駄メイドの使い用 / 帰省、北海道。
今日から本格的にメイドの仕事が始まろうとしていた。第一歩としてメイド達は"彩葉にできること"を探そうとしていた。15歳の彩葉は初めての仕事に胸を膨らませていた。
――料理
「まずは料理をやってみましょう。"料理のさしすせそ"は知っていますか?」
「???」
「いいですか、料理のさしすせそとは"砂糖、塩、酢、醤油、味噌"をいいます。日本料理の多くはこれらの調味料をベースに味付けがされています。今日はその中でも代表的な肉じゃがを作りましょう。」
彩葉はレシピを教わりながら、作り始めた。
「バシャ……」
「それっ砂糖じゃなくて塩です!!」
「ドバァ……」
「もうっそれは醤油じゃなくて中濃ソースです!!」
彩葉は色々間違えた。
「なんですか、この吐瀉物のような液体は……」
――掃除
「お分かりの通り、この家はとても広いので、それだけ掃除が重要です。まずは掃除機をかけてみましょう。」
メイドはそういい、掃除機を渡した。
「ウィィン……」
「ガガガッ……」
「助けてっ! 髪の毛がっ! 食べられてるよっ!」
「……」
メイドは少し呆れ始めた。
「次は雑巾掛けをしてもらいます。」
メイドはそういい、雑巾と水の入ったバケツを渡した。
「このように雑巾を水で……」
「バシャッ……」
「ご、ごめんね……?」
メイドのお手本を前に、彩葉はバケツをひっくり返した。
「――いい加減にしてください!!」
結局、彩葉の仕事は"食材の買い出し"に落ち着いた。
――ある日の朝
「はーちゃん! 旅行に行こう!」
津雲が唐突に旅行を切り出した。
「どこに行くの?」
「それは着いてからのお楽しみ!」
その後も彩葉がいくら尋ねても、一向に行き先を言おうとはしなかった。
「きっとはーちゃんのためになるから行こ!」
彩葉はまたも勢いに押されて行くことになった。
――空港に到着
「ガチャッ……」
「いってらっしゃいませ。」
運転手はそういうと、滑走路で二人を降ろした。
「どうしてこんな所で降りたの?」
自分の知っている搭乗の流れではなく、そう尋ねた。
「ハハハッ。そうだね、普通なら空港ラウンジからチェックインして搭乗するかな。」
そういい、しばらく歩いた。すると視界に一台の飛行機が入り込んだ。
「あれが今回乗る飛行機だよ。僕の自慢のプライベートジェット、最高時速はマッハ1、目的地まですぐに着くさ。」
彩葉は一つも二つも次元の違う言葉に呆然たる顔を浮かべた。
津雲に押され、機内に乗り込むと、そこは別世界のようだった。
「この飛行機の中には、シアタールームやボーリング場、温水プール、シアタールームなど多くの施設が入っていて、移動すらも楽しくなるように配慮されているんだ。」
「流石、津雲財閥……」
彩葉は驚きの数々に、ただ感心する境地に至っていた。
二人は目移りの激しい多種多様なアクティビティでしばらく遊んだ。
離陸から大体1時間ほど経過したころ、機体は着陸態勢に入っていた。
「ドンッ……」
「着いたみたいだね」
津雲がそういい、彩葉は窓から外を見た。
(この景色、見たことある……)
彩葉は何故か咄嗟に嫌な予感がした。
「welcome back to 北海道!」
「なんで知ってるの……?」
(私、返されるの。ずっと居させてくれるって……)
彩葉の実家は北海道だった。少し前に調べていた津雲はそれを知った上で、この旅行を計画していた。
「メイドちゃんが調べてくれてね。もしかして一生帰らないつもりしてたの? 君はまだ未成年なんだよ?」
津雲がそういうと、八方塞がりな状況に口を噤いだ。彩葉は、この後行く場所をすでに察していた。
「行きたくない……」
彩葉は、その本音を溢れるように発した。
「悪いけど、決定事項だ。」
彩葉の複雑な反抗心に罪悪感を抱きつつも、その意志は固く、押し通した。
「……」
彩葉は、抗えない現実に絶望感を抱き、再び迫り来る過去に恐怖を感じていた。
一台の黒塗りのセダンが目の前で止まった。
「ガチャッ……」
いつもと違う運転手が降りてきた。
「例の場所まで頼むよ……」
沈黙の中、二人は車に乗り込んだ。
「……」
「はーちゃんのお父様、藤宮不動産の社長さんなんだってね。」
「あいつのことなんて知らない……」
「僕はね、君を無責任にどうこうしようなんて考えてないからね。」
「なら、行きたくない。何故行くの? 結局津雲も他の大人たちと同じなんだね……。」
「……」
彩葉の台詞に、再び沈黙が始まった。しかし津雲の表情は不甲斐なさよりも冷静さを感じさせるものだった。
しばらく経った頃、車が止まった。
「津雲様、到着いたしました。」
そういうと車を降り、ドアを開けた。
「いってらっしゃいませ。」
(はぁ、帰りたい……)
蘇る実家の風景に、恐れや不安を抱いた。そのとき、彩葉の脚は思考を失っており、ただ津雲の行先に着いて行くしかなかった。
「ピンポーン……」
津雲が躊躇なくチャイムを鳴らすや否や、一人の女が勢いよくドアを開けた。
「彩葉っ! 心配したのよ……。」
女は彩葉の母親であった。待ち構えていたかのような早さで飛び出した女は、彩葉を勢いよく抱きしめた。数十秒の抱擁の後、気が済むと冷静さを取り戻した。
「申し訳ございません。居間で主人がお待ちしております。どうぞお上がりください。」
「いえいえ、急に押しかけてしまい申し訳ございませんね。」
女の応対に従い、津雲一向は自宅に上がり、居間に移動した。
「……」
居間には彩葉の父親が鎮座しており、重厚な威圧感でこちらを見上げた。
「家のバカ娘のためにこんな遠くまでご足労いただき、実に辱い。今日に至るまでにかけたであろうご迷惑数々、父親として謝罪申し上げる……。」
そういうと彩葉の父親は深く頭を下げた。
「お気になさらず、結構ですよ。娘さんは常識があって迷惑なんて。むしろ楽しかったですよ。」
暗い雰囲気の中、津雲の言葉に場が少し和んだ。
「彩葉! 一体どこで何をしていたんだ! どれだけ周りの人間に迷惑をかければ気が済むんだ!」
父親の低く威圧的な声は、彩葉を震撼させた。
「……ダッ!」
その凍ったような空気の中、彩葉の口は開こうとしなかった。その居心地の悪さに耐えかねた彩葉は本能的に逃げ出だした。
「そうやって、また逃げるのか!」
「バンッ……!」
強く締められた引き戸の音はしばらく響いた。音の余韻は津雲と父親しか居なくなった静寂な空間をさらに静かに感じさせた。
「……」
二人の沈黙は長かった。
「バタッ!」
津雲は父の前に位置を変え、勢いよく頭を降ろした。
「――どうされたんですか!」
財閥当主、津雲の唐突な土下座に、父親は動揺を見せた。
「しばらく僕のもとで面倒見させてください!!」
「!!!」
父親は、なんの脈絡もない津雲の言葉にしばし絶句した。
「娘さんがほんの数ヶ月前に保護施設を抜け出したことはすでにご存知かとは思います。しかしなぜこれほどにお父様の元を拒絶し、あれだけ大変な目に遭いながらもこうしして家出を続けているかご存知ですか……。」
「津雲殿には関係あるまい……」
津雲の問いに、父親の目線は下を向いた。
「関係なくありません! "家出少女"として子供時代を過ごした人の未来を考えたことはありますか。利用されるだけ利用され、疲弊しきった人の心身はそう簡単には治らないんです。もし今日ここで引き取ったとしたら、数日も経たずにまた逃げ出すでしょう。」
「じゃあ、鍵をかけよう……」
「監禁することが娘さんのためになると本気でお考えなのですか。」
「……」
「娘さんには落ち着いた環境で、少しでも考える時間が必要だと思います。そして僕はその環境を提供したい。この私を信じてお許しいただけないでしょうか。」
「バタッ……」
津雲は再び土下座をしてみせた。そんな有力財閥の当主ともあろう者の姿に、父親はぞんざいな応対はできなかった。
「津雲殿、頭を上げてください。参りましたよ。この件は津雲財閥のご厚意として有り難くお受けいたしましょう。聞きたいことは多々ありますが、津雲殿を信頼しましょう。」
そんな父親の台詞に、津雲の表情は明るくなった。
「ありがとうございます!!」
話が一段落を迎えたころ、母親が引き戸を開けた。
「バタッ……」
母親は津雲の真横で勢いよく土下座をした。
「娘をよろしくお願いします!」
ただそれだけを言うと、しばらく頭を上げなかった。
――夕方
「そろそろお暇させていただきます。」
津雲のその言葉に、真っ先に駆け寄ったのは彩葉だった。その表情は何か言いたげであった。
「津雲……」
「はーちゃん、もう少しだけ僕のわがままに付き合ってくれないかい?」
「!!!」
彩葉の目は、まるで待っていたかのように見開いた。すぐに津雲のもとに駆け寄り、離れようとしなかった。
「しばらく娘さんを預からせていただきますが、津雲財閥の威信に懸けて、決して後悔はさせません。彩葉ちゃんのお父様、お母様、安心して待っていてあげてください。」
そういうと津雲は軽く頭を下げ、彩葉を連れて車に乗り込んだ。車内は混沌とした空気の中、しばしの静寂があった。
「ご両親とは話せたかい……?」
津雲の言葉に、彩葉は少し名残惜しそうな表情を浮かべる。
「お母さんと少し話せた……」
彩葉の表情はもう少し話したかった後悔と久しぶりに話すことができた嬉しさの二つが感じられた。
「そうか、それは良かった。」
津雲は自身の勝手な正義によって、親子を離れさせたことに少しばかり罪悪感があった。
「本当によかったのかい?」
彩葉の本心を掴みきれない津雲は最後の確認をした。
「うん……私、変わりたい。このまま家に引き取られてたら元に戻っちゃう気がするの。だから少しでも希望があるなら、私は津雲について行きたい……」
「任せてほしい」
彩葉自身の言葉に、津雲の決意はさらに強くなった。
「てかさ、私のためにあそこまでするとはな……」
「え……もしかして全部聞こえてたの?」
彩葉は別室から津雲と父親の会話を一部始終聞いていた。
「聞きたくなくても、あんな馬鹿でかい声で喋ってたら耳に入るよ、土下座するんだ……」
彩葉の蔑むような目は、津雲自身に羞恥心を与えた。
「はーちゃん……やめて……」
「フフフッ……」
津雲の赤くなった額をみて、彩葉の表情は一気に緩んだ。
「はーちゃん、笑わないでよ!!」
津雲の必死な抵抗の中、彩葉の表情も次第に静かになった。
「でも、ありがとう。だって私のためにあそこまでやってくれるなんて思ってなかったから。だから私、頑張る。もう逃げないで向き合ってみることにする。」