第三王子は目撃者
「……腹、減ったな」
人々が寝静まった時間。
ペタペタと城の廊下を歩くのは、私室で引きこもりを決め込んでいたこの国の第三王子、オリバーである。
第一王子のオセアンが妻の国に行く際、シーツにくるまっているオリバーを心配して、少しでも気がまぎれるようにと、何冊かの本を置いていってくれた。
ほとんどがオリバーの好きな冒険物語で、余計なことを考えたくないと思ったオリバーは数冊の本を寝室に運び、誰も邪魔をするなと従者達に言い含め、熱心に読みふけっていたのだ。
そして気が付けば、人が寝静まる時間。
昼食も夕食もすっ飛ばしていたことに、愕然としてしまう。
「こんなに本を読んだのは、いつ以来だろうか?」
廊下に設置されている蠟燭の明かりを頼りに、厨房へと向かう。
侍女を呼んで用意させても良かったのだが、なんとなく気が引けた。
自分は今まで、どれほどの人間に我儘を言って来たのだろう?
メアリールにハッキリと否定されたことで、少しだけ自分の行いを考えさせられる。
それでも結局は、私室に引きこもって周囲の人間に迷惑をかけているのだから、改善はされていないようなのだが。
「パンでも残っていると、いいんだけど……」
そんなことを呟きながら歩いていると、空き部屋から明かりと共に人の話し声が聞こえてきた。
こんな時間に誰か起きているのか? とドキッと心臓が音を立てたが、見回りの騎士かと思い、そっと部屋を覗き込んでみた。
少しだけ開いていたその扉の隙間からは、見慣れた顔がハッキリと見えた。
オーラン兄上だ。
それと……誰だろう?
この国の者とは、少し系統が違うようだ。
ジッと目を凝らすと、首元に雫のような入れ墨がされている。
確かあれは、隣のカッタス国の人間が好んで刻んでいる印だ。
服装はこの国の物だが窮屈なのか、首元を寛げさせているのでその入れ墨がよく見える。その数は三人。
だが何故、カッタス国の人間がこの城にいるのだ? ここは、王族の居住区の近くだぞ。
どんな理由にしろ、こんな簡単に他国の人間が城の中枢部に潜入しているのは危険すぎる。
しかもどうして第二王子であるオーランが、こんな深夜にこんな場所で他国の人間と話している?
間諜を見つけて問いただしているようには見えない。
相手はカッタス国の人間だというのに、どうしてそんなに穏やかに話しているんだ?
カッタス国はこの国チェルリア国を狙っているともっぱらの噂で、政の嫌いなオリバーでさえ警戒している国なのだ。
そんな国の人間が目の前にいる違和感に、オリバーの額からは汗が溢れ出る。
必死に息を殺し、その様子を窺っていると、兄上が「約束しろ」と少し声量を上げた。
「お前達が欲しいのはレピュテイシャンの身柄だろう。メアリールには絶対に手を出すなよ」
「分かっていますよ。第二王子自らが手引きしてくださるのです。彼女の安全は保障しますよ」
「!」
バッとオリバーは扉に背を向ける。
ドックンドックンと心臓が早鐘を打っている。嫌な汗が背中を伝う。
なんの会話をしているんだ? 兄上が手引きをする? なんの? レピュテイシャンの身柄? メアリールの安全?
混乱する頭を必死で振りながらも、詳しく話しを聞こうともう一度、隙間から中を覗く。
話しは終わったのか、第二王子は隣の扉から出て行った。
後に残されたのは、室内にいるカッタス国の人間であろう怪しい三人と扉から覗く第三王子。
「全く、平和ボケした国の王子は、扱いやすくて楽だな」
「他国の王子を要人として招いておきながら、その王子が自国で姿を消した場合、全責任は己の国にあるということに気が付いていないのか?」
「いや、あの王子なら分かっているだろう。それでもその責任を全て被ってでも、奴を排除したいという考えが勝ったのだろうな」
「そこまでして手に入れたい女とは……少し興味があるな」
「やめとけ。いくらいい女でも我が国の王子に差し出せば、壊されるのが目に見えている。あの方達は、女を玩具としてしか見ていないからな。攫って届ける労力を考えれば、割に合わない」
「ブリック国の王子なら、その価値があると?」
「もちろんだ。先日の奴の羽を見たか? 空を自由自在に飛ぶ魔道具。あれさえあれば、この国など簡単に落とせる。いや、他の国にだって手を伸ばせるぞ。それに箝口令が出てはいるが、もっと凄い魔道具をこの国で披露しているはずだ。それらを見て、この国の奴らは彼らに逆らってはいけないと判断し、第二王子が欲している女を差し出したのだからな」
「宰相の娘らしいな。第三王子の婚約者だったとも聞いた。それほどの女をわざわざ婚約破棄までさせて、ブリック国の王子に献上したのだ。どれほどの魔道具か俄然、興味がある」
「だが、一度攫おうとして失敗に終わったという話しを聞いたぞ。我々が潜入する前の奴らがしでかしたことだ」
「ああ、あれは間抜けな話しだな。奴ら噴水に座っていた王子を布袋に押し込んだらしいのだが、城から出て見ると大きな犬に変わっていたらしい。どうやって王子と犬を見間違えたのだ? しかもその犬がやたら狂暴で、三人共急所を噛まれて、いまだ療養中だとよ」
「まさか、それも魔道具。なんてことはないよな?」
「幻影を見せる魔道具か? ……ふむ、ありえなくはないな。まぁ、それも奴を手に入れれば全て分かることだ」
オリバーは愕然とした。
今の奴らの会話が本当ならば、オーラン兄上はメアリール欲しさに敵に手を貸したことになる。
そして奴らの最終的な狙いは、この国だ。
戦争が起きる。
血の気が引き、扉を背に震えだした手をもう片方の手で強く握る。
すぐにでもこの場を立ち去りたいのだが、腰が抜けて思うように動けない。
青ざめるオリバーの耳に、先程とは打って変わった調子の声が聞こえた。
「……俺、学園にいる奴を見たんだけど、同じ人間とは思えないほど美しい容姿をしていたな」
「確かにな。だが、見惚れて任務を失敗するなよ」
「そんなことはしないが……王に差し出す前に、少しぐらい遊んでもいいかな?」
は?
『うえっ、キモ』
は?
座り込んでいるオリバーの目の前には、ようっとばかりに片手を上げて挨拶しているレピュテイシャンの姿があった。
突然の登場に驚き過ぎて、ガタンッと扉に頭を打ち付けるオリバー。
「誰だ!」
バッと扉に手をかけ、勢いよく廊下に出たカッタス国の三人だったが、そこには誰の姿もなかった。
ただ廊下に設置されている蝋燭の火だけが、ゆらゆらと揺れている。
「……気のせい、か?」
「少し長居し過ぎた。さっさと戻ろう。婚約披露の宴までに、仲間を呼び寄せないといけないからな」
「なぁ、ちょっとくらい王子摘まんでいいよな」
「煩い。お前が余計なことを言うから要らぬ時間を喰ったんだ。その口閉じろ。戻るぞ」
カッタス国の三人は、そっと部屋から抜け出すと、その姿を闇夜に消した。
目をぱちくりとさせて、腰を抜かして座り込んでいるのは第三王子のオリバー。
「な~んか、面白い話しをしているなと思ったら、最後に気色の悪い話しを聞いてしまった」
「フラフラうろついているから、そんな目にあうのですよ」
「やっぱり俺が受け? 俺を受けとして見ている?」
「なんですか、受けって? それよりもオリバー様までお持ち帰りして、どうするつもりなのですか?」
「おっさんにそんな風に見られると地味にへこむわ~。もう少し己の容姿と相談してほしいよな」
「話しを聞きなさい。打ちますよ」
「やめろ。その空砲、地味に痛いんだって」
「地味地味、煩いですね。オリバー様を持ち帰ったのは貴方なのですから、無視はいけません。ちゃんとかまってあげないと、淋しがって死んじゃいますよ」
「俺はウサギじゃねぇ!」
やっと声が出たオリバーは、二人のニタリと笑う視線とぶつかった。
「元気が出たようで何より」
「因みに、ウサギは淋しがって死んだりはしませんよ。無知ですね」
揶揄うように笑うレピュテイシャンと馬鹿にしたようなパズの言葉に、完全に遊ばれていると悟ったオリバーだった。