公爵令嬢と侍女
メアリール・コルアンは、物心ついた時から公爵令嬢だった。
コルアン夫妻は優しい人達なのだが、いざ教育となるとそれは熱心だった。
お蔭でメアリールの一番古い記憶は、優しい両親の愛情あふれる瞳ではなく、周囲からの温かい眼差しでもない。マナー教師の厳しい視線だった。
別に虐待をうけていた訳でも、嫌われていじめられていた訳でもない。
ただ愛情があるからこそ、メアリールを立派な女性に育てようとした結果なのだった。
父は幼少の頃から頭がよく、主人である陛下にも気に入られ、宰相として日夜働く真面目な人だった。
母は国でも一・二を争うほど美しい女性で、洗練された所作と共に淑女の鑑として社交界でも名を馳せていた。
こんな二人の初めての子供として生まれたメアリールには、愛情と期待が当然のように与えられたのだ。
母親譲りの美しい容姿に他者よりも早く覚えた言葉により、彼女の能力は認められた。
二歳で家庭教師を五人も付けられたのだ。
それだけで、どれほど詰め込まれたのかが分かる。
だが、彼女は本当に優秀だった。
与えられるものを全て吸収していくのだ。
そうなると教師陣も楽しくって仕方がない。
メアリールは同年代の子供と遊ぶより、大人に教えを乞う生活を送っていたのだ。
そんな状態を見かねたのが、母方の祖母であった。
彼女は貴族の娘から、メアリールの侍女になってくれる少女を探したのだ。
それがカチアである。
カチア・クラマスは、さほど裕福ではない男爵家の四女として産まれた。
娘を働かさなければならないほど、困窮はしていない。
そのまま育てば、普通に貴族として嫁に行く身であった。
だが、四人も娘がいるとなると嫁に出すのも支度金がかかる。
そのため支度金があまりかからない家を探すか、自力で相手を見つけるかしかなかった。
そこへ舞い込んだ、国内でも有力な公爵家の娘の侍女としての仕事。
幼いうちは、侍女というより遊び相手として来てほしいとの要望だった。
貴族に必要な教育も作法も教えてくれるというのだから、クラマス男爵家としてはありがたい申し出だった。
あまり歳が離れていないということが条件だったので、一番下のカチアに白羽の矢がたったのだ。
カチアは十二歳。公爵令嬢は七歳だった。
カチアはその話を聞いた時から、ウキウキしていた。
公爵令嬢ってものすごく可愛いって噂だけど、本当かしら?
私、自分が一番下だから妹が欲しかったのよね。
遊び相手として来てほしいって言ってたもん。楽しみだなぁ。
そうして挨拶するために通された部屋には、お人形さんがいた。
真っ赤な髪に大きな漆黒の瞳、ふっくらとした頬に愛らしい鼻と小さな赤い唇。
カチアは暫し、見とれてしまった。
こんなお人形さんみたいな可愛い子供、見たことない。
その子はゆっくりとカチアに近付くと、綺麗なカーテシーをとった。
「初めまして。メアリール・コルアンと申します。貴方は私の侍女として当屋敷に来てくださったと伺ったのですが、本当でしょうか?」
とても七歳の子供とは思えないほど洗練された仕草に、カチアは固まってしまう。
私、この子よりも五歳も年上なのに、こんな仕草できないよ~。
脂汗をかくカチアの背中を、優しい手が触れた。
「本当ですよ、メアリール。ですが、彼女はこれから常に貴方のそばにいます。そのような堅苦しい態度をとられては、彼女も心休まらないでしょう」
そう言ったのは、カチアをここに連れて来た公爵令嬢の祖母だった。
「あら、私、そんなつもりは……」
公爵令嬢は、困ったというように少し眉根を寄せる。
まさか、そんな風に見えるとは。と困惑している様子がありありと伝わってくる。
「……私、貴方をいじめたいわけではないのよ。その、仲良くしてほしいの。同年代の子供と接するのは久しぶりだから」
必死にカチアの緊張をほぐそうとしている姿に、カチアはなんだか温かな気持ちになった。
このお人形さん……コホン、公爵令嬢は子供同士の接し方が、よく分からないのね。
私は侍女として来たのだから、わざわざこんな風に言わなくてもいいのに。フフ、必死な姿が可愛いわ。
カチアはこの少し不器用で、真面目な優しい令嬢がとっても好きになった。
カチアが公爵邸に慣れた頃、メアリールは本館ではなく、別棟で暮らしたいと願い出た。
公爵夫妻はどうしてだと問い、とても寂しがったのだが、カチアにはなんとなくその理由が分かった。
メアリールが自分達の要望に応えられる優秀な子供だった為、それが当然のようになっていた公爵夫妻は、弟妹にまで同じような教育をしようとしたのだ。
特に弟は次期公爵として、まだ赤ん坊の彼に三人もの家庭教師をつけたのだ。
それに憤怒したのは、母方の祖母。
カチアをここに連れて来た方だ。
メアリールは特別なのだと分からないのかと怒鳴りつけ、このような教育を子供に強要するのなら、自分が全員を引き取ると無茶なことを言いだしたのだ。
コルアン公爵は教育熱心なだけで元来が優しい男だった為、祖母の意見を取り入れ、子供達に無理な教育をするのをやめた。
その頃には、メアリールは基本の教育が終わっていたため、後は興味のある学問を個人的に勉強する状態となっていた。
だが物心つく頃から教育一筋のメアリールにとって、今更弟妹と共に両親に甘えることなどできなくなっていた。
弟妹達が屈託なく両親に甘える姿を横目に、メアリールは自室に籠って勉強する。
居心地が悪くなって当然である。
カチアはそれとなくその状況を母方の祖母に話し、メアリールの別棟への引っ越しを許すよう公爵夫妻に掛け合ってもらった。
メアリールは、公爵令嬢として既に完璧な子供だった。
どんな場所でも気品よく穏やかに会話し、大人の殿方と対等な知恵を披露する。
だがそんなメアリールでも、カチアの前だと年相応の振る舞いをするようになった。
カチアが持っていた小説に興味をもち、たわいない侍女の話を聞きたがる。
何度か眠れないと言って、カチアの寝台に潜り込んできたこともある。
別棟に引っ越し、両親の目を気にしなくてすむようになったメアリールは、カチアに甘えられるようになったのだ。
カチアは屋敷ではすっかりお姉さんの気分になりながらも、外では尊敬する自慢の主人として接するようにした。