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灯火


 分厚いカーテンが月明かりを遮るルイスの寝室。空いたドアから中を覗くことはあったが、入るのは初めてだ。ベッドサイドに持ってきてもらった椅子に座り、揺蕩う蝋燭の火に照る義兄の寝顔を眺めた。


 廊下で膝をつき顔を手で覆った義兄はどうやら立ちくらみを起こしたらしい。慌てて駆け寄ると「大丈夫だよ」と努めて明るく言うが、しかしすぐに立ち上がることはできずジャンの手を借りていた。

 白手袋を取ったジャンが軽く触診をしていたが、大事はないようでリリアンは安心しほっと胸を撫で下ろした。

 それも束の間、「まだ仕事が残っているから」と執務室に向かおうとするものだからリリアンはつい腕を掴み「い、一緒に寝ましょう……!」などと、義兄でなければ勘違いしてしまいそうな台詞を素っ頓狂な声で叫んだのだった。

 主人を心配する使用人達の援護もあり、なんとか義兄をベッドに押し込み寝かせることができたのは数十分後のこと。

 一度は布団に入ったのを確認し部屋を出たものの、様子を見に行ったジャンがベッドの中で書類を読むルイスを見つけ監視役として再度呼ばれることとなったのが、頼られたようで少し嬉しかったのは義兄には内緒だ。


 顔にかかった銀色の髪を軽く手で払う。

 いつも穏やかな笑みを浮かべている姿ばかり見ているから暖かな陽だまりのような印象を受けていたが、彼の持つ色の影響もあってか触れれば解けてしまう雪のような冷たさがあった。


「……お嬢様」


 微かに扉が開き光が漏れる。ジャンの小さな呼びかけに、リリアンは蝋燭の火を消して部屋を出た。

 恭しく頭を下げたジャンはリリアンの部屋にホットミルクを用意してくれたのだと言う。室内とはいえ少し冷えた身体には助かると、部屋へ足を動かした。


「本当に助かりました。坊ちゃんは我々がなんと言おうと仕事を辞めてくださらないので」

「そうなの? 今日は簡単に寝てくださったように思ったけれど」

「お嬢様だからですよ。あなた様は特別ですから」


 特別、という言葉を反芻する。


「わたくしはお義兄様の特別?」

「もちろんですよ」


 ジャンは当然のように頷く。それはきっと喜ばしいことなのだろうけれど、何か心の片隅に引っ掛かり、紅茶に蜂蜜を入れ過ぎた時みたいに上手く飲み込めなかった。


「……お義兄様のお仕事は大変そうね」


 返すべき言葉が分からなくて話を変える。なんとなしに思っていたことをリリアンが呟くと、ジャンは笑顔のまま複雑そうな感情を瞳に浮かべ「……私が話したことは坊ちゃんには言わないで貰えますか」と前置きをした。


「坊ちゃんは王都内で行える当主としての仕事も担っているのでごく一般の貴族のご子息達と比べて仕事量が多いのは確かです。しかし、しっかりと計画を立てて執務をされる方なので今までこのように忙しくされることはありませんでした」

「えっ、ではなぜ」

「坊ちゃんは今、先々の仕事までかなり前倒して行われています。その理由は伺っておりませんが……」


 リリアンの自室の前、足を止め、他のものに聞かれることのないように小声でジャンが言う。


「私達使用人ががなんと言おうと坊ちゃんは無理をしてしまいます。幸い急を要するお仕事は現在ありませんので、もし良ければお茶やお食事へのお誘いをお嬢様からして頂けますか?」

「……お義兄様は迷惑に思わないかしら」

「他でもないお嬢様のお願いであれば、何においても優先されると思いますよ」


 そう言い切ると丁寧な仕草でドアを引く。部屋に入ると薪の追加された暖炉の前の机にアデルがマグカップを用意していた。








「おはよう、リリアン」

「おはようございます、お義兄様。体調は如何ですか?」

「ああ、すっかり良くなったよ。昨日は心配をかけてすまなかったね」


 朝起きてダイニングに行くと、義兄が書類を手にしながらもゆっくりと紅茶を嗜み待っていた。

 立ち上がり近付いてきたルイスが、ぽん、とリリアンの頭に乗せた手はいつも通りの冷たさで、体調が良くなったというのも嘘ではないのだろう。


「お義兄様が元気になって良かったです」


 にこりと笑うと義兄の手がわしゃわしゃとさっき整えたばかりの髪を乱した。


「食事にしようか、今日はそういう約束だからね」

「はい!」


 義兄が訪ねてきたあと、バタついてしまったがためにてっきり忘れられているだろうと思っていたが、昨日した約束をしっかり覚えていてくれたらしい。それが嬉しくて弾んだ声を上げるとルイスはくすくすと笑った。

 ルイスに手を引かれて椅子に座る。ルイスが書類を使用人に預け自席につくのを待っていると、壁際で待機するジャンと目が合った。

 じっと視線を送ってくるジャンに小さく頷く。すると彼は応援の意を込めてか、手を腹の辺りに持ってきてグッと握り拳を作った。


「あの、お義兄様」

「なんだい」

「その、少しお願いがあって……ですね……」

「ああ」

「あの、ご迷惑でなければなんですけど、以前みたいに一緒にご飯を食べたり、その、お茶をしたりする時間を取っていただくことって、できないでしょうか」


 ただでさえ義兄に頼りきりなのにさらに頼み事をするのはやはり気が引けてしどろもどろになりつつも、義兄が無理をすることと天秤にかけて最後まで言い切った。

 太腿の上に重ねた手をじっと見つめ、落ちてきた髪が擦れる音に耳を澄ませる。

 ふぅ、と息が吐かれる音が聞こえて肩が跳ねた。


「もちろんだよ。他でもないお前の頼みなら、叶えない筈がない」


 陽だまりのような暖かさが降ってきて、リリアンは弾かれたように顔を上げる。

 優しい笑顔がリリアンに向けられていた。なのに、その瞳の奥に渦巻く感情は複雑で。それに気付きはしたけれど決して紐解くことは出来ないでいた。

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