前編
――武士。
それはひとことで言うなれば、武芸や戦闘を生業とする者の家系に連なる者だ。
平安時代から存在した武士は、当然ながら令和現在。
時の流れと共に形骸化し、本来の在り様もろとも過去となっている。
武士はもはや一つのジャンル・コンテンツとして消費され、様々な変遷を経た〝誉れ〟だけが伝わるだけのものとなってしまったのだ。
「い、たぁっ! ちょっと、どこ見て歩いてるんですか!」
「ハァ?」
某駅構内。オフィス街へと続く改札口前。
歩きスマホをしていたひとりの女がボディビルダーのような男の肩先に触れ、弾き飛ばされた。
「あぁっ、私のスマホがっ! べ、弁償してもらいますからっ!」
「おいおい、負けたからってそれは通らねぇだろ。キサマは〝人の流れを無視し、歩きスマホをしていた〟。それが何よりの証だ」
「な、何を意味の分からないことを! もういいです……!」
女は男が頭のおかしい筋肉達磨だと悟り、諦めてその場を離れようとした。
だが、男は女を逃さない。
彼には彼なりの理由が――〝誉れ〟があるからだ。
「しらばっくれるなよ、ババアァッ!!」
「きゃあっ」
「そんな声を出す歳でもねぇくせに、都合いい時だけ女を使ってんじゃねぇぞ!」
「な、なっ……」
女は、かぁと顔を赤くしながら周囲に助けを求める。
しかしそこは日本人。我、知らぬ存ぜぬ関与せず。
男がマッチョなことも手伝い、女を助けようとする者はいなかった。
駅員さえ、さすまたで対処できるか不安に思いながら狼狽している。
――その時だ。
「お、っと。悪いね、おじさん」
ひとりの男子学生が男の肩にぶつかった。
さらにあろうことか、態勢を崩された男はそのまま尻もちをついてしまう。
自身が二回りは体格で勝る学生風情の肩先によって、だ。
「なん、だと……?」
男の瞳が驚愕の色に染まっていく。
今、彼にとってはあり得ない、否――あり得てはならないことが現実に起こっていた。
「こ、このおれが……〝駅中の虐殺暴君〟と呼ばれるこのおれがッ、激突間合に他人の接近を許す……だと? き、キサマぁ! 何者だぁっ! 名を名乗れェ!」
「俺か? 俺は龍泉寺高校二年、激突部部長。柳瀬川瑛太」
少年、柳瀬川は空のような爽やかさで身をひるがえす。
それから相手よりも自身が上だと誇示するように、不遜な態度で告げた。
「てめえと同じ、誉れ高き――〝歩士〟のひとりさ」
――説明しよう! 歩士とは文字通り立派に歩く者のことである!
さりとて、彼らもただ歩いているわけではない!
かつて武士同士で行われていた〝鞘当て〟。
路上でのすれ違いなどで起こったいざこざの原因であり、現代日本に左側通行を定着させたきっかけであるそれを、歩士たちは己が強肩で再現しているのだ!
刀ではなく肩を振るい、血潮ではなく汗雫を流し、魂と魂をぶつけ合う。
それこそが現代に蘇りし武士――――〝歩士〟なのであるッ!!
*
龍泉寺高校は、あらゆるスポーツで上位の成績を叩き出す強豪校として知られていた。
反面、文化部は目立った成績がなく。校内に存在する体育派と文化派のパワーバランスは数十年前から完全に崩壊している。
そんな龍泉寺高校において、激突部は文化系部活に含まれていた。
これは部員不足も関係しているが、何よりOBを含めた関係者各位に体育会系と認められていないことが主な原因である。
「あっ、瑛太センパイ。おはようございますっ」
「おはよう、新沢」
新沢まゆ。
彼女もまた激突部の一員であり、れっきとした柳瀬川の後輩だ。
「で。これは何の騒ぎだ?」
「そ、それは……」
柳瀬川が視線を向けたのは、広大な敷地面積を持つ龍泉寺高校。
その校内広場に設置してある屋外掲示板にできた人だかりに対してである。
「――文化部への一斉廃部通告だよ、瑛太」
「師匠」
鏑木礼華。激突部の顧問であり、柳瀬川の師でもある女性だ。
確かに人だかりをよく見れば、男女問わずむさくるしい肉付きの生徒が狂喜乱舞し、もやしのように細枝な生徒たちは呆然とその肩を力なく落としている。
「どうにかならないんでしょうか、ライカ師匠っ。あたし、センパイとの愛の巣がなくなるなんてゼッタイ嫌ですっ!」
「少なくともワタシ個人の力ではどうにもならないね。龍泉寺では結果が全て。つまり、征徒会こそ全てなんだよ」
「――さすが、よくご存知ですね。鏑木先生」
校舎から、さながら大名行列のように従者を引き連れる姿が言った。
彼女の存在に気が付いた体育会系部員たちも、次々とこうべを垂れて跪く。
異様ではあるが、これも龍泉寺では日常的な光景だった。
「てめぇの差し金か、征徒会長さんよ」
「えぇ、その通りです。柳瀬川瑛太」
和城佳代。
龍泉寺高校歴代最強とまことしやかに囁かれる文武両道、才色兼備の征徒会長だ。
自身をねじ伏せられる男にしか興味はなく、それでいて対等な者でなければ恋愛対象にならないと公言しており、これまで叩き潰した男女は数知れない。
「我が校に文化系部活など不要。それは誰の目にも明らかでしょう。現状の文化系部活は、体育会系部活の激しい競争から弾き出され、ドロップアウトした者の受け皿に過ぎません」
佳代の言葉を受け、背後に控えた征徒会役員たちが「イエス・マイ・ドラゴンッ!」と声を揃える。
「龍泉寺に弱者は必要ないのです。この場にいる誰もが、我が校が運動部に力を入れ過ぎていることは知ったうえで入学を希望したはず。負けてなお生き恥を晒すなど言語道断。普通の青春が送りたければ、潔く龍泉寺を去ればいい。にもかかわらず、貴方たちは無意味に存在し続けている。私はただ、そんな無様で滑稽な者たちを介錯しようというだけのことです」
「「イエス・マイ・ドラゴンッ!!」」
役員だけでなく他の生徒たちの声も加わり、放たれる〝圧〟は圧倒的だった。
半端な覚悟の持ち主では、己の意見を述べることすら敵わないだろう。
だが、柳瀬川は明確かつ正確に思っていることをストレートに告げた。
「ハッ、相変わらずだせぇ掛け声だな」
「当然でしょう、これは敗者に精神的な逃げ道を与えるためのものなのですから。強過ぎるというのも考えものなのです。困ったことに歯向かってくる敵がいなくなってしまいますから。圧倒的な実力差を前に打ちのめされた負け犬は皆、決まって『強いけど、ダサい』と吠えるのですよ」
「そうかい、なら和城佳代さんよ。俺が今、てめぇに何を言おうとしてるか分かるよな?」
微笑みを浮かべる佳代が柳瀬川を見る目は〝女〟だった。
それに気が付いたまゆは、独占欲と敵対心を剥き出しにして猛獣のごとく唸る。
「えぇ、もちろん。二重の意味でイエスです、柳瀬川瑛太」
「激突部……いや、この際ついでだ。全文化部の廃部阻止を賭けて二年F組出席番号三十二、柳瀬川瑛太がてめぇ――和城佳代に〝龍戟戦〟を申し込むッ!」
柳瀬川がそう言い放った途端、派閥に関係なく周囲一帯へ激震が駆け巡った。
しかし無論。大半が罵詈雑言であり、勇敢と褒めたたえるものではない。
「ば、バカがッ……! 会長に勝てるわけがないだろ!」
「いくら何でも無茶だ……その自信は自惚れ! 文化部特有の夢見すぎな妄想の出来事!」
「はっ、あんな態度で〝学校に来たテロリストを撃退する〟タチだったってわけかよ。笑えるぜ!」
「知らねぇのか。〝全知全能の競技破壊者〟と言えば、和城佳代会長だぞっ!?」
「あぁ、確か……前回の龍戟戦でも、部費の大幅減額にキレ散らかしたドカ食い気絶部を二十ハ人抜きしたはず! 文字通り常軌を逸した怪物だぜ……ッ!!」
そんな渦中においてただ二人、毅然とした態度で振る舞う者がいた。
まゆと礼華だ。
(やーん。センパイ、超かっこいいーっ、しゅきしゅき愛して抱き締めて~っ!)
(そうだ、瑛太。立ち塞がるもの全てに激突してこその、歩士だ)
宣言を受け、思い描いた通りの展開に佳代は破願する。
胸に宿るのは、未知なる強敵を前にした高揚感と幸福感。
兼ねてより彼女は窺っていたのだ。
校内において自分と真に対等たりうる可能性を孕んだ相手との、決闘の機会を。
「いいでしょう。ですが負けた場合、貴方には征徒会に所属してもらいます」
「「――――ッ!?」」
「いいぜ。あんた確か、勝負はこっちの競技でしかやらないんだったよな。それならベーシックルールを採用した相対戦だ。文句ねぇな? 初心者だろうが関係ねぇ、激突はスポーツだってことを骨の髄まで教え込んでやる」
「ふっ、他人に激突することをスポーツと呼ぶなど笑止千万。画面の向こうで得意がるだけで身も心もだらしない者が多い、eスポーツの方がまだ幾分かましです」
「ハッ、言ってくれるじゃねぇか」
佳代の口から飛び出した思いもよらぬ提案を耳にし、役員の間に動揺が走る。
その中でひとり、眼鏡をかけた征徒が臆せず口を挟んだ。
「お待ちください、会長。このような輩、我ら征徒会には――……」
「取り巻きの雑魚はすっこんでろ」
「――――なッ、貴様!」
「えぇ、黙りなさい。目障りよ」
崇拝する彼女に一蹴され、彼は柳瀬川を鋭く睨みつける。
当然、彼は柳瀬川の眼中にない存在だった。
「いいからとっとと始めようぜ、征徒会長。歩士に二言はねぇ」
*
――説明しよう! 龍戟戦とは龍泉寺高校伝統の決闘である!
生徒間で生じた争いに決着をつけるために行われ、龍戟戦に臨む者はそれぞれ対価を差し出して互いの身を喰い合う。
まさに竜闘虎争! まさに群雄割拠!
それこそが血沸き肉躍る龍戟戦であったッ!!
――重ねて説明しよう! 【ベーシックルール・相対戦】とは歩士の激突方式の一つである!
その1:〝歩士は激突開始時、相対していなければならない〟
その2:〝歩士は如何なる理由があろうとも背面方向へ進んではならない〟
その3:〝歩士は両手・両尻がフィールド底面に触れてはならない〟
その4:〝歩士はフィールド外の物体に接触してはならない〟
その5:〝歩士は歩士に対し、肩と二の腕以外で接触してはならない〟
その6:〝歩士は歩士を殺してはならない〟
以上のことを守りさえすれば、他は何をやっても許される!
それが歩士同士の基本的な相対戦なのだッッ!!
「――理解したわ。けれどこれは少し、私に有利すぎるんじゃないかしら」
龍泉寺高校が誇る広大な人工芝のグラウンド。
そこに千人規模の龍泉寺生が一堂に会していた。
しかし大半が体育会系部活の生徒であり、文化系部活との差は歴然である。
「関係ねェ。歩士同士の戦いは本来、通勤ラッシュの最中や何気ない人混みの中で起こる。だからフィールド内にどんな奴が何人いようと、そこに不満を漏らすのは筋違いってヤツだ」
「……そう。まぁ、貴方が構わないのなら遠慮なく」
「つーわけだ。制限時間なしで二本先取の三本勝負。もしくは気絶、降参で決着。九時ちょうどにスタート。審判は礼華師匠。それでいいな?」
「えぇ、承知したわ」
今回、柳瀬川がフィールドに選んだのはサッカーコート。
つまり、相対中。白線より外側に出ることはできないということだ。
柳瀬川と佳代はそれぞれ、ゴールのある位置に移動していく。
「瑛太センパイ、あたしは味方ですからね!」
「……新沢てめぇ。割り込んできたらその無駄にでけぇ胸、全部ちぎるぞ」
「わかってますよー、もう。えっちなんですからっ。まぁ、センパイなら別に見られてもいいんですけどねっ。きゃー、言っちゃった!」
ひとり小躍りするまゆを無視し、柳瀬川は師である礼華に目を向ける。
彼女はいつも通りの仏頂面で淡々と視線に応えた。
「ワタシから言うことは特にないが……一つだけ。彼女、和城佳代の〝全知全能の競技破壊者〟の異名を伊達や酔狂だと思うな。以前目にした限り、あれは本物だ。一本は普通にやれば取れるだろう。だが、問題は二本目以降……気を引き締めな、瑛太。負けたら師弟関係は解消だよ」
「分かっていますよ」
礼華とまゆが柳瀬川のもとを離れていく。
彼の周りに残ったのはニヤけた柔道部と空手部の面々だけであった。
「……どんなヤツが何人いようが関係ねぇ、そう言ったよなぁ?」
「幼稚園児よりましな理解力があれば、確認の必要はねぇと思うが。普段プロテイン、哺乳瓶で飲んでんのか?」
「こ、殺すッ!」
現時刻は八時五十九分。
時計の針だけが静かに激突開始のカウントを刻んでいく。
そして――
「死ねぇええええッ、柳瀬川ぁああああッッ!!」
本来キーパーが位置を取るゴール前。
恵まれた身体付きの男子生徒たちが柳瀬川の四方から一斉に襲い掛かる。
「っは! 開始一秒で決着か、呆気なかったな」
野次馬たちの感想はどれも似たようなものだった。
ほとんどの体育会系部活の生徒たちは柳瀬川を嘲笑する心支度をする。
しかし、続く現実は彼らの妄想とは大きく異なるものだ。
「……ぬりぃ、甘ぇ。この程度かよ、龍泉寺の体育会系ってのは」
「「――――なッ!?」」
柳瀬川は一歩も動いていなかった。
まるで足から根を張る巨木ように、最初からそこに聳える山のように。
投げも、手刀も、突きも、裏拳も。
全て彼はその身一つで受け切っていたのである。
「バカな! あり得ない! 少なくとも今、〝抜根斎〟の氷室さんと〝兜割り〟の前島先輩、〝鎧砕き〟の大川、〝裏拳の魔術師〟の和田くんが同時に仕掛けたんだぞッ!?」
「カスぞろいだ、つってんだよオラァッッ!」
柳瀬川は凄まじいパワーで柔道と空手部を容赦なく殴り飛ばし、圧倒した。
その姿を傍で目にしたひとりが、思わず息を呑んだ後で指摘する。
「ぁ……る、ルール違反だろ! 歩士は肩以外使えないんじゃなかったのか!?」
「あァ? てめぇらがいつ、歩士になったんだよ。てめぇらは環境の一部にすぎねぇ、ただの一般通行人だろうが」
「そ、そんな理屈がとがバぶッ!」
柳瀬川は戦場で無意味な論を唱える彼を気絶させ、両足を片手で掴む。
それから最初の威勢が嘘のように委縮した生徒たちを見やり、告げた。
「つーわけで、てめぇら。そんなに俺と遊びてぇなら折角だ、サッカーしようぜ」
「「え、あっ、あ……」」
「てめぇら全員、ボールだけどなァッ!」
「そ、それは野球だぁあああッ!」
蹂躙という言葉が相応しい光景だった。
壊れる度にバットを交換しながら向かってくる全てを薙ぎ倒し、柳瀬川は突き進んでいく。
(ルールの文面を考えれば、この程度の解釈は想定の範囲内。ですがあれでは今、自分がどこにいるのか主張しているようなものでしょう。そして生物としての力量差を考えれば、今いる生徒では大した時間稼ぎにはならない。ならば、ここは潜伏しながら一気に距離を詰めるのがベストの選択!)
柳瀬川自身がこの人数差を許容した時点で、佳代は〝使えるものを使う〟ことを卑怯とする考え方をすでに捨て去っていた。
故に彼女は控えていた役員たちに視線を送り、各部活の統率を指示する。
(本来なら私自ら指揮したいところですが、私からの指示を受ける生徒の些細な所作で位置を逆算されかねない。指揮の手段はこれが通るか通らないか、それを見てからでも遅くはありません)
直後。佳代は陸上部も真っ青なスプリントでフィールドを駆け抜ける。
それは風を切る音さえなく、男子オリンピックも目ではない超人的な加速だ。
(……連中の動きに意図が加わった。潜伏型式か?)
潜伏型式とは、死角からの急襲を得意とする歩士の基礎的な歩術のことを指す。
〝駅中の虐殺暴君〟が今朝、歩きスマホおばさんに対して行ったのも、彼を屈服させた柳瀬川が行ったのも同様の技術によるものだった。
柳瀬川は一般人をちぎっては投げ、やや顎を引いてわずかに視線を下へ向ける。
こうすることで周辺視野が横から左右斜め後方まで広がり、首を振らずとも眼球の動きだけでかなりの視野が確保できるのだ。
(分かりやすい誘導だなァ。我らが会長様の道を、おれがつけてやるって気概がビンビンじゃねぇか。流石にそれは通らねェよ)
柳瀬川は徐々に、敵を吹き飛ばす方向の比重を前から上へ寄せ始めた。
生徒たちは次々と雨のように降り注ぐ障害物となる。
無論それは、偶発的な命中を期待しての行いではない。
真の目的は別にあった。それは――
「うぉっっ、すげぇ飛んだ!」
「馬場先輩……あんなえぐい下着履いてんだ……」
「実は柳瀬川ってやべぇんじゃねぇか?」
「あぁ、うちの学校でも上澄み中の上澄みだろ」
「なのに当たり屋みてーなことやってんのかよ……バカなのか?」
野次馬たちの視線が上へ向き始める。
柳瀬川は真意を悟らせぬようこれをしばらく継続しつつ、敵の動きを待った。
そうして程なく。その刻は訪れた。
(――――ッ! 背後に殺気っ!? 一体いつ……)
やや遅れて彼女は気付く。
投げ飛ばされてきた生徒の背中についた、靴の跡に。
そう、いきなり跳び上がっては周囲の視線で策が露呈してしまう。
故に野次馬たちの視線をズラす必要があったのだ。
だとしてもこれは、佳代相手にこれ以上ないタイミングでやってのけた柳瀬川の実力によるものであり、真似できる者は恐らく数えるほどしかいない芸当であった。
(……やりますね、柳瀬川瑛太。さすが私が見込んだ男! 投げつけた生徒の、そのさらに上を飛び越えて来るとは!)
「オラァアッ!!」
背後から左の肩撃が佳代の右肩部へ放たれる。
だが彼女も前へ踏み出して必死に身をよじり、わずかでも威力の減衰と回避を試みた。
それでも柳瀬川の研ぎ澄まされた肩撃の初速は、佳代が加速する際の初速を上回る。
「ぐッッ!」
衝撃は佳代の右肩の制服を破り去り、内部まで届いていた。
「せ、征徒会長が苦悶の声を……?」
「マジかよ。おれ、初めて聞いたぞ……」
「え、えっちだ……」
戦いの行方を至近で見守っていた生徒たちも思わず足を止め、口をあんぐりとさせる。
打たれた勢いのまま、佳代はルール上回りくどくなる動きで高速反転。
真っ向から激突する意思を見せた。しかし、
「随分とお優しいじゃねェか。が、一つ教えてやる。他人を押しのける覚悟のねぇヤツが、歩士同士の戦いに勝てる道理はねェんだよッ!」
「――――ッ!」
柳瀬川の指摘は正しい。
佳代自身、この判断は周囲への配慮による不本意な選択だった。
つまりそう。人間離れした二人の動きに驚き、足を止め、戦場で通行人から野次馬に成り下がった者共に彼女は横の退路を塞がれたのだ。
柳瀬川がトドメを刺すべく、駄々洩れの殺気を纏う。
そして、それを目にした佳代の判断は――
「……下がったな。まずは一本。どうする後がないぜ、和城佳代」
「それはどうかしらね」
瞬間、柳瀬川から殺気が消える。
第一ラウンドが終了した以上、これ以上の激突は許されない。
「公式ルールに倣うならインターバルは十五分だ。異論ないな?」
「えぇ、当然よ」
柳瀬川と佳代の両名はそれぞれコート外のベンチに足を向けた。
無事に一本先取した彼をまゆが出迎え、校内の自販機で買ってきたドリンクを手渡す。
「どうぞ。やりましたね、瑛太センパイ!」
「…………」
「センパイ?」
ベンチに腰を下ろした柳瀬川は、彼女の言葉に応じなかった。
と、彼のそんな態度の原因を理解する礼華がやって来て言語化する。
「避けられないと見るや否や、鮮やかな引き際だね。敵ながらいい判断だよ、彼女」
「……はい。それに俺、一撃で沈めるつもりで肩を入れたんですよ。それなのにあいつ、平然と耐えやがった。しかも……」
「――――ッ!」
直後、柳瀬川の制服の一部が限界を迎えて弾け飛ぶ。
「自分から仕掛けて服を破裂させるなんて小学生以来だ。自信なくすぜ、全く」
それらの事実を受け、まゆは驚愕した。
当然の反応だろう。敬愛するセンパイの肩力がどれほどか、彼女は身をもって知っているのだ。
「ま、そう落ち込むことはないさ。思うにあれは、どんな一撃でも必ず一撃は耐えられるタイプ。そういう頑丈さを感じたよ。恐らくワタシの背後からの一撃も耐えるだろうね」
「「…………っ!」」
「〝女性優先社会の末路〟と恐れられる師匠に、そうまで言わせるほどですか」
意地でも道を譲らない我道型式を極め、十三代目〝激突女王〟を襲名するまでに至った師の言葉は、彼女を目標とする柳瀬川にとってはひどく重いものだった。
「おや、嫉妬かい?」
「そりゃそうですよ。俺はいつか……師匠を越えるつもりなんですから」
「フフ。ならこんなところで負けている場合じゃないだろうね」
「分かってますよ」
インターバルの大半を消化し、柳瀬川は再度ゴール前へと向かう。
「センパイ、次で決めちゃってください!」
「おう」
一方で征徒会ベンチの佳代は、常日頃から役員に持たせているアイシング道具一式で肩を冷やしながらゆっくりと息を吐き出していた。
(すごい、十分以上が経過してもまだ痺れてる……実家の凶暴な愛馬に蹴られてもまるでびくともしなかったこの、私の腕が……)
和城佳代はかつてない昂ぶりの渦中にあった。
久しく忘れていた胸の鼓動が、己を新しい段階へ導いてくれる。
そんな確信めいた予感を彼女は感じ取っていた。
「申し訳ありません、会長……」
「いや、いい。あれは私のミス。まぁ、それでも一つ言い訳をするなら最近は団体戦ばかり出ていたから、といったところか」
佳代はアイシングとタオルを取り、席を立つ。
「次は私自ら指揮を執る。そして参戦する者に予め言っておく。フィールド内のお前たちは〝駒〟だ。その覚悟がある者だけが出ろ。いいな?」
「「イエス・マイ・ドラゴンッッ!!」」
生徒たちの意思は揺らぎないものであった。
もはや柳瀬川瑛太を下に見る者は、少なくともこの場にはない。
彼らもまた、強者として強者を認める志を持つからである。
そして、数分後。
―――第二ラウンドが始まる。