表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/18

Ar03 使い手と道具、養父と養女①

 薄暗い路地裏を、一人の男が歩いていた。黒髪をオールバックにした蒼い瞳の偉丈夫で、その身なりから彼の身分が高いことが一目でわかる。身にまとった礼服を覆うように銀色に輝く装甲が局所的に取り付けられており、腰には細身の長剣が提げられている。

 男は不意に立ち止まると、左手を左後方へと向ける。指先に光が灯り、小さな弾丸となって射出され――その直前に、音もなく近寄っていた白銀の獣が飛び退いた。獣のいた場所を光の弾丸が抉り、粉砕し、砂埃を舞い上がらせる。男は自分が攻撃する前に獣が動いたことに考えるような素振りを見せるも、その瞳はしっかりと獣の姿を見据えていた。


「六番三式」


 男が小さく声を発した瞬間、地面が隆起し数多の刃となって獣へと迫る。獣は軽快な動きでそれらを全て潜り抜けると、男の首を切り裂かんと身体全体を使って右手の指に挟んだ短剣を振り抜いた。視界の悪い中で放たれた致死の一撃。正確無比な殺しの最適解により、男の首から鮮血が舞い、


「二番一式」


 ――その姿と飛散した血が消えていくのと同時に、中から幾本もの光輝く鎖が飛び出て獣を拘束した。


「やはり殺意や自らに迫る死に反応しているようだな。厄介ではあるが、害を為すつもりもなく拘束するだけであれば実に容易い」


 元々姿のあった場所の奥から男が現れ、そう口にしながら身動きの取れなくなった獣へと近づいていく。

 その獣は、小さな子供の姿をしていた。泥に塗れて汚れながらも輝きを失わない、銀色の長い髪。血を思わせるような鮮やかな深紅の双眸。傷つき欠けてこそいるものの、滑らかなカーブを描いた爪の目立つ右腕。二の腕の半ばまでしかない左腕。


「獣のようではあるが、この場合は人形と言った方が正しいな。……まあ、どちらでも良い。お前を使っているのはこの辺り一帯を支配している者だな?」

「…………」

「だんまり――いや、言葉を解せないのか」


 男は冷めた目で獣を――人形を見る。人形もまた男のことを見つめていた。先に襲いかかってきたのはこの人形だが、今は男に危害を加えようとする様子もない。拘束されているとはいえ、不自然なまでに沈黙を保っている。

 唐突に、人形の身を封じていた光の鎖が消失した。前兆のない出来事ではあったが、人形は何も感じていないかのように淀みない動きで男に跪く。


「次の主は俺、ということか。物は試しと思ってやってみたが、まさかこうも簡単に鞍替えするとは。本当に人形のようだ」


 呆れの混じった声を漏らす。この人形は生存を目的として服従したのではない。それとは何か別の基準があり、男がそれを満たしたから服従したのだろう。男には人の心の機微を無視しがちな悪癖があるが、他人の内面を察する能力がないというわけではなく、寧ろ優れている。そんな彼の目から見て、この人形の中身は空としか言えなかった。

 眼前のこれは酷く空虚な目をしている。何かの目的を持って生きているわけではないのだろう。外部から入力された目的に沿って動く、文字通りの人形なのだ。


「……ひとまず、当初の目的を果たすとしよう」


 そう口にし、男は踵を鳴らした。少しすると再び歩き出し、人形もその後ろに控えるようにしてついていく。入り組んだ路地を迷いなく進み、やがて開けた場所に辿り着く。

 そこでは様々な人間が好き勝手に過ごしていた。女を侍らせる男がいれば、その逆で年端もいかぬ少年を侍らせる女もいる。それどころか、子供に暴行を加えているような者や、外だというのに堂々と情事に耽る者までいた。


「あん? テメェ貴族様か? こんな場所にわざわざ何の用だよ」


 知らぬ顔が立っていたことに気付き、卑しい笑みを浮かべながら、何人かが男の方へ歩いてくる。その目には、隙あらば殺して金を奪ってやろうという魂胆がはっきりと見えていた。男はその視線を無視し、やってきた一人の手に、他の者にも見えるように金を握らせてから尋ねる。


「ここの頭に会いたい。頭が誰か、それにどこにいるかを教えろ」

「ん~……答えてやっても良いが、もう少しお気持ちってもんを見せてもらいたいところだねぇ」

「そうか。なら良い」


 金を握らせた男の言葉に耳を傾けることなく歩き始める。適当にではなく、はっきりとしたある一点を目指して。

 男の目論見は金を握らせた段階で成功していた。ああいった輩は金で釣れる。一切の逡巡もなく相手に金を握らせたのもそれが理由だ。そうしてやれば、あちらは男のことを都合の良いカモだと認識し、素直に案内するか更に金を請求するかを天秤にかける。

 そして、人は二つの選択肢のどちらの方が利があるかを考える時、必ず意識がその内容へと向く。男はその性質を利用し、質問した際相手がどちらに意識を向けたかを判断して頭の居場所を割り出したのだ。

 他の人間に見えるようにしたのもその為だ。複数が同時に意識を向けたことで、より正確に頭の居場所を割り出すことができた。


「お、おい! 待ちやがれ!」


 男が迷いなく進む姿に不安や焦躁が掻き立てられたのか、男へと近づいてきた複数人全員が追いかける。その手には金ではなく刃物が握られており、彼に危害を加えようとしていることが見て取れる。


 ――それが問題だった。


「んな――っ、何でテメェが――がっ、かはっ……」


 彼らが男に詰め寄った瞬間、人形が間に割り込んで右手に握った短剣で喉笛を掻き切ったのだ。声を封じ、続けてもう一度切り裂き、確実に命を奪う。他の者達が呆けている間に同様の手順でもう一人処理し、状況を理解して叫ぼうとした者には短剣を投擲して喉を潰した。空いた右手は止まることなく殺した者から得物を奪い、男に刃を向けた全員を殺すまで人形は止まらなかった。

 当然ではあるが、この光景を見ていた者は存在する。しかし誰も動じた様子はない。勝手に絡んで勝手に死んだ、ただそれだけだと言わんばかりの態度である。


「……何故殺した?」


 そして、動じていないのは男も同じだった。自分が指示したわけでもないのに人形が動いたことに疑問を抱いてこそいるものの、すぐ傍で人が死んだことには何も感じていない。歩みを止めて振り返り、人形を見据える。

 人形は殺した者達の死体を漁り、自らが投擲した短剣と金品を回収していた。これも男が指示したわけではなく、人形が勝手に行動しているだけだ。推測が正しければこの人形は何かを命令されなければ動かないはずだが、と考えている内に、男はある仮説へと辿り着いた。


「前に与えられた命令に沿って動いた、ということか。その内容は――動きから考えれば、『主の身を守れ』と『殺せ』、そして『奪え』か? それならば一連の行動にも納得できるが」


 言葉が通じなくとも意思疎通を図る手段は存在する。前の主、恐らくここの頭は獣を躾けるのと同じようにして命令とその意味を伝えていたのだろう。頭が回り、ものを扱うのがそれなりに上手な人物なのは想像に難くない。

 そこで思考を打ち切り、また歩く。不測の事態はあったが、彼のすることは変わっていない。人形を連れて進み、遂に頭と思しき人物のいる場所に到着する。


「お前がここの頭か」

「ん、確かに俺がここら一帯を仕切っているモンだが……その身なり、貴族様かい? こんな場所へどうしたよ」


 男に声を返したのは、恰幅の良い中年だった。容姿にそれなりに気を遣っているらしく、髭こそたっぷりと蓄えているものの髪は適度に切り揃えられており、全体のバランスは悪くない印象を受ける。衣服に関しても先程人形が殺した者達に比べれば上質なものを身にまとっており、いかにも賊の頭と言った風体だ。


「ここに住まう者達が他の住民に対し暴行や略奪を繰り返しているとの報告が騎士団に挙がっている。働き先がなくそうしているのであれば紹介するが、それでもなお繰り返すと言うのであればお前達は賊として処分されることになる」

「ああ……何かと思えば、そんなことかよ」


 頭が適当な返しをすると共に、男の後ろに立っている人形の姿を確認して下卑た笑みを浮かべる。男が何かする前に人形が始末するなどと考えているのだろう。


「そんなこと、か。つまり、暴行も略奪もやめるつもりはないと?」

「はっ、愚問だね! 今更真っ当な生き方ができるはずもねぇからな。それに、今の方が普通に働くよりよっぽど贅沢できてるんでね!」


 他人を顧みない物言いに男が目を細める。その反応に気を良くしたのか、頭は笑みを深くして叫んだ。


「おらっ、お前の出番だ! 殺しちまいな!」


 人形に命令が下される。敵を殺す為の人形へ向けられた、敵を殺す為の言葉。この人形は、それを受けることで人を殺そうとする――はずだった。

 頭が命令を与えても、人形は微動だにしない。右手で短剣を握ったまま沈黙を保っている。


「……は?」

「殺せ」


 茫然として間抜けな声を頭が漏らすのと、男が人形に指示したのは同時だった。人形は新たなる主の命令に従い、素早い動きで頭へと迫る。


「な、ちょっ、てめっ――ふざけんじゃねえぞ、この糞人形が!」


 頭が脇に置かれた斧を握り、罵声と共に人形へと振り抜く。人形の頭を狙い澄ました一撃。太ってはいるが、この辺り一帯を仕切っているだけあってそれなりの実力はあるのだろう。

 だが、その刃が人形に届くことはなかった。斧の通る軌道を予め把握していたかのように足を止め、振り抜かれた直後に再び駆ける。頭は人形を遠ざけようと蹴りを見舞うが、それも見越していたかのような動きで人形は低く跳躍し、自らを襲う足に乗ってみせた。


「糞が! 何であいつの命令に――!」


 それが頭の断末魔だった。人形は頭の身体を駆け上がり、顔のすぐ隣まで来ると短剣を首に押し当て、そのまま全体重をかけて勢いよく地面へと倒したのだ。痩せた子供で腕も一本失われてはいるが、それでも相応の体重がある。それがギロチンの刃の役割を果たしたとなれば、首が落ちるのも当然と言える。

 実に鮮やかな手並みだった。男は人形について分析する。自分と頭との体格差を理解しての行動だろう。身体の動かし方は人形の方が巧みではあったが、相手の攻撃を一発でも受けてしまえば戦闘継続は困難だ。故に自らの非力を補いつつ手早く仕留められる手段を選択した。その選択は間違いではなく、寧ろ最適と言っても過言ではない。

 だが、男が命令してから交戦するまでの時間などないに等しかった……つまり、人形はこれだけ正確な判断を一瞬で下したことになる。


「いや、それよりも最初から殺し方を理解していたと考えた方が自然だな。天性の殺しの才、というわけか」


 それは酷く危うい才能だろう。この人形の性質も考えれば、制御できねば全く無関係の人間も危険な目に遭わせかねない。

 気がかりはそれだけではない。人形は頭から男へと主を替えたが、頭からすればそれは想定外の事態だったように見えた。この事実は、男に一つの懸念を与えていた。

 頭は自分の前に主がいたことを把握していない。ということは、人形が主を替える基準を作ったのも彼ではないということになる。無論、人形が自分自身で作ったというのもないわけではない。しかし、命令に従うだけのこの人形が自らの意思で何かを決めるとは思えない。


「これに拾われる前にも主はいた、と考えるべきなのだろう。そして、恐らくその人物がこの人形の根幹に関わっており――何らかの事情で手放した、手放さざるを得なかったと考えるのが妥当か」


 実に面倒な話だ、と嘆息する。人間が自然とこの人形のように育つことはない。本人の資質もあるだろうが、こうなるよう意図して育てられたはずだ。そして、それを実行したのは前の持ち主――これまでにたらい回しにされたのであれば最初の持ち主となるが、結局のところそれ以外には存在しない。つまり、こんなものを作る人間がいたことになる。

 そう、こんなものだ。殺戮に特化した兵器。それがこの人形だ。


「……考えるのは後だな」


 思考を止めて歩き出す。今は他にすべきことがある。先程の広場に戻り、頭に投げた問いを他の者にもかけなければならない。賊に身を落としている者に今の生活をやめ、真っ当に働くつもりがあれば監視付きで仕事を斡旋。そうでなければ頭と同じ目に遭うだけ。

 頭が死んだことは誰にも伝わっていない。人形に指示を出す前に魔力制御のみで魔法を発動させておいたのだ。男の提案を断ればどんな末路を迎えるかを知らないということは重要だ。知らないからこそ、その人間の本音が聞けるのだから。


「しかし、戦時中とはいえ領主の顔すら知らないとはな。いや、このような場で生きていれば当然か?」


 人形を連れ、男は――アルテア侯ジェント・リヴォルタは、心底興味なさげにそう口にした。



 目が覚める。


「夢……でしょうか」


 養父と出会った時の記憶。これまでふと思い出すようなことはあまりなかったが、いざ脳裏によぎればどこか胸の奥で奇妙な感覚がした。

 これは何と呼ぶのだったか。今自分が私室であり、他に誰もいないため、それを確かめる為に一冊の黒い手帳をアルマは取り出す。


「ふわふわ、ほわほわ……昂揚感にも近いのでしょうか。しかし、それ程激しいわけでもありません。過去に対して何かを感じたのであれば、そこで絞り込みができるはずですが……」


 ページを捲り、記されているどの感覚が今の自分に最も適切かを調べていく。

 この手帳は講義を始めてから何日か経ったある日にデイヴが彼女に与えたものだ。近くに誰もいない時に自分の心の変化を感じた場合、これでどのような変化が生じたのかを確かめなさいとのことだ。この手帳を使う機会はそこそこ多く、二日に一度は開いている。アルマは調べた後には忘れないようにと付箋を貼っているのだが、それなりに使用していることを示しているように何枚もの付箋が見え隠れしていた。

 内容はある一つの感情と、それに伴って生じる感覚についての例となっている。感覚に関しては文章での説明と擬音語による説明の二つの方法で記されており、それぞれが感情の数だけあるせいで手帳の厚みも結構なものだった。


「じわじわ、ぎゅー……寂しさや、切なさ? どこか満たされず、何かが欠けている。胸が締め付けられるような感覚。これらも部分的には該当しているようにも思えます」


 となると、先程の昂揚感も含めてこの三つに関連のある感情、感覚を探すべきだ。それらに加え、過去に対しても何らかの関係性があるもの。生身の指先が紙を捲る感触をアルマに伝えていく。これは彼女にとっての『好きではない』――つまり、嫌いの対象には入らなかった。今となっては慣れ親しんだものというのもあるのかもしれないが、どちらかと言えば『好き』に該当するのだと彼女は感じている。具体的に何に対して『好き』と感じているのかはわからないが、デイヴにも話した読書という行為を『好き』だと感じている……ように思えることにも通じているのかもしれない。これも彼に聞くべきことなのだろうかと考え、一度筆を握ろうとしたが、何故かアルマの身体はそれより先に今の作業を進めていた。

 やがて彼女は一つの言葉に辿り着く。


「……懐かしさ」


 過去に起こった出来事に対し心が惹かれる様子をそのように呼ぶ、と手帳には書いてある。単語としては既に知っているが、それと思われるものを感じるのは初めてだった。


「私は養父様と出会った日に、懐かしさを感じているのでしょうか」


 自分にしかわからず、自分でもよくわからない疑問。いつだったか、物事を整理する時には口に出すと良いとデイヴに言われたからか、ぽつぽつと声が口から出ていくのを他人事のように遅れて認識していく。


 養父との出会い。

 言葉の習得。

 一般常識の学習。

 魔法の鍛錬。

 武芸の習熟。

 町への外出。


 思い返せば、様々なことがあった。勉強ばかりで代わり映えしないように見えて、触れるものは悉くが未知だった。


「あれら全てが、私の『興味』だったのでしょうか」


 やはりまだ自分の心というのはよくわからないけれど――それでも、悪いようには思わなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ