Ar01 ビランチャ隊の殺戮人形①
木造の椅子に、一人の少女が座っていた。後ろでまとめられた髪は銀色で、一房だけ三つ編みにして耳の上から垂らしている。橙と桃の中間色の宝石が取り付けられた黒い髪飾りと、鮮やかな深紅の瞳が目立つ。無垢な子供のような童顔ではあるが、人々は彼女を見て、可愛らしいではなく、綺麗だと考えるだろう。
少女の表情はどこか無機質な印象を与えるものだった。少なくとも、顔から彼女の心の内を察することのできる者はいない……そう思えてしまう程度には、感情が表に出ていない。
綺麗な人形。この少女を表現するならば、その言葉が適切だろう。
「アルマ・リヴォルタさん」
「はい」
名を呼ばれ、少女――アルマが立ち上がる。ドアへと歩き、左手でノックを三回。高い音が響くと、部屋の中から入室を促す声が聞こえた。
「失礼します」
一礼し、部屋へと足を踏み入れる。部屋の中には燕尾服を身にまとった二人の男性がいた。彼らは入ってきたアルマを見て、一瞬目を見開く。幼さの残る彼女の容姿と、部屋に入る際の所作から見えた気品の差に驚いたのだろう。
「では、本校の教員に志望した理由を教えてください。……ああ、そちらの椅子に掛けていただいて大丈夫ですよ」
だが、すぐに表情を引き締め直して声をかける。アルマは会釈し、言われた通りに腰を掛けた。表情には何も映していないが、緊張しているのか、それとも何かを思い出しているのか。目を閉じて、軽く息を吐く。
「改めまして、アルマ・リヴォルタです。この度、御校の教員に志望させていただいた理由は――」
――雪の積もる戦場に、銀色の風が吹く。
「例のあれだ! 絶対に逃がすな、ここで殺せ!」
「命令を聞くだけの、忌々しい人形が!」
叫び声と共に放たれる弾丸が、雨のように『それ』へと降り注ぐ。雨ならばどれだけ良かっただろうかと、弾丸を放った者達の一人がぼんやりと考えた。
雨ならば、躱すことはできない。延々と降る雨の中で濡れることなく過ごせる人間はいない。だからこそ、あくまで雨のようでしかないということに、心が軋む。
『それ』は、傷一つ負っていなかった。機動性を損なわない為か、身にまとっているのは鎧ではなく、所々に装甲が取り付けられただけの軍服。スリットの入ったスカートから覗くストッキングに包まれた太腿には、短剣を収めたホルダー。雪を踏み締める焦げ茶のブーツ。汚れこそあれども、『それ』を彩る衣装にすら、傷は全くと言って良い程なかった。
「――光よ」
黒い手袋に包まれた左手を振るい、指を躍らせ、淡々と、抑揚のない声で『それ』が――銀色の髪の子供が呟く。その直後、まるで指の動きの軌跡を飾り付けるかのように、光が集っていった。
魔法。命を脅かし、物質を破壊するという性質を持つ魔力を体内で生成することで行使することができる、現象の再現技術。文字通り、現象の再現の為に開発された技術ではあるが、これは既存の法則に縛られにくい――或いは、独自の法則を持っていると言った方が良いかもしれない。いずれにせよ、理を超える力を持ち、様々なことに応用できる技術であることに間違いはない。
そう、例えば――殺しとか。
そ集まった光は幾つかに分かれ、鏃となる。少しの間をおいて鏃は射出され、子供に弾丸を撃った者達の頭を、正確に貫いた。
辛うじて避けることのできた者もいる。だが、子供はそれを見越していたかのように、予め避けた先に投擲用の短剣を投げていた。鏃で即死しなくとも、短剣が目や四肢に刺さり、動けなくなる。そうして悶絶している間に、子供は腰に携行していた細身の長剣で首を突き刺し、或いは刎ね、素早くとどめを刺していく。
死屍累々。子供と敵対していた者達は全滅し、死体の焼け焦げる臭いが戦場の凄惨さを物語っていた。
――全て、この子供が行ったものだ。
「おのれ……! 人の血も通わぬ化け物め、死んでしまえ!」
「殺すことしか能のない、リヴォルタ家の人形風情が……!」
増援の兵だろう。この光景を目にし、子供に――アルマ・リヴォルタに怨嗟の声を漏らす。
『ビランチャ隊の殺戮人形』と言えば、今行われているこの戦争に関わっている全ての人間が知っているだろう。
曰く、アミュレイト王国のアルテア候が拾った養子である。
曰く、その容貌も内面も、人形のようである。
曰く、命令には忠実に従い、養父に逆らうことはない。
戦争に参加してから半年程度しか経っていないこともあり、未だに謎は多い。しかし、彼女を見た者は揃って同じ言葉を口にする。
あの人形は、殺しの天才だと。
「任務の邪魔をしないでください」
抑揚のない小さな声。だが、不思議とはっきりと聞こえた。それが兵士達には不気味に感じられたようで、憎悪を顔に映しながらも後退りする。無意識による行動だったのか、気が付くと、自分の動きに驚愕したかのような表情を見せた……それこそが、命取りだとわかっていたはずなのに。
アルマが消えた。いや、厳密には消えたのではない。兵士達が、自らの内に宿る恐怖を自覚したその時に、集団の内へと音もなく駆け寄っていたのだ。
次の瞬間には、一人が長剣によって喉を貫かれ、そのまま地に押し倒されていた。六人いた兵士達の中で、それに反応できたのは二人。今死んだばかりの者を含め、できなかった四人は何があったのかわかっていなかった。
当然、それを見逃す程度であればアルマは殺戮人形などと呼ばれていない。長剣を握っていない左手で素早くホルダーから三本短剣を抜き、反応できた二人に投擲する。小銃で弾かれるが、時間差で投擲されたものには対応し切れず、それぞれ小銃を抱えた手首に突き刺さった。
そこで漸く、死ななかった残りの三人が状況を理解した。だが、もう遅い。即座に長剣を投げ、一人の顔に突き刺す。そのまま流れるような動きで空いた右手により懐から小型拳銃を取り出し、発砲。二人を撃ち抜き、今度は左腕を振るう。袖の中から黒く塗られた金属の棒が何本か飛び出て、それらはホルダーの短剣と接続されて即席の槍となった。
拳銃を空へ放り投げ、槍を横薙ぎに一閃。最後まで生き残った二人も、動きの鈍ったところを刈られ、結局首を落とす。槍を構成するそれぞれのパーツを元々収めていた場所へと戻し、落ちてきた拳銃をキャッチする。
再び、戦場に静寂が訪れた。
周りを見れば、赤く染まった雪が建物を彩っている。ここは国境付近の町だったが、戦争が長期化した今では、かつての賑わいの面影もない。まあ、この人形は平時にこの街に来たことがあるわけでもないのだが。
敵兵の死体から長剣を引き抜き、血を振り払う。飛び散った血が更にその場を赤く染め、死の色で染め上げていく。血が落ちたことを確認すると、鞘に納め、街の中心部へと駆け出した。
アルマに与えられた任務は、この町を――正確には、ここをはじめとした敵国の領地を単騎で荒らし、破壊して周ることだ。レージュア王国マーティア領、それが今彼女のいる場所である。
アミュレイト王国でもそうだったが、国境付近に存在しているからか、町の機能は中央部に集中している。外縁部で防衛することを想定した造りになっているのだ。
だが、それは外敵をそこで食い止めることが前提となっている。逆に言えば、外敵が内部まで侵入した場合、まとめて破壊されてしまう可能性が高くなるということでもあった。
「いたぞ、殺戮人形だ! 死んでも守れ、ここは絶対に通すな!」
兵士達が駆けつける。構えた小銃から弾丸が撃ち出され、アルマを襲う。身を捻り、潜るようにして躱しながらも、彼女は速度を落とさぬまま距離を詰め、一人の手元を蹴って小銃を奪った。右手で持って奪った兵士の頭を下から撃ち抜き、低く跳躍。次から次へと、兵士達の肩や頭を踏み台にして群れを抜ける。そうして置き去りにした者達の方へ振り向きざまに発砲し、全員を流れ作業のように処理した。
再び前を向く。奪った小銃の種類は把握している。全弾入っていたのなら、残りの弾数は六発だろう。懐に戻した拳銃は四発、投擲用の短剣の残数は七本。他の武器は、使い潰せるものなら長剣と仕込み槍がそれぞれ一本、ブーツの踵にセットされた刃。但し仕込み槍は短剣を穂とするため、短剣を切らせば何本かの棒に成り下がる。武器として用いることはできるが、殺傷力は落ちてしまうだろう。この町を破壊し尽くした後は、次の町に行く前に補給をする必要が出てくるだろうとアルマは思案する。
――突然辺りが暗くなった。
即座に後方へ飛び退き、小銃を連射する。暗くなった原因……空から降ってきた異形の肉に弾丸が食い込むが、サイズ差が大きい。とても効果が出ているとは言えなかった。結果的に、殆ど無駄撃ちで残弾を使い切ってしまった。
「魔法生物」
小さく、表情を変えずにアルマが呟く。眼前の異形の体躯は彼女に比べると遥かに大きい。
それは、全体像で言えば人間に近かった。風船のように丸みを帯びた巨体には、人のものと似た肢体がついている。だが、足が太く短くはあれども普通なのに対し、右腕は地面に届きそうな長さを持ち、左腕はそこまで長くはないが三本存在していた。加えて、左腕は全て肘より先が裂け、黒い気体――瘴気が漏れ出ている。
この肥満体形の魔法生物が左腕を振るえば、漏れ出た瘴気が建物の一部に触れ、塗装が剥がれ落ちる。どうやらこの瘴気には物体を朽ちさせる効力があるらしい。魔力に似た性質を持っているようなものだろうと、アルマは解釈した。
だが、はっきり言って、敵国の領土ではなく自国の領土で運用するにはこれは欠陥品だ。
「ここが最終防衛ラインということでしょうか」
「ああ。故に貴様には、ここで死んでもらわねばならない」
欠陥品でも持ち出された。それはつまり、そうせざるを得ない理由があるということ。アルマは自らに向けられた殺意に半ば確信に近い疑問を漏らす。返答は、声だけでなく刃でも行われた。
身を屈めつつ横に跳び、振り下ろされた大剣から逃れる。
「『ビランチャ隊の殺戮人形』だな。悪いがその命、貰い受ける」
フルフェイスの兜に、使い込まれていることが一目でわかる銀色の鎧。声からして男だろうその人物は、身の丈程もある大剣を片手で軽々と扱っていた。
悠然と立つその姿に隙は見えない。先程までの兵士達よりも圧倒的に強いのだろう。少なくとも、魔法生物と同時に相手取るには、今のアルマでは少々厳しいものがある。
「逃がさん」
形勢不利を感じ、一度退いて身を隠そうとすれば、即座に追撃を仕掛けてくる。横薙ぎに振るわれた大剣を、弾切れの小銃を盾代わりにして躱す。一撃で半ばまで断たれた小銃を、衝撃に逆らうことなく手放すことで体勢を崩されることを防ぐが、今度は魔法生物がその左腕を勢いよく振り下ろしてきた。
三本ある左腕はそれぞれ速度が異なっていて、時間差でアルマに迫る。一本目と二本目をステップで避け、続く三本目は左手で短剣をホルダーから一本抜き、横から突き刺し押し込むことで強引に軌道を変えて対処する。その際に瘴気が袖の前腕部分に触れたのか、取り付けられた装甲に罅が入った。
武器を一本失い、衣服の耐久性も落ちた。しかし、魔法生物の腕がアルマと男との間に入ったことで、視界は遮られ、その場から離れる時間も作れた。一度態勢を整えるべく周囲の建物に入ろうとし、身を翻す――その直前、逆方向へ跳躍した。一瞬遅れて、複数の発砲音と着弾音が響く。
「驚いたな。未来でも見えているのか?」
先程まで空いていた男の手に、いつの間にか大型拳銃が握られていた。複腕の隙間を抜くようにして撃ってきたのだ。
アルマは男の問いに応えることなく、状況から敵について分析する。防衛部隊の隊長と思しき男と、物体を蝕み朽ちさせる瘴気を漏らす魔法生物。武装は、確認した限りでは大剣と大型拳銃、それに全身鎧。重装備ではあるが、アルマの素早い動きにも平然と対応するだけの力がある。魔法生物は体躯にものを言わせたパワータイプかと思えば、ディレイをかけて攻撃するだけの技巧を持つ。加えて、連携というものを理解しているような振る舞いだ。男が指揮しているにしても、それに見合うだけの知能があると考えるべきだろう。
また、瘴気の強さがどれくらいかも把握する必要がある。少なくとも、少しの間接触するだけで、生半可な攻撃では傷一つつかない装甲に罅を入れる程度の力はある。だが、先程の銃撃では、弾丸は地面に届く前に瘴気で傷つき、熱と速度で自壊するといったことはなかった。材質によるものか、それとも接触時間の差か。現状ではまだ判別できない。
装備の消耗を避けて撤退を優先するか、それともここで補給することを前提に、消耗を度外視して男達を殺して突破するか。どちらが良いか、アルマは思案する。
――今まで見てきた中で、お前程死というものに近い存在はいない。
養父の言葉が脳裏をよぎる。拾われて少しした時に言われたものだった。
――殺しの才能は間違いなく一番と言えるだろう。だが、それ以上に、お前は死を隣人であるかのように感じ取っている。
彼女が拾われた時には、既に戦争は始まっていた。だからだろうか。育てられる中で、知識だけでなく、外敵を殺す為の力も授けられた。
――死が見える。死を近づけようとするものを察知できる。殺意さえ籠っていれば、目や耳を封じられていても反応する。生まれつきのものか、それとも環境によるものか……。
元々、養父はアルマを自身の率いる隊に加えようとはしていなかった。しかし結局戦争に関わることになり、心というものを持っていない、或いは知らない彼女は、養父の与えた命令を忠実に遂行する人形として、今この戦場に立っている。
最優先事項は任務の遂行。それを最短最速で行い、その為には利用できる全てを使う。そして、アルマが最も得意とすることは殺すことだ。であれば、撤退と敵の殺害、どちらが命令を完遂する確率を上げられるかなど、考えるまでもなかった。