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 季節過ぎ、冬。

 コスモスもダリアも枯れる前に花を摘まれ、屋敷内を彩った。といっても僅か数日にも満たない短い時間であったが。

 暖かな色に包まれた秋は終わり、王都中は雪に覆われ白銀の世界となった。花が咲く頃にはよく庭園でティータイムを楽しんだり、散策をしたりしていたのだが、窓に近付くだけで息が白くなっては億劫だとめっきり外には出なくなってしまった。元より屋敷の敷地外に出ることは稀であったため、リリアンの行動範囲はほぼ自室とダイニングに限定されている。


 あれから、リリアンのもとには時折王太子から手紙が届くようになった。

 それは、最初の手紙の時のようになにがしか理由あってのものではないらしい。リリアンが送った手紙にさらに返事をするような形で送られてきて、いつからか文通みたくなっていた。

 書いたのは取り留めもないことばかり。大抵が最近読んだ本の話と屋敷に咲く花のこと。あとは美味しかったお菓子の話と、たまに義兄のこと。

 屋敷の中だけという小さな世界で生きることについて、それが記憶を失ってからの普通だから窮屈に思ったことはないが、とはいえ王太子との文通は変わり映えのしない日々を色付けてくれるもののひとつであった。


「あら、今日もお仕事なのかしら……?」


 夕食の時間が近くなったためダイニングに向かうと、カトラリーが一人分しか用意されていない。

 近頃の義兄は随分と仕事が忙しいらしい。朝食こそ一緒に食べることが多いものの、紅茶とパンで済ませてそそくさと出て行ってしまうし、昼食と夕食には滅多に顔を出さなくなってしまった。

 二人でゆっくりと言葉を交わすことも少なく、少し寂しい。

 しかしそれを言っては困らせてしまうと分かっている。ルイスが一等リリアンに甘いのは彼女自身が一番理解しているのだ。


「お義兄様は執務室にいらっしゃるの?」

「いえ、まだお帰りになっていらっしゃらないようです」

「そうなのね。お帰りは何時頃?」

「申し訳ありません。遅くなるとしか伺っておらず」


 重ねられるリリアンの質問に、聞かれた給仕係の男は申し訳なさそうに言った。


「そう、ありがとう」


 ナプキンを膝の上に敷き、フォークとナイフを手に取った。誰と喋るでもなく黙々と食材を口に運ぶ。

 夜会に出たとルイスが自慢しシェフに作ってもらってから時折食卓に並ぶようになったキッシュロレーヌ。今ではリリアンの好物だが、なんだか少し味気ない。

 冷え込んだ冬の物悲しさも相まってか、どうにも食欲が湧かず半分ほど食べてフォークを置いた。

 シェフに謝っておいて、と伝え自室に下がる。


 早々に使用人を下げて暖炉の横に置かれた長椅子の上で足を伸ばす。クッションを膝に置き本を開く。

 記憶を取り戻してすぐは歴史書や実用書を読んでいたが、日に数冊も読むせいで書斎に置かれているそれらはほぼ網羅してしまい、今は義兄が新たに買ってきてくれた娯楽用の物語を読むようになった。

 今読んでいるのは商家に生まれた女性と上級貴族である男性の身分の差を超えたラブロマンスというものである。

 面白いかと言われると微妙だ。

 一応ルイスという恋人はあるものの、リリアンには恋愛というものが分からない。それどころじゃないというのが実のところだ。だから、ヒロインにもヒーローにも感情移入できないし、身分の違いに苦しむ二人を憐れむこともできない。ただ、愛する人と居られないことは悲しいことなのだろうと、分からないなりに予想をつけるだけ。

 しかしながら、人々、特にヒロインとヒーローの生活が事細かに描かれる恋愛小説は、記憶を失ったが故に少し浮世離れしているリリアンにとって良い勉強材料となっている。


 第二巻、身分が違うからと抑え込んでいた想いを吐露し二人がやっとお互いの気持ちを確認してハッピーエンドかと思いきや、ヒロインに別の相手から婚約が持ち掛けられ物語は幕を閉じる。

 そろそろ寝ようかとも思ったが、ここで終わってしまうのは少し忍びない。もう一冊読んでしまおうかと、サイドテーブルに置いた続編に手を伸ばすと、コンコンと扉がノックされた。

 パチパチと暖炉の火が爆ぜる音だけの室内に突然響いたそれにリリアンの肩が跳ねる。

 返事もできず、じっと見つめると再度ノックが繰り返されて「リリアン」と声が聞こえた。

 義兄の声だ。


「……は、はい!」


 クッションを横に退け、長椅子の下に置いていたスリッパを履き扉に駆け寄る。

 重厚な扉のドアノブを両手で引くと、廊下の明かりが漏れ、少し濡れた銀色の髪が覗いた。


「お義兄様?」

「すまない。起こしてしまったかな」

「いえ、本を読んでいたところです」


 そうか、と微笑んだルイスが片手に抱えた外套も水の跡があり、白い肌が赤く染まっている。外は雪が降りしきっているからそのせいか。今帰ったところなのだろう。


「夕食をかなり残したと聞いたけれど、体調が悪いのかい?」


 ただでさえ冷たい手が氷のよう。どういう意図なのか、リリアンの額に触れた。


「……熱はないようだね」

「ご心配をおかけして申し訳ありません。でも、体調は問題ありませんので……! 少し食欲がなかっただけで」

「本当かい?」


 ルイスの問いにリリアンはぶんぶんと勢いよく首を振る。まるで子供のような仕草に思わずルイスは笑みを溢した。


「もし体調に異変があればすぐに言うんだよ。最近は寒いからね」

「はい、必ず」


 リリアンの言葉にルイスは満足げに頷いた。


「じゃあそれだけだから。遅くに訪ねてすまなかったね」

「いえ、お話できて嬉しかったです」


 ぽん、と撫でられた頭に頬が緩む。


「あの明日は……」


 無意識に言葉が口をついて出て、しまったと手で塞ぐ。しかし冷たい指がその手を解いて、続きを催促する瞳がリリアンをじっと見つめた。


「……その、明日は一緒にお食事できますか」


 か細い声は、静寂の中だとよく聞こえる。

 ルイスは目を丸くしてから、そして目尻に皺を寄せ優しく言った。


「もちろん」


 短い返事に心が満ち足りた気持ちになる。


「本当ですか! ふふ、楽しみです」

「ああ。ぼくも楽しみだよ。じゃあ、おやすみ」

「はい、おやすみなさいませ」


 ひらりと手を振り背を向けるルイスを見送る。少し離れたところにいたジャンが外套を受け取り、何やら言葉を交わした。

 第三巻を読むつもりだったけれど、今日は早く寝よう。そう思い扉を閉めようとしたその時、廊下の向こうで義兄がぐらりと体を傾け膝をついたのが見えた。

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