銀とサーラ <中編>
「ようこそサーラ。急な訪問どうなさいましたか?それにどうしてそれを?」
兌龍州の二番目の公子タジリは元婚約者だったサーラを快く迎い入れたが彼女の後ろに控える人物には嫌悪の顔を向けた。彼がそういった顔をするのは珍しかった。サーラは初めて見たかもしれない。タジリはイザヤからは平凡な男と評されたが彼の美徳は温和で人当たりが良く嫌な顔一つしないというものだった。サーラの一方的な婚約破棄でも怒らず受け入れてくれたぐらいだ。その彼がまるで汚いものでも見るかのようにサーラが先日オーガ公から譲り受けた宝珠シアンを睨んでいる。敵意を浴びているシアンは何食わぬ顔でそれを見返していた。
その二人の様子にサーラは目を見張った。こんな展開は予想していなかったからだ。
「タジリ殿、私はこの者をお返ししようと思って同行したのですが?」
「返す?どういう意味ですか?」
サーラはタジリからそういう返答されると思ってもいなかった。ちらっと後に控えるシアンを見た。女でも羨むような白磁のような肌に宝珠ならではの美しい容貌の男。同性の宝珠ルカドも綺麗だが彼の妖しいまでの美しさはその比では無かった。人を惑わすような毒を含んだような感じさえする。
それは過日の事だった―――
シアンと出逢ったのはいつもの鬱陶しいまでのオーガ公の接待の席だった。
「乾龍州の州公サーラ?」
宴席にはオーガ公自慢の宝珠達も華をそえていたが不躾に声をかけてきたのはこのシアンだけだった。
(まあ珍しい・・・オーガ公は男型の宝珠をとうとう手に入れたのね)
以前、公がルカドをしつこく所有したがっていたのを思い出した。オーガ公でさえも手に入れるのは難しかった男型の宝珠だ。しかも極上品―――
「ええ、そうよ。私に何か?」
「俺を此処から連れ出せ。あんたにはその責任があるんだからな」
「何を言って・・・責任?どういうこと?」
周りに気を配りながら話しをするシアンは声を一層低めて続けた。
「あんた兌龍州のタジリから結納で首飾り貰っただろう?見栄張ってべらぼうに高い物を買った支払いが俺だった訳さ。もちろんこんな売買普通は禁止されているから極秘で誰も知らない。しかしあんたはその婚約を一方的に断って首飾りは返しただろう?自分では全部白紙に戻したつもりだろうけど、それがそんなに都合よくなる訳無い。オーガ公はその首飾りの返品は受けなかった。となると俺はここに留まるしかない。俺は心に決めた龍がいたんだ。それをあんたが自分の我が儘で俺の運命を狂わせてしまった。好きな男を振向かせる為にしたんだろうがいい迷惑だ」
サーラは自分の犯した過ちがこんなところに飛び火しているとは思ってもいなかった。タジリはサーラが心に想う男がいると薄々知っていての求婚であり、彼女がそれを受けて貰えたことに驚いていたぐらいだった。だからサーラからの断りもやはりと思う気持ちが強く荒立てること無く話しはついていた。それがこんな事になっているとは・・・しかも心に思う龍と引き離すというのは恋人同士を引き離すより悪い。宝珠の想いが強いのはサーラも良く知っている。ルカドがそうだったからだ。その命さえかけてしまうような想いが宝珠にはあるのだ。
(その想いを私が踏み躙ってしまった・・・)
「・・・ごめんなさい・・・私・・・」
「謝るよりどうにかしろよ。俺は兌龍州に帰りたいだけだ」
首飾りの代価で引き渡されたのだから彼は未契約でも兌龍州の州公の関係者に仕えていたのだろう。使わなくなった忌まわしい首飾りよりも生きた貴石と言われる宝珠の方が数倍いいのに決まっている。それからサーラは自分の責任を全うすべくこのシアンをオーガ公から貰い受けたのだった。
そういう経緯なのだから返すと言って迷惑そうな顔をされるとは思わなかった。シアンの話しではオーガ公が彼欲しさに首飾りの返品に首を縦に振らなかったということだった。タジリに首飾りを返すと言った時も贈ったものだからいらないと言われた。しかし結局は受け取って貰ったのだが・・・
(それと同じ?)
一度差し出したものを返されるのは体面を汚されるようなものだろう。前回もそれを承知で優しいタジリに頼み込んだのだった。しかし彼はその首飾りとは違う。
「この者はこちらの所有だったのでしょう?それを私の為に手放されたと聞きました」
「・・・・・・・・・」
サーラは返事が無いのは事実だろうと思った。法的に違反するものだからそうだと言えないのもあるだろう。
「ですから――」
「結構です!貴女には関係の無い事で私共の問題です」
タジリらしくない荒げた声で突っぱねた。
しかしサーラは関係無いと言われても引き下がる訳にはいかなかった。シアンから非難されたように全てはサーラの浅慮な行動の結果だ。シアンの〝好きな男を振向かせる為〟という言葉が胸に鋭く突き刺さった。そんなつもりは本当になかった・・・しかし結果はそうとられても仕方が無いものだろう。だから戻せるなら全て元に戻したいのだ。自分達の幸せの裏に犠牲があってはイザヤとの関係も上手くいかないのでは無いか?とサーラは恐れていた。
「いいえ!ならば一度お返ししましたが婚約の証に頂いたあの首飾りを私に下さい!その礼にこの者を差し上げます!」
白紙に戻すと言うのならそうするのが一番だとサーラは咄嗟に思ったのだった。そして後で自分がオーガ公に返せばいいだろう。
「サーラ!その首飾りを受け取るのは私が許さない!」
開け放たれた扉から聞こえた声に皆が驚いて振向いた。そして中に入って来るその人物を見て更に唖然としてしまった。それは険しい顔をした銀の龍イザヤだったのだ。
彼の後ろから真っ青な顔をしたタジリの父、兌龍州の州公が追いかけて来た。
「ぎ、銀の龍!お、お待ち下さい!お待ちを!」
イザヤが州城に突然現れ真っ直ぐにサーラの気配を追って城内を突き進んで来たらしい。急に現れた四大龍のそれも一番厄介な銀の龍に州公は腰を抜かすほど驚いて怯えた。別に悪いことはしていないがイザヤの全てを見透かすような銀灰の鋭い瞳は何度会っても慣れなかったのだ。しかし此方は息子の婚約者を彼に奪われた被害者のようなものだから堂々としていれば良い筈。
でも今は不味かった―――その二人が会っている所を見られるとなるとまるで此方が悪いような感じがするのだ。タジリはそんな事はしないと思ったが、万が一銀の龍を怒らせるようなことをしでかしたら大変だと追いかけた。
風が通らない場所で風がうねった。公の心配が的中し、銀の龍の怒りで風が巻き起こっているのだ。
「イザヤ・・・貴方がどうして此処に?」
久し振りに見る恋人は珍しく怒った表情だ。サーラはカサルアが言っていたような考えでイザヤを避けていた訳では無かった。このゴタゴタの処理に忙しくて会いに行けなかっただけだった。オーガ公も簡単にこのシアンを手放す筈も無く、駆け引きはかなり大変だったのだ。公の要求を叶えつつ主導権は握るという・・・損得に敏感なオーガ公を出し抜くのは容易ではなかった。
イザヤは以前なら気にも留めなかったタジリを上から下まで見た。サーラが結婚すると聞いて初めて意識したぐらい彼にとってどうでも良い存在だった。イザヤはサーラが一時とは言っても彼を選んだ気持ちを未だに理解出来ないでいる。優しい男なら幾らでもいただろう。その中で何故この男を選んだのか?だから胸の奥にある不安が時々頭を擡げていた・・・その気になる男に恋人が自分に何も言わず会いに行っていたのだ。余裕で構えている場合では無かった。カサルアは痩せ我慢と言ったがまさにその通りで我慢にも限度もあれば出来ないものもある。不安を胸に向った先で耳に飛び込んできたのは婚約の証をもう一度欲しがるサーラの嘆願だ。
「サーラ、私に内緒で何をしているんだ?しかも婚約の証を何故欲しがる?まさか・・・」
まさか自分と別れるつもりか?とまでイザヤは言わなかった。それは有り得ないことだと思っていた。ただし心の片隅にある不安を除いては―――
不安の要因・・・そう思ってしまうだけイザヤはサーラに甘えて恋人らしい振る舞いをしていなかったのだ。彼女が好きだと言ってくれることに胡坐を掻いていた。
「イザヤ、違うわ!これには色々あって!」
サーラは勘の良い方だから恋人が何を言わんとしていたのか察した。非合法に近い一連の処理をイザヤに知られる訳にもいかず秘密裏に動いていたのが裏目に出たらしい。
サーラは何時も不安だった。長年の想いが通じ合って天にも昇る気持ちだったが、本当に?と言う気持ちがいつも、いつも心の奥底にあった。嫌われたく無いという臆病な気持ちが先行してしまってイザヤとどう付き合っていけばいいのか分からなくなっていた。彼は相変わらず淡々としていているから尚更だった。もちろん会えば恋人同士がするような熱い口づけはするし、それ以上のこともする。しかしサーラが時間を作って会いに来て夜を共に過ごしたとしても朝、目覚めた時に恋人の姿は無い。書置き一つ無く登城して早朝から仕事をしているのだ。初めは驚いたが彼らしいと思い直していた。普通の恋人達が過ごすような甘い関係を期待していたサーラでは無かったがそれでも少しは期待していたのだろう。そんな朝はほんの少しだけ悲しくなっていたのだった。イザヤの腕の中にいる時は愛されているような気がした・・・しかし慌しく性急に求められ終わればさっさと去られるとサーラは自分が只の都合の良い相手のような気がしてきたのだ。たった一度だけ聞いた告白だったがもう一度言って!と揺さぶって叫びたいぐらい彼は冷静だ。だから不安だけが胸に広がっていた。
「違う?では私に分かるように説明して貰おうか?」
イザヤの声音は怒気を含んでいるようだった。
このままではぐずぐず悩んでいた昔と変わらない。サーラは臆病になりつつあった自分を叱咤すると、真正面から恋したイザヤの銀灰の瞳を捉えた。
「・・・・・イザヤ。貴方にもう一度聞きたい。私のことどう思っているの?」
イザヤは今までの会話に関係無いサーラの問いに驚いた。怒っていた顔が一瞬、目を見開き間が抜けたような表情になってしまった。
「サーラ、何を言っている??今そんな話をしていないだろう?」
「私は今、聞きたいの。私のことをどう思っているの?答えて頂戴」
「そんなことよりも私が聞いたことを答えるのが先だろう?」
「そんなこと?貴方にはそんな事なのね・・・もう分かった―――じゃあ言うわ。これは私とタジリとの話しだから貴方には関係無いことだわ。口出し無用よ!」
「関係無いだと?」
「そう、全く関係ないわ!貴方は何の権利があって私に指図するつもり?私は貴方の所有物では無いわ!」
「サーラ!」
イザヤは彼女が相手では思うように論破出来なかった。どうしても感情が先に出てしまって上手く言えないのだ。
その時、馬鹿にしたような嗤い声が聞こえてきた。
「あっはははっ・・・馬鹿みてぇ~サーラ、そんな奴、放って置いたらいい。恋人が浮気しているんじゃ無いかって心配で見に来ただけだろう?銀の龍っていうのも意外と暇なんだな。でもまぁ~心配するのも分かる。サーラは良い女だしな。俺も想う龍と添えなかったならサーラ、あんたと契約してやってもいいぜ。そうしたら恋人と宝珠の一挙両得だろう?宝珠は何だかんだ言っても一途だぜ。あんたに不安な思いはさせない。まあ、タジリ、あんたがものにしても俺はいいぜ。愛人というのも案外良さそうだ」
シアンは妖しい微笑を浮かべながらサーラに後から腕を絡めて言った
「ちょっとシアンふざけないで!」
「シアン!お前と言う奴はっ!」
「タジリ、あんたはその方が良いんだろう?俺がマリカから離れる方がさ。どうせ約束なんか守るつもりも無かったんだろう?」
(マリカ?約束?)
サーラが知らない事情がこの二人の間にはあるようだった。考えを纏めかかったサーラの腕を今度はタジリが引いた。
「シアン、離れろ!お前のような奴がサーラの宝珠になるなど許さない!」
「それこそ何の権利があってあんたがそう言う訳?サーラの夫にでもなるつもり?」
タジリは、はっとした。そしてシアンに挑発されてしまったせいで無視した状態になっていたイザヤを伺った。いまの状況だとシアンとサーラを取り合っている感じにしか見えないだろう。背中に嫌な汗が流れ出した。イザヤは何も言わないが其処に居るだけで恐ろしいまでの怒気を感じたのだ。
そのイザヤは無言で威圧しながら揉める三人の前に歩を進めると、サーラに絡む二人の腕や手を乱暴に引き離した。
「お前達のどちらにも権利は無い!個人的に彼女に用があるのなら私を通せ!サーラ、お前は私のものだから以後勝手な事をするな!全く不愉快だ!」
まるで部下に命令するかのような口調でイザヤは言い放った。いや、彼は部下にはこんなに感情的な言い方はしない。頭ごなしに言われたサーラが今度は激怒するかと思ったら軽やかに笑い出したのだった。タジリは驚いて彼女を見た。サーラはどちらかと言うと高慢に見えるぐらい誇り高くどんな人物にも対等な態度を崩さなかった。そんな彼女だったから銀の龍の高圧的な態度に反発するだろうと思ったのだ。
「イザヤ、私はいつから貴方のものになったの?それにもしかして嫉妬してくれているの?」
サーラは笑いを堪えながら言った。
「私がどう思っているか聞いただろう?お前は私のものだし私はお前のものだ。お前が違う考えなら私もその考えを改めるが?その自分の女に言い寄る男にいい気持ちを持つわけ無いだろうが」
イザヤは不快な顔をして言った後、二人は見つめあった。二人共、シアンの冗談のような話題に憤怒した後は冷静さが戻ってきたようだった。お互いに思っていた事が同じだったのだと気が付いたらしい。恋は初めての経験でどうすれば良いのか二人共全く分かっていなかった。ただそれだけで心がすれ違っていたのだ。分かってしまえば何と言うこともないのに周りから見れば滑稽だっただろう。シアンはそれを察知して嗤ったのだ。
何と無く穏やかな雰囲気になり始めた時、パタパタと軽い足音が聞こえて来た。その音を聞きつけたシアンの顔が嬉しそうに輝いたようだった。
「ねぇ・・・シアンがかえってきてるって・・・ほんとう?」
愛くるしい幼女が扉の隙間から、ひょっこりと顔を出した。
「マリカ!部屋に帰りなさい」
出入り口の一番近くにいた州公が慌てて言った。
「でも・・・」
マリカと呼ばれた幼い子供は扉からおずおずと身体を半分だけ出して大きな瞳でシアンを真っ直ぐ見ていた。その子供の姿を見た途端に飛び出そうとしたシアンをタジリが行く手を遮った。
「マリカ!父上の言う通り部屋に戻りなさい!」
サーラは諍う二人の会話に上っていたマリカと言う名前に聞き覚えがあると思っていたがタジリの年の離れた一番下の妹だったのを思い出した。
(まさかシアンの想う龍ってこの子?)
サーラは驚きながら行く手を阻まれて激怒しているシアンを見た。子供は龍と言っても発現したばかりで力は宝珠を惹き付けるだけのものは持ち合わせていない。そんな子に宝珠でも極上品といえるシアンが心酔しているとも思えなかったのだ。
「いやっ!シアン!」
マリカは父親の手を掻い潜り兄の制止も避けて一直線にシアンに向って飛び込んだ。
「マリカ様!」
いつも皮肉れて世間を斜めに見ていたような顔をしていたシアンが顔を歪めると、飛び込んで来る小さな龍に腕を差し伸べていた。サーラは彼が今にも泣き出すのではないかと思った。見ている此方が切なくなるような表情をしていたのだ。
「サーラ、あのちび龍に負けたようだな。あれだけ上等の愛人候補そうそういなかったのに残念だったな」
すっかり機嫌が戻った様子のイザヤが珍しく軽口を叩いた。目の前で繰り広げられる展開よりその方がサーラは驚いた。
「そうね、とても残念だわ。恋人は急がし過ぎて構ってくれなくて寂しいから丁度良いと思ったのにね」
「それを私だけに言うのか?忙しくて時間が無いのはお互い様だろう?」
「さあ、どうかしら?貴方の方が手際悪いのではなくて?私は貴方に会いに行く時間位作れるもの。部下を育てて上手く使うのも仕事でしょう?」
イザヤはカサルアと同じようなことを言われて反論出来なかった。しかも彼がほのめかしたようにサーラは自分だけが会いに来ていると遠まわしに嫌味を言っているようだ。ここで何時ものように知らぬふりをしてしまったら以前と変わらない状況となるだろう。痩せ我慢もしたくないし、もちろんサーラに愛想つかれたくも無い。こうなったら自尊心だろうが男の矜持だろうが構っている場合では無いだろう。それだけ彼女が大事だ!
「すまなかった・・・」
「えっ?」
サーラは驚いてイザヤを見た。彼の口から詫びる単語が出るなんて思いにもよらなかったのだ。イザヤは自分の意見は絶対正しいと言う自信を常に持っている。だからどんなに反対意見が出ても論戦となれば必ず相手が引き下がり謝るのはもちろん相手側だ。あの一度だけ聞いた告白の時にも一度聞いたことがあるがそれ以降、公式の場でも私的な時でも聞いた事は無い。
「許してくれサーラ・・・私はお前に甘えていた」
「え?」
再び驚くような言葉にサーラが目を丸くした時、ばしっと頬を軽く叩く音がした。そしてその瞬間大きく泣き叫ぶ幼子の声が響いた。タジリが妹を叩いたようだった。




