8話 芽衣本来の食事
「・・・・・・・」
芽衣が残った涙をゆっくり拭いている。俺はその様子を見ながら、こう思っていた。
・・・・・・・恥ずかしー。
くっそ恥ずかしいめっちゃ恥ずかしい。冷静になって見れば、もの凄く恥ずかしいことを口走ったことに気づいてしまう。
ああもう恥ずかしい。穴があったら入りたい。せめて顔を隠したい。
でも、今それをするのは、あまりにもかっこがつかない。頭の中はもう大惨事だが、外に出すのを最大限抑えて、少しだけ顔をそらすだけにとどめた。
やがて、泣き終わって目元を少し赤くした芽衣が、普段通りの声で話しかけてきた。
「琉生君」
「な、なに?」
少し動揺してしまった。顔赤くないといいけど。芽衣を直視すると、思考の暴走が激化する。
「電車降りちゃったし、ここから歩いて帰らない?」
「うん、了解、しました」
「何その口調。もしかして、ちょっと恥ずかしい?」
軽く笑いながら、核心をついてきた。
「いや別に。さ、早く行こ」
真顔でそう答えて、先に歩き出した。もう立ち止まってる余裕はない。何かしらしていないと、熱が出る。
「あ、うん、行こ行こ」
俺の横に追いついて、同じ速度で帰路についた。こっから一駅分、それほど遠くないはずだ。
「・・・・・逃げたでしょ」
「逃げてない」
最寄り駅までの道のりを、線路沿いの一本道で帰っていた。疲れを多少感じる足で、のんびりと。
時間に関してはあまり考える必要はなさそうだ。どんなに遅くも、いつもの部活帰りの時間帯には家に着く。
「そういえば芽衣さん」
真横にいる芽衣に目線だけ向ける。
「なに?」
「血はもういいの?」
電車でガブッとやってきたけど、血が流れてる感じはなかったように思う。それが感覚としてわかるのかは、知らないけど。
「私普段血吸ってないよ?」
「そうなの?」
てっきり主食血なのかと思ってた。
「血は確かに栄養あるけど、絶対必要なわけじゃないの。他の食べ物で代用できるんだよ。結構量いるけど」
「へぇ。大変な体質だね。ん?いや、太らないんだからいい体質?」
女子の悩みを持たない身体ということになる。いやでも、食費が凄くなるんだからやっぱマイナスか。
「嫌だよ。だって血を吸いたいって衝動はあるんだよ?」
「ああ、そっか」
確かに、衝動を抑えて過ごすのは大変かもだ。空腹を満たすっていう生命活動に直結する衝動だし、血がそこらにあるわけだからな。腹ぺこの犬の前にご飯置いて『待て』してるようなものだ。
「じゃあ吸う?」
「え?」
きょとんとした顔で見上げてくる。
「血。俺の」
「いやいや」
「俺の美味しくなかった?」
「そうじゃなくて。好きな人の血吸えないよ」
俺の心配をしてくれているらしい。
「いや、いいよ別に俺のなら」
「いい。迷惑かけたくないの」
そう思うのは当たり前かもしれない。自分の謎体質で余計な負担をかけたくない。自分に対してマイナスな感情を抱いていたから、そう思うのだろう。
でも、それは違う。
「いいんだよ、迷惑かけて」
「え?」
「俺だからいいの。俺も迷惑かける。付き合うってそういうことだと思うよ、きっと」
迷惑かけるとか、そういうことを気にして過ごすのは面倒くさい。一緒にいるときは何も気にせず、楽しんだほうが絶対いい。
「俺の経験上、お願いと感謝と謝罪と信頼できる関係が最高」
「へぇー、なんかいいね、それ」
「それに、血を吸われる経験してみたいし」
正直これが本心だ。吸血鬼に血吸われてみたいという好奇心が俺の中にある。
「・・・・・・・いいの?本当に?」
恐る恐る聞いてくる。
「いいよ。死ななければ」
「痛いかもしれないし、苦しくなるかもよ?」
「それで芽衣さんが喜ぶなら大歓迎」
「・・・・・・・じゃあ」
折れて甘えてくれるようだ。ちょっと嬉しい。芽衣さんにしてあげれることができたことに。
「じゃあ。あ、首元からのほうがいいかな?」
腕を差し出したところで気が付いた。血を吸うと言えばそこからだ。少し汗かいてるかもしれないけど。
「ここだと、ちょっと、ね」
「あそっか」
今までみんなに隠していたことだ。道端では人が通るかもしれないから、
「じゃあ、公園は?」
「うん!」
ということで、少し道をそれて、近くにある公園へと足を運んだ。
記憶の端にあった小さな公園。数分もしないうちに辿り着く。ちょっとした寄り道だ。
「そういや芽衣さん、これまでに誰の血吸ってきたの?」
血を吸わなくてもいいとはいえ、小さい頃は吸っていただろう。そもそも、最初の一人はいるだろうし。
「家族だよ。妹がいるの」
「へぇー、姉妹いるんだ」
家族か。俺は一人っ子だから羨ましいな。
「仲いいんだ」
「うん、まあね。琉生君は、」
「いない」
「そっか。じゃあもう家にはお父さんだけなんだ」
「うん。華なさ過ぎて困る」
まあそうはいっても、その父さんすら仕事が忙しくてあまり家にはいないけど。
「だから電話の時普通に動き回れるんだ」
「父さんがいるときは控えるけどね」
家族団らんの時間はほぼないけど、二人しかいないからこそ、ばれると恥ずかしい。別に仲が悪いわけじゃないし。
そんな話をしている間に、小さな公園についた。
本当に小さな、公園とも言えるか怪しい公園だ。半円型の敷地で、中にはベンチ二つとよくわからん遊具が一つだけ。回りは木々で囲まれていて、薄暗い。
その中のベンチ片方に並んで座った。
「人通りないし、ここで大丈夫?」
「うん」
もういい時間だ。景色はすでに薄暗く、この辺は木々のせいでさらに薄暗い。人が通ってもいちゃついてるカップルぐらいにしか見られないだろう。
「じゃあ」
服を着崩して、首元から肩にかけての肌を出した。
「こんな感じでいいかな?」
「うん、えっと、じゃあ」
「うん」
少し照れた様子で、聞いてきたのに平静を保って答えた。けど内心、少し緊張してきた。思い返すと少しエロいし。
「琉生君、いただきます」
ゆっくりと近づいてきて、首元をカプッといった。
最初にチクッと軽く痛みが来る。注射みたいな感じ。その直後、血液の流れを感じ始めた。吸引力によって外に出されていく血液を感じながら、少しだけ見える芽衣の横顔を眺めた。
目を瞑りながら一生懸命に、でもその表情の中に、確かな幸せの感情が見つけられた。芽衣が喜んでいると言うことを、自覚しながらしばらくそのまま制止の時間が続いた。
でも、それはしばらく続いていいものではなかった。
「ちょ、芽衣さん?」
流石に吸いすぎな気がする。体に異変を感じられるまで、そのことに気づかなかった。フラフラしてきてようやく。
「芽衣さん、そろそろ。芽衣さん?」
ちょっとやばくなってきた。寒気感じるし、頭がフラフラする。風邪の症状が出始めてる。
芽衣さんは気持ちよさそうに夢中にかぶりついている。それを見ると止めたくなくなるが、このままじゃ自分の足で帰れなくなる。
「芽衣さん。芽衣さん!倒れるから!俺倒れるから!!」
「ハッ!」
ようやく我に返ったようで、すぐに俺から口を離した。
「ご、ごめん!!つい飲みすぎちゃった、大丈夫!?」
「あーうん、大丈夫。多分」
バッチリ風邪の症状は出ているが、それ以上のことはない。めまいとかも大丈夫。危うく、謎の貧血で康介とか啓吾を呼ばなきゃならなくなるとこだった。
「本っ当にごめん!久しぶりで、ちょっと自制できてなかった」
「ああそっか」
久しぶりなのか。多分隠すと決めてから吸わないことを徹底して来たんだろう。数年ぶりに我慢していた好物を食べたようなものだ。芽衣のがっつきにも納得がいく。
「それよりさ、どうだった?美味しかった?」
それよりで片付けていいかは微妙なとこだが、倒れてないなら良しとしよう。答えは分かるが、本人に言葉にして欲しい。
「うん!美味しかった!」
「・・・・・そりゃよかった」
可愛い笑顔でそんな元気よく言われたら、俺だって嬉しくなる。今日から血の健康気にかけることにしよう。
噛まれたところは出血していない。見事にふたつの穴が空いているだけ。傷とも呼べないもので、手当の必要は無いな。
「痛む?」
まじまじと噛まれた跡を眺めていたせいで、誤解させてしまったらしい。
「いや全然全く」
それよりも気分の方が悪い。
「じゃあそろそろ帰ろっか」
「そうだね」
俺が立ち上がったのに続いて、芽衣もベンチから降りた。俺の動きが鈍くなったのに対して、なんだかさっきより芽衣さんの動きが軽くなったように見える。
「芽衣さんってさ」
「ん?」
「血飲んだら一時的にパワーアップとかある?」
「ないよ流石に」
飲んだ直後は怪力が使えるとかだったら面白かったんだけどな。まあそれがあったら、さらに普通から離れてしまうから、本人はさらに苦悩しちゃうか。
「まあお腹は膨れるけどね」
「ああ、そっか。芽衣さんって逆に血飲めば食費浮くんだ」
血飲まなければ、その分の補給を他の食べ物で補うしかない。それだと、エネルギー効率が悪くてきついって話だったが、他の人間と違ってエネルギー効率がすこぶるいい食べ物があるのは利点だな。
「確かに。琉生君いれば、私餓死しないね」
「どんな状況よ、それ」
そんな機会は普通に生きてて一生ないと思うけど。
でも、芽衣の前で普通を考えるのはあまりにも間違っているように思う。芽衣の存在自体が普通を否定している。だったら、どんなことだって起こってもおかしくない。
公園から出て、また来た道を引き返す。線路沿いに戻って、また歩き出す。
「あのさ、芽衣さん」
「なに?」
目線だけをお互いに向ける。
「俺の血、定期的に吸ってね」
「え?なんで?」
意外だったのか、顔を向けて首を傾げる。
「いや、今日みたいに久しぶりで飲まれすぎると、ちょっときついからさ」
溜め込むよりも、こまめにその欲を発散した方がお互いにいい。
「いやいいよ、もう。いつもみたいに我慢できるから」
「・・・・・俺からしたら、さ。芽衣さんは我慢しなくていいと思う」
学校生活で常に我慢を続けてきた芽衣からすれば、もはや日常の一部だ。我慢するって言う意識すらないのかもしれない。
でも俺は、芽衣さんがそうしたいと思ったことは言って欲しい。
「別に芽衣さんにとってその行為そのものが負担になっちゃうなら、今まで通りでいいんだけどさ」
芽衣さんは自分のことを知っている家族しかいない家の中でも、血を吸うことをしてこなかった。それは自分自身で普通でないことを自覚してしまう行為だから、避けてきたのだと思う。対象が俺になったからって、そこは何も変わらない。
だからこれは、芽衣さんの意思で決めてもらうしかない。
「でも」
それでも俺の意思としては。
「俺の血吸ってくれるならさ、自分だけ特別みたいな感じで、嬉しいかな」
この本心を言うのはやめた方が良かった。恥ずかしいし、何よりこれは自分の価値を分かりやすく示すための行為だ。自分の自信のなさが無自覚に出てしまったのかもしれない。
俺だって気にしないだけで劣等感は持っているから。
「じゃあ飲む」
「え?」
「そう言ってくれるなら飲むよ。我慢しない、遠慮なく貰うよ?」
「ああうん、了解です」
「何その反応」
クスッと芽衣が笑う。
「いや、そんなにサラッと決めるとは思わなかったからさ」
本当に何気なく言った。なんか色々考えてたのが馬鹿みたいだ。
「だってさ、私にとっては好物なんだよ?飲めるなら飲みたいって思うのが普通じゃない?」
「それは確かに」
我慢してたからこそ、溜まっているのかもしれない。それに自分に課した制限というものは、一度破ると意味をなさなくなるものだし、さっきので制限が緩んだか。
「それに・・・・・琉生君に近づけて嬉しい、し」
ちょっと照れながら言った。物理的にも心情的にも距離は縮まるな。
「そっか。じゃあいつでも言ってくれ」
「うん!」
そういうことで話はついた。これからも、ちょっと特殊な血を吸う彼女との付き合いは上手く行きそうだ。
だけど、いつでもと言ってもみんなに見られるわけにはいかないし、場所はどうするんだろうと、小さな疑問が頭の端に居座っていた。