に人ならざるものにも思える程美しさが際立っていた。


「それなら良かった」


 目を細め笑う顔はいつもと変わらないのに、光を振り撒いてるように見えてどきっとする。

 先日話に聞いた王太子の主催する夜会に行くらしい。義兄自身はのんびりと過ごしていたが、屋敷の使用人たちは朝から準備に追われ普段の静けさはどこへやら。二人分の準備じゃないだけましというのは義兄の言だが。


「帰りは遅くなる。ぼくが居ないからと夜更かししてはいけないよ」

「ふふ、しませんよ」


 ルイスの不在が今まで全くなかったわけではないが、あっても日中の短時間。日が落ちてから出かけるのを見るのは初めてだ。

 お時間です、と声を掛けてくる執事にルイスが頷く。リリアンの長い髪をするりと撫でて、口を開いた。


「じゃあ、行ってくるよ」

「はい、行ってらっしゃいませ」





「夜更かししないと言ったけれど、眠れないわね」


 肌触りの良いブランケットを隅に避け、ベッドサイドに腰を掛ける。暑さ残る月夜、ネグリジェの首元を揺らし、汗ばんだ服の下に空気を送った。


 んーっと伸びをし、ベッドサイドのランプに灯りをつける。

 あまり物音を立てると番をしている使用人が様子を見に来てしまうから、静寂を保つようゆっくりと立ち上がりバルコニーに続く扉に近付いた。

 かちゃり、ドアノブを下に押した音が響き、使用人達の使う扉を勢いよく振り返る。しかし、その奥で人が動く気配はなくほっと息を吐いた。


 屋敷の二階、夜風がそよぐ。蔦の装飾が彫られた柵にもたれると、義兄が出て行った正門がよく見えた。


 本当に、夜会に出席しなくて良かったのだろうか。


 ひとり、まだ続いているだろうそれに思いを馳せる。

 義兄が行かなくて良いと判断したのだからそれが最善だと言うことは分かっている。しかしながら、エルザはリリアンが来るものとし話を出していた。

 もし、記憶を失っていなければ、リリアンもルイスと共に出席していたのだろう。

 もし、記憶を失っていたとしても、夜会の出席に足る人間であったのならば。

 そう考えるとため息が出る。

 星が眩しくて目の奥が痛かった。


 記憶を失ってから、リリアンが負の感情に苛まれることなく過ごせて来れたのは間違いなくルイスのおかげなのだ。ルイスが献身的過ぎるくらいに支えてくれたから、リリアンは生きて来れたのだ。


 だというのに。


 力になるどころか、頼るばかりの足手纏いだ。せめて家内の仕事の手伝いに名乗り出ようにも何も分からないのに役に立てるはずもない。それならと、恋人らしいことのひとつやふたつでもして義兄が喜べばと思うが、記憶のないリリアンを慮ってなのか或いはそれが正しい形なのか、リリアンの知識にある恋人らしい行動をする隙は与えられない。きっと、前者が理由だ。


 ルイスは今の状況を良しとしている。リリアンに焦るなと繰り返し、駄目な義妹に優しく微笑むだけだ。

 だけどいつか、いつまでも何も思い出さなかった時、いつか義兄に見捨てられてしまうのではないかと、そう思うと怖い。ひどく、怖い。


 ひとりうだうだと考えを巡らし行き着いた恐怖に身震いする。頭をブンブンと振って思考を蹴散らす。

 そんなことしても気休めにもならないが。


 眠れなくて夜風に当たったが、どんどんと眠気が遠ざかる。小さな約束のひとつも守れないとは。

 湧き出るため息を繰り返し、柵の上で重ねた腕に顔を伏せた。


「……リリアン?」


 幻聴か、いや、現実か。

 微かに聞こえたテノールに顔を上げる。部屋の方へ振り返っても誰もおらず首を捻ると、再度リリアンを呼ぶ声がして、その音が聞こえたバルコニーの下を覗き込んだ。


「夜更かしをしたね、まったく」

「……お義兄様」


 薄らと月の明かりに影が揺れる。その人の姿こそ見えないものの優しい声ただ一人のものだ。


「ごめんなさい、お義兄様」

「はは、怒ってはいないよ。けれど、こんな時間に外に居ては冷えるだろう」

「……はい。申し訳ありません」


 心配げな義兄の声に肩を落とす。


「いつお帰りに? 馬車の音に気付かなかったです」

「ああ、久方ぶりに酒を呑んだから酔い覚ましに少し歩いてきたんだ」

「そうだったのですね。お帰りなさい」

「ああ、ただいま」


 きっと柔らかな笑顔を浮かべているだろう声に頬が緩んだ。


「夜会はどうでしたか。楽しかったですか?」

「つまらなかったよ。あまりああいう場は好まなくてね」

「そうでしたか。ではお疲れでしょう、早くお休みに……」

「……いや」


 ルイスの中指に嵌められた指輪がきらりと輝き、その手が伸ばされたことが分かる。きっと届かないけれど、おずおずとリリアンもまた手を伸ばした。


「お前がまだ眠らないのなら、もう少しこのまま話をしよう」

「わたくしは、構いませんが」

「ありがとう、リリアン」


 その夜は、笑い声に気が付いた使用人が様子を見に来るまで二人話して過ごした。取り止めもない話。夜会で出た食事のことだとか、寝る前に読んだ本の話だとか。

 そんな夜が心地よかった。

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