いじめ
弟はいじめられていたらしい。
今年から中学2年になる弟だ。
弟の見た目はあまり良くなかった。家でゲームやパソコンばかりしているオタクみたいな見た目だ。だからクラスの中では軽んじられていたんじゃないかと思う。
だがそれでもいじめに遭っているような雰囲気はなかった。
少なくとも家ではいじめにあっているような素振りは全く見せてはいなかった。14年間一緒に生活していたんだ。
違和感があれば気づいたはずなのに……。
俺はまったく気づけなかった。
弟が自殺したのは1週間前の事になる。
遺書も何もなかった。
その日の朝もいつもと何も変わらなかった。
弟は朝食を食べ、歯を磨き、制服に着替えいつものように友達が来るまで携帯ゲームをしていた。
8時頃弟の小学校からの友人と一緒に登校していったことを覚えている。
弟の友人、田中雅人もゲームばかりするような奴だったから弟と気があったんだろう。
毎週休みになると家に遊びに来ては何が楽しいのか2人で別々に携帯ゲームをしていた。
弟が死んだのは一時間目が始まってすぐの9時頃だった。
学校の屋上から飛び降りのだ。
弟の自殺の後中学校で調査が行われた。
そしていじめは無かったと連絡が来た。
弟の友人、田中に聞いてもいじめられていたなんて聞いたことはないと言っていた。
だが弟は俺にいじめられたと言っている。
弟が死んでから、明るかった母さんはどこか虚ろな目をしいる。
なにかの拍子で涙を流すようになった。
居間で弟の名を呼びながらひとり泣いているのをたまに見かける。
父さんは酒を量が増えた。毎日ぐでぐでに酔っ払うまで酒を飲むようになっている。
俺も多分何か変わったのだろう。最近では友達から不安そうな目で見られることが多かった。
家のいても物音ひとつしない日々が続く。
家族の会話がないのだ。
俺に話しかけてくるのは弟だけだった。
「学校でいじめられていたんだ……俺がなんて呼ばれていたか知ってるか? ゴミムシだ。ゴミムシって呼ばれてたんだ。みんなが俺を無視してたし毎日殴られた。キモイだの臭いだの死ねだの毎日毎日毎日……」
弟は言った。
自殺した日から毎日俺の部屋に来て訴えてくる。
「兄貴。俺が死んだのにのうのうとあいつらが生きてるなんて、そんなのは許せないんだ。兄貴」
弟の頭はザクロのように割れ、脳味噌の欠片のようなものが肩にへばりついていた。右目が眼孔ぶら下がっており赤黒い血が顔の半分を隠している。制服は血で赤黒く汚れていたし足の骨が折れズボンから骨が飛び出ていた。
いじめられていたのか……。
直樹……。
学校からいじめは無かったと聞いていた。
「毎日いじめられていたんだ。裸にされてカメラで取られたり、犬の糞を口に入れられたことだってあるんだ。仇を討ってくれ兄貴」
弟は訴えてくる。毎晩毎晩。
こんなの幻覚だと思う。弟は死んだんだ。
だのに俺の部屋にいる……目の前にいるこいつはなんだ。
俺の頭は狂っているのか?
弟は毎晩俺の枕元に来た。
逃げるように友達のアパートに泊まっても弟は来た。
家にいなくても関係ないのだ。
寝てる友達を起こしてみたが俺にしか見えていないことがわかっただけだった。
そして毎晩同じことを言う。
誰にいじめられた誰々になにされたといった話を訴えてくるのだ。
弟の部屋の片付けをした。
両親はしたくないようだったがこのままじゃ駄目になる。
全て片付けてしまおう。そう思った。
久しぶりに入る弟の部屋は大量の漫画とゲーム、フィギュアで占領されていた。
壁にはアニメのポスターが何枚も貼ってある。
全部燃えるゴミだ。
机の上にノートパソコンが一台あった。
初期化して捨てよう。そう思いパソコンを開くと弟のブログが立ち上がっていた。
――――――
NEW!20XX-10-12 21:51:42
同じクラスの草部と原口に無理やり女子トイレに連れて行かれる。
便器を舐めるか裸で放置されるかどちらがいいか聞かれる。
裸は嫌だというとクラスの女子の名前を言いながら舐めろと腹を蹴られた。
裸で便器を舐める姿をカメラで撮られ動画を上げられた。
もう駄目だ。
死にたい
20XX-10-10 19:21:22
最近死ぬことばかり考えている。
誰にも頼ることができない。
原口になんで生きているのか聞かれる。俺が知りたい。
挨拶がわりに殴られる。
いつか殺してやる。
――――――
目を瞑り頭を振ってからもう一度見ると画面は消えていた。
そもそも電源が入っていない。
幻覚か俺の頭がおかしくなったのか。
それから何も見ないようにすべて捨てた。
毎日悪夢を見る。
友人からは何をしていなくとも心配された。
家は誰もいないように静かだ。
会話がない。
たまに母さんの泣く声が聞こえるだけだ。
俺は毎日一人で食事を取った。
床にはホコリが積もっている。
テレビをつけるとコアラの赤ちゃんが生まれるというニュース、芸能人が不倫したニュースが流れていた。
どうでもいいニュースだった。
俺にとってどうでも良いニュースだが、誰かにとっては重要なんだろう。
俺にとって重要なことは……もう……。
弟は昼間でも関係なしに話しかけてくるようになっていた。
頭の割れた弟の顔は見たくなくとも視界にはいてくる。
「仇をとってくれ兄貴。俺をこんな風にしたやつを許さないでくれ」
俺はどうしたらいいのかわからなかった。
弟は仇を討ってくれとはいうがどうすればいいんだ?
いじめをしていたことを認めさせればいいのか?
弟がされたことを相手にし返せばいいのか?
それともいじめてきた相手を殺してくれってことなのか?
夢を見た。
夢の中で母さんは昔のように明るく話しながら料理を作っていた。父さんは母さんの話に相槌を打ちながら新聞を読んでいる。たまに変なところで相槌をして文句を言われていた。弟は居間で寝転がりながらゲームをしている。
俺はそれをただ遠くから眺めた。
目が覚めると弟の顔が目の前にあった。
脳髄が垂れ落ち腐敗した臭いが鼻をつく。
俺の頭はおかしくなっている。
弟の口から腐敗した臭いと共に呪いに近い言葉が吐き出されていく。
俺はその言葉をただ黙って聞いた。
「兄貴……。殺してくれよ。俺をこんな目に合わせたやつらを殺してくれよおお」
直樹……。
こいつだ。
こいつをどうにかしないといけない。
いじめられていたとかはもうどうでもいい。
こいつをどうにかしないと俺の頭はどうにかなっちまう。
俺は霊能力者に会うことを決めた。
タウンページで見つけた霊能力者は市内にいた。
竜王院モリゾウ。
そんな名前だ。
経歴はわからない。
30万払えば何でも除霊してくれるという。
藁にもすがる思いだった。
「依頼人は君かね?」
モリゾウは60代後半の男だった。
俺が想像する霊能者とは違い和服も来てはいなかったし数珠のようなものを首からぶら下げてもいなかった。
平凡な格好かと言われるとそれも違った。
ガリガリの体にハゲ散らかした頭、ヒゲも何年か剃っていないだろう顎の下で土のように固まっている。
服装はタンクトップに短パンと言ういで立ちで近づくと妙な異臭がした。
周りから浮き通行人から奇妙な目で見られている。
端的に言うとホームレスと同じような見た目だ。
モリゾウは俺を見るなり言った。
「これは……女の霊……いや……男か……いや……ふむ……。まあいい、金は持って来たか?」
俺は不安になった。
「話を聞く限りお前さんの弟は怨霊になったんだろう」
モリゾウは言った。
「怨霊って言うのは……平将門の話は聞いたことはあるか? そうか……知らんか。ワシも詳しくは知らん。霊能力者に頼ろうとする奴は大抵は知っとるんだが……。まあ、とにかく怨霊って言うくらいだからなにかを祟りたいんだろう。しかし力がない。お前さんの弟は怨霊としてはレベル1か2くらいだろう。たまたま波長が合っちまったからお前さんについて回っとるわけだ」
モリゾウは俺が渡した金を数えながらそう言った。
平日の昼間、公園のベンチで話は始まった。
近所の子供連れの主婦たちがこちらに視線を飛ばしてくる。
気味の悪いもののようにこちらをチラチラと見ながら話し合っている。
「それで……今から除霊してくれるんですか?」
「いや無理だ。霊に干渉することは不可能なんだ」
モリゾウは言った。
話が違う!
俺が詰め寄るとモリゾウは慌てたように話をつづけた。
「待て。落ち着け。俺から霊に干渉は出来んと言うだけの話だ。しかし遠ざける方法なら教えることができる」
「遠ざける……?」
「そうだ。遠ざけて近づいてこないようになればそれは除霊と言っていいだろう」
そうだろう? なっ!
そう言ってモリゾウは笑った。
笑い事じゃねーんだよ。
どうすればいいのかとっとと言え!
そう思った。
「まあ、落ち着け。そうだなもし主婦の霊がいたとしよう。あすこにいる主婦みたいなやつらだ。そんな霊がいたとしたらワシらには絶対に近寄ってこない。分かるか? 生前と同じなんだよ。あすこにいる主婦らがワシらを嫌っているように、もし霊になったとしてもワシらを嫌って近づいてくることはないんだ」
「分からないから結論を言ってくれ」
俺は若干イラついたこえでそう言った。
「つまりお前さんの弟が嫌がることをすれば自ずと霊はいなくなるっちゅう寸法だ。お前さんの弟はいじめられてたって話だろう? マジな霊ならお前さんのところじゃなくいじめをやってた奴らのとこに行く。だがそうじゃない。弱っちいからいじめの主犯には近づけずにお前さんにどうにかしてよと泣きついとるんだな」
「どうすればいい?」
「いじめるんだよ。どうにかしたいならこれから弟の霊をイジメぬくんだ。もう二度と近づいてこないくらいにイジメ抜くんだ……徹底的にな」
俺が顔をあげるとそこで初めてモリゾウと目が合った。
暗い目をしていた。
暗くて暗くて暗い。
基地外の目だ。
「だが……干渉できないんだろう?」
俺は言った。
話が矛盾している。
干渉できなきゃイジメることなんかできない。
精神的に追い詰めろってことなのか?
「俺から干渉できないと言っただけだ。お前さんにしか見えないんだろ、その弟の霊ってやつは。見えているならチャンネルはあっているわけだから干渉は可能だ」
「いじめか……」
出来るのか……俺に……。
弟をイジメることなんて……。
その日の晩、弟はいつものように現れた。
ザクロのように割れた頭から鮮血がぴゅーぴゅーと噴き出している。
「兄貴ぃ……。俺はいじめられてたんだよぉ……。恨みを晴らしてくれよぉぉぉ」
それを見ながら俺の心は落ち着いていた。
はじめは可哀そうにも思っていたんだ。
家族だし。
たった一人の弟だったし。
だけど限界だった。
俺は用意していた鉄バットを握るとザクロのように割れた弟の頭に振りおろした。
何度も何度も……。
「もう出てくるんじゃねぇ。クソ野郎ッ!」
弟が消えると俺はスッキリとした気分になった。
今夜は久しぶりに気持ちよく眠れそうだ。
実際に気持ちよく眠れた。
それからも何度か出てきたが同じように続けるとそのうち弟は出てこなくなった。
一年も経つと弟のことなんて頭の中から消えた。
もう思い出すことさえない。
たまに思い出すのはあれに30万円は惜しかったなと言う霊能力者の思い出だけだった。