仕立て屋
「あら、ルイス様とリリアン様ではありませんか?」
通常、貴族というものは屋敷に商人を呼び付け買い物をするらしいのだが、密かに屋敷の外へ興味を抱いていたリリアンを慮ってか、ルイスは彼女を王都内の仕立て屋のブティックへ連れて来ていた。
採寸から始まり、店にある布を片っ端から見せられそれらの特徴だのなんだのと店主の説明は丁寧ではありながらもその量に圧倒されそうだった。やっと生地が決まったと思ったらその次は形だの装飾だのと、あれこれデザイン画を見ながら義兄と店主が話し込んでいるのを尻目に紅茶に口を付ける。時折、義兄があれもこれも作ろうと言い出すのを止め、やっと全てが決まった頃にはもうヘトヘト。
疲れた身に染みる茶菓子に出された砂糖菓子の甘さを味わっていた、そんな時だった。
ルイスの向こう側、ミルクティーのような柔らかい茶色の髪は編み込まれ、耳元につけられた花飾りが揺れる。空の色によく似た瞳の優しそうな女性が声をかけて来た。
「どうされたのですか、このような場所で」
「たまには店舗に赴くのも新鮮で面白いかなと思ってね」
スッと立ち胸に手を当て軽い挨拶をしたルイスに倣い、リリアンも立ち上がる。するとルイスはまるでリリアンを隠すかのように半歩右にずれた。
「エルザ嬢こそ、どうしたんだい」
「私も新しくお仕立てするドレスの相談に。家業の打ち合わせも兼ねてですが」
「そう」
義兄の背は高く壁となり足の隙間からドレスの布が動いていることしか分からない。
「リリアン様は体調を崩されたとお伺いしましたが、お元気そうで何よりです」
「あ」
「まだしばらくは療養が必要だけれどね」
ありがとう、と言いかけたのも束の間、ルイスに遮られ口を噤む。リリアンに背を向けたまま、後ろ手を回しルイスは黙ってろとでも言いたげに小さく人差し指を立て横に振った。それに答えるように小さく頷く、きっと見えてはいないだろうが。
「あら、では王太子殿下が開かれる夜会にはいらっしゃらないので? てっきりその為のドレスを仕立てに来たのかと」
「夜会にはぼくだけ参加するつもりだ」
「そうでしたか、それは残念」
少し見ただけの印象では穏やかな綿毛のようだったが、話し声はハキハキとしていて背筋が伸びる。義兄の声も、いつもの温かい陽だまりのようなものと違って。
「ご回復された折には是非お茶会でも」
「ありがとう。機会が合えば伺うよ、二人で」
「ええ、お待ちしておりますわ」
微かに感じる緊張感が居心地悪くて義兄のシャツを小さく掴んだ。
「そろそろお暇しようか」
「あ、はい」
その手に長い指が絡む。中指につけられたリングが当たり、少し、痛い。
「それでは、失礼」
ひらひらと手を振る女性の横を義兄について早足で抜ける。小さく会釈すると、空色の目が鋭く細められた気がした。
見送りについて来た店主に礼を告げ、店前に付けた馬車に乗り込む。来た時同様義兄の横に腰をかけると、綿の敷き詰められた椅子の座面が沈み込んだ。
「今のご令嬢はどなたですか」
「エルザ・フォール嬢。貴族ではないが歴史ある商家の当主の娘だ」
「そうだったのですね。以前のわたくしとはご友人関係だったのでしょうか?」
「いいや、茶会やパーティーで顔を合わせることは多かったが、……それだけだ。あれは下手な貴族より余程力を持ってしまったせいで面倒な相手だからね、二人きりにならないように気をつけなさい」
その言葉の意味を上手いこと咀嚼できなかったものの、とりあえず頷く。そんなリリアンの頭をそっと撫でた。
「あの、お義兄様。もつひとつ聞いても良いですか?」
「ああ、もちろん」
「王太子殿下の開かれるという夜会は、わたくしは出なくて大丈夫なのでしょうか」
エルザが口にしたそれ、リリアンは参加しないと義兄は言っていたけれど、王家が主催する夜会というのは重要な社交場であるのではなかろうか。今のリリアンに何ができるという話ではあるだろうが、義兄と共に顔を出すだけでも意味があるかもしれない。分からないけれど。
「大丈夫だよ、国王主催のものならともかく王太子主催のものはちょっとした若者の集まりだからね」
「そうなのですね」
「社交に出るのはもう少し後にしようね。焦らなくてもお前は十分よくやっているのだから」
安心させるように微笑むルイスに、へらりと笑い返した。