Al02 前を向いて①
アミュレイト王国、アルテア侯爵――ジェント・リヴォルタ。
レージュア王国、マーティア辺境伯――デイヴ・アバーナシー。
二人の死によって、両国の戦争は終結した。十年もの間続いたことから後世に十年戦争と呼ばれることになるこの戦争は、両国のみならず周辺国家にも大きな影響を及ぼすこととなる。十年間戦争が続くということは、過去にもあまり例を見ないことだったのだ。
アルテア侯爵は戦時中、魔法学において多大な功績を遺した。現在世に浸透している魔法理論の九割以上は彼が構築したものだ。それに加え、これまでにない新たな魔法の発案と実用化を行うばかりか、武具や日用品を問わず、魔法を組み込んだ三百以上もの道具を開発。魔法言語の解析とそれに伴う詠唱の最適化、魔力制御の効率化といったことも同様である。
これらは当主の座を継いだ彼の弟、ジーノ・リヴォルタと国王エドモンドによって他国にも広められ、魔法学は世界規模で大きな進歩を遂げることとなった。
また、彼の遺した手記にはアミュレイト王国における貴族の不祥事等が記されていた。これを受けた国王エドモンドは真偽を精査した上で該当する貴族の粛正に踏み切る。それによって議会は再編され、国王と議会の対立は解消された。かの国の貴族は大きく数を減らすこととなったが、アルテア侯爵の遺した置き土産もあり、国としては安定するという結果となった。
マーティア辺境伯は血縁者がいなかったため、彼が治めていた土地は一時的に他の者に任されることとなる。国としては暫くの間不安定な時期が続いたが、マーティア辺境伯の遺書が王宮に届けられると情勢は一変。アミュレイト同様一部貴族の粛正に乗り出し、戦前よりも安定した運営が行えるようになった。どちらも主戦派の殆どが粛正対象となった貴族だったこともあってか、戦後初めて催された両国王の会談では、互いに非常に朗らかな笑みを浮かべていたという。
終戦から一年後には、二国の講和を記念した学園が設立された。これは戦後間もなくから計画されていたことであり、平和の象徴としての政治的意味合いを持っている。無論それだけではなく、単純に互いのことをよく知り、自分の意思で世界に目を向けて欲しいという願いを込められていて、両国王からするとそうした思いの方が強かったりもする。
二国とも広大な土地を持つ大国ということもあり、どこに設立するかは幾度となく議論を重ねて検討された。最終的には南部に人工島を建設し、その上に設立することとなった。戦争終結のきっかけを作った二人が領主を務めていた土地とは北と南とで正反対である。様々な事情があってのことだが、表向きには学生も教師も寒冷地で寮生活を強いるのはよろしくないからと発表されている。
*
――十年戦争の終結から三年が経過した。
終戦後すぐにアルマ・リヴォルタはアバーナシー家で働いていた者達に別れを告げ、自国へと戻った。叔父のジーノ・リヴォルタに養父の遺言を伝えて家を出ようとしたが、引き留められたことで再びリヴォルタ家で過ごすことになる。一年程は慣れない業務に手を焼いていたジーノの補佐をして生活するも、その間に彼女が笑顔を浮かべたのは片手で数える程しかなかった。
しかし、講和記念学園の設立が公表されると様子が一変する。ジーノに学園の教員になりたいと告げ、その道の勉強を始めたのだ。当初はジーノの補佐と並行して進めていたため難航し、精神的に不安定になることもあったと彼女の手記に記されている。
その最中、レージュア王国から姿を消していたセシル・マティスがリヴォルタ家を訪ね、アルマ専属の使用人として仕えるようになる。それからは彼女の助けもあり、ジーノの当主業務とアルマの勉強は軌道に乗ることとなった。
そして、必要な資格を全て取得し終えて採用試験に臨み――アルマは教員として勤務することが決定した。
*
「魔法学教授と養護助教諭の兼任……ですか?」
アルマの私室で、セシルが怪訝な顔をする。
「講和記念学園とはありますが、魔法生物に対する自衛や将来の選択肢の幅を広げる為に戦闘訓練も行っているのだとか。そのせいで怪我人が出ることも珍しくなく、養護教諭が不在の時にも任せられる人材が欲しいと話していました」
「本当に名前の割には物騒ですね。まあ、世界に目を向けて欲しいというのも設立した理由にはありますし、旅をするならそうした技術を磨いておいて損はないですが」
最近のセシルは若干砕けた口調で話すことがある。専属の使用人ではあるが、それと同時に一人の友人として接するようにもなったからだろう。こういったことはあまりよろしくはないと語っていたが、アルマの要望もあって殆ど対等と言っても差し支えない関係を築き上げている。
二人の関係が変わったように、この三年間で起きた変化は数え切れない程ある。アルマもセシルもアバーナシー家で働いていた者達とは定期的に連絡を取っていて、都合が合えば一緒に出掛けたり茶会を開くこともある。これらはアルマが主体となって行っており、これまでの彼女からすれば想像もつかないことだろう。ちなみに、主人であるデイヴこそ亡くなったものの、どうやら万が一に備えてかデイヴが事前に根回しをしていたらしく、再就職先には困らなかったという話だ。
「ともあれ、おめでとうございます。……正直に申し上げますと、結局御二人の命日に北と南を行き来しなければならないというのは心配ですが」
「ありがとうございます。参拝に関しては……まあ、そういうものですから。養父様と先生の墓参りと、学園の慰霊碑の前で黙祷する頻度が逆転するのは申し訳なくも思いますがね」
「これまでは命日に学園を訪ねる形でしたからね」
「はい。魔法を使えば移動の手間も減らせますし、頻度も増やせますが……やはり、こういったことは自分の足を使うべきだと」
セシルの淹れたカルメールティーを飲みながら、アルマは窓に目を向ける。その視線のずっと先にはジェントの墓があった。町の外れに専用の墓地を設けた形になっており、そのようにしたのはアルマの意向だ。ちなみに、デイヴの墓は以前彼の治めていた土地の一角にあり、許可を得れば誰でも参拝できるようになっている。
「養父様の遺品整理はどうなりましたか?」
「まだ始められそうにないですね。最近はジーノ様御一人でも仕事が回るようになってきましたが、如何せんジェント様が遺された資料や論文が随分と多いもので。率直に申し上げますとまだ終わりが見えません。理論や技術の開放を優先していましたが、逆にそのせいで全く手が付けられない状態です」
「わかりました。学園の教員寮に移るまで、私も手伝います。それらに詳しい人間がいた方が進みやすいでしょう」
左手でこめかみを押さえ、溜息を吐く。個人が優秀過ぎるとそういった弊害も出てくるのだと実感する。既に開放されたものだけでも魔法学が二十年は進んだと言われているのだ。それでいてまだ開放されていない理論や技術が数多く存在しているとは、それら全てが世に出れば魔法学は何年分の進歩を遂げるのだろうか。
養父の偉大さと、自分がどれだけ恵まれた環境にいたのかを改めて認識する。空いた時間に魔法の研究も進めていたが、アルマ一人では芳しくないとしか言いようがなかった。しかしそれでも、彼女はジェントがいない今では世界一の魔法使いと呼べるだろう。本人もそれを自覚しており、そしてそれこそが問題だと考えているのだが。
「……ふふっ」
不意にセシルが笑う。何かおかしなことでもあっただろうかと首を傾げるが、そうではないと言うかのように彼女は頭を振った。
「アルマ様が御自分のことを、自然と人間と仰ったことが嬉しいのですよ」
「その言い方ではまるで保護者ですが」
「む、それは聞き捨てなりませんね。私が年を食っているようではないですか」
「いえ、セシルはまだまだ若いとは思いますが……自分からそんなことを言ってしまうと、逆にそう考えていると捉えられかねません」
困ったような表情を浮かべるアルマ。セシルは心外とでも言いたげな様子だったが、その姿を見て再び微笑んだ。
「一理ありますが……やはり、嬉しいものです。三年前、出会ったばかりのアルマ様も大変御綺麗ではありましたけれど。こうして様々な表情が見えるようになって、自分からしたいことを見つけて。……御二人には悪いですが、隣でアルマ様の成長を見ていられる私は幸せ者ですね」
「……まあ、セシルがそう思っているのなら何も言いません」
顔を背けて視線を逸らす。少しだけ頬が熱い。誤魔化そうと茶を口に含むが、淹れて時間が経ったわけでもないため余計に熱くなってしまった。
今のアルマも感情が顔に出ることは少ないが、内心では情緒豊かな方だと自負している。しかしそれでも、こうした感情には慣れないものである。嬉しくないわけではないが、はっきりと言われると気恥ずかしさが勝ってしまうのだ。どういった対応をすべきなのかがよくわからず、このように誤魔化そうとして失敗するのも珍しくない。
「そろそろ御報告に参りましょうか」
そこで、流石に見かねたのかセシルが助け舟を出した。追い詰めたのも彼女だが、今回に限らずこうした場合にフォローに回るのも彼女だ。気安い関係を築きながらも、主を立てることを忘れない。従者としての心構えである。
「……セシルはずるいです」
視線を逸らしたまま呟く。自分で対等な関係でありたいと望んだとはいえ、立場としては一応上のはずなのだが。これまでも、そしてこれからも、どうしてもセシルに勝てそうにはないとアルマは感じた。
*
「快晴で何よりです」
町外れにあるジェントの墓へ行くには、あまり整備されていないせいで足場の悪い道を使う必要がある。衛兵の巡回も頻繁に行われているわけではなく、野生の獣――時には魔法生物が現れることもあって、兎にも角にも危険が多い。それ故に、雨や雪が降られては堪ったものではない。
厄介なことにならず、安堵したかのような息をアルマは漏らした。
「天候によっては、ただでさえ悪い足場が更に悪くなってしまいますからね。傘を持って歩くのも意外と疲れるものですから、本当に何より以外の言葉がありません」
セシルもそれは同じのようで、非常にリラックスした様子で歩いている。天候が良くとも危険が多いことには変わりないのだが、実のところこの二人にはその辺りをうろつく魔法生物程度では危険にもならないのである。
アルマは十年戦争で挙げた戦果から言うまでもなく。
セシルも武芸百般をデイヴに叩き込まれており、並の兵士はおろか大隊長にも劣らない実力を持つ。
そんな二人が並んで歩けば寄り付くものなどそうそういない。人間であればその優れた容姿に惹かれて声を掛ける者もいるだろうが、獣――その中でも特に好戦的な個体に関して言えば本能的に避けるはずだ。そうでない場合は余程プライドが高いか、本能が酷く鈍いかのどちらかである。
木漏れ日を浴びながら進む。冬が明けて間もないが、既に木々の葉は生い茂っている。この道に並ぶ木々は葉が落ちるのが遅く、生えるのが早い。元々がそのような品種なのだろう。アルマは植物に関してはあまり詳しくはないが、緑で溢れている時期が長いのは嫌いではなかった。
「そろそろですね」
大きな袋を持って歩くセシルが呟いた。彼女の言葉に違わず、それからすぐに目的地に到着する。
木々に囲まれながらも開けた空間。中央には小さくも立派な墓石が設置されていて、そこには既に薄い桃に色づいた一輪の花が供えられていた。
「叔父様でしょうか」
「恐らくは。……ジーノ様はその呼び方を嫌がっていましたが」
「私はまだ何も言われていませんから」
「ふふ、意地悪な方ですね。しかし……成る程」
「どうしましたか?」
「いえ、ジーノ様の心情について少々。時期というのもありますが、どうやら弱音を吐露していたようですね。また、それでいても折れないという決意も感じられます」
セシルの分析に、アルマは目を丸くする。
「供えた花からですか?」
「ええ。アミュレイトではある一つのものに込められた言葉を重要視する習慣があるようですので、それに則った上での推測になりますが。ジェント様の墓前で――いいえ、墓前だからこそですね。恐らく当主業務やジェント様の遺したあれこれの整理で参っているのでしょう」
「ですが折れないと」
「あくまでジーノ様の決意でしかありませんから。虚勢とも言い換えられますがね。一度、息抜きに手合わせでもして差し上げてはいかがでしょう」
「考えておきます」
そこでアルマは一度区切り、セシルの方を向く。
「……前から思ってはいましたが、セシルはたまに素で辛辣なことを言いますね」
「従者たる者、そういった面も必要ですので。アルマ様は御存知ではないかもしれませんが、主と外出する際には服装や素行に問題がないか確認する役割もあるのですよ」
少しばかり優位に立てるかと目論んでの指摘もくすりと微笑んで受け流される。この手のやり取りで彼女に勝てたことは一度もなかった。
セシルが白一色の花束を手渡す。全て同じ種類の花で、アルマが持つと木漏れ日に煌めく銀髪も相まって雪の精のようにも見えた。
彼女はゆっくりと墓石へ近づくと、既に供えられていた花の隣に花束を置いた。すぐには立ち上がらず、屈んだまま目を閉じて黙祷する。
少しだけ、その場から音が消える。
「……では、行きますね」
目を開けて立ち上がる。アルマが心中で何を語っていたのかは、彼女以外誰も知らない。だが、それで良いのだとセシルは考える。大切な者――それも故人に向けた言葉を詮索するなど無粋の極みだ。
二人並んで、今度は来た道とは反対側にある道を歩いていく。こちらも手が加えられていないせいで荒れているが、やはりと言うべきか足取りは随分と軽やかである。落ちた枝葉を踏まないよう慎重に、しかし速度は落とさず。アルマは足音というものが全く聞こえず、セシルも極めて小さいのに二人の歩く速度が落ちることはまるでなかった。
はっきりと言ってしまえば、今二人の歩くこれはとても道と呼べる代物ではない。舗装するどころか、最低限道として機能するように整備されてもいない。辛うじて、出発点と行き先を示すように木々の並びを整えているくらいだ。
このようになっている原因は、言うまでもないが野生の獣にある。一般的な動物ならまだしも、魔法生物が出没することもあるのだ。しかも町から離れているわけで、そんな場所に道を敷いて維持するとなると、掛かる費用に対して利点が少なすぎる。
そして、アルマがわざわざここに墓を設けた理由もそこにある。生前のジェントはあまり人と接するような人物でもなく、静かな場所を好んでいた。特に彼は自らの死によって十年戦争の終結を担った功労者でもあるのだ。直接の接点はなくとも墓参りに来ようとする者も多いだろう。実際に、デイヴの墓は参拝に訪れる者が多いと聞いている。
ジーノもこの方針には賛同しており、設置する際には自ら適した土地を見繕っていた。獣除けの道具も積極的に調達し、墓が荒らされないよう対策を練っていたのをよく覚えている。まあ、最終的にはジェントと親交のあった者――即ち、その辺りの魔法生物程度では苦にもならない実力者が結構な頻度で訪ねるせいで、墓に寄り付くようなものはすぐに消えたという落ちがついたのだったのだが。




