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空虚な人生

作者: カツオ

周りの人と比べて当たり前のことができない自分が情けなく生きているのが辛くなった。

近頃考えがまとまらず、どうすれば仕事がうまくいくのかわからず、毎日叱責を受け自己否定を行う日々を過ごしている。

毎日職場で迷惑ばかりかけて上司の心労・仕事を増やしてばかりだ。上司は根気よく指導してくださっているのに期待に応えられない。仕事をマイナスにしてしまっている。そんな自分が情けなくて仕方がない。

令和3年8月になってから自分は人の役に立てない無価値な人間である、生きていても役に立てない死んだほうが世の中のためではないかと毎日を過ごしている。


思い返せば失敗ばかりの私の人を下記に年代ごとに心に残っている出来事を綴らせてもらう。


<プロフィール>

私は生まれも育ちも大阪府の30代の会社員。趣味は自転車とアニメやゲーム。

サイクリングから帰ってからは動画を見ながら酒を楽しむそんな毎日を楽しむおっさんだった。


<幼稚園時代>

幼稚園に通っているころから抜けていることが多かった。自分の言いたいことが言えず兄貴に比べ気が弱かったと思う。幼稚園の演劇で派手にこけてしまい母に恥ずかしい思いをさせてしまったことは思い出すと申し訳なく思う。


<小学生時代>

小学生になってからはいじめられるのが、嫌で失敗したくなくて周りに馴染もうとばかりしていた。結局は仲がいい友人もいたとは思うがゲーム友達でうわべだけの関係だった思う。嫌われたくないのに友人の弟の葬儀に参加しない薄情さもあった。

一緒に遊んだこともあったのに、、、今思い返せば面倒だという理由で参加しなかった最低な人間だ。

スポーツではソフトボールクラブ、ドッチボールに子供会で参加したが運動神経が悪く足を引っ張っていた。思い返せばこのことがきっかけで自己肯定感が落ちていたのだなと今ならわかる。



<中学生時代>

このころからますます失敗したくない気持ちが強くなった。少しでも自信をつけたくて勉学に打ち込み、卓球部で夜も練習に打ち込んだ。

しかし、学校の成績は中の上、3年生最後の卓球大会も2回戦までしか進めなかった。

友達はゲームだけの関係。親密な友人は一人もできなかった。この時から中途半端で空っぽ、思いやりにかける駄目人間である自覚が強くなった。部活の顧問もイラつかせて胸倉をつかまれたこともあった。

失敗は多かったが、遊んでいればよかったこのころは楽しくて仕方なかった。


<高校生時代>

 卓球をやめ新しいことをするため柔道部に入部しようとしたことがあったが、体験で行ったが体がぶつかったときの衝撃が強く吐き気がし、向いてないと思い、逃げるように部活をやめた。逃げ癖のきっかけがここだったと思う。

そのコンプレックスか学業で成功してやると勉学に打ち込んだ学年成績2位まで上がったが結局はうわべの知識で身についていなかったように思う。

友人関係ではゲームや漫画の好きだったのでその知識で仲良くなれた友人もいたが、嫌われるのが嫌で自分から距離を置いてしまった。今も連絡を取り合うチャンスはあるが内心、俺は友人より上だと!とくだらない劣等感・マウント精神から連絡を取れないでいる。

みんないいやつばかりなのに。リモート飲みを開いてくれているのに絡みに行く勇気がない。くだらないプライドがあるのも俺のくずなところだ。


 <大学時代>

思い返せばこのころに道を踏み外した気がする。勉学に打ち込めば道は開ける。そう思い勉強をつづけた。仲のいい友人は一人しかできなかった。大学生活は今でも後悔している。もっと人と接しサークルに参加して遊んでいたなら成長するチャンスはあったかもしれない。

大きな失敗は学生時代後半ブレイブルーという格闘ゲームにのめり込み成績も落としたこと。

1回生の時のアルバイトでは3か月で寿司屋のバイトをやめたこと。

3回生の時の森林組合へのインターンシップでは仕事の機械を壊し、迷惑をかけ挽回することもできずインターンシップは終わったことだ。

3つ目の失敗は自分の中で特に大きい失敗だった。人の期待に応えられない、失望させることのトラウマのきっかけだった。

河川清掃ボランティア活動、塾講師のバイトは続いたが、この頃には自分は人より無能・役立たずという認識が強くなった。

あの時自分に良くしてくれた人に何も返さず疎遠になってしまった。ボランティアグループの皆様ごめんなさい。

 後悔というと自分が21歳の時、父親が亡くなる数か月前のことだ。苦しそうに声を上げる父を横目に疲れていたから寝てしまったことも思い出す。

父は重症筋無力症という病気で苦しんでいた。自分が16歳のころから父は病院通いであった。つらかったろう、苦しかったろうに家族のために働き笑顔でいてくれた。2回も手術を受けそれでも治らなくて絶望したこともあっただろうが母、兄、私に愛情を注いでくれた。

なくなる間際、ずっと苦しそうに声を上げる父に何もしてあげられなかった自分、どうしてしんどくても起きて父に何かをしてあげなかった自分の軽薄さ愛情のなさにいら立つ。

自分は最低だ。


<社会人時代(22~29歳)>

 いいことも悪いこともあった。

土木公務員として働き始めた1年目は仕事ができず上司に迷惑をかけまくった。

ケアレスミスが多い、わからないことがわからない。聞けない。あまりにもおかしく精神病院に通い診断を受けたら軽度なADHDと診断を受けた。この時に病院から障碍者手帳を出せると提案してもらったが、認めたくない気持ちがあり手帳は断った。しかし、職場にはカミングアウトし、業務量を減らしてもらった。思い返しても甘えである。


2年目は自分にとって恩師、辛かった自分を救ってくれたAさんとの出会いがあった。

この時Aさんが上司だったおかげで駄目だった自分でもできることがあると教えてくれた。

Aさんも抜けているところが多かったが、熱心でいつもおおらかな人だった。仕事はできる人じゃなかったと思うけどAさんのような人がいるから救われる人もいる。

僕に自転車という趣味を教えてくださり、一緒に旅行にも連れて行ってくれた。

面と向かって伝えるのは恥ずかしいが自分にとっての恩人だ。

2~7年目の間自分を見てくれたのに、6年目以降は天狗になってAさんとのつながりも薄くなってしまった気がする。こういうところで自分はくずだ。

せっかく育ててくれたAさん


 3年目は母が亡くなった。このことは今でも鮮明に思い出せる。

私は独立したい気持ちが強かった。今でいう子供部屋おじさんというやつで働いてはいたが親とずっと一緒に暮らすのが嫌だった。それがきっかけで社会人2年目の秋に1人暮らしを始めた。兄はすでに家を出ていたから母親一人家に残ることになった。

一人暮らしを始めると伝えた時の悲しそうな顔が思い出される。

愛情を注いでくれた母に薄情なことをしてしまったと今は思う。

よく1人暮らしの私の様子を見に来てくれた、平日は明日バイトで働きながらだ。思い返せば一人でいると寂しかったのだと思う。誰かに必要とされたかったのだと思う

亡くなる前の最後のやり取りは電話だった。いつ帰ってくるかそんな話だった。

母のバイト先から連絡がとれず出勤がないと連絡がった。胸騒ぎがし、急いで実家へ向かった。帰ってきたとき風呂場の電気がついていた。家にいるんだと思った。

鍵を開け風呂場をのぞいた時母は倒れていた。その時はとっさにこんな大声が出るのかと思うぐらい声が出た。

触ったとき体は冷たく死んでいるのだと感じたが納得はできなかった。体を動かそうとして抱きしめると下半身から汚物が出た。この時どうしようもないのだと認識し情けなくて辛くて泣きそうになりながら警察に連絡した。最初は事件として扱いまるで犯人のような目で私を見た。悔しい気持ちになりながら母と私の身分が証明できるものなど示し現場の調査を得てようやく事件性はないと判断された。

落ち着いてからは兄、母方の叔父・叔母に連絡を行った。

葬儀はつつがなく済んだ、仲が悪い父方の叔父に鈍くさいとイライラされながらもなんとか終わった。

ふとなぜ母親と一緒にいてあげられなかったのだろうと今でも思う。あの人は俺を必要としてくれたのに。


4~6年目。私は初めて職場での異動を体験した。移動後の部署は比較的緩く仕事ができたと思う。プレッシャーも少なくミスはあったが周りはおおらかな人が多く余裕があり定型的な仕事ができた。自分のペースでやりやすかった。

仕事では工事の発注、現場管理(今思い返せば簡単すぎる仕事だが)に携わり、プライベートでは彼女ができ、日本最大級のアマチュア自転車レースに参加し完走することで自信をつけることができたと思う。

思い返せばこの時仕事の勉強を一生懸命していれば今の状況になっていなかったと思う。

性格的な問題もあるので後悔しても仕方ないが、楽な環境にいると辛い環境で役立たずになると今は思う。


 7年目。災害派遣で半年間、東北へ支援に行った。この時が一番楽しかった。そして天狗になってしまった原因でもある。

 派遣先のメンバーとは仲良くなれ一緒にキャンプに行くほどだった。派遣元の市役所の誰よりも信頼関係を築けた気がする。今思えば簡単であるが仕事、積算も災害復旧を優先するためそこまで厳しく言われない仕事であったが、頼りにされ充実感もあった。

派遣先はいい方々ばかりで今も感謝している。その中で一際仕事ができなかったOさんをことは今でこそ思い出す。なぜならば彼は今の自分の姿そのものだからだ。

当時は仕事ができない。周りに迷惑ばかりかけ空回りを反省の色もないOさんのことを軽蔑していた。かくいう私もOさんの尻拭いをさせられイライラしてしまった。

しかしOさんはきっと辛いながら馴染めるように努力をしていたのではないかと思う。今の私は仕事ができず、信頼・信用を失い職場から煙たがられているOさんそのものになってOさんの皮肉な話だ。私は彼にひどいことを言ってしまった。

もしまた会えるなら心からOさんに謝りたい。そしてOさんの人生についてきてみたいと思う。

 半年後、私は派遣元の職場に帰ってきた。そこでは私は戦力として扱われ仕事も任せてもらい充実していたと思う。(何かを成し遂げられたかといえばそうでもないが)。

仕事もプライベートも充実し毎日楽しく過ごせていた。やればできるという根拠のない自信を持っていた。


8年目、自己否定の始まり。

8年目で異動した部署花形部署であるが忙しいことで有名な部署だった。来たときは何とかなるかなと思っていたが、やったことのない仕事、経験・知識が全く通用せず、自分の能力不足を痛感させられる毎日。叱責で委縮してしまい、またミスをする悪循環を繰り返してしまった。

半年たっても任された仕事をこねくり回しているだけ。

自分のすることすべてが的外れ。

できないのにできると言って蓋を開ければ仕事ができていない。

報連相もまともにできておらず、自分で判断したことはミスばかり。上司からは何が言いたいのかわからないといわれる始末。

状況報告の際に考えてなかったことを聞かれてあたふたするetc。

すっかり典型的なダメ社員に転落してしまった。

締め切りが近いのに仕事が全然進んでいない。関係者との調整がうまくできないなど課題が山盛りであるのに、担当の私が責務を果たせず、上司に尻拭いさせてしまっているのが現状だ。

今ではすっかり信用も失ってしまった。会社で自分が役立てていない現状がこの上なく辛い。30歳にもなって情けない男だ。


<今後どうする?>

今の私は頭が働かない状態であるがおぼろげながら

①退職して専門学校に通い再就職する

②会社にしがみつき能力を改善する

③死ぬ

以上の選択を考えている。

心を守るなら①だ。しかし逃げてはいけない上司・同僚に迷惑をかけられない。これ以上迷惑をかけないため、能力を改善するため死ぬ気で頑張らないといけないという思いがある。

私はほかの人に比べて甘えてきたから、これ以上逃げてはいけないそうも思うのだ。

だとすると②だが将来は仕事で干され、自尊心を削りながら生きてくそんな未来になるのも想像に難くない。開き直れたらよいがその前に病みそうだ。

だとすると③だが会社、恋人、兄貴、親戚に迷惑をかけることになる。そう思うと踏ん切りがつかない。そして何より怖い。


そんなくずの私は明日も生きていく。休みの日も働かねばと思い自己嫌悪にさいなまれながら。迷いながら自己否定しながら生きていく。


<最後に>

ここまで読んでくださった方々は私のように苦しんでいる人がほとんどだろう。

そうでないとこのような拙くネガティブな文章など読めるはずがないのだから。


ならここまで読んでくださった方に私が伝えられることは「苦しんで最後は自分で決めるしかないと」ということだ。

身もふたもないことを言うがADHDだの適応障害だの嘆いても誰も助けてくれないのがこの世の中だ。選択は程度がどうであれ苦しいものであることは変わりがない。


私以上に苦しんでいる人は山ほどいるだろう。今まさに死に際に近づいている人もいらっしゃるかもしれない。それでも自分は自分でしかないのだから、今まで選択してきた結果が人生なのだから自信が納得できる答えを苦しんで選んでほしいと思う。苦しむということは生きることとでもあるから。


私自身も苦しみ最後の選択を決めたいと思う。ひとまずは精神病院の予約を10月にとったのでそれまで生き延びたいと思う。


生きることは苦しいけど、苦しさを感じられるなら生きていける。そう思う。


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