2話 その道を選んだ理由
「・・・・・」
「・・・・・じゃ、そろそろ行こっか」
告白が終わった後。未経験ゆえ、どういう空気で行けばいいかとか全く分からず、二人とも何も話さず階段を下りた。そろそろ完全下校のチャイムも鳴るだろうし、無言で突っ立っていても辛いだろうし。
会話一つなく、階段を降り切って昇降口で靴を履く。
一緒に昇降口から外に出るが、隣を歩く芽衣は少し恥ずかしそうだ。この時間に校舎から出る人はほとんどいないから、男女だといろいろ感づかれる。それに、テニス部は先に帰ったと思うが、他の部活の人にも知り合いは多少いる。クラスメイトとか。
大丈夫か、聞こうと思ったのだが、今更だと思って言葉を喉で引っ込めた。どうせ正門はすぐそこだ。
無言のまま正門までたどり着く。
「・・・あの、今日はありがとう」
「それはこっちの台詞っぽいけどね。暗いけど一人で大丈夫?」
帰り道は早々に分かたれている。俺が並木道側で、芽衣が駅側だ。
「うん。まああんまり遠くないから」
暗いと言っても四月の夜だ。少し暖かくなってきた時期。外灯もあれば他の下校生徒もいる。
「じゃ、また明日ね」
「うん、明日」
そう言葉を交わして並木道のほうに体を向けて、歩き出した。
でも足は、三歩四歩あたりで立ち止まる。少し、勇気を出そうと思った。いつもなら面倒くさいことはしないが、それでも今は許容しようと。
振り返って、芽衣の背中を追った。
「え?加瀬君?」
「やっぱ送る」
「え?大丈夫だよ」
「んー、まあなんとなく」
そう言って立ち止まった芽衣を置いて前に出た。それに追いつくように早歩きで寄ってきた。それを確認して言葉を続けた。
「買い物あったし。それにさ・・・なんか、それっぽいことしたかったんだと思う、俺は」
他人事のようにそう言った。
「そうなの?」
「そうなの」
「・・・・・ありがと。嬉し」
小さな声で呟いてくれた。ちょっと迷惑かもって思ったけど、よかった。歩みを遅めて、芽衣に合わせる。
「七瀬さんはさ、みんなにばれないほうがいい?」
送ることにしたのは、話しておきたいことがあったからかもしれない。それを考えて来たわけではないけど。
「・・・・・ちょっと恥ずかしい。けど、加瀬君はどうしたいの?」
「んー、俺は隠さないほうがいいと思う」
間を開けずに、きっぱり言った。
「じゃあ、隠さなくてもいいよ」
「まあ、周りの目気にするとからしくないし。言わずにばれてからかわれるなら、言える人にはカミングアウトしたほうがいいと思うよ」
「そっか。そうだね、確かに」
「ま、でも恥ずかしいけどね」
顔を向けて、後頭部に手を当てて笑ってみせた。カミングアウトとか普通にきついし、ちょっともう強がってやろうっていう気持ちがある。
「そうだね」
芽衣も笑い返してくれた。
ここで一旦会話が途切れる。二人の間に音がなくなると意識は自然と周りに行く。もう四月の中旬に入っているけど、夕方の風はちょっと肌寒い。でも、普段こんな暗い時間に通らない道は、少し真新しい景色に見える。
「あの、」
止まった会話を再開したのは芽衣だった。少し間を開けてから、本題を話した。
「・・・・・加瀬君ってスマホって持ってる?」
「ん?ああ」
背負ってたバックを前にして、中を漁る。そして中から、四角い片手で持てるサイズの板を取り出した。
「持ってるよ」
「なんで今持ってるの!?」
スマホだ。無論、学校に持ってくのは禁止。
「ケイタイなんだから携帯しないと」
「そういう問題じゃないと思うよ!?」
「ま、中入れてればばれないから。家着いたらマイン交換しよ」
無料通話メッセージアプリだ。そう話を振ってきたってことは芽衣も持っているだろう。
「うん、ありがと」
ただそれだけだが、芽衣はなんだか嬉しそうだ。
そんな芽衣を見てたら、もう一歩踏み入って見たくなった。
「・・・・・デートしよっか」
「え!デート!?」
いきなり言ったらそんな反応が返ってくる。
「デートって、デート?」
「デート。いきなりはちょっときつい?」
「い、いや、憧れだけど!・・・・・どしたらいいかわかんない」
動揺しながらも、最後に小さな声でそう言った。
「俺もわかんない。経験ないし」
デートって何をすればいいのか。友達と遊ぶのとは違うのかどうなのか。まあ、適当にやればどうにかなるとは思うけど。
「でも・・・・・行きたい」
さらに小さな、消え入りそうな声でそう言った。口を手で隠しながら言ったので聞き取りづらかったが、内容は大体分かった。顔赤いし。
「まあ俺らって、女テニ男テニだから、部活午前午後って分かれること多いんだけどね」
「そっか。一緒に休みってあんまないね」
それは仕方ないか。一日オフの日だってあんまりない。でも、心配はいらない。
「そんときは俺がサボるから大丈夫!」
右手で親指を立てて、アピールした。
「え、それは駄目だよ」
「サボらせてよ。何か理由があれば、罪悪感薄くて済むからさ」
俺はサボりとかは出来ない性格だ。しても、駄目なことしてしまったって感覚が、自分の気を支配する。頭の中がもやもやして、なんだか他のことに身が入らない。でも、明確な理由があれば話は別だ。
「だってペナルティーあるよね?」
「あー」
勿論サボってもある。先生のためになる説教を受けたのち、外周十周。まあそんくらいどうってことはないけど、芽衣が責任感じちゃうか。
「ま、この話はそん時に。行きたいとことかあったら言ってよ。俺も考えとくからさ」
「うん!今から楽しみが出来ちゃった」
「そだね」
そんな話をしたタイミングで、芽衣の家に着いた。
学校から十五分かからないくらいの距離の住宅だ。家が連なる住宅地の中にあって、近くには公園もあるし、スーパーもある。静かなところで、いい場所だ。
一旦芽衣が家に入り、数十秒でスマホ片手にすぐに出てきた。そこでIDの交換をした。
芽衣のマインが入ったのを確認して、スマホをしまった。
「じゃあ、そろそろ」
「・・・・・うん」
「おやすみ、七瀬さん」
「おやすみなさい、また明日」
「明日!」
軽く手を上げて振った後、背を向けた。肌寒い空気を感じて、両手を制服のポッケの中に突っ込む。したら、後ろから呼び止める声がかけられた。
「加瀬君!」
身体を半分そっちに向ける。視線の向こうには両手でスマホを持った芽衣。
「これから、よろしくねっ!」
改めて、そう声をかけてくれた。俺はそれに、右手をポッケから出して手を振ってこたえた。そうして本当に、我が家に帰るため帰路についた。
寒空を歩いて、寄り道をせずに家へ帰った。別に買うもんとかないし。
遅い時間に家に着いたら、さっそくお風呂を洗って沸かし始める。軽く夕食の準備をした後、風呂が沸いた合図が鳴る前に、服を脱いでお風呂場に入った。
ササっと体を洗って湯船につかる。洗っている間に沸き終えたお風呂は熱々だ。冷えた体には熱すぎるくらい。
今日の俺は、なんだかいつもの俺とは違っているように感じた。なんというか、無駄に張り切ってるというか、力が入りすぎている感じだったと、振り返ってそう思った。
好きではないけど付き合うことにした。この、相手に失礼なことをしたっていう負い目が、俺にそうさせているのかもしれない。こんなんじゃ、無理してるって思われても仕方ないのに。
別に芽衣に何にも思わないわけじゃないのだ。可愛らしい容姿だと思うし、優しくて純粋な性格だと思う。俺の好きなタイプに近い。俺にはもったいない子だ。
でも、好きかと言われれると、そうとは答えられない。密かに恋心を抱いていたわけじゃないのだから。芽衣はいったいどこで俺を好きだと思ったのか。
「・・・・・初対面、いつだっけ?」
すぐには出てこないが、一年の頃は言うほど接点はなかったはずだ。ちょっと顔を合わせたくらい。
まあ恋をしたことのない俺が、記憶から情報を引っ張り出して考えても無駄か。
俺が付き合うことにしたのは、勿論芽衣の勇気を実感したからだ。でも、そもそも天秤がノーに振り切ってなかったのは、もう一人の人の言葉の影響が大きい。
俺の母親だ。
三年前、俺が小四の頃に病気で死んだ母親。いつも明るい笑顔で振るまって、ちょっといい加減で抜けているところがあった母さんだ。
俺は彼女の告白を予期した夜、母の遺言を思い出していた。いや、そうせざるを得ないように仕向けられてたと言うべきか。
※
病院のベッドのそばに座っているとき。母の病気が悪化して、もう長くはないと告げられていた時期。父さんが席を外して、病室で二人の時に、唐突に、母は重いであろう口を軽々と開いた。
「・・・・・琉生、私はもう長くはないの。あなたの成長を見届けられない」
「・・・・・うん」
分かっている。幼い俺だったが、その事実を改めて本人から聞かされても取り乱しはしなかった。
「まだ死にはしないけれど、いつ死ぬか分からないから、念のため早い段階で遺言を言おうと思うの」
「・・・・・」
こんなことを言うってことは、自分が死ぬのを本能で自覚しているのだと、自分の体が冷たくなった。だが、それは違った。
後から分かることだが、この二十二日後に母は死んだ。本当に早い遺言だった。実に母さんらしい。
「これから生きていくためのアドバイスよ」
「アドバイス、ね。あんまり役に立たなそうだけど。一応受け取っておくよ」
無理やり不格好な笑顔を作って、そう答えた。声が震えないように細心の注意を払って、自然体でいられるように。
「じゃあ、言うわね・・・・・」
「・・・・・」
長い間をあけた後、再び口を開けた。
「・・・・・私みたいな彼女を作りなさい」
「・・・・・・・」
「・・・・・ちょっと!?ここ笑うところよ!?」
「いやだって、遺言とか言われて、笑えない、し、ししし・・・・・」
最後のしの一文字から盛大に笑ってしまった。この真面目な事を言うべきタイミングで、ちゃんと母さんらしいことを言って、それがどうしようもなくおかしかった。つぼった。でも本当は、自分の気を紛らわせたかったのかもしれない。それとも両方か。
「なんで、このタイミングでふざけられるかなぁ、ほんとにっ」
笑いながらどうにか言葉にした。
「あら、ふざけてるわけじゃないのよ?」
「なに?じゃあどういう意味で?自分を忘れるなってこと?」
「それは違うんだけど。正確に言うと、お父さんみたいな彼女?」
意味が分からない。
「ホモになれと。俺は死の近い母にBL趣味があるとは知りたくなかったな」
「病院で不謹慎な声が聞こえると思ったら。どうしたんだい?」
「あらお父さん」
父さんが病室に戻ってきた。手にはカフェオレが握られている。それを俺に渡してくれた。
「母さんがさ、父さんみたいな彼女作れって。遺言で」
軽く残った笑いを出しながら、父さんに話の内容を伝えた。
「それは・・・・・実にお母さんらしいな」
「私ね、高校生の頃は、もっとクールな感じだったのよ」
「あ、そう」
今の母さんはもっとふわふわしていて、その感じは全くない。
「あれ?反応薄い?」
「以前アルバム見たことあったからね」
掃除してる時に覗いた記憶がある。二人にも小さなとき見せてもらわなかったっけか。
「そうだったの?驚く琉生見れると思ったのに。残念」
「驚いたよ、見たときは」
今じゃ想像できないからな。最初は誰これってレベルだった。
「私、お父さん好きじゃなかった。最初はね」
「ま、釣り合ってないし」
「ちょっと琉生!?」
正直な感想言っただけだし。母さんは今でも美人さんだけど、父さんはパッとしない。アルバムで見た父さんもそうだった。まあ、俺もそうだが。
「いんや。釣り合ってたわよ」
「ん?過去形?」
「冷めきった私のテンションと、高かったお父さんのテンションで、上手く均衡がとれてたわ」
「お母さん」
父さんがフォローが入ってほっとしている。でも、釣り合うってそういう意味じゃないような気もするけど、さほど問題でもないか。
「それで、私がお父さんの色に染まって、天秤が片方に傾いちゃって」
だから過去形か。
「今じゃ母さんのほうがテンション高いよね」
「私ね、琉生はお母さん似だと思うの」
「そう、かな」
あんまりそういう印象はない。両親にあんまり似てないとよく言われるような気がする。
「昔の私みたいだもの。表情に出ずらい、クールな子だから」
「・・・・・まあ確かに」
別に笑うし、あんまりクールでもないけど。
父さんと母さん似てるから、俺の性格はどこから来たのやらと思ったことあるけど、母さんの昔の性質からだったのか。
「琉生にはよく笑う子になって欲しい。昔の私みたいに、変わって欲しい」
「母さんわがままだね」
母さんが俺に何か言うってことはあんまなかった。自分の意見を押し付けたり、そういうことはしない人だったから。
だから、こうやって俺に願望を言う母さんは初めて見た。
「もうちょっと言うと、面白い反応が出来るような子にって欲しい!」
さっきより強めに言ってきた。ついでっぽく言った割には、強い意志を感じる。
「それは無理があるでしょ」
「だってー。反応つまらないんだもーん」
いつもの母さんだ。こんな時でも変わらずにいる母さんを見ると、なんだがほっとする。
「安心してよ、母さん。俺、母さんには従わないから」
きっぱりと、そう言った。母さんは聞く姿勢をとったので、続ける。
「俺は、俺の思うがままにするよ。母さんの言葉も、思い出も、自分の人生に組み込んで、糧にする。縛られずに、気ままにやるよ」
母さんは俺にそうなって欲しいと言った。でもそれは、願望に過ぎない。俺がそれを叶える必要はないのだ。
母さんは俺を、なりたい自分になれるように育ててくれた。だからそれは曲げない。母さんの一番の願いはそれのはずだから。
母さんには、もう何も返せないけど、それでいいとも思う。母さんは、子供に見返りを求める小さい女じゃない。天国で俺をバラエティ感覚で眺めるくらいで十分だろう。
だから俺は気に留めない。余計なことは考えずに、母さんと接している。
「・・・・・うん。あーあ、出来た子持つとつまんなーい」
「それは酷くね?」
「でもね、遺言は忘れないでね」
「彼女?無理だよ。俺を認めてくれる人なんていないよ」
俺には人に好かれるほどの特徴はない。どこにでもいる、平凡な子供だ。
「私の見立てだと、琉生はかっこいいから大丈夫!」
「親バカが」
親の感想一ミリも当てにならないだろ。
「きっと楽しいよ。お母さんからのアドバイスだから」
「遊んでるみたいでやだな」
それじゃただのチャラい人だ。
「きっと、好きになるよ」
その母の言葉は、なぜか否定できないような気がした。
「・・・・・覚えておくよ」
※
「これ、ビデオの遺言でも言ってたなぁ」
母は映像でも遺言を残していて、そこにもきっちり俺にアドバイスの言葉を入れてくれていた。忘れるわけないのに。
このことがきっかけで、色々考えることにした。
ほとんど直感だけど、芽衣は母の言う事に当てはまると思った。明るくて、表情豊かで、人に影響を与えられる存在のような。
当たり前だけど、一緒に過ごさなければ分からないことだ。この人がどんな人かなんて、時間を費やして初めて分かりうることだ。
外見なんて、人の要素のほんの一部でしかない。中身を見ようともしないで、現段階で確信出来ないからと目を背けるのは、違うと思った。
それでも、やっぱ俺が人を好きになることはないと、これまでの人生をソースにして決めつけているところもあって。母の言葉に頼りすぎてるような気がして。だから微妙なところで悩み続けて、微妙な差で結論づけて、微妙な変化で結果が変わった。
あの時の芽衣の反応。緊張する芽衣の姿を見て、俺は「すげえ緊張してる」と思った。俺にはできないことだ。素直な感情を人に見せる芽衣を見て、母さんの顔がよぎった。
本当に楽しいかもしれない。
その一瞬よぎった考えが、今日の返事に繋がった。
これまでが少し違っただけでも、この結論は変わっていたのかもと思うと、母の遺言も少しは自分の人生に影響を与えたな。役に立ったかは分からないけど。
そんなことを考えていると、自分の体が悲鳴を上げていることに気づいた。ちょっと赤い。地味にのぼせたな。
倒れないようにゆっくりと立ち上がって、湯船から体を出した。
これからのことは分からないけど、出来るだけ自分らしく、頑張らないようにしようと思う。