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後編

(……この無駄な意地の張り合い(競技)について一つ、私は前提から勘違いをしていました。やはりこれは競技などではなく、無駄な意地の張り合い)


 佳代はゴール前で己を整えながら先ほどの敗因について考察する。

 具体的にはこの〝激突〟に対する認識を改めていた。


(あくまでルールを付け加え、競技らしく見せているだけ。本来、激突(これ)は日常の中に潜む一期一会の脅威。だからこそ潜伏することに絶大な意味がある……ですが逆を言えば、歩士はそれへの対抗策は持っていて当然)


 つまり、結論としてはこうなる。


(揃って開始する相対戦においては、恐らく死角から攻める潜伏(ハイド)は短絡思考的な愚策……方向性を変えなければなりませんね)


 そうして時計の針が動き、きっかり十五分。

 相対戦の第二ラウンドが幕を開けた。


「アメフト部、ラグビー部。第一陣、構え! ――突撃ッ」

「「うぉああああッ!」」

「続けて陸上部! 背後に回り込み、最速で突っ込み続けろ」

「「イエス・マイ・ドラゴンっ!」」


 指示を受け、三つの部活がそれぞれ駆け出す。


(素直な煽動型式(パペットスタイル)に切り替えてきたか……)


 煽動形式は周囲の流れを誘導し、物理的にも法律的にも自分に有利な状況を作り出す歩術だ。

 師に倣って我道型式(マイロードスタイル)の柳瀬川は、あまり得意とするところではない。


(声に出してるのは他の指示を隠してるんだろうが、さすがに向こうも純粋な駒の性能が足りていないことは理解しているはず。何が狙……――――っ!?)


 柳瀬川が佳代の巡らせた思案しようとした直後だった。

 それ以外の部活も何らかの意図を持ち、一斉に動き出す。


 佳代は背後に隠した左手のハンドサインで他の指示もすでに出し終えていた。

 これは特定の部活に所属せず、征徒会長として全てに身を置けるほどの実力を持つ彼女だからこそ可能な芸当である。


(第一陣は群体(コロニー)として、陸上部が神風(ミサイル)か? ハッ、理解(わか)ってきたじゃねぇかよ)


 横に当たり判定を拡大したまま猛進するアメフト部と陸上部を前に、柳瀬川は静かな笑みを返した。

 確かに女児から自称女の子まで幅広い層が得意とする群体は、潜在的な歩士たちのメジャーな型式ではある。

 しかしあまりにも主流であるが故に、そのデメリットも明確かつ大多数に知れ渡っているものだった。


「――が。弱者の群れに強度なんざねぇんだよッ!」


 群体の弱点。

 それは、肥大化して拡張された自意識がもたらす痛みの共感(エンパシー)効果にある。

 事実、柳瀬川がアメフト部のひとりを吹っ飛ばしたのと同時。幸運にも激突していなかったはずの部員たちから連鎖的に悲痛な声が鈍く響き渡った。


「な、なんだこの痛みぃいッ!?」

「し、知らねぇよ! こんな不思議現象ぉ!」


 屈強な肉体の持ち主たちの大半が、次々と膝から崩れ落ちていく。

 それでも中には強い意志で〝伝わらないはずの痛み〟を耐え抜いてみせた者たちもいた。

 彼らは朦朧とした意識の中を揺蕩いながら、柳瀬川の背後から泥臭く飛び掛かる。


「い、行かせるかァ!」

「会長に敗北の二文字は似合わんのだよおッ!」

「ナイス粘着(アンデッド)、褒めてやるよ――が、寝てろ」

「「あ、がぁッ!?」」


 柳瀬川は目も向けず、両手で彼らの後頭部に拳を振り下ろして芝生に叩きつけた。

 見据えているのは相対者――和城佳代、ただ一人。

 そして今、彼女は迂闊にも視線をわずかに肩先へと向けていた。


(……開始位置から動いていない? 一本目のダメージが残ってるのか、まだ。いや……短絡的か。虚言(ブラフ)の可能性も十分ある。が、同じくらい回復までの時間稼ぎという可能性も捨てきれない……)


 思考から判断まで要した時間は、およそ0.02秒。

 ほとんど反射に等しい次元(レベル)で行われた、確かな逡巡であった。


「――――っ!」


 柳瀬川の結論へ応えるようにして、再び佳代がハンドサインで指示を飛ばす。

 結果、繰り広げられるのは一本目と同様の圧倒的な蹂躙。

 しかし、それを俯瞰する佳代の表情に焦りの色はなかった。


(気付きましたか、柳瀬川瑛太。私の想定より二秒早い)


 佳代の肩の痛みはまだ消えていない。

 恐らくまともに激突し合えば、数日は後を引くと彼女自身理解していた。


外装型式(アーマードスタイル)は下の下なんだよ、歩士の風上にも置けねぇヤツらだなァッ!」

「ぶ、歩士になった覚えはねぐへぁっ!?」


 まばたきの度、柳瀬川によって生徒たちがフィールド外まで吹き飛ばされていく。

 迷っている暇などなく、佳代は彼同様の逡巡で一つの選択をした。


(彼はまだ、私の肩撃を受けてはいない。であれば――)


 自らはこの程度だ、と。そう思わせてしまえばいい。

 いずれにせよ少なくとも一度は、ダメージが残っていないと思わせる必要が佳代にはあった。

 そして二呼吸後、両者は再び文字通りの真っ向から激突する。


「「ぐ――――ッ!」」


 骨が粉末になりかねない破壊力を持つ衝撃が、わずかな減衰もなく双方へと伝わっていく。

 二人の周囲には誰も近づけない物理的な圧も生じているほどだ。

 エリートである龍泉寺の生徒と言えど、その領域に立ち入ることは許されない。

 この場においてそれを成せるのは、審判を務める礼華ただひとりだけだった。


「この程度かよ、どの辺が全知全能の競技破壊者ジ・オールマイティーブレイカーなんだってんだ。あァ!?」

「ふ。案外、余裕がないと口数が増えるタイプだったりするのかしら」


 苦悶を笑みの奥に隠し、佳代はどうにか常と変わらない声色で煽り返す。

 互いに一歩も譲らないぶつかり合いは、しかし一瞬。

 歩士の後退が敗北を意味する以上、それは必然だった。

 おのずと肩先は()()、交錯するように二人は別々の道を突き進んでゆく。


()()()()()……その、はずだ。だが―――)


 肩圧だけで薄皮数枚を持って行く肩力かたぢからを前に彼は内心、焦りを抱いた。

 柳瀬川の師である礼華は服の上からでも肉体の真価が理解る。

 一方で彼まだ、肌と肌で触れ合うことでしか相手の真価を測ることができない。


(確かに師匠の言う通りだ。伊達なんかじゃねぇ)


 柳瀬川自身、すでに理解していた。肉体的な観点で言えば、自身は彼女に劣っていると。

 今、激突して〝激痛〟で済んでいるのは、これまで幾千万と道行く他人とぶつかり合った経験の結果でしかないのだと。


 そうして交錯を終え、仕切り直しの距離が生まれた直後。

 佳代は無駄のない無駄な転進を見せ、甲高い指笛を吹き鳴らす。


「「ごわすごわす、ごわす!」」


 柳瀬川の頭上。彼を覆うように降り注いだのは影――相撲部の股間の影だ。


「その程度の重量で俺が押し潰せると思ってんのかァ、デブッ!」

「失敬な、我々はぽっちゃりっ!」

「それにただ節制できない輩と一緒にされるのはしんガハァッ!?」


 声を発するために息を吐き出した瞬間。ふくよかな股間を一方的に拳を振り上げ、迎撃する。

 尻の穴まで届くのではないかというほどめり込んだ一撃は、彼の意識を刹那で吹き飛ばした。

 しかし、同時に。強固な廻し越しに柳瀬川の拳へ反発する強い衝撃が生じた。


「なッ、グッ!」


 相撲部の股間が文字通り炸裂し、廻しごと爆発したのである。


(まわ)しに爆竹を仕込んでやがったのかっ!? なんのために!?」

「痛いのは気持ちいい。そんだけでごわァッ!」


 気絶した生徒の代わり、もう一人の相撲部が堂々と断末魔をあげた。

 彼とて数名ならばまだしも、十名を越える巨漢ともなれば腕に負荷が掛かってしまう。

 隙とも言えないわずかな隙。だが、少なくともこれまでで一番の好機であることは確かだった。


 そこへすかさず仕掛けてきたのは、水着女子の大群――水泳部員である。

 彼女たちの手には、龍泉寺高校の全女学生に支給されているスタンガンが備わっていた。


「「食らいなさい、痴漢撃退フォーメーション!」」


 柳瀬川はこれを何ひとつ防御することなく自然体で受ける。


「やった、当たった!」

「えぇ! 佳代お姉さま、今で――……」


 直撃。その事実に嬉々とした声の傍で、常人ならば気絶している電撃を浴びせられたはずの彼は、まるで何事もなかったかのように平然と振舞っていた。


「ひぃ、な、なんで……!」

「悪ぃな。痺れとか熱湯とか(そういうの)、昔から慣れてんだ」

「「きゃあああっ!」」


 まばたき一つする合間に、水泳部員たちの水着を一蹴りで破裂(バースト)させる。


「着用衣類の破裂を確認。対象者は速やかにフィールド外へ退去を。再度参加する場合は、衣服を身に着けてくるように」


 女子たちにそう促すのは審判の礼華だ。衣服を失った者はもはや一般通行人ではない。単なる露出狂の犯罪者。

 よって歩士ではなく社会のルールを適応し、フィールドから強制退去となるのである。


「な――っ、そんなルールがっ!? こんな時だけ急にまともになりやがるなですわっ!?」


 裸に気を取られた一部の男子共も蹴散らし、柳瀬川は連続して飛来する球体を軽やかに回避する。

 野球部、サッカー部、バレー部による遠距離射撃だ。


 見事としか言いようのない精度の弾幕を潜り抜け、今度は防具をつけた剣道部を先頭にその他大勢の部員たちも集団で突撃を仕掛けてきていた。

 さらにバスケ部、テニス部、バドミントン部も時間差で絶え間ない射撃を叩き込んでくる。

 そんな文字通りの弾雨を全身を巧みに操り、凌ぐ中。柳瀬川は佳代が視界の死角へ消えたことを察知する。


追跡型式(ホーミングスタイル)で来るか……!)


 身体的な死角から仕掛ける潜伏型式とは異なり、視界の通行人に溶け込みながら真っ向から激突を仕掛ける。それが追跡形式だ。

 どちらにも行い自体に大きな差はない。だが後者には――歩士としての志に、矜持に、格に絶対的な隔たりが存在していた。


「30秒ォオオオオオッッ!!」


 突如、サッカー部のひとりが大音声をフィールドに轟かせた。

 すると呼応するように攻撃のリズムが劇的な変化を見せる。

 突撃する者の背を射撃の威力で押し、加速を与え始めたのだ。

 そして、変化に適応するためのほんのわずかで、些細な重心移動が――勝敗を分けた。


「見事だよ、柳瀬川瑛太。素晴らしい」

「チッ、来ると思ったぜ、征徒会長さんよォ!」


 どこからともなく斜め前方の至近に姿を現した佳代の肩撃が、柳瀬川に()()()

 ――ドクンッ。


(なんだ……?)


 激突の瞬間、佳代は今までに感じたことのない高揚感のような熱を下腹部に宿す。

 一方で両者のぶつかり合いを見守っていたまゆと礼華は、共に同種の感想を抱いてもいた。


(あたしのセンパイの敵ながら上手い……! 当然、激突にも個々でやりやすいフォームがある。あらゆる環境での激突を強いられる歩士の戦いにおいて、フォームの数は地力の証明に他ならない! だとしてもやっぱり、100パーセントのパフォーマンスには届かないことが大半……!)

(――つまり、言い換えればそれは同格かそれ以上の相手にフォームを崩された場合、九割がた敗北が確定するということ。ここを耐えるならよし、ダメでも三本目に活路を繋げるんだ)


 愛弟子(我が子)を想いながら、それにしても、と。礼華は心の中で逆接する。


(和城佳代……たった一戦で相対戦とありのままの激突にあるギャップに気付いたか。やはり一般通行人にしておくには惜しい逸材だよ、もしかすると次代の女王クイーンは――――……いや、違ったか。お前がワタシに言ったんだ。ワタシは、お前に負けるまで負けるにはいかない。そうだろう、瑛太)


 事実。彼女が懸念した通り、二本目の決着までにさほどの時間を要すことはなかった。

 柳瀬川の敗北。彼は〝わずかな姿勢の乱れ〟から生じた流れを立て直せず、尻もちをついたのだ。

 しかしこれは柳瀬川が、というよりむしろ佳代を称賛するべき結果と言える。


 相対戦開始前までは沸いていた嘲笑も、今ではすでに止んでいた。

 球技者は除いたとしても、格闘技を中心とする部活に所属する者たちは明確に肌で感じ取っていたからだ。柳瀬川瑛太――彼は、自分たちよりも格上なのだ、と。


「――私の勝ちだな。どうする、後がないぞ柳瀬川瑛太」

「言い訳はしねぇ。ただ振り出しに戻っただけだ。征徒会長さんこそ、せっかく一本取ったってのに妙に浮かねぇ顔じゃねぇかよ」

「……そんな表情(かお)はしていない」


 立ち上がる柳瀬川に背を向け、佳代はフィールド外へ足を向ける。

 その様子を見ていた観客――主に文化系部活の者たちが怪訝な疑問符を投げた。


「なんか……色々とごちゃごちゃ殴ったり蹴ったりしてるけど、肝心の激突部分の決着はあっさりしてるんだよな。結構拍子抜け、というか……結局なんなんだ、この競技」

「分かるその感覚。よく知らねぇし知りたくもねぇけど、公式戦……? でもこんなんなのかね」

「――――っ!」

「やりましたね、会長! この調子で次もいって、あいつを理解(わか)らせてやりましょう!」


 そんな風に嬉々として声をそろえる役員たちを見る佳代の相貌は、確かに柳瀬川の指摘通り仄かな暗さを含んでいるものであった。

 彼女自身、何故に対する解答を持たない。故に佳代は問い掛ける。


「……そんなに嬉しいか?」

「えっ。そ、それは勿論です。当然じゃありませんか。どんなにくだらない勝負でも勝って嬉しくない、それはもう精神異常者ですよ」

「そうか。そうだな……あぁ、その通りのはずだ」

「か、会長?」

 

 一方で二本目を取られた柳瀬川サイドの空気は、勝敗以上に張り詰めていた。

 これ以上は後がない。それは紛れもない事実だからだ。

 ベンチにゆっくりと腰を下ろした彼に、礼華は淡々と言葉を告げる。


「肉体的にはもちろん。割り切りの良さ、思い切りの良さ、負けん気の強さ。精神面においても、どれも一級品だ。だがあと二つ、今の彼女に足りないものがある。それが分かるかい、瑛太」

「ふ、ふたつもあるんですか?」

「……一つは経験、ですね」


 柳瀬川の返答に礼華は頷く。


「もう一つはなんなんですか?」

「まゆ。すぐに答えを聞こうとするのはお前のよくないところだよ、と言いたいところだが。なに、恐らくは三本目が始まればすぐに分かるはずさ」

「競技破壊者が、競技破壊者たる所以(ゆえん)……ですか」

「???」


 愛弟子の零した言葉に礼華は薄い笑みを浮かべ、まゆはさらに混乱していた。

 そうして再度、十五分の小休止を経て三本目の幕が開く。


 二本目と同様。生徒たちが先陣を切り、柳瀬川がそれを退ける。

 同じ手段。同じ過程。差があるとすれば、純粋な〝駒〟の頭数と委縮、精度だった。

 

(会長は、一体どうされてしまったのだ……? 先程から何の指示もくださらない)


 三本目。佳代は開始直後から文字通り、一歩も動いていなかった。

 少なくとも部下である彼らは、そのような作戦など聞いていない。

 誰の目にも明らかな異変。であれば動きの質も大きく下がるのは道理だろう。


 当然、柳瀬川も彼女の変化に気が付いていた。

 また、佳代の中に芽生えた何故に対する解答を柳瀬川は持ち合わせている。

 そして彼は口ではなく己を拳で、言葉以上の想いを語った。


 同じように足を止め、吶喊してくる生徒たちを弾き飛ばしていく。

 停滞。それから数分続いたその光景を見ていた誰かがぽつりと感想をこぼした。


「――なんだこれ、激突ってホントにいつもこんな感じの試合なの?」

「…………ちがう」


 壁へ語り掛けるかの如く、佳代は自らにだけ言い聞かせる声で呟く。


「……違う、違う! 絶対に……違うッ! ()()()()()()()()()()()()()()()……ッ!」

「ハッ、自分の気持ちに素直になるのが遅ぇんだよ! だがそれでいいッ! 今一番強いお前を倒さなきゃ、俺は勝っても満足なんか出来やしねぇんだから、よォッ!!」

「「「うわァアアアアアッッ!?」」」


 柳瀬川を取り囲んでいた生徒たちが、やはり一斉に吹き飛ばされる。

 彼と彼女はただお互いだけを見据え、激突という恐らく大多数がくだらないものだと切り捨てる戦いにおいて、初めて真に相対していた。


 佳代は己が進路に倒れる部下を踏み越え、ひたすらに真っ直ぐ進んでいく。

 誰にも道を譲らないという確固たる意志を宿したその眼は、間違いなく歩士そのものであった。


「か、会長。ど、どうしぎあッ!?」


 獰猛な獣に等しき姿を目にし、観客や彼女を慕う者共に激震が走る。彼女は乱心したのだ、と。

 それ以外の見方をするひとり――まゆは、その姿に柳瀬川の言葉の真意を悟った。


(競技破壊者が競技破壊者である所以……そうか。そういうことだったんですか、センパイ! 競技を破壊できるということは、その競技について理性であれ本能であれ本質的な理解があるということ。してしまうということ! 和城会長は恐らく前者! だからその才能故に反射的に嫌悪してしまうんだ、これまでの戦いが歩士同士の本来あるべき姿とは、かけ離れたものなんだと……っ!)

(……素晴らしい、和城佳代。そうだ、それこそ真の歩士としてお前に足りないもの。表面的な理屈や理性を捨て去り、本能のまま己の身一つで他者へぶつかっていくその傍迷惑さ(エゴ)こそがッ!)


 さながら巨人の行進の如き強く重い一歩を踏みしめながら、二人の歩士は往く。

 接触の直前に最高速へと至る走りは、まるで示し合わせたかのような呼吸の一致だった。

 

 元来、激突における決着は長期戦にはなりづらいとされている。

 それは抜肩(ばっけん)が言わば、武士における居合のようなものだからだ。

 立ち合い、斬り結んでいた死合いから命のやり取りだけを差し引いた刹那の戦いこそが〝激突〟なのである。


 二人だけの世界に、混ざり合った汗雫が飛び散る。

 すでに五度目の激突だった。これは通常の激突の中でもかなりの稀な事態だ。

 つまり、互いの実力も技術も疲労も何もかもが拮抗していることの証明に他ならない。

 これは柳瀬川の師である礼華にとっても予想外。だが、同時に願ってもない僥倖でもあった。


(凄まじいな。まさか一合を経る度に瑛太の技術を吸収し、その一歩先を出力し続けるとは。和城佳代……彼女は、瑛太にとっての運命なのかもしれない――そう、あの日のワタシのように)


 ――あの日までの柳瀬川の世界で、最も〝強者〟であったのは両親だった。

 どれだけ叫び声をあげても、懇願しても、絶対に聞き入れてはもらえない。圧倒的無力感に包まれていた日々を、彼は生涯決して忘れることはないだろう。


 だが、あの日。道幅の狭い高架下のトンネルでの出会いが、全てを一変させた。

 柳瀬川が人類の中で、誰よりも強いと思っていた両親を完膚なきまでに叩きのめした彼女との出会いが。


 冷静になって考えれば、一切避けようとしない彼女に人格的問題があることは幼い彼にもすぐに理解できた。それでも、そんなことはどうでもよかったのだ。

 世界の敵が気絶する中。高架下でのやり取りは、彼の胸に今も刻まれている。


「ちょっとくらい罪悪感はないのかよ」

「あぁ、ないね」

「ふ、普通あるだろ。譲り合いの精神とかそういうの」

「譲り合いの精神? そんなものは母の胎盤に置いてきたよ。ワタシはね、産まれる時も妹に産道を譲らなかった。本能的に理解していたんだ。譲らなかった方がこの先の人生で優位に立てると、ね。事実そうだった。ワタシはね、生まれてから一度も妹に何かをねだられたことはない。逆に向こうは今日までずっとワタシの言いなりだよ。あはは」


 クソみたいな女だと、柳瀬川は思った。けれど自分にはできないことができる、尊敬に値する人でもあった。

 白目を剥いて倒れる両親の姿は、本当に……本当に本当に痛快だった。愉快だった。爽快だった。

 そして同時に、柳瀬川は己を悟ったのである。


(……こいつらでも負けるんだ。ぼくが今〝こう〟なのは、ただぼくが弱いからなんだって)


 それから柳瀬川は嫌がる礼華につきまとい、なし崩しに弟子となった。

 力をつけ、技術を学び、心を震わせ、両親にぶつかっていって、彼は家を飛び出したのだ。

 結局、色々な波乱があって養護施設預かりになったが、今は礼華に引き取られている。

 すなわち鏑木礼華というダメ人間は、柳瀬川瑛太にとって救世主であり、恩師であり、親も同然だった。


「俺はあの人に勝つまで……誰にもぶつかり負けるつもりはねぇんだよッ!」

「そんなことはぁ、私もなんだよ。柳瀬川瑛太ぁあッ!」


 ――いいよね、佳代は天才だから。

 卑屈な眼差しでそう訴えかけてきた中学生の姉と高校生の兄を殴り飛ばしたのは、小学三年生の頃だった。


 和城家は代々、勝利者の家系である。

 政治や経済を始め、各業界にあらゆる根を張り、貪欲に成長を続けてきた肉食一家。

 恵まれた環境、恵まれた血筋、恵まれた出会い。恐らく他の誰もが望むもの全てを、彼女は持っていた。


 何をしても上手くいった。将来への不安も、自らへの落胆も何ひとつない理想的な生活。

 だが、彼女において一つだけ決定的に欠けているものがあった。

 

 それは、対等な好敵手(ライバル)だ。

 当初、佳代は身内に期待した。だが、彼女は和城家という枠組みにおいても突出して異端だった。

 故にあらゆる場所へ、まだ見ぬ誰かを佳代は求めた。

 そんなある日。偶然にも見つけたのが年下の少年――柳瀬川瑛太であった。


(初めてだ。初めてなんだ、こんな気持ちは。こんな高鳴りは……! こんなに勝ちたいと思ったことは今まで一度もなかった……ッ! しかし同時に、彼に負けて欲しくないと思っている私もいる)


 これまでの誰かと同じように、折れてしまうのではないか。

 彼とはこれっきりの、一度限りで関係が終わってしまうのではないか。

 それだけが佳代の不安であり、勝負の世界において自らを敗北へと誘う油断と言えた。


「これで終わりなのかよ、和城佳代ォッ!」

「――っ、まだ。まだ終わらせはしない……ッ!」

(こいつ、瞬間的に肩汗をかいて摩擦抵抗を……!)


 その体術は、柳瀬川も体質的に会得不能な技術であり、戦いの中で披露してない。

 にもかかわらず汗という防御術へこの短時間で辿り着いたのは、彼女のセンスであった。

 さらに激突の度、柳瀬川から肩転(けんてん)技術をも吸収し、今ではもう写し鏡と言っても差し支えないレベルまで急激に引き上げられている。


 まごうことなき天才の所業――だが、故に柳瀬川は佳代を青天させることができた。

 晴天の下で敗者は勝者を見上げ、礼華は高らかに宣言をする。


「和城佳代のグラウンドヒップにより、この相対戦――柳瀬川瑛太の勝利とするッ!」

「か、会長が……負けた?」


 生徒たちにかつてない動揺がもたらされる。それでも当人はただ一人だけを見つめていた。


「分からない。何故……こんなあっさりと、態勢が崩れたんだ」

「こういう言い方は不本意だが……あんた、俺の真似をし過ぎたんだよ。途中まではともかく、最後の方は俺が師匠にずっと指摘されてた癖――興奮してくると重心が左足に偏るのが、そのまま出てきてた。だから肩のスナップの利かせ方で有効打になるのは、最後まで見せなかった。そんだけだ」

「そう、か……」

「だからその、なんだ。()()()俺の勝ちだ。気が向いたら今度こそ白黒つけようぜ」


 今度。次。またの機会。自身を負かした柳瀬川から出たそんな〝未来〟を示す言葉に、佳代は無邪気な子供のように破願する。


「柳瀬川瑛太ッ、やはり……やはり、私の目に狂いはなかった! この気持ち、まさしく愛! お前こそが私の運命! 私が許す、私を抱けッッ!!」

「「――――ッ!?」」


 柳瀬川と礼華以外の誰もが、彼女の一言一句に絶句した。

 ここまで明確な好意を寄せる姿を、誰ひとり目にしたことなどなかったのだから当然である。


「はァ? 死んでも嫌だね。俺は俺より強い女にしか興味ねェんだ」


 柳瀬川はそう言って礼華に視線を向ける。


「いやあ、モテる女は辛いね」

(ゼッタイ、コロス。ゼッタイ、コロス。ゼッタイ、コロス!)


 対する礼華は軽薄に笑い、その姿を目にしたまゆは嫉妬の炎をつのらせていた。


「つーか激突部が残った以上、俺はお前に用はねぇよ。どうしてもって言うんなら……そうだな、俺に勝ってから言えって話だ。ま、負けたら今度は俺がお前に執着するかもしんねぇが……お互い様だろ」

「本当だな、()()()。言っておくが、私は信じられないほどしつこいぞ。必ず抱かせて見せるからな」

「同じこと何度も言わせんな。二言はねぇんだよ」


 それから柳瀬川の手を取り立ち上がった佳代は、深呼吸の後で普段通りの征徒会長として振舞いながら申し訳なさそうに続ける。


「……それはそれとして、ごめんなさい、エータ。勝負に負けておいてなのだけれど、廃部に関してはもう遅いわ。私は理事会の穏健派を叩き潰したから承認を得たからこそこの〝文化部廃部計画〟を実行に移したの。だから今更、私ひとりが手のひらを返したところで過激派連中の勢いは止められない」

「関係ねぇな。誰にも俺の邪魔はさせねぇ、俺は自分の信じた道を行く。そっちが向かってくるって言うなら、真っ向からぶつかっていくだけだ」


 柳瀬川はそう断言する。何故ならば、


「――俺は、歩士なんだからな」

正直なところ本当はもっと攻防を書きたかったはずが、いつまでも書き上がらないので断念しました……。


以下、型式(スタイル)のとりあえずの分類です。


我道型式(マイロードスタイル):絶対に道を譲らないことを信条とする者たち。

潜伏型式(ハイドスタイル):完全な認識外の死角からの激突を得意とする。

煽動形式(パペットスタイル):物理と法律の双方に強い場合が多い。

群体型式(コロニースタイル):横に広がり、肥大化した自意識から全く避けない。

粘着型式(アンデッドスタイル):絶対に敗北を認めない、強き心の持ち主。

神風型式(ミサイルスタイル):狙いはなく駆け抜けるついでに当たってくる。

外装型式(アーマードスタイル):肩ではなく手荷物や背負い物で激突する外道歩士。

追跡型式(ホーミングスタイル):歩士の視界内の死角から通行人に紛れて激突する。

七分刈型式(セブンソードスタイル):最大で七割避けるが、それ以上は避けない。男に多い。

三隣亡型式(スリーデマンドスタイル):最大で三割しか避けないが、ほぼ避けない。女に多い。

仁王型式(アレストスタイル):急停止し、倒れないことで勝利を掴みに行く。

免罪符型式(インダルジェンススタイル):老いた歩士や人の親になった歩士に多い。

変異性型式(アノマリースタイル):説明できない奇行種。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


現在はこの他、


『昔から何でも話してくれた幼馴染にある日突然「昨日、彼氏ができたんだよね」と言われ、クラスの女子に泣く泣く相談したら幼馴染の彼氏の幼馴染と付き合うことになった。』


というラブコメと、


『Project:Embody〜ガシャ運のない俺が、長年使えない雑魚だとバカにされてきたカードたちの真の実力を引き出し、世界最強にのぼりつめるまで〜』


というロボ小説を書いていますので、そちらもよろしければぜひご一読ください。

改めてありがとうございました!

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