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Ar05/Al01 ドール・トゥ・ガール④

 全てが静止している灰色の世界。眼前には十字剣を振り抜く直前のまま一切動かないジェントの姿。その後ろには十字剣の後を追うように配置された光剣が見える。


(確かこれはスローに見えているのではなく、死に直面したことで限界まで研ぎ澄まされた感覚が時間経過を遅く感じさせているのだったか。いずれにせよ、初めての経験だな)


 死の間際、生存本能がもたらす感覚と記憶の拡張。不思議とそんなことを考えられるくらいには冷静だった。或いは、極限状態にあるからこそ生存の為に思考を冷静にしているのかもしれない。

 今のデイヴには何もかもがはっきりと感じ取れた。ジェントや彼の握る十字剣から漏れ出す光の粒子に、大気を舞う塵。砕けた地面から飛び散った細かな粘土。それら一つ一つに至るまで詳細に知覚し、更にそれぞれに加わった力の大きさや方向まで。


(……美しい)


 戦闘中だというのに、そんな感想が湧いて出た。

 まるで世界を無数の糸で絡め取っているかのよう。ありとあらゆる物理的な因果を理解した彼には、自分がどう動くべきか、どのような結果を得られるか、そして少なくともその先の十手まで把握できた。


(流石に腕は動かないな)


 脳だけが超高速で稼働しているが、その速度に彼の身体は追いつかない。

 だが、デイヴは構わず腕を動かそうとし続ける。世界が戻ると同時に動くように。間に合わないということはまずないだろう。こうして腕を動かそうとするだけで、そこに力が加わっていくのを感じている。続ければ続ける程、力は大きくなっていった。

 少しずつ世界に色が戻り、止まっていたものが動き始めていく。その状態でも感覚と記憶の拡張はまだ完全に終わったわけではないらしく、腕を動かすのと同時に身体と認識の僅かなズレを調整することまでできた。

 もう一度、闘志を昂らせる。死に傾いた身体を生へと戻し、気合を入れなおすように息を吸う。

 そして、全てが元に戻ると同時にデイヴは叫んだ。


「私は――私はまだ、戦える!」


 全身全霊でサンドリアを振り上げる。切っ先に入った大きな亀裂が更に拡大していくが、灯された灰炎の勢いの衰えぬまま繰り出された一撃は、光速で振り抜かれた十字剣と真っ向から激突した。

 光と灰炎は嵐の如く周囲へと解き放たれ、ジェントの後方の光剣を木っ端微塵に砕く。それを知っていたが故に迷うことなくサンドリアを連続で振るい、遂に十字剣の刀身を根本から折ることに成功した。

 デイヴの攻撃はまだ終わらない。双眸をはっきりと開いたジェントに灰炎を放出することで加速させた蹴りを見舞い、更に胴体を両断する勢いで放った横薙ぎの一撃が決まる。傷口に残った灰炎が炸裂し、彼の身体を大きく吹き飛ばした。


「古き大悪魔……その左腕をここに!」


 一度灰炎を消し、その間に神獣の権能によって取り込んだ古き大悪魔の爪の破片から左腕を顕現させる。再生途中の左腕を覆い尽くすようにして、血を思わせるような深紅のラインが入った純白の肌が姿を見せた。

 腕は細く、長さも人間とそう変わらないものだった。しかし指の先端――漆黒の爪は獣のそれに近い。若干丸みを帯びていて、太くも鋭い。掴んだものを容易く抉り引き裂いてしまいそうな危うさがある。


「その深紅のライン……貴様が食った心臓と同じ色だな。何か共通点でもあるのか?」


 十字剣は折れ、自らも深い傷を負ったというのにジェントは意に介してもいなかった。空間を繋げる魔法でデイヴの目の前に現れると同時に、闇の長槍と光で刀身を作った十字剣で斬りかかってくる。それらの動作は静止した世界から得た情報から構築した先読みの通りだったこともあり、サンドリアと腕を使って難なく受け流す。その後の反撃まで含めてデイヴの対応は完璧だったが、それ故に読まれていることを読んだのかカウンターの一閃は光速移動で距離を取られ回避された。

 見れば、無傷というわけではなかった。肋骨のすぐ下の辺りは大きく抉られており、そこを更に残留したデイヴの魔力によって灼かれている。口からも血が垂れているが、戦闘続行には問題ないように振る舞っている。


「そんなことより、私は貴方がその状態で動けていることの方が気になるがね」

「魔法で血流を弄っているだけだ。……今の貴様の魔力は、俺の体質を以てしても肉体に損傷を加えた上で再生を阻害する効力があるようだな。これでは治るものも治らん」

「ここまで来たら治す気もないだろうに」

「それもそうだな」


 身体が痛む。全身余すことなく激痛に苛まれている。存在の格が上がったからと言って痛みが消えるわけではない。デイヴ・アバーナシーという一つの生命体であることには変わりはないのだ。

 左腕は大悪魔の腕と接続されているが、再生途中の断面から神経を物理的に繋いでいるせいで突き刺すような痛みと熱が絶えない。右肩から左脇腹にかけて刻まれた裂傷は細胞一つ一つに炙られているかのような感覚を送り続けている。

 傷でなくとも酷使した身体は既に悲鳴を上げている。特に静止した世界の観測と、その状態で動こうとした反動は非常に大きかった。一度に膨大な量の情報を処理したせいで脳は疲れ切っており、割れるような頭痛と熱を発している。最短最速で動かす為に命令を送り続けた腕も、目に見える傷こそないものの中は大変なことになっているに違いない。

 だが、それらがデイヴの歩みを妨げることはなかった。再び灰炎をサンドリアに灯して駆け出す。眼前のジェントから放出される光の粒子が多く、そして強く輝いたのを見て光速移動の前兆と判断し、限界を超えて感覚を研ぎ澄ます。


 ――そして、世界が灰に染まった。


 本来死を間近にして初めて体験するはずの感覚と記憶の拡張。それをデイヴはたった一回の経験で強引に引き出し、一つの技術として確立させることに成功した。

 静止した世界の中で、多くの情報を次々に知覚していく。どんな力が、どれくらいの大きさで、どの方向に働いているのか――それら全てを認識し、少し先の未来を理解する。

 左腕を動かそうとする。当然動かないが、先程と同様そこに加わる力が大きくなっていくのを感じた。これによって静止した世界が元に戻る時、本来デイヴに出すことのできない初速を得られるようになるのだ。


(流石にもう終わるか)


 先程よりも世界に色が戻るのが早い。デイヴ本人の疲労が大きくなっているのもその理由の一つだろう。だが、一番の理由は自分の意思でこの世界に足を踏み入れたことだと確信していた。要するに、理性も本能も必死さ――生への執着が足りないのだ。

 唐突に、デイヴは少しずつ動き出す世界の中で僅かな揺らぎを感じた。


(……これは)


 何か物理的な力が加わったわけではない。大気や塵が舞っているだけの虚空から謎の揺らぎが生じたのである。これが何なのか理解はできない――正確には、この揺らぎを認識したのは初めてで関連する知識を持っていないのだが、普通では起こり得ない現象なのは確かだ。


 ――そう、理解できない(・・・・・・)からこそ確信できた(・・・・・・・・・)


 デイヴが自分の取るべき行動を認識すると同時に、世界は再び完全に色を取り戻す。ジェントに向けて突き出された左腕は、闇の長槍と十字剣を逸らし砕きながら彼の胸に迫る。鋭い爪を備えた指が傷口を広げるように入り込み、臓器を傷つけながら肋骨の一本を掴み……折って引き抜いた。

 その際に生じた強烈な衝撃がジェントの身体を大きく吹き飛ばす。血が飛び散り、しかし即座に流血は止まって彼も体勢を整えた。常軌を逸した対応力。まともに受ければ間違いなく死んでいた一撃に対し、ジェントはまず衝撃を和らげて身体がそれ以上損傷することを防ぎ、その直後に血流を操作して血を失わないようにした。動じることなく対応していることから痛みを極力排除しているのかもしれないが、それにしても判断の速度が尋常ではなかった。

 認識と判断、そして実行のプロセスというものが限りなく短い。少なくとも知覚能力はデイヴよりも上だろう。頻繁に使用している空間を繋げる魔法で神経伝達にかかる時間をゼロにしているのかもしれない。判断に関しては自前の頭脳の賜物だろうか。こうも一瞬で実行に移れるのであれば、人間というよりも一定のルーチンに従って動く機械のように感じられた。


「こんな局面になって何かを掴んだようだな」

「何のことかな。貴方の肋骨なら掴んで引き抜いたが」

「ほざけ」


 ジェントが笑う。デイヴも惚けたような笑みを見せるが、それでも彼自身優勢に立ったとは思っていない。会得した技術は決して乱用できるようなものではない。脳と肉体に著しい負担をかける荒業だ。死に際にのみ許されたことを再現しているのだから当然ではあるが、魔力を利用した肉体強化などとは比べ物にならない程命を削るものだった。

 行えてあと一回といったところだろう。そう確信し、デイヴは笑みを穏やかなものに変えて口を開いた。


「そろそろ終幕といこうか。こんな不毛な戦いを続ける必要もない」

「そうだな。……ああ、本当に」


 最後の一合に向け、互いに立ったまま脱力する。


「これを見せるのは貴様が最初で最後だ――七番極式」


 刀身がなくなっただけでなく、鍔や柄までひび割れた十字剣が掲げられる。次の瞬間、可視化できる程の密度を持った魔力が放出され、そこにあるべき刀身の形をとる。

 本来素の魔力というものは目に見えるものではない。例外はデイヴの放出していた深紅の魔力くらいで、常人では自らの生命を燃やし尽くして魔力を絞り出したとしても、人はそれを視覚で認識することはできない。

 だというのに、目の前の男はそんな常識を軽々と打ち破っている。本当に規格外な方だとデイヴは心中で称賛した。


「生命そのものに干渉する魔法、その逆がこれだ。生という概念を対象から切り離す、そのことだけに特化した虐殺の為の魔法。禁忌と罵られてもおかしくはない……いや、寧ろ罵られて当然だろうな」

「さっきの闇の魔法もそうだけど、貴方は本当に躊躇なくそんなものを人に向けるね。合理的に生きるのは苦労しそうなものだが」

「合理的だから何でもする、というわけでもないがな」

「それもそうだ。でなければこんな事態にはならなかったからね。……まあ、光栄に思うよ。かのアルテア侯が本気で敵と認識した相手になれるのだから」


 魔力を生成する。神獣の権能をフル稼働させた上で、それでもなお命が削れていくように(・・・・・・・・・・)全力で。生成した分は全てサンドリアに注いでいき、灯された灰炎を膨れ上がらせていく。

 身体が裂け、血が垂れる。再生が追い付かないくらいの勢いで自らを傷つけ、衰弱させる。その姿を見ていたジェントが納得したような表情を浮かべたのが見えた。

 互いに準備が終わったのを直感的に把握し、構える。左半身を引いた居合の構え。鞘はないが、そこはサンドリアの刀身を大悪魔の左手で握ることで無理矢理成立させた。あとは時を待つだけ。最後の一合のきっかけとなるものが何なのか、デイヴには理解できていた。


 ――不意に、視界の端で何かが眩く煌めいた。


 それと同時に二人が動き出す。ジェントが光速で移動し、デイヴは身体が死を目前にしたことで静止した世界に足を踏み入れる。自分自身で限界まで命を削ることで、会得した技術を本来の――いや、それ以上の精度で成功させるに至った。

 何も動かない灰色の世界で、デイヴは知覚できる情報の全てを掬い取る。三度目となれば慣れたもので、加速した主観時間がどれだけ経過すれば終わるのかすら理解できた。


(……避けられないな)


 出した結論は、ジェントの一撃を捌けないというものだった。限界を超えるどころか限界という天井を壊し、突き抜けるように研ぎ澄ました感覚によってどれだけの初速を得ようとも、受け切ることも躱すこともできない。悠久の蛇の忘れ物は間に合わない。彼の最後の攻撃はデイヴが静止した世界に踏み入れることを前提に繰り出されていた。

 人体の可動域の外からの攻撃。姿勢を変えるのも関節を外して強引に可動域に入れるのも、それをしている間にジェントの一撃によって命を落とすだけだ。デイヴにできるのは、攻撃を受けながら反撃することだけだった。

 それがわかれば十分だった。動かない身体に力を入れる。

 この一合で二人は互いに命を落とすことになる。それを理解しながらも、デイヴに恐怖はなかった。それはジェントも同じだろう。既に覚悟は決めてある。


 ――そして、運命の時が訪れた。


 膨れ上がった灰炎を全力で放出し、これまでにない程加速させた居合を放つ。肉に食い込んだ刃が移動して鮮血が舞う。立てられた爪が動く刀身に亀裂を作る。大悪魔の左腕を焼き焦がしながら、ボロボロになったサンドリアが振るわれた。

 腕一本を犠牲にした一撃がジェントの魔法と衝突する。人知を超えた領域での一合は大地を割り、空を裂き、世界を物理的に揺るがしかねない衝撃を生んだ。

 だが、それも刹那のことだった。サンドリアは半ばから折れ、魔法はその大半が消失する。魔力も殆ど透明になり、しかしそれ故に互いの攻撃はすれ違い――二人の身に届く。

 神獣の権能が剥がれていく。古き大悪魔の左腕が消えていく。生命を喪失させる魔法は確かにジェントの語った通りのものだった。その身に受けたことで、それが虐殺の為のものだと実感できた。

 灰炎がジェントの傷を広げる。組織を焼いて潰し、それでも出血は止まらず大量の血が溢れ出す。正面から臓器が覗けるようになってしまっていた。

 一瞬だけ静寂がその場を支配し、二人は仰向けに倒れる。未だ生命活動を行えているのが不思議なくらいだった。だが、それもすぐに終わる。何をしても助かることはない。


「貴様……謀ったか」


 ジェントの恨めし気な声が聞こえて、小さく笑う。二人の視線は同じある一点を見つめていた。


 ――その身から光を溢れ出させたアルマ・リヴォルタを、穏やかな目で見ていた。

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