前者
ナナシお兄ちゃんがフィーナさんに勝ったあの日から、人間が魔族に負けたあの日から、世界は驚くほど変わっていなかった。
当初こそ人間は魔族に皆殺しにされるだの、奴隷にされるだのと大騒ぎしていた街の人たちも今では以前とそう変わらない生活を送っている。
ナナシお兄ちゃんが魔族たちに人を殺すことをよしとしなかったからだ。
理由は私にもよくわからない、フィーナさんの遺言なのかもしれないし、ナナシお兄ちゃんの気まぐれかもしれない。
だから私は人間も魔族も嫌い。
たくさんの人や魔族がたくさんの大切なものを失った闘いの結果がなにも変わらないなんて。
ただ失っただけ、ただ傷ついただけ。
ナナシお兄ちゃんが勝ったからこその結果なのかもしれないけど、きっとフィーナさんが勝っても同じような世界になったことだろう。
フィーナさんは前魔王のことも知っていたはずだから。
あの強く優しい勇者は魔族を皆殺しにするなんてことは絶対にしない。
魔族たちがどうなのかは分からないけれど、人間たちのことなら私にもよく分かる。
人間が望んでいたものは、こいつらが欲しかったものは。
正義なんかじゃなかった。
平和と安心、それだけだった。
自分たちが幸せに不安なく生きていけるなら、縋る相手は誰でもよかった。
人間でも魔族でも、正義でも悪でも、勇者でも魔王でも。
自分たちの知らないところで勝手に解決してくれればいいとでも思っているんだ。
「だから私は1人でいい」
仲間や友達なんていらない、フィーナ・アレクサンドの敗北の原因であり、ナナシ・バンディットの苦戦の理由でもあるそれは私には必要ない。
「………寂しいけどね、貴方は慣れっこかもだけど」
私はフィーナ・アレクサンドの剣に向かって皮肉を呟いた。
………ちょっとナナシお兄ちゃんに似てきちゃったかな、フィーナさんもごめんね。
「ナナシお兄ちゃん魔王の力手に入れてるから単純に強くなってるしなぁ」
それだけじゃない。
仮にネザー・アルメリアをこっち側に引き込むことに成功したとしても、まだきっと足りない。
ナーガさんとかがナナシお兄ちゃんと結ばれるより戦える方を選んでこっち側に来てくれたら………いや、無理か。
メアリーさんとエルザさんも絶対無理、ナー爺も多分無理。
ディーンさんはもしかしたら……いや難しいか。
きっとヘリオさんがそれを許さないだろうし、そもそもこっちに居場所がなくてあっちに行ったんだしね。
とにかくまずはネザー・アルメリアだ。
彼をなんとかしないと絶対に勝てない。
王の手前ああは言ったものの、正直確率はいいところで半々といったところだろう。
ただネザー様はナナシお兄ちゃんと戦いたいはず。
だからそこにつけ込むしかない。
勝敗の予想はできないけど、消耗の予想ならある程度はできる。
魔王の力を手に入れた最悪の悪人と、戦闘において他の追随を許さない最強の騎士。
きっと彼らが戦えばきっとナナシお兄ちゃんが勝つけれど、どちらも無傷では済まない、そして彼らには今や回復のための白魔法を使える仲間はいない。
けれど魔族たちの中にはもしかするといるかもしれない。
だからその場で2人を始末する。
………頭が痛くなる。
どちらも化け物であり手負いのはずとは言え、いやだからこそあの2人は何をしでかすかわかったものじゃない。
それでも
だとしても
私だからこそできる戦い方がきっとあって、やらなくちゃいけないことがある。
だからこれ以上1秒たりとも時間は無駄にできない。
ザッ
「本当に魔族の王になっちゃったんだね」
ーーーだから今、私は魔王城の前にいる。
魔王ナナシ・バンディットが魔族や魔物たちに人を殺すなという命を下しているとはいえ、ここまでの道中で本当に魔物たちは襲って来なかった。
「ナナシお兄ちゃんが………私に対しても、フィーナ・アレクサンドに対しても、誰に対しても、ただの悪人だったらよかったのに」
もしそうだったなら、そうあってくれたなら私はこんなに苦しまなくてよかった。
きっとフィーナ・アレクサンドも同じ気持ちだったはずだ。
「………だから私だけは絶対、正義でいてみせるよ」
最後まで、死ぬ間際まで、殺されるまで。
絶対に正義のまま生を終えてみせる。
「決戦なんかじゃない、ただの宣戦布告」