6話 お互いが抱える気持ち
窓を開けると、心地よい風が眠気を多少吹き飛ばしてくれる。一面の青い空に乗っかっている太陽も、今日の訪れを教えてくれていた。
周りがどれだけ騒いでも、それでどんだけ疲れても、時間は一定の速さを保って過ぎていく。その変えようのない事実が、俺を今日に運んでくれた。
土曜日。九時十分。
長い長い一週間を乗り越え、待ちに待ったデートの日だ。
いじられ、興味、嫉妬が混ざりあった一週間だった。恥ずかしかったり、イラついたり、呆れたり、感情の動きが激しかった。時間が経つにつれて緩和はしていったが。
そして、とうとう今日が来た。昨日は中学二年生にも関わらず、遠足の前日みたいに眠れなかった。そのせいで起きるのがちょっと遅い。
けど目覚めはいい。人生初のデートで緊張してるんだろう。
予定としては、午前中に出向いて、映画館があるショッピングセンターの中で昼食を食べ、その後の上映時間で映画を見る。見終わったあとは適当にぶらぶらして、夕方時にこっちに帰ってくるって感じだ。
計画はこれで十分。だと思うのだが、デート初めての俺からしたらよくわかんない。聞ける人といえば龍吾しかいないが、聞けるわけもない。あいつなら、部活サボって後をつけるくらい余裕でしてみせる。
少し不安はあるが、初デートなんだし。グダグダしてもトラブルがあってもいい思い出か。
そう思うことで不安を拭って、出発の準備を始めた。
時間がかかることはない。いつも通り、髪型とかも学校に行く程度の準備しかしない。無駄に張り切ってもな。
ただ一つ、問題があることを思い出した。
「洋服なー」
ファッションに疎い俺は、そこに悩みつつも、いつも外に行く時の服を選んでいた。
待ち合わせは最寄り駅。二人とも同じだから、ここになった。
俺は十分前には駅について、時折深呼吸をして、そわそわしながら待つことにした。
その二分後。
「おはよう、琉生君」
穏やかな挨拶で近づいてくる人がいた。
「お、おはよう」
予想外の早さに少し驚いてしまった。社会人の基本は五分前行動なのにな。俺が言えたことではないけど。
「早いね」
「緊張してんだろうね、俺」
客観的な発言してるところが、もう緊張してる。
「なにそれ」
そんな俺がおかしかったのか、芽衣は面白そうに笑っている。
「芽衣さんは緊張してないの?」
芽衣だって十分早くきている。
「・・・・・・・してるよ、そりゃ」
「だよね」
一応のやり取りをしたあと、自然と芽衣の全体像が目に入る。
なんか、可愛い。白いパンツに、桃色のトレーナー?を着ている。ファッションに疎い俺だが、似合ってることは分かる。私服姿は初めて見るからなんだか新鮮だ。
「あ、じゃあ行こっか」
「うん」
少し不自然な間が空いてしまった。ここで服装を褒めれれば良かったのだろうが、あえてやめておいた。ファッション知識のない俺が上手いことを言えるわけがないし、自分の服装に話題がそれるかもしれないから。
俺の服装はジーパン、Tシャツに七分丈の上着を羽織っている。フードがついてるやつ。
服なんてまともに選んで買ったことがない。みてくれなんてどうでも良かったし、判断材料は機能重視ですらなく、直感だった。正直言うと、選ぶのが面倒くさかった。
だから家にあった服で、一番良さそうなのを選んだ。まあ大体いつも同じ服で出かけているので、いつも通りだ。
それでも、デートには不適切だ。少しはファッション勉強したほうがいいかもな。
電車に揺られることおよそ三十分。目的の駅に到着した。
最寄駅から一番近い映画館なら、そんなには時間はかからないのだが、あえてこの駅のショッピングセンターを選んだ。理由は、今週の疲労感が見知った顔を見かける可能性を拒絶したのと、ここは東京湾が近いから。ただ俺が、広大な水が広がっている景色を見たかったのだ。
そういうことで、少し手間だがここまでやってきた。電車を降りて改札を抜け、人の流れに乗って道なりに進んでいく。この駅はショッピングモールにつながっているので、ここを通れば店の中まで行ける。
階段も多少上り下りする。その途中で。
「おお!海だよ琉生君!」
「湾だけどね。なんか落ち着くなぁ、この景色」
太陽の光を水が反射して、綺麗に光り輝いている。この景色を見て、ここまで足を運んでよかったと思った。あと、海が行きたくなった。
ほどなくして、モールの中に入れた。だが、入って早々難関にぶち当たる。
「・・・・・・・分からん」
マップの前で頭を抱えていた。広すぎて、上手くマップが読み取れない。
「どう?分かった?」
「・・・・・まあ、多分」
数分がかりでおおよそ分かった、気がする。まあ行けば分かるか。
「じゃ、行こっか、芽衣さん」
「うん!」
無駄足になったらなったで仕方ないか。時間はまだあるし。
とりあえず、映画館まで行って席を確保しに行こう。芽衣の足並みを気にしながら、隣り合って向かった。
その途中、エスカレーターに乗ったところで携帯が鳴った。通話だ。なんだろう。
「ごめん芽衣さん。ちょっと出るね」
「うん?うん」
許可をもらってから、通話に出た。表示されてた名前は啓吾だ。
「もしもし。どした?」
「ゲーム、したいんだけど」
手伝え、ってことだろう。ダンジョンか、サバゲーか。
「すまん、出てるわ」
「まじか」
まあ確かに、俺が休日でかけるのは珍しいかもな。出かけるにしても、大体啓吾か康介か。
「にしても、なんで通話なん?」
「前マイン送って、寝てたから」
「普段、休日は起きるまで寝る派だ」
俺は常に遅寝だ。毎日の平均睡眠時間は六時間。平日は部活の使命感で目覚めるが、寝てもいい状況ならいくらでも寝る。寝れる。二度寝する。
「なんだそれ」
にやけた声でそう言った。そのあと思いついたように。
「もしかしてデート?」
と、勘づいてきた。
「もしかしなくても、デートだな」
「はやっ。ラブラブじゃん」
「ラブラブだな」
そう声にすると、芽衣が赤くなって俯いた。台詞を思い出すと、俺もちょっと照れてきた。
「それ、からかってんのか?」
「別に」
「じゃ、そういうことだから。明日なら付き合うぞ」
「ん。じゃ」
「じゃ」
それだけ言って、通話は切れた。
終わった後に思うのもなんだが、出なけりゃよかった。
「・・・・・ごめんね、芽衣さん」
「ううん、全然大丈夫」
エスカレーターを降りて、また歩き出す。ゲーセンの音が聞こえてきて、うるさいフロアだ。
「よく電話かかってくるの?」
「まあ、そうだな。啓吾んちめっちゃ近いし、結構呼び出しされる。百パーゲームだけど」
徒歩一分ちょいくらいだ。踏切渡ればもうすぐそこ。ちなみに康介んちもかなり近い。
「仲いいんだね」
「まあそうだな」
大体がゲーム要員として導入されるだけだが。
「でも、啓吾と康介のほうが仲いいぞ」
「そうなの?」
「友人歴長いからなー。芽衣さんは休日とか何してんの?」
なんとなく聞いてみた。
「んー、私だってゲームとかはするよ?」
「そなの?」
ちょっと意外だな。本とか静かに読んでるイメージがある。そう思う時点で、俺は芽衣さんのこと何にも知らないということが分かった。
「リズムゲームとか、レースゲームとか、スマシスとか」
「いろいろすんだな」
俺も結構やるが、スマシス、格ゲーはちょっと弱い。というか、いつも一緒にやる啓吾と康介が強すぎなんだよ。
「今度一緒にやろうよ」
「んー、そだな。今度」
ゲーム大会も悪くないな。サバゲーで一緒に協力して発展させんのもいいし、ホラーゲームとかも面白そう。対戦ゲームもいいし、謎解きとか一緒に考えるのも。
「あーでも、私パソコンとか、ゲーム機とかあんまりないかも」
「んー、まあその辺は貸せるし。その場合、俺んちでしかできな、い」
言ってて気づいたが、自然と家に誘ってるみたいになってしまった。
「ま、まあ、出来るものだけやればいいし」
「う、うん」
会話が終わったところで映画館に到着し、空いている席を二つ予約した。昼後の時間帯の上映だ。それまで、お昼を食べて時間を潰すことにした。
昼食をどこで食べるか、悩んだ末にファストフード店にした。別々に買ったセットを机に並べ、二人で向かい合わせで座る。
「おまたせ」
「うん、じゃあ」
手を合わせて。
「「いただきます」」
二人同時にハンバーガーをひとかじりする。口に広がる照り焼きの甘みと、ビーフ百パーセントのパティの食べ応えが実に美味しい。食べ過ぎると体に悪そうだが、週一で食べたい味だ。
その後、熱々のポテトも一緒に食べる。俺からしてみては塩分が少々多い気がするが、食べたときに解放される中のホクホクが美味しい。冷めればこのおいしさはなくなってしまうので、冷める前に堪能しよう。
そして、塩分で口の中がしょっぱくなったところに、ジュース。これで口の中を甘くする。炭酸のシュワシュワが口の中を刺激して、バーガーやポテトと凄く合う。
久しぶりに食べたことで、食欲の高まりが凄い。数分でペロリだった。
「琉生君、食べるの早いね」
しっかり口の中のものをなくしてから、芽衣がそう言う。
「んーまあ。俺小食なわけでもないし。そう見える?」
「ま、まあちょっとはね」
そうか。まあひょろいし、俺。
「結構食べるよ、俺。割と健康的。自分で料理作るからね」
「それ結構凄いよね。何気なく言ってるけど」
「そうか?そういう趣味ある人とかは出来るでしょ」
料理は上手い人と苦手な人に分かれるが、究極的には手順通りやれば失敗することはほぼない。成功失敗を分けるのは、手順の中の技術を要する工程と、何か付け足したくなる好奇心があるかないか。
つまり、単純なものなら誰でも出来る。難しくとも、トライアンドエラーで絶対できるようになる。料理は化学というが、全くその通りだと思う。
「琉生君さ、私の料理食べたいって言ってたけど、琉生君のほうが上手いでしょ」
「いや、芽衣さんの料理のほうが美味しい」
「上手い、とは言わないんだね」
「鋭いね、芽衣さん」
上手い、ではなく美味しいだ。正直、俺の料理力は結構凄いと、自負している。普通の高校生よりもその機会が多いから。
でも、どんなにすごいお店の料理よりも、彼女がせっせと作ってくれたもののほうが美味しいに決まってる。
「いつから作ってるの?」
「三年前だね」
母親が死んでから。まあ最初は冷凍食品とか、即席麺とか、弁当ばっかだったけど、父親が料理できる人じゃない。だから、これからずっとこのままというわけにはいかないから、俺がしっかりすることにした。
「あのさ、こんなとこで聞いていい事か分かんないけどさ」
「聞きたいことは分かるよ。三年前、母親が病気で死んでる」
家の中に人の気配がなさすぎるのと、料理が出来るってことは作ってくれる人がいないってことだから、その考えには容易に辿り着く。
「・・・・・ごめんね、こんな場で」
「いいよ、古い話だしさ。それに知りたいよね、お互いのこと」
どんなことでも知りたい。知り合って、共有して、関係を深めていく。それが、大事な事だと俺は思ってる。だから、臆せず聞いてくれたのが少し嬉しかった。
「凄いな、琉生君は」
「そうでもないよ。家事全部やってるわけじゃないし、境遇がちょっと特殊なだけだよ」
家事は代行サービスに頼っている。俺がするのは、必要なものを軽く洗濯するくらい。
「ううん、凄いよ。そういうの、小学生の時からなんて、簡単にできることじゃないよ」
「ま、そうかもね。やるしかない状況にならないとやらないか」
俺だって基本だらだらするタイプだ。勉強嫌いで、面倒くさいことは避けるタイプ。それを変えたのは、紛れもなく境遇だ。
本当にただそれだけ。それでも、芽衣さんの空気が重い。重くなっていく。
「・・・・・・・私、釣り合ってない」
「芽衣さん?」
「琉生君は凄いのに・・・・・・・私なんか全然、なんの取り柄もないのに」
「芽衣さん」
「琉生君の大事な時間を」
「芽衣さん!」
少し語調を強めにして、芽衣さんの意識を向けさせる。こっちに目を向けたところで、ゆったりと話しかける。
「・・・それ、冷めるよ」
手に持ったままのバーガーを指さした。
「あ、うん。・・・・・そうだね」
ちょっと意外そうな顔をしてから、軽く笑った。そして、またゆっくりとバーガーを食べ始める。
きっと、今出した暗い感情は芽衣の根本にあるものなのだろう。なにもないことの虚無感からくる焦燥。それは俺もよく分かっている。
芽衣が食べ終わるのを無言で待って、最後の一口を食べてもぐもぐしてるところで、再び会話を再開した。
「俺は凄いって芽衣さん言ってくれたけどさ。それは違う」
芽衣さんの言葉をしっかり否定した。卑下してるんじゃない。多分価値観の違いだ。
「俺はみんなが出来ることを早めに習得しただけだよ」
誰もがやろうと思えば出来ることだ。やる必要がないから、やろうとしないだけ。料理も、家事も。自分だって、もっと大人になってからこういうことを出来るようになりたかった。
早めに飲み込もうと、芽衣がドリンクに手を伸ばして、一気に飲み込んだ。それを視界にとらえて、さらに続ける。
「それは、才能じゃない」
「才能?」
「運動ができるとか、勉強ができるとか、コミュニケーションが得意だとか、空気を作るだとか。そういう、人が生まれながらに持っているものを、努力で開花させる。それが才能ってものだと思う」
「うん」
ちょっと難しい話をしているけど、それを分かっていて続けた。話すべきだと思うから。
「誰もが持つものじゃないし、誰もが持っていることを気付けるわけでもない。そして多分、俺にはそれがない、と思う」
「そんな、こと」
「あるんだよね、それが」
「・・・・・・・」
ただの直感だ。才能なんていつ開花するか分からないものだから、断言するのはおかしいと思う。それでも、自分にはあるとは思えない。
「だからさ、嬉しかった。芽衣さんが俺のこと・・・・・好きだって言ってくれたこと」
「・・・・・・・嬉しかったの?」
「うん。そりゃあね」
目を見開いて驚きを見せたあと、確認してきた。そんなの確認しなくても、嬉しくならない人はいないと思う。いや、人によるかもしれないけども。
「俺の周りにはさ、才能持った人たちがたくさんいんの。康介啓吾もそうだし、洋平、大沢、添にい、谷口。それに真島石野神谷だって。みんな凄いって思ってる。そんな中にいる俺を選んでくれたからさ」
運動センスにリーダーシップ。ムードメーカー。部活動が盛んな我が校では特に才人は多い。
「私も嬉しいよ。こうして今、一緒にいられて」
「・・・・・たまに、思うことがあってさ」
少し言うのを躊躇った。言いたいことではないから。でも言おうと思った。なんか、分かってくれるような気がしたから。
「康介とか洋平とかのグループで話してるとさ、自分が異物みたいに思うことがあるんだよね」
「異物・・・・・」
「この場に自分がいる意味あるのか、とかさ。自分がいる必要なんてないんじゃ、みたいな。自分だけ機械の歯車の予備で一緒に回ってはいない、みたいな感覚」
「そんなことない」
しっかりと否定してくれる。真剣な目で言ってくれたので、少し頬が緩んだ。
「分かってるよ。みんなそんな人じゃない。それでも、自分を疑ってしまう。周りを信じきれてない。そんな自分に嫌気がさす」
「・・・・・うん」
言いたくはなかったし、こんなかっこ悪いとこ見られたくはなかった。周りを疑う自分が最低だと思う。信じられない自分に人間性がないとも思う。それを見せるのには躊躇いがあった。
でも、見せるべきだと思ったのだ。芽衣の自身の評価の低さは自分のせいだとも思うから。
俺からの好意がないのを知ってるから、どうしても自分と俺を比べてしまう。元々そういう他人との差を重視してしまうタイプではあると思うが、俺だと敏感に差を感じてしまうのかもしれない。
だから、弱みを見せた。嘘偽りはない。俺の本当の弱さで、本当の悩みだ。
「だからさ、俺は芽衣さんに感謝してる」
「私に感謝?」
きょとんとしてる。なんのことか分かっていない顔。
「俺に全身全霊で気持ちを伝えてくれた」
「あ、あれは・・・・・気持ちが募って」
「そう簡単に出来ることじゃない」
普通出来ないのだ。このご時世告白なんてマインで済ませることが多いと思う。直接顔を合わせて、あんな状態になってまで伝えてくれたから、疑い深い俺でも嘘偽りの可能性が一ミクロンもよぎらなかった。
芽衣は恥ずかしそうに俯いているが、気にせず続ける。
「芽衣さんのおかげで、俺は初めて疑わなかった。自分のいる意義を」
「・・・・・!」
「芽衣さんの勇気のおかげ」
芽衣は自分を必要だと思ってくれた。俺一人を見て、いて欲しいと思ってくれた。それが嘘でないと伝えてくれた。全部芽衣がもたらしてくれたもの。
「だからさ、芽衣さん」
「・・・・・うん」
一度切って、ゆっくり息を吸ってもう一度口を開けた。
「釣り合いなんて考えなくていいんだ」
「うん」
「俺だってとれてないって考えてたし」
「それはないと思うけど」
「ずっと平行線じゃん」
そんな状況に笑ってしまった。芽衣も釣られて笑っている。
日本人は謙虚だから、自分を過小評価してしまう。そんなことに意味は無い。価値を決めるのは自分じゃないし、そもそも人に価値をつけるなんて野暮だ。
みんな違ってみんないい。これが自然の摂理だ。
「まあ、気楽に行こ。ちょっと長話しすぎちゃったな」
少し喉が痛い。本当に何言ってんだか俺。
「そうだね。これ、初デートなのに」
いいことでもないのに、芽衣が笑っている。でも、確かに笑える。
「二人ともデート慣れてないのバレバレ」
「グダグダだよね」
まだ始まったばっかだしな。
「というか、暗い話し始めたの芽衣さんだからね」
釣り合いがどうとか、それが発端だったはず。
「長々と遠回りしたのは琉生君だけどね」
確かに。途中から上手くまとめんの大変だった。やっぱ慣れないことはするべきじゃないな。
「結局、どっちも悪いな」
「そうだね」
二人して笑って、昼食の時間は一旦暗くなりながらも、どうにか明るい空気で終えられた。
話にはふさわしい時がある。その時が来るまで、あるいは来ないかもしれないが、その場に合った明るい話を楽しんだほうがいい。内容がどうであれ、会話は笑顔になれたほうが、いいに決まっているのだから。