3話 モーニングコール
人生の分岐点とも言える金曜日を超えて、今週の疲れを癒す休日がやってきた。その始まりはいきなり六時からだ。
今日の部活は午後から。いつもだったら八時まで寝てるのだが、今日は朝早くにやりたいことがあった。
『おはよう、七瀬さん』
起きてすぐに連絡を入れた。時間もうちょっと待ったほうが良かったかもしれないが、どんな朝を過ごしているのか知らないので、余裕のある時間に送っておくべきだと思った。
返信を待つのと同時に、いつものルーティーンを終わらす。コーヒーを片手に部屋に戻ったところで、返信があった。
『おはよう、加瀬君』
着信を確認して、ルームを開いたと同時にもう一つ。
『初めてのメッセージ、嬉しい』
『ちょっとやってみたかった』
いかにも付き合ってるっぽい。
『朝早いけど、いつもこの時間に起きてるの?』
『これだけのために早く起きた』
ここは正直に答えておく。女子テニス部だから俺が部活午後からなのは知っているはずで、この時間に起きてるのはちょっと不自然だ。相当健康な人ということになってしまう。
ちょっとだけ長く間があいた後に、返信が来る。
『嬉しい。ありがと』
てっきり『ごめん』って言うと思った。芽衣は結構気を遣う人だと思ったから。自分のせいで俺に朝早く起こさせてしまったと、それを謝ると思った。
だから、こういう反応をしてくれたことに、ちょっと俺も嬉しくなった。
『こちらこそ。朝大変だよね、要件はないから』
『あのさ』
導入から入ったので、コーヒーを飲みながら次のメッセージを待つ。
『なんでもない。ありがとね、やる気出た』
そんな言葉が返ってきた。
別に何か言いかけてやめたのなら、それを詮索したりはしない。代わりに、少しわがままになってみよう。
『じゃあさ、明日は七瀬さんが起こしてくれない?俺を』
少し間を置いた後返信が来た。
『うん、もちろんっ!』
さらにもう一押ししてみる。
『通話、お願いしてもいいかな?多分メッセじゃ起きないし』
流石にピロリンじゃ、起きれる自信がない。
またまた少しの間が空く。そして、ちょっと長い返信が来た。
『うん!絶対起こすよ。時間ぴったりに起こすから。六時でいいかな?』
予想外のやる気だ。これは一時間前から起きて待機とかしそうでちょっと困る。
『それでいいけど。あの、直前に起きてね?』
『あ、うん、そうする』
朝一に通話とか、寝起きで声とかやばいかも。今になってそれに気づいてしまった。俺が早く起きようかな。
『じゃあまた。部活頑張って!』
『うん!そっちも!』
そのメッセージを最後に見て、俺はスマホを閉じた。早起きして眠いはずなのに、一日をいい気分で始められた。
気持ちのいいスタートを切った土曜日の午後練は、調子のいいプレーが出来た。と言っても、ミスが少なかった程度だが。
午後練が終われば、その後はあっという間に土曜日が過ぎ、日曜日に。
その日曜日は、いつもとは違った感じで起きることになった。
♪ーーー
着信音。いつものアラームとは違う音。一瞬鬱陶しいと思った後、意識が覚醒して身体を起こした。
もう何回かコールを鳴らしてしまったので、慌ててその着信に出た。
「もしもし」
「もしもし、加瀬君おはよう」
「ふぁー、おはよう、七瀬さん」
寝ぼけた声で、挨拶を交わした。寝起きじゃ、格好がつかない。
「眠い?」
「眠い。いつものことだけどね」
スマホを耳に当てたまま、ベッドから立ち上がった。そのままリビングに出る。
もう一度、ちょっと長いあくびをスマホに気にしながらすると、電話の先でちょっとした笑い声が聞こえた。
「ん?」
「ちゃんと寝起きだって思って」
「まあ寝起きだし」
顔を洗いながら、芽衣の声を聞く。
「あのさ・・・・・このまま部屋出てもいいの?」
水で目を覚まさせて、タオルで顔を拭きながら、「ん?」と答える。少しなんのことか考えた後、言いたいことが分かった。
「いや、そのさ」
「ああ、部屋出ても大丈夫なのかってことね。大丈夫、まだ誰も起きてないから」
「そう、なんだ」
「まあ流石に俺も親にばれるのは避けるよ」
俺の場合、父さんだけだしあまり問題にはならないけど。からかってくるのがうざいから、こっちから言う事はなにもない。
「そっか。恥ずかしいよね、なんか」
「まあ、そだね」
モーニングコーヒーの準備をする。朝はこの一杯がないと始まらない。
「朝いつも一人なの?」
「うん。コーヒーも朝食も自分で」
「なんか大人だね」
「そんなこと・・・・・いやまあ、ちょっとはそうかな」
俺は今は親が一人になってしまったから、自分でやらなくちゃいけないことが増えた。そう考えると、普通の中学生よりは幾分か大人だと思う。
「朝は家の人早いから」
「そうなんだー。朝食って料理とかするの?」
「朝は適当に済ますけど、夕ご飯は作るよ」
「すごい!料理も出来るなんて」
そんな尊敬されることでもないと思うけど。料理なんてレシピ通りやれば失敗しない。
「簡単なものだけだよ。七瀬さんは料理できる?」
なんとなく聞いてみる。
「まあ、ちょっとくらいなら」
「そう。じゃ、今度食べさせてよ、七瀬さんの料理」
凄い彼氏彼女っぽいイベント。
「あんまりすごいのは作れないよ?」
「いいよ、そんなの。七瀬さんが作るのに意味があるんだから」
「・・・・・うん。じゃあ今度」
「うん」
メニューのバリエーションが少ない俺からすれば、俺の知らない料理を教えて欲しいな。
ここで一回沈黙が訪れる。話がひと段落ついて、出来たコーヒーを一口飲む。コーヒーはマグカップに口をつけて、湯気を感じながら少しずつ飲むのがおすすめ。
「あの、さ」
「ん?」
マグカップから口を離して返事をする。
「いや・・・・・その・・・・・」
なんだかすぐに話し出さない。言いずらい事なのかな。
「その・・・・・かた」
「・・・・・ん?」
流石に何が言いたいのか分かりかねるな。かた?
「・・・・・呼び方、なんだけど」
「ああ、呼び方か」
呼び方ね。確かにちょっと言いずらい?かも。
「苗字にさん付けなんだって思って。加瀬君って他の女子呼び捨てだったから」
確かに、石野、神谷、真島って呼び捨てで呼んでるな。多分さん付けのほうが少ない。
「俺大体そうするから、なんか違うほうが自分的にいいかなって思ってたんだけど」
「そうなんだ。まあ、加瀬君がそう思うならそれで」
でも確かに、考えてみれば少し他人行儀な気もするな。恋人にしては一番違和感のある呼び方かもだ。
「・・・・・芽衣さん」
「ッ!?」
電話越しでも、びっくりしてるのが分かる。
「じゃあ芽衣さんって呼ぶよ」
「いいの?」
「嫌って言っても戻さないことにする」
嫌じゃないだろうし。そもそも変えてほしいから、この話題を振ったんだと思う。
「・・・・・うん。ありがと」
ちょっと声量が下がりながらも、そう言った。
ただ、俺だけ変えてもフェアじゃない。
「琉生君」
「あ」
俺から振ろうと思ったのに、先に言われてしまった。
「・・・・・私は、琉生君って呼ぶね」
「俺から言わせようと思ったのに」
「そう呼びたかったの。なんか、すごくそれっぽいね」
「最初はぽいことしたくなるよね」
まあ、ぽいだけじゃないから、そういう空気が流れるのは当たり前なんだが。
でもまだ付き合って間もないのに、展開は吹っ飛ばしてる気がする。俺も芽衣も形から入るタイプかもしれない。
「芽衣さん、人前で俺のこと呼べるの?」
「よ、呼べるよ。・・・・・多分」
「多分、ね」
「か、琉生君は呼べるの?」
慌てた様子でそう聞いてくる。加瀬って言いかけたし、まだ馴染まないか。
「みんなの前じゃ、芽衣って呼んじゃうかも」
「よ、呼び捨てっ!?」
「いやだって、みんなそうだからさ」
みんなを苗字呼び捨てで呼ぶ中、一人だけ名前さん付けは俺からしたら少し違和感、周りからしたら大きな違和感だ。
「か、隠さないって決めたもん。だから、みんなの前でもいつも通りにする!」
「そうだね」
そのおかしな決意表明に少し笑ってしまった。けど、なんかやるぞーって感じで頑張る意思が感じられて、それはいつも通りじゃないんじゃないだろうか。
まあ、最初はそうでも、慣れていくうちに自然になっていくだろう。
コーヒーが半分になったところで、トーストを焼き始める。今日はトーストとバターで軽く食べる。
「あ、朝大変だよね?」
「いんや、別に。特にすることはないし、することは喋りながらしてるし」
「そっか。このせいで遅刻とかしないでよ?」
「そんな間抜けやらかさないって」
そのあと、少しどうでもいい話を話して、俺が朝食を食べ始めるタイミングで、向こうも朝食があるのでお開きにして通話を切った。朝から三十分くらい通話しちゃって、会話したせいか、なんだかもう起きてから数時間たったみたいに、身体の調子が良かった。
今日は色々話せてよかった。芽衣のことを少しでも知れた気がする。多分、これからも少しずつお互いのことを知っていって、知られていって、そんな風に二人で時間を過ごすのだと思う。その時間を楽しんで、相手のことを把握して、自分の真意を見つけるのだと思う。
これから訪れるであろう経験が、今から楽しみになった。
今日は早くから体を動かそうと思い、速攻で準備をして早い時間帯に学校へ出向いていった。