銀とサーラ <前編>
全州で最も忙しい恋人同士のイザヤとサーラ―――
自尊心の高い二人はお互いの気持ちを上手く出せずに心を通い合わせるまでかなり遠回りをしてしまった。それがやっと恋人同士になっても会える時間は数える程しかない感じだった。全州を統べる天龍王の片腕ともいうべき〝銀の龍〟の称号を持つイザヤと、八州の一つ乾龍州の州公サーラ。自己に課せられた責務は共に大きい。だから私用よりも公務が優先になってしまうのは仕方が無いことだろう。恋人との時間は無くても公務で顔を合わせる方が多い感じだ。それは互い分かっている事であり不満を言うつもりも無いのだが・・・ふと時間が空いた時には傍にいない恋人を想う・・・今何をしているのだろうかと・・・
イザヤは目を通していた書類の最後の一行を読み終えた時、公務でも随分会っていないサーラの姿が脳裏を過ぎった。自信に満ち溢れた艶やかな美貌のサーラ。姿は思いだせるが彼女の柔らかな肌のぬくもりを忘れそうだった。腕の中に抱いて口づけを交わしたのはいつだっただろうか?と思うぐらい昔のような気がした。
「―――イ・・・ザヤ・・・イザヤ」
イザヤは自分の名を呼ぶ天龍王カサルアの声に、はっとした。
「何でしょうか?」
イザヤは直ぐに答えたがカサルアは怪訝な顔をした。
「珍しいな。お前がぼんやりするなんて。何かあったのか?」
「・・・失礼致しました。別に何もございません」
「ふ~ん・・・まぁ、お前のことだ。例え何かあっても私には言わないだろうしな・・・」
カサルアはそう言うがイザヤが誰にも悟らせないものでも彼にだけは何故か露見していることが多い。この金の瞳をした龍は心の中が見えるのだろうか?と疑ってしまうぐらいだ。案の定、何やら含んだ笑みを浮かべているのがその証拠だ。
「なぁ~イザヤ。最近、サーラの姿を見ないな?」
やはりそうきたか・・・とイザヤは思った。しかし何食わぬ顔で答える。
「今は忙しいようですから此処まで来る暇は無いでしょう」
「暇ねぇ・・・サーラは仕事熱心だからそれに没頭していて、そしてお前も・・・よくそれでお互いに文句は出ないのか?」
「貴方が心配する必要はございません。お互いに承知していることですから」
「承知ねぇ・・・しかしサーラばかりが会いに来ていたと思ったが?お前の方から一度も向うに行ったこと無いだろう?彼女、怒っているんじゃ無いのか?」
「怒る?何故です?」
カサルアは呆れた様子で金の瞳を見開いた。
「それ、本気で言っているのか?他人の思惑や思考は読めても自分の身近なことになると全く駄目とはね・・・サーラはあの気性だろう?女という立場に甘んじることなく堂々と男達と同じ場所に立っている。そんな彼女がどうしてお前のいる所に通わなければならない?対等なら可笑しいだろう?お前、サーラに甘えているのか?それとも下に見ているのか?」
イザヤは考えてもいなかった指摘を受けて言葉が直ぐに出なかった。サーラが怒っているとは思わなかったのだ。確かに公務でさえも顔を見せなくなって久しい。誰彼と代理人が来ていたが忙しいのだろうと気にしていなかった。
「どうせ手紙の一つでも出していないのだろう?」
「・・・・・・・・・」
イザヤはそれが必要とさえ思ってもいなかった。
「じゃあ、この話しは知ってるか?オーガ公から聞いたが何でも公が所有する宝珠をサーラに贈ったそうだ。離龍州にとってサーラの州で収穫する作物はそれこそどんな貴石より貴重だろう?あの州は宝石が採れても作物の実りは殆ど無いのだからな。だから彼女へのご機嫌伺いは必死らしいと噂では聞いていたが・・・今回は自分の命よりも大切にしている宝珠を出したなんて聞いた時、公はとうとう狂ったのか?と思ったぐらいだ。知っていたか?イザヤ?」
離龍州の州公オーガは宝珠の蒐集家で有名だ。それは有名を通り越して気狂いと言われるくらい宝珠を集めては愛でている。その公が自分の宝珠を手放すとは一大事だろう。あらゆる情報を統べるイザヤのもとにその情報は入って無く初耳だった。そんなイザヤの微かな反応を読んだカサルアは得意満面な笑顔を浮かべ畳み掛けてきた。
「しかもそれは男の宝珠らしい。そんな珍しいものを?と私も驚いたがサーラが珍しく欲したとか・・・オーガ公としてはいつも何かと贈物をしても喜ばないどころか返品されていたらしいから逆に、ほっとしたらしいよ。まあ、公にしたら一生分の贈物をした気分だろうがね。その青年宝珠は公が言うには賢く綺羅星のように美しいそうだよ。女の龍は好きだろう?そういうの・・・気にならないか?イザヤ?」
「―――別に気になりません。龍が宝珠を幾人だろうが持つのは勝手です。それがたまたま異性だったりするだけでしょうし、そのようなことを一々気にしません」
淡々と答えるイザヤに向けるカサルアのニヤニヤ顔はそのままだ。
「なんだか妻の愛人を容認する寛大な夫のような言葉だな。まぁ~そう言う場合は夫にも愛人がいる訳だけど・・・ま・さ・か?イザヤ、そんな女性でもいるのか?」
「なっ!何を馬鹿な!」
「ははは・・・流石に顔色が変わったな!」
「ふざけ無いで下さい!」
イザヤは珍しく大きな声を出した。
「すまん、すまん!お前が余りにも痩せ我慢しているからついな」
「私は痩せ我慢など・・・」
「しているだろう?本当はその宝珠が気になっているのに?」
「・・・・・・・・・」
イザヤは心の中をカサルアにまたもや見透かされて反論出来なかった。サーラは以前、ルカドを自慢気に連れ歩きたいと言ったことがある。それはルカドと二人だけになりたかっただけの嘘だったかもしれないが本心はそういう願望もあるのでは?と思ったこともあった。サーラは普通の女の龍とは違うと思いながらも彼女の心を惹いた宝珠はどんな男なのかと内心気になっていたのだ。
「たまにはお前の方からサーラに会いに行ったらどうなんだ?」
「そんな時間はありません」
即答だ。カサルアは小さく溜息をついた。
「お前ね。仕事を自分一人で抱えすぎだろう?そんなに人に任せられないのか?それともそんなに他人を信用していないとか?それじゃあ、お前自身の信用が失墜してしまうと私は思うよ。誰も信じてもらえない相手には自分から信じ無いだろうしな・・・今はもう暗黒の時代じゃないんだから開放的な気持ちも必要だろう?」
イザヤはカサルアの言いたいことは分かっているが自分の立場上、そうも言っていられない。何故なら―――
「私がこうなるのも貴方が無頓着で開放的過ぎるからでしょう?自覚ありますか?貴方がそうだから私が注意を払っているのです。愚かなやからは何処にでもいます」
魔龍王ゼノアの時代は終わったとしても安穏とする訳にはいかない。まだまだ各地では前時代の不穏分子が燻っているのだ。イザヤはまだ戦いは続いていると思っているからカサルアのような気楽な気持ちにはなれなかった。
しかし愉快そうな顔をしていたカサルアからその表情が消えた。そして鋭く光る金の瞳がイザヤに向けられたのだった。立ち昇る輝く光りにイザヤは息を呑んだ。
「イザヤ、私が何かに負けるとでも思っているのか?」
「い、いえ・・・そう言う訳では・・・」
イザヤはそう答えるのがやっとだった。出逢った頃から魅了される彼の太陽にも似た輝きは眩しく、イザヤは目が離せない。その陽の龍が不敵に微笑んだ。
「じゃあ、いいじゃないか。回せる仕事は他の四大龍にでも押し付けたらいい。ラカンなんか暇だぁ~とかぼやいるからな」
「ラカンが?そうですか・・・彼には仕事が足りなかったのですね。よく分かりました。もっと働いてもらいましょう」
カサルアはラカンが随分前に言ったことを引っ張り出して言った。今はそんな暇は無いと思ったがラカンならイザヤと衝突せず仕事をこなしてくれるだろうと思ったのだった。それでもイザヤの無理難題を受けるラカンに同情してしまうが・・・
(まぁ~ラカンなら何とかやるだろう)
イザヤは有能だが協調性に欠けるのが難点だった。ラシードもその系統でレンは二人に比べると随分いいが意外と我が強い。そうなるとラカンは誰にでも合わせられる本当に希有な人柄だろう。ラカンはいい迷惑だったがカサルアは勝手に人選したのだった。
イザヤはとりあえず休暇とまでいかなかったが自分の故郷でもありサーラの治める乾龍州への仕事を作って久し振りに帰省した。
彼らの母ネフェルは宰相として州を守っていたが今でも州公サーラの良き相談相手としてその位置に座している。その母が珍しく自邸に居た。その風貌から〝氷の女王〟と称えられていたネフェルは姿形だけでなく表情を変えないところからもそう呼ばれていたが、そんなところは息子のイザヤもよく似ている。その母は表情こそ変えないが瞳は大成した息子を褒め称えているようだった。
「おかえりなさい。使いが連絡してきた時は驚いたわ。公的では無くて私的なものだったから・・・まさか休暇とか?」
「いいえ、仕事です―――母上はお変わりなくご健勝で何よりです」
ネフェルは訝しんだ。今や四大龍の一人でもある息子がわざわざ出向いて来るような案件は此処には無かったからだ。仕事なら城へ公的な連絡が来る筈だ。それは受けていない。
(あの件が耳に入ったのでしょうね・・・流石に早耳なこと・・・)
「サーラ様に会いに来たのでしょう?」
母親を誤魔化せるとは思ってもいなかったがあっさりと読まれてしまった。イザヤは自分が行くと言う知らせを何故かサーラに直接伝えるのに躊躇したせいだろう。自分から追っ駆けているような感じが男としての自尊心に傷が付くと思ったからだ。それが悪いとカサルアに指摘されたのについそうしてしまった。
「・・・・・・もちろん仕事ですから会うでしょう。今サーラは?」
ネフェルは息子の何気なく装いながら問う姿を微笑ましく思った。我が子よりも大切に守ってきた前州公の忘れ形見サーラと自分の息子との仲は知っている。そうなって欲しいと思っていたことだったから大いに祝福していた。しかし一向に進んだ話にならないから母親としても宰相としても心配していたところだ。
「サーラ様は兌龍州に出かけられております」
「兌龍州?何の用ですか?」
兌龍州と聞いたイザヤは良い気分では無かった。その州の二番目の公子とサーラの結婚が決まっていたのをイザヤがひっくり返した経緯があったからだ。だから彼女が気に入ったと言う宝珠よりも気になるものだった。
「私的なことのようで私は何も聞いていません」
私的と聞いたイザヤはくるりと踵を返して出口へと向った。
「お待ちなさい。お前が私的に行くのは浅慮では無くて?サーラ様との婚約破棄のことで少なくともあちらはいい気持ちでは無い筈です。女性側よりもその相手に色々思うところがあるでしょうし・・・今はそっとしておいたほうが得策ではありませんか?」
イザヤは母の意見は足を止め聞いたが振り返らなかった。兌龍州の公子へはサーラが自分で断ると言って聞かずイザヤは関わっていない。その結果について彼女は口をつぐんでしまったので相手がどう反応したのか詳しくは知らなかった。それでも自分達が直ぐに付き合い始めたのは周知の事であり婚礼直前だった兌龍州の公子としては顔に泥を塗られたようなものだっただろう。サーラの希望とは言ってもイザヤはこの件に関してずっと心に影を落としていた。
「母上、彼女を迎えに行って来ます。私も一度向こうの公子と直接話しをしたいですから」
背中に母ネフェルの諦めたような溜息を聞きながらイザヤは兌龍州へと向ったのだった。