怒れる王子
外に向けての部屋の片面が、全て切り取られたかのようになくなっていた。
ヒュオオォォォ~という、風が部屋中に広がる。というか、外と同化している。
建物が砕け落ちる音もなく、気が付けば外にいるような感じである。
いや、ここは城の中だ。
そして、多分だがここは中央階部分にあたるのではないか?
ここからでは地面が見えないので、かなりの高さがあるようだし、上にもまだ建物があるように思う。
他もどうなっているのか調べたいのだが、縄で拘束された体は寝台から出ることを許されない。
寝台の隣にいた姉二人は、自分達の目の前の足場がないことに腰が抜けたようだ。お互いを抱きしめながらも、ヘロヘロと座り込んでいる。
そういえばと、扉の付近にいた騎士と侍女頭を見ると彼らはどうにか立ってはいるものの、その体は硬直してしまっているようだった。
メアリールは……大丈夫。ちゃんと自分の隣で穏やかに眠っている。
オーランはもう一度、なくなった部屋の一部に目を凝らす。
すると頭上から、すぅ~っと人の足が降りて来た。
そのまま時が止まったかのように呆然とその姿を眺めていると、その整い過ぎた美しい容姿には見覚えがあった。
異国の王子。いや……。
化け物!
オーランは自分の血が引くのを感じた。
美し過ぎるその顔には、表情というものが存在していない。
こちらを見る目には、光がまるでないのだ。
ガタガタと震えだす自分の体を、縄で縛られていることを別にしても、オーランにはどうすることもできない。
そんな彼がゆっくりと部屋を見渡すと、自分に視線を止めた。
そして見る見るうちに、その目には光が宿っていったのだ。
「メル!」
突如発せられたその声に、大きく体を揺らす。
気が付けば彼は隣で眠っていたはずのメアリールを抱えて、寝台から離れて飛んでいる。
「メル、メル、メル!」
メアリールの名前を呼び続けるレピュテイシャンに、ハッと我に返ったオーランが慌てて声をかける。
「大丈夫だ。体に異常はない。薬で眠っているだけだ」
オーランの言葉が耳に届いたのか、その動きを止めたレピュテイシャンがオーランを視界に入れた。
ビクッ!
オーランは先程よりも、明らかに向けられた殺意に身がすくんだ。
「貴様……、貴様がメルを攫ったのか?」
今までとは違う声色に、先程よりも激しく震えだす体。
「メルには手を出さないと思っていたが、どうやら俺の買い被り過ぎだったようだな」
信じていたと言わんばかりの言葉に、オーランはハッとする。
そうだ。オーランがカッタス国に手を貸した時も、レピュテイシャンには怒った様子はなかった。
全てを知ったうえで、オーランの計画に乗り、見逃してくれた。
それもこれも全て、メアリールには手を出さない。
これが彼の怒りの条件だったのだ。
メアリールさえ巻き込まなければ、彼は怒ることはなかった。
謎の国の……魔物に匹敵する力を持つ国の王子。
そんな彼を本気で怒らせたのだと、オーランは初めて気が付いた。
倒れないのが不思議なぐらいの怒気を浴び、オーランは青ざめることしかできなかった。
「命乞いはしないか。良い度胸だ」
そう言って、口角を上げるがそれは微笑ではない。
そのまま、すうっとメアリールを抱えたまま外に出ると、部屋に向かって片手を翳す。
「ならば、死ね」
ドンっと言う音と共に、体が支えられない程の熱風をその身に感じる。
ああ、私は死んだのか。
そんな風にどこか冷静な自分を感じたが、少し後ろに下がっただけでどこにも痛みは感じない。
「いい加減にしろ、この馬鹿!」
聞いたことのない美しい声が、硬直した体に響き渡る。
そっと目をあけると、そこにはレピュテイシャンと同じ黒い羽を広げ、外に浮かんでいる女性がいた。
オーランは目を見張る。
彼女の美しい容姿もさることながら、その女性はレピュテイシャンに向かって両手を翳しているのだ。
その手には何かが胡散したかのように、煙が漂っている。
「邪魔をするな、キアラ」
「するさ。お前それ放ったらこの国ごとなくなるぞ。メアリールの国を滅ぼしてもいいのか?」
「メルを害するものはいらない」
「そのメアリールが悲しむぞ。いいのか?」
「そう思って助けてやったのを、無下にしたのはこいつらだ。その責任はとってもらう」
「ふざけるな。魔物をやっつけたのは私だぞ」
「だからどうした。勝手に出てきたのは貴様だ」
「おっまえ~」
二人が言いあうのを傍観するしかなったオーランは、謎の美女がフルフルと震えだしたかと思うと、その手から何か黒い靄が浮かび上がったのを見た。
「馬鹿野郎!」
そう言うと同時に、その黒い靄をゴウッという音と共にレピュテイシャンに投げつけた。
その威力は凄まじいものであったが、レピュテイシャンはそれを難なく片手で弾き飛ばした。
それは遥か先の山を粉々にした。
「あああ~、何すんだよ。お前、山に生き物が住んでいたらどうするつもりだ? 女王に怒られるだろう」
「お前こそ、分かっているのか? 俺の腕の中にはメルがいるのだぞ」
「あああ~、ずるい、せこい。メアリールを盾にする気だな」
「気付いてもいない奴が、何を言う」
山一つを一瞬にして粉砕して、拍子抜けする会話を放つ美女に、オーランは呆気にとられる。
どうやらこの美女は、怒れるレピュテイシャンを止めようとしてくれているようだった。
だが、少々残念な思考の持ち主であるようで、どうにもレピュテイシャンを止められようもない。
その内、癇癪を起し始めた。
「ああ、もうどうなってるんだよ。いつも冷静なパズも部下も、お前の行動を止めようとしないし。私一人が必死じゃないか」
「本気の俺を止められる奴なんて、いないからな。皆よく分かっている」
「じゃあ、分かっていないのは私だけだと言いたいのか」
「お前は馬鹿だからな」
「キイ~~~!」
空中で地団駄を踏む謎の美女。
「分かったら、そこをどけ。こいつらは、消す」
「だから、力加減しないとそのままでは、こいつらの命だけではすまないんだって。国ごと亡びる」
なんの感情も籠らないレピュテイシャンの声を聞きながら、オーランは己の、王族の過ちを噛み締める。
メアリールを攫って、レピュテイシャンを怒らせたのは姉上達だが、これも全て王族の傲慢さが招いた結果だ。
これは私の罪だ。
「レ、レピュテイシャン、殿下」
オーランは震える口で、どうにか声を出す。
レピュテイシャンが感情のない瞳で、こちらを見る。
「私の、この命で償う。だから、どうか国だけは、助けてくれないだろうか?」
「俺を本気で怒らせておいて、安くはないか?」
「安いな。私の命など、君の怒りの前では塵にも等しい。だが、すまない。私には差し出せるものが、これしかないのだ」
「そうか。ならば潔さに免じて、それで許してやろう」
「ああ、ありがとう。恩に着る」
そう言って、オーランは目を閉じる。
良かった。私の命などなんの価値もないが、それでこの国が守られるのならば、こんな幸せなことはない。
「オーラン!」
「やだ、オーラン」
近くで姉達の声が聞こえる。
腰が抜けて動けないでしょうが、できるだけ離れてください。貴方達まで巻き込まれますよ。
どうしようもない我儘な姉達だが、それでも血を分けた姉弟だ。自分一人の命で許してもらえるのなら、姉達まで死ぬ必要はない。
「オーラン様」
「オーラン様!」
姉達に巻き込まれた騎士達の声が聞こえる。
先程も身を挺して守ってくれた騎士達と同様、この者達も騎士としての信念をもって仕えてくれているのだろう。
姉達に巻き込まれて可哀そうなことをした。
どうか無事に生き残れたら、その職務が全うできるように配置換えしてもらえるといいな。
そんな風につらつらと考えて、僅かに目をあけるとレピュテイシャンの片手に黒い靄が集まっていた。
ああ、あれを放たれたら私は死ぬのだな。
そうしてもう一度、目を閉じる。
「……レピュ、もういいでしょ」
生きて二度とは聞けないと思っていた、澄んだ美しい声がオーランの耳を優しく包む。
オーランは自分の体から、力の抜けていくのを感じた。