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Ar02 先生と教え子、従者と主人③

「まず、心とは何か、という点について説明していこう」


 大きな板を背に、魔法の組み込まれた見覚えのある筆を握ったデイヴが語る。


「心という言葉には様々な意味がある。精神作用でも、その元となるものでもある。意志や知識、感情といったものを総じて心と呼ぶこともあれば、性格や性根の傾向を指すこともある。これを簡潔に表すことは難しいが、共通しているのは全て人間の内面、精神に関わっているということだ」


 知識という面に限って言えば、君の心は発達しているねと続けるのを、アルマは黙って聞いている。その姿は淡々と聞いているだけのようにも見えたが、彼女の手は忙しなく動いて話の内容を紙に記していた。


「もし本当に心というものを持たない者がいれば、その人物は自分では何も考えず、自ら行動を起こすことはない。何故ならば、人間の行動は当人の判断があって初めて成立するものだからだ。何も考えないのであれば、何かをしようとも考えないからね。では、君はどうだろうか。殺戮人形などと呼ばれているが、どうすれば達成できるか、損害を抑えるにはどうすべきか……そのように、与えられた任務を遂行する為の考える力を持っている。つまり、アルマ君はしっかりと心を持った人間であると言える。まあ、動機を与えられないとあまり考えることができないのは難点だがね」

「それは心の有無が人間であるかを決めるということですか?」

「生物学的視点や種族という括り以外で、人間の定義を決めるのであればそうなるね。人間は道徳や人道といった概念を生み出し、それに則って活動を営もうとしている。これらは心を獲得していることを前提とした概念だ。となれば、それに従う人間も心を持っていなければならない。それに、非人道的行為をした人間に対して人の心を持たないと言うことがあるだろう? 無論本当に心を持っていないというわけではなく、良心を持たず他人を慮らない人間に投げかける言葉ではあるが、そのように比喩として用いられるくらい人間と心というものは密接に結びついている」


 デイヴが板に書き込んでいくのを見て、アルマもまた手元の紙にその内容を写していく。書かれた人という言葉と心という言葉を線で繋ぎ、その線の中央部分に上から二重の丸を印をつけるように記す。彼女がある程度写し終えたのを見て、再び口頭での説明が始まる。


「心についての説明はもう良いだろう。次は感覚による心への作用と心による思考への作用を考えていくよ」


 そう言うと、彼は板の脇に置いてあった机の下から何かを取り出した。見れば、半透明の容器の中に何やら白い物体が幾つか入っている。容器の蓋を開け、デイヴが丸みを帯びたそれを摘まめば、指が沈んでその白い物体が柔らかいことが見て取れた。


「これは大福と言ってね。ここから随分と離れた異国に伝わる菓子だそうだ。小豆で出来た餡を餅――米の一種を蒸して搗いたもので包んで作る。朝食を食べ、歯を磨いて口も漱いだばかりではあるが、これを食べてみなさい」


 手渡された大福をよく見れば、外側の白い餅には粉が塗してあり、手の上で動かすと元々乗っていた位置にはその粉が付着していた。アルマは右手で軽く握って手触りを確かめてから口に入れ、咀嚼する。餅の部分を食い破れば中の餡が顔を出し、彼女の舌にその食感と味を伝えていく。

 潰れながらも感じられる豆の形と感触。主張し過ぎない甘味。全体的に癖が少なく、簡単に食べられるもののように感じられた。だが、少しすると餅の伸びやすいという性質がわかってきて、すぐに飲み込もうとすると喉に詰まる危険性もあることがわかる。


「では、次はこっちを食べてごらん」


 何度も咀嚼して小さくしてから大福を飲みこんだアルマに、また別の大福が差し出された。それを受け取り、再び口の中へと入れる。噛んで餅の部分を食い破れば、少しの水気とペースト状の何かが舌先に伝わる。灼けるような熱と痛み。主張し過ぎる塩気。後から広がっていく強烈な苦味。癖が強いどころではない冒涜的な味に、とても簡単に食べられる菓子などではないことを感覚的に理解する。


「……どういうつもりですか、先生」


 受け付けようとしない胃に大福を無理矢理送り込み、痺れた舌でどうにか言葉を発すれば、デイヴは顔を逸らして笑うのを堪えていた。


「い、いや……これも必要なことではあるんだがね――駄目だ、真顔で食べて微かに震えている君の姿が面白過ぎる。く、くくっ……本当に申し訳ない。とりあえず水を飲んで刺激を和らげると良い」


 彼の手に握られたものを見る。透明な容器に透明な液体。受け取り、一度指を入れて先の冒涜的な大福のようなものが入っていないことを確かめてから口にする。熱くも冷たくもなく、故に更なる刺激となることなくアルマの口内を落ち着けていく。僅かながら痙攣していた身体も次第に休まっていった。

 顔を上げ、デイヴの方を向く。彼は顔を背けたままだったが、少しすると深呼吸をして平静を取り戻し、視線を戻してアルマと目を合わせる。


「察しているとは思うが、二個目は大福を模した劇物としてうちの料理長に作らせたもので一般的な大福とはかけ離れている。さて、ここで質問だ。君は二個目の大福を食べてどう思ったかな? それに、一個目と二個目ではどちらを食べたいかも教えてもらおう」

「胃が拒もうとしているのを感じました。それと、これまでにない感覚も……きっと、私はあの大福が『好きではない』――あれを、嫌ったのでしょうか。そうなのであれば、どちらを食べたいか、というのは一個目になると思います。少なくとも、二つある状況で二個目を食べることはないかと」

「そうだね。正直私が言うのもどうかとは思うが、あんなものを好んで食べるのは狂人くらいだろう」


 デイヴが笑み、アルマが彼を見つめたまま沈黙で返す。


「……どうかしたかい?」

「いえ。何故かはよくわかりませんが、この辺りで変な感覚がします」


 手で胸の中心部を示す。小さく首を傾げているその様子は、自分でも何が起きているのか本当に理解できていない様子だった。

 顎に手を当て、考える素振りを見せてからデイヴは彼女に語りかけた。


「それがどういった感覚なのか予想はついたが、言葉で表すのは難しいね。アルマ君は今何を考えているかな?」

「この変な感覚についてと……それと、先生のことを。特に、先程の私が言うのもどうかとは思うが、という言葉を反芻すると、変な感覚がより強く大きくなっているように感じられます」

「やはりか。それは怒りや不満といった、私へのネガティブな感情とそれに伴う感覚だね。心の中でその発言がわだかまりとなり、もやもやしている――つまりは、心が晴れない状態にあるのだろう」


 一度言葉を区切り、目を逸らして再びデイヴが声を発する。


「……まあ、言うまでもなくその原因は私だろうね。あんな劇物を食べさせてその姿を笑った挙句、食べるのは狂人などと宣うのは非難されて当然だ。一回私を殴ってみるかい?」

「試してみます」

「ぐふっ」


 アルマの行動は早かった。即座に立ち上がり、捻りをつけた全力の左ストレート。躊躇いなく放たれた重く堅牢な義手による一撃がデイヴの鳩尾に突き刺さり、彼はその場に崩れ落ちて呻き声を漏らした。


「ま、まさか本当に、しかも一切の躊躇も見せずに左で仕掛けてくるとは思わなかった。私に非があるから文句を言うつもりもないし、寧ろ君が小さな心の声に従ったことは喜ばしいのだが……流石に強烈な一撃だ」


 腹を押さえ、壁に手をつけながら立ち上がって称賛するデイヴに対し、アルマは戻した左手を見つめていた。何度か開いては握ってを繰り返し、拳に残った感触を確かめているようにも見えた。


「変な感覚……もやもやした感覚、で良いのでしょうか。それが薄れていくのを感じます。これが、不平不満やその解消方法なのですね」

「いや、これを解消の手段にするのはやめなさい。ものに当たり散らす人間もいないわけではないが、君の周囲で積極的に何かを壊すような者はいなかっただろう」

「養父様は騎士団の方々で苛立ちを解消していましたが」

「それは相手に非があり、加えて言えば双方が気心知れた仲だから……の、はずだ。私はアルテア侯が周囲の者とどういった関係を築いていたかわからないから、はっきりとしたことは言えないがね」

「安心してください。誰かを殴ることを解消方法と言ったのは冗談です。誰かを殴ることの理由として、これが一般的でなく不適格だということはわかっています」

「随分とわかりにくい冗談だね!?」


 初めてはっきりとした驚愕と動揺をデイヴが見せる。これには彼女が冗談を言えたという事実や、それを唐突に差し込まれたことへの困惑も入っていたのか、アルマの見たことのない表情だった。

 デイヴは平静を取り戻すと、アルマへと向き直る。


「まあ、君がこうしたネガティブな感情を理解してくれて私も嬉しいよ。これから何か嫌なことがあった時には、まずは原因を探してそれを取り除くことを考えてみよう。ただし、今回のように下手に行ってはいけないこともあるから、それらは君の持つ一般常識と照らし合わせて考えてみなさい」

「わかりました、先生」

「さて、長くはなったが、これが感覚による心への作用、それと心による思考への作用だ。君は普通の大福と劇物を食べ比べ、どちらを好むか、どちらを食べたいかを検討した。言うまでもなく、味は大福の方が優れていたからそちらを好み、食べるに値しない劇物を嫌った。そうして生まれた好悪の感情が君の思考に影響し、普通の大福を食べたいと考えたというわけだね」


 話しながら再び板書を始めていく。アルマも手に付着した大福の粉を拭ってから、手元の紙に内容を写す。


「さっき私を殴ったのにも同様のことが言えるね。私は劇物を食べさせた張本人にも関わらず君の反応を見て笑っていたことでアルマ君は怒りや不満を覚えた。そして、それらの感情が私からの提案に君を躊躇いなく乗せるように誘導した」


 感覚と心、それと思考についての話はこれくらいかな、と告げてデイヴは筆を置く。その後椅子に座り、アルマが紙に書き込み終えたのを確認してから口を開いた。


「今日は初日……というのもあるが、正直に言ってしまうと口頭で説明することは大体話し終えたからね。講義はここまでにしよう。明日からは様々なことを体験させ、君の心を探っていく形で執り行うつもりだ。その為にも、空いた時間にでも今日感じた自分の心に目を向けてくれると嬉しいな。具体的には、読書なり鍛錬なりする際、その内容についてどう感じるかを意識する、といった具合だね」

「はい、先生」


 デイヴが宙で筆を振るえば、魔法が発動して板に刻まれていた文字が消えていく。この筆は物体を傷つけ、破壊するという魔力の性質を限界まで抑えて運用できるように作られた魔法道具だ。光魔法で文字を書き、書いた文字を任意のタイミングで消すことも可能な優れものである。


「では、これにて講義はお開き。今日はもう予定もないから、自由に過ごすと良い」


 その言葉に従うようにアルマは紙をまとめ、荷物を持って退出する。そうして、一日目の心についての講義が終了した。



 ランプの灯った部屋で、デイヴ・アバーナシーがデスクに向かっている。


(『ロート姉弟と宝石の鍋』と『ザーフィルの旅』――共通の要素は桃と橙の中間色の宝石。つまりはそういうことなのだろうが……全く、不器用な方だ)


 握っていた筆を置き、頬杖をついて大きな溜息を吐く。彼の心中はアルテア侯ジェント・リヴォルタへの呆れで満たされていた。習慣に則って贈ることもできただろうに、と呟きつつ手元の紙に目を通す。


(事前の仕込みもあって心の芽生えは早かったな。冗談というものについての知識も持っていたのだろうが、ああして実践に移ったというのも悪くない)


 或いは、心という原動力が極めて小さいだけで、本来の彼女は主体性のある人物だったのかもしれない。何か疑問があり、自らの内で思考を重ねても解が出ない時には素直に尋ね、答えを求める。研究者でもあるアルテア侯の下で育ったからこその気質かもしれないが、いずれにせよ心の自覚と成長に時間はあまりかからないだろう。

 そのきっかけは、やはりセシルの言葉だろう。彼女に任せて正解だったなとデイヴは小さく笑う。まだ自分を人形だと考えており、純真無垢だったからこそセシルの言葉が染み込んでいった。言われるがまま――恐らく、アルテア侯に拾われる前も含めて、誰かの命令に従って生きていたのだろう。それ故に余計なことを考えず、疑うということを知らなかった。知識としては知っていたのだろうが、行うことはなかった。


(……まあ、純真無垢でなければそれはそれで心が芽生えているということでもあるから、何とも言い難いがね)


 そういったことも加味すると、これは決して良いこととは言えないだろう。彼女の語った言葉だけでも、どのような生活をしていたのかは窺い知れる。

 情報とは曖昧で危ういものだ。少なくとも、デイヴは昨日今日でアルマ・リヴォルタという人間の育ちを大まかに認識できた――できてしまった。


(アルテア侯に拾われたと言っていたが、戦災孤児とは少し違う。言い方は悪いが、その前から何者かに飼われていたのだろう。育った場所はアルテア領……スラム街か。私の出した話への食いつきが良かったからな。アルテア侯はやり手とは聞いているが、戦争が始まればどうしてもそういった環境は出てきてしまう。長期化すれば尚更だ)


 しかし、腑に落ちないこともある。外見から判断すればアルマの年齢は十四か十五といったところだろう。


(確かにこの戦争は長期化してしまったが、それでも彼女が生まれたのは開戦前のはずだ。それから四年か五年は親元で育つ時間もあっただろう。だが、彼女にはっきりとした心や自我は芽生えなかった。普通に育てば――仮に普通でなくとも、それこそ捨てられたとしても、それらは形成されるはずだ)


 そう。本来ならば、どのような育ち方をしたとしても心は得られるはずなのだ。外部から刺激を受けて育まれる。

 だというのに、彼女はそれをまともに持っていなかった。身体に異常があるわけではない。現に、アルマは今日一日だけで自らの心を自覚し、育み、そしてこれから目を向けようとしているのだから。


(ということは、それができない環境にいたということになる。それも偶然ではないだろう。心を育めない環境が偶然生まれることなどない。恐らくアルマ君が心を得ずに育つように誰かが仕向けた――これは人体実験と言っても過言ではない。だが、誰がそんなことを……それに、何の目的でそうしたのか。理由が見えてこないな)


 少なくとも、そのようなことをする以上そこに何らかの価値が存在するのだろう。その価値について理解しなければ追求することはできない。

 頬杖をついて顔を支えていた腕を替えようとし――そこで、息を呑む。


「殺しに秀でた都合の良い存在の量産、か……?」


 アルマ・リヴォルタ。『ビランチャ隊の殺戮人形』。彼女は殺しに長け、殺意を感じ取り、死と共に生きているような人間である。もし彼女が人為的に生み出されたのであれば、同じことができない道理はない。もしくは前後が逆で、そのような者を作ろうとして彼女が生まれたのか。

 いずれにせよ、無視できるようなことでもない。これらは全てデイヴの憶測でしかないが、アルマのルーツを考えると納得できることも多い。殺しの技術をどこで会得したのかという点にも説明がつく。


「やれやれ。アルマ君の成長を以て、私の御役目も終わると思っていたのだがね」


 あと一ヶ月……長くとも二ヶ月もすれば彼女は自分の心を明確に認識できるようになると考えていたのだが、もう少しだけ働かねばならない。後々のことを考えて今の内から整理をしていたというのに、面倒事が増えてしまったなと心中でぼやく。

 椅子に身を預け、天井を向いて大きく伸びをする。

 薄暗い部屋の中、部屋の片隅でランプの光が二台の通信機を照らしていた。

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