Ar05/Al01 ドール・トゥ・ガール③
「本来なら致命傷だったはずだが……それを理解した上で、躊躇せずに仕掛けてくるとはな。治るとわかっていても相応の恐怖が伴うのが人間というもの。考えはしても実行するのには多大な勇気が必要となる。褒めてやろう」
デイヴから少し離れた場所で、唐突にジェントが出現した。その手にはいつの間にか回収していたのか十字剣が握られている。
「左目を犠牲にしても口の中を切るくらいの傷しか与えられない、というのは流石に少しショックを受けるね。防壁が割れる寸前、自分から蹴りと同じ方向に跳んだだろう?」
「それもあるが、別にこれしか傷を受けなかったというわけではない。再生促進の魔法を使っただけだ。寿命を削るせいであまり使いたくはないが……まあ、今となっては関係あるまい」
ジェントに動く気配はない。そのまま動かず時間が経過するならデイヴとしては一向に構わないのだが、その身から放たれる威圧感は少しずつ大きくなっていく。
「正直に言えば、こんな茶番に付き合うつもりはなかった。結末が変わるわけでもなく、そもそも貴様自身変えようとしているわけでもないだろう。時間の無駄でしかないと……そう、考えていた」
「今はそうではないと?」
「ああ。貴様の見せた意地に感化されているのか、それとも最後だからか。少しくらいであれば乗ってやっても良いと思っている自分がいる」
威圧感だけではない。彼の身体は淡く輝き、光の粒子が漏れ出ている。十字剣も同様で、しかもどこかその輪郭が曖昧になっているようにさえ見えた。
「認めよう、マーティア伯。貴様は俺の敵だ」
ジェントが笑う。
「生命を上書きし、その身を光と化せ――七番零式、二番零式」
そして、デイヴの左腕が消し飛んだ。
「が、ぁ――っ!?」
「む、流石に制御が難しいな。右を狙ったつもりだったのだが」
反応すらできなかった。強化された知覚能力が遅れて事態を認識していく。
今のジェントは光に限りなく近い。光速と同等の速度で動き、デイヴの左腕を十字剣で斬り飛ばしたのだ。その余波だけで周囲は完全に焦土と化している。
消し飛んだのが左腕だけで済んだのは神獣の権能もそうだが、それ以上にデイヴ自身の生存本能によるものが大きい。直感だけで大量の魔力を放出して可能な限り余波を殺した。それでも肉体は悲鳴を上げている。
ほんの一瞬。
たった一撃。
それだけで、今までの戦闘を嘲笑うかのように――デイヴは人生最大の窮地に追い込まれていた。
「ああ、一応言っておこう。これでも抑えてはいるのだが、本来ならもっと広範囲に被害が出ていた。とはいえ、今は戦場を限定して隔離しているからな。無関係の人間は巻き込んでいない」
「それはそれで、安心したけど……正直、それを気にしている余裕は、ないね……っ!」
続く二撃目をサングリアで受け止める。自らの魔力を燃料にして灰炎の勢いを上げ、無理矢理十字剣をそこに留めることに成功した。
しかし、それでも被害は大きい。刀身が軋み、腕の骨には罅が入る。肉は断裂しているだろう。あくまで神獣の権能の一端でしか行使できないせいで、損傷を抑えてもこれだけの傷を負ってしまう。
神獣本体であればこの程度の傷は一秒も経たずに完治しただろう。いや、そもそももっと余裕をもって攻撃への対応が行えたはずだ。これだけのダメージを貰うこと自体なかったに違いない。
回復を急ごうと少しでも魔力を回せば、今度は灰炎の出力が足りなくなって攻撃を受けることもままならなくなる。そうなればより深い傷を負うだけだ。故に片腕だけで光速の連撃を受けねばならなかった。
デイヴの左半身から来る刺突にサングリアの刺突を合わせる。光と灰炎が混ざり合って閃光を生み出し、それと同時に右肩から左脇腹にかけて深い裂傷が刻まれた。更なる追撃の斬り上げが絡みつこうとし、そこでやっと反応できたデイヴが切っ先の欠けたサングリアで灰炎を爆ぜさせ、強引に距離を開ける。
(死に直面したからか、心臓による強化が一気に進んだ感覚がある。……攻撃速度は光速ではあるが、動作と動作の間はそうではない。意図的に作られた切れ目が存在している。恐らく常に光速で動くことはできないのだろう。そのおかげでどうにか一発ごとなら対処はできるが、防御と被弾を繰り返してしまっては意味がない)
そう、一回であれば攻撃に反応し防御を行うことができるのだ。皮肉にもジェントの光速の一撃が強力すぎるが故に、生存本能によるものかより早く心臓が馴染み、その恩恵に与れるようになっている。このままどうにか受け続ければ、連撃にも対応できるようになるだろう。
「二番四式」
だが、その微かな希望をも砕くかのように魔法が起動する。光そのものとなって輪郭が朧気になった十字剣から光子が放出され、それと同時に光速の一閃が振るわれた。辛うじてサングリアの刀身を盾にして受け止めるが、その直後、光子は光剣となって後を追うように空を駆ける。
身体の強張ったデイヴに光剣が迫る。強烈な衝撃。ジェントの攻撃を再現するように飛来した光剣はサングリアと激突し、デイヴの身体を後ろへと押し遣った。
――そして、幾本もの光剣が並んでいるのが見えた。
「っ――吼えろ、サンドリア……!」
即座に灰炎を放出してその場を離脱する。それとほぼ同時に光剣の群れが一瞬で攻撃の軌跡をなぞるようにして飛び、最後の一本が通り過ぎた瞬間に再び光速の刺突が繰り出された。灰炎でその速度を僅かながらに減衰させたところをサンドリアで迎撃する。欠けた切っ先の損傷は激しくなり、デイヴも後方へと吹き飛ばされたが、今度は傷を負うことなく防ぐことに成功した。
そこで左目の再生が完了する。視界が戻り、攻撃への反応速度を取り戻す。左腕の再生の方も進んではいるが、まだ半分も終わっていないのが現状だった。何より、再生したとしても切れる札の数は減ってしまっている。
(エイビムから作り出し、その力を行使する源となっていたのは指輪だ。左腕を消された時に一緒に消滅してしまったのが痛いな。あれがまだ残っていれば時間の稼ぎようもあったというのに)
周辺の生命は死に絶えている。ジェントは余波による被害を抑えているとは言ったが、それでも彼の魔法によって隔離されたこの戦場は最早ただの焦土でしかなく、新たに生命が宿る余地もない。神獣の権能もまともに活用できない状態にある。
悠久の蛇の忘れ物も迂闊に使用すれば出現したところに光速の一撃を貰うだけだ。速度ではあちらの方が圧倒的に勝っている。魔法も行使してから効果が出るまでのタイムラグが殆どないため、攻撃と攻撃の切れ目……彼が光速で動けないタイミングで出現しても結局は手痛い一撃を受けることになる。原理を早期に看破されてしまったのはやはり大きなディスアドバンテージだったと言えるだろう。
となると、残された札は一つ。
(大悪魔の力をただ解放させるのではなく、神獣の権能を使って大悪魔そのものをこの身に顕現させる。それぞれ既に私の強化に使ってはいるが、それを維持したまま実現しなければならないな。……だが、これ以上は私自身の処理能力に限界が来る)
戦闘を続行しながら複数の能力を全て完璧に制御する。言葉にするのは簡単だが、実行するのは困難などという言葉で表せるものではない。ましてや交戦相手はジェントだ。既に限界は近かった。
――大悪魔の顕現を実現するには、一度灰炎を解除する必要がある。それをデイヴは確信する。
だが、灰炎を解除すればジェントの攻撃を凌ぎ切れない。使用していてもなお全てを捌けてはいないというのに、突然それを使わずに受けるなど無謀の極みだ。結局攻撃を凌ぐのに手一杯になり、顕現できないどころか追いつめられるだけである。
武芸を修めた達人だからこそ、それを理解してしまっていた。
「……っ、しまっ――」
現状を冷静に分析したが故に戦況を覆せないことを知り、それが気の緩みとなって反応が遅れる。
十字剣と光剣が自らに迫るのを、デイヴは身体を動かすこともできずにただ見ていた。
*
走る。
走る。
走り続ける。
「先生……養父様……!」
戦場となっている場所は全てその足で見て回ったはずだ。だが、デイヴと――それと一緒にいると思われるジェントの姿はどこにもなかった。
もしかしたら二人が交戦しているというのはアルマの思い違いで、既に彼は屋敷に帰っているのかもしれない。一瞬そんな甘い憶測が脳裏をよぎるが、そんなことは絶対にないという確信があった。
デイヴは茶目っ気こそあるが、悪質ないたずらをするような人物ではない。まだ未熟の身ではあれど、一緒に過ごしてきて彼の人柄も大まかに把握できていた。
「――これ、は……?」
焦燥に駆られながらも、まだ確認していない場所はないかと改めて最前線の地図を頭の中で展開する。ある地点での目立った特徴といったものはデイヴやジェントに教えてもらった。現在位置とこれまで巡った場所を確認し――そして、一つの気付きを得た。
地図には記載されているのに、現実では存在していない空白の領域がある。
本来あるべきものがない。見ても歩いても現実では地続きになっているが、地図が正しければそこは別の地形であるはずなのだ。
何らかの理由によって空間が捻じ曲がっているとしか考えられない。そして、そんなことができる人物をアルマは一人しか知らない。
「三番の、零式……?」
それと断定するには違和感がある。歩いて確かめてみれば、空白の領域は円形をしていた。ジェントの使う三番零式――大気や風、空間に干渉する魔法を極めた先にある魔法は、空間のある二点を繋げるものでしかない。点を広げて面にすることはできるが、立体の表面のように何かを取り囲むようにして使用することはできないのだ。故に、空白の領域をこの魔法で形作ることは不可能と言える。
空間に干渉する魔法で作られているのは確かだろう。だが、これは繋げると言うよりかは世界からの隔離と言った方が適切だ。そこだけ足を踏み入れることも認識することもできないのだから。
心当たりがないというわけではない。アルマはこの現象を引き起こせる魔法を知っている。
「……三番極式」
ジェントの研究室に置かれたレポートに理論だけ記されていた魔法。聞いてみれば、彼自身も理論を完成させただけでまだ実現はしていないとのことだった。
基本的に魔法とはある現象を再現する技術で、それに手を加えて様々な用途で使用されているのが実情だ。その根源にあるのは世界そのものと言っても良い。
しかし、極式の魔法はそれらとは根本的に異なる。魔法の根源――世界そのものから切り離すのがこの魔法の本質だとジェントは語った。魔法は理を超える力を持つが、それを含めて世界というものを再定義し、その上でそこから逸脱させる。
「極式には、同じ極式の魔法でしか干渉できない」
それが一番の問題だった。世界から切り離されている以上、世界の内から干渉することはできない。理論も法則も立つ土俵も、何もかもが全く異なる存在なのだ。干渉できなくて当然ではあるのだが、アルマからすればそれは不安と焦躁を煽る要素でしかなかった。
間違いなくデイヴとジェントはこの空白の領域の中で戦っている。いつ実際に極式を運用できるようになったのかは知らないが、知らない間に新たな魔法を完成させているのがアルマの養父なのだ。アバーナシー家で過ごした一ヶ月の間に会得していても不思議ではない。だからこそ、彼女の心は酷く波立っている。
――アルマ・リヴォルタは、極式の魔法はおろか零式の魔法すら会得できていないのだ。
(どうすれば良い……私は、どうすれば……!?)
そもそも、彼女に適性がある魔法は光を扱う魔法――管理しやすくする為にジェントが適当に付けた番号で言えば、二番のものだけだ。魔法を組み込んだ道具や他人の協力なしに他の番号の魔法は使用できない。
紛れもなく、詰みの状況にあった。
今の自分にできることは何もない。あったとしても、二人が戦っているという推測が外れていて、何らかの理由によって空白の領域が形成されているだけのことだと……そう信じることくらいだ。
「……本当に?」
否定したかった。無力な自分を否定したかった。何度も何度も自分を呪う言葉ばかり頭の中を巡って――そこで、世界で最も大切な人の一人が語っていたことを思い出した。
「考えることをやめるな。思考を続けろ――歩き続けろ」
立ち止まってはいけない。諦めてはいけない。
殺し合いでなくとも、考え続けることがいつか大きな意味を持つことになると言っていた。
過去が今の自分を作るからこそ、否定してはいけないと示唆していた。
ならば、無力な自分を――力を得られなかった過去を呪ってはいけない。受け止め、受け入れ、自らの過去全てを背負って前へ踏み出さなければならない!
「絶対に……絶対に、何か手があるはずです……!」
過去の一秒一秒を振り返れ。僅かな一瞬も見逃すな。自分が歩んできた軌跡を辿り、事態を好転させる解を導き出せ。
力が足りないなら今手にすれば良い。魔力が足りないなら命を削ってでも生み出せば良い。
できる、と思う自分がいる。
無理だ、と諦める自分がいる。
できるできないではなく、必ずやり遂げるという強靭な意思で両者を捻じ伏せ、分析と思考を続ける。
「諦めません――アルマは養父様の娘で、先生の教え子だから……!」
――そして、見つけた。
存在しない空白の領域に干渉し、侵入する余地を作る手段。
成功したことのない魔法と試したこともない魔法を使い、更にもう一つ。それらを経て初めて成立する。分の悪い賭けよりも酷く、醜く、愚かな……そして、何よりも美しい、心の輝きを放つ悪足掻き。
「その身を光と化し、原点を偽として真を成せ――!」
アルマの身体から光が溢れ――その姿が消失した。




