15話 勝負の行方
葵の誕生日翌日。
少ない人数に見合わない大きなケーキのおかげで、予定通り葵の誕生日の余韻は翌日にも残っていた。
「んー、美味しい!」
「はい、美味しいです!」
昨日食べた味だが、二日連続でももちろんうまい。
「ごめんね。誕生日昨日なのに、私も貰っちゃって」
「残っても困るし」
「芽衣さんと一緒に食べれて嬉しいです」
しっかり口の中身をなくしてから、葵が本当に嬉しそうに微笑んだ。
芽衣はちゃんと約束を守って、今日の夕方に遊びに来てくれた。今日の部活はオフ。芽衣が帰って来たのは午後なので、午後四時過ぎに合流できた。
それともう一つ。午後一時頃の話。
葵の親御さんからの連絡もあった。それは、これまで葵がずっと抱えていて、葵が来てから俺がずっと感じ取っていた不安の行方を意味する。
でもそれは、疑う余地もない正直な感情で葵が答えてくれた。
「琉生さん!!」
これまでに聞いたことなない大きな呼び声。ビクッとして、慌てて声のする方へ振り向く。
「え、なに?葵、」
聞いている途中で、どしっと押されてしりもちをついた。
驚いた。痛みを忘れるほどに。
「助かりましたっ!琉生さん!!助かったんです!!ママが、助かったんです!!また、ママに会えるんですっ。また、また・・・・・」
俺の首に回された腕には痛いくらいに力を入れられて。大粒の涙で俺の服を濡らして。呼び方を取り繕うことも、泣き顔を恥じることも、抱きつくことさえも気にせず。ただただ歓喜だけを、葵は感じて俺に報告してくれた。
俺の傍に転がってきた葵の携帯を手に取って、代わりに葵の父親と話して、明日、こっちに葵を送って欲しいと頼まれた。
だから、葵とは明日でお別れ。
「そっかっ、良かった。本当に良かった」
事情を知っていた芽衣は軽く目端を濡らしながら、一緒に喜んでくれている。
「芽衣さん、はい」
芽衣さんのほうへ、ティッシュの箱を渡す。
「・・・・・ありがと」
「芽衣さん、一緒に泣いてくれて、ありがとうございます」
「ううん、一番つらかったのは葵ちゃんだから。祈ることしかできないんだもん。私も一緒に祈らせてくれて、嬉しかったよ」
病気というものは、患者本人の戦いだ。他人の出来ることとなんてほぼないのが普通で、親族だろうと例外じゃない。だからこそ、病気は周りもつらい思いをする。
だからこそ、祈る。祈らずにはいられない。
にしても、祈ることしかできない、か。俺は、どうだっただろうか。
俺の母は寿命を告げられていて、実質祈ることすらできなかった。祈れなかった俺は、一体母に何をしてあげられてただろうか。
俺は、何もしてあげられてなかったんじゃないのか。
・・・・・・・いや。何も・・・・・しなかったんじゃ、
「琉生さんも、今日までありがとうございました」
「へ?」
黒い思考が遮られて、素っ頓狂な声を上げてしまった。とりあえず聞かないと。
「私を少しでも、不安から気をそらせられるように、私と一緒にいてくれたんですよね。出会ったばかりの私に、優しくしてくれたんですよね」
「いや、別にそういうわけじゃ」
ない事もないけど。ほっといておいて、その間葵を気にして過ごすのが嫌だっただけ。こういう状況じゃ、全く気にせず遊びに行くとか、出来るわけないからな。
「私、琉生さんのおかげでいっぱい、いっぱい助けられました。琉生さんが思ってるより、ずっとたくさん、救われました」
「それより先は、明日行ってよ。別れのセリフ、取っとかないとね」
今それっぽいこと言われたら明日の別れが簡単なものになりそうだし。遠いところでそうそう会えないのに、短い別れとか、あまりにも味気ない。
「そうですね!分かりました、後は明日、ですっ!」
まだ目を潤ませながらも元気よく言い切る。芽衣は俺と葵が話してる間に、しっかり涙を拭きとっていた。
「私は今日で最後だから、最後にパーっと遊ぼうね」
「はい!そうしましょう!」
ま、つまりいつも通りだ。別に別れがあるからと言って、何か特別なことしなくてもいいのだ。一生の別れになるわけでもないし、すっごい遠くに行くわけでもない。
いつも通りでいい。いや、いつも通りがいいのだ。そうすれば、またきっとすぐ会える気がするから。存在を遠くに感じなくなるから。
「・・・・・ゲームするか」
ただ一つ懸念が頭をよぎった。
残りまくった宿題、どうにかなるかな。
芽衣と葵と俺、三人で遊んでいたら、すぐに時間は過ぎて行ってしまった。
芽衣は俺んちでご飯を食べて、食べ終わったらすぐに帰った。以前みたいな遅い時間になったら行けないし、親御さんも心配するだろう。
今回は俺は送らなかった。芽衣にそう言われたので、素直に従った。
それもこれも、父さんからのメールが要因だ。
どうやら、芽衣は今日の深夜に車で両親のところに向かうらしい。確かに、父さんの仕事のことを考えれば夜にしか移動させられないし、両親だって一刻も早く娘に会いたいだろうし。
なので、もう別れは近い。芽衣は残ってたら父さんにばれるから早く帰り、俺はあとちょっと葵と接するべきだから、家に残った。
俺も一緒に付き添うことも考えたけど、深夜出るんだから当然車で睡眠をとることになるだろう。そうなると、二人じゃちょっと窮屈だ。
だから俺はお留守番。
ここで葵とはサヨナラだ。
「琉生さん」
食器を二人で片づけてる中、葵が口を開けた。
「ん?」
「将棋、しましょ?」
将棋。葵が来た日に一番最初にやった遊び。
「そうだね。やろっか。片づけは後でやっとくし」
片づけを半ば中断して、タオルで手を拭く。
「いえ、終わってからで」
「時間いつまであるか分かんないし」
そう言って、制止も聞かずに自室へと将棋盤を取りに行った。
部屋の角にあった駒と将棋盤を持ち上げる。そういえば、これは久しぶりにやるな。と言っても、三、四日ぶりとかだけど。
確か戦績は四対五で俺が負けていた。葵はなかなか強くて、定石とかは知らないけど俺も割と自信はあった方だけどな。見事に鼻を折られてしまった。
リビングに戻って、いつもの場所に将棋盤を置く。既に座っていた葵とは向かいに座り、駒を初期位置に配置していく。
「琉生さん、戦績覚えてますか?」
「これで俺が勝てば同点」
「え。覚えて、るんですね」
「まあね」
覚えてないと思ってたのか。まあ数えてる素振りは見せてなかったけど。
「勝ち越しますよ」
「勝ち逃げはさせないよ」
ここで勝利して対等だ。次やるときに、また一から始められるようにする。そう考えていると、俺って案外負けず嫌いなのかも。まあ絶対違うけど。
時間的にできて一局。時間使い過ぎは注意するけど、ちょっと集中してやるか。
ゲームはかなり白熱した。
序盤で俺のミスで角がとられてしまったものの、その後葵のミスもあって、銀と交換で角を取り返して、片側を崩した。崩れた片側に戦力を注ぎつつ、穴熊で片方に寄せた王を硬くガード。互いが牽制し合い、どっちが王を先に取るかの攻め合いになって。
「王手、っと」
「うう、負けたー」
俺が勝利を飾った。
「いい勝負だったね」
「そうですね。これまでで一番良かった」
序盤はどうなることかと思ったが、建て直せてよかった。
「琉生さん、桂馬とト金の動きがいやらしいです」
「いやあれは、初心者でも簡単にできて、初心者にこそよく使える最高の一手だろうに」
桂馬の進行方向二マスの敵をターゲットするの、俺は結構好きだ。まあ使いすぎると警戒強くなるから、結局はミス待ちの一手だけど。
「そうですけどー。まあいいですよ。まだ同点です」
「次に持ち越しだね」
「次・・・・・。そうですね・・・・・」
その言葉に反応した。何気ない、でも大事な一言。
「きっとすぐ来るよ」
「そう、ですかね」
「うん」
「そうですね。また、すぐ会えますよね」
今の時代は便利なもので、この薄い板一枚あればいつでもどこでも顔が見れるし声が聞ける。ボタン一つで会いたくなれば予定を組めて、電車に揺られればあっという間にそばまで行ける。
そんな時代だ。そこは人間の進歩に感謝。
「ただいまー」
「あ、父さん帰ってきたっぽい」
玄関から近づく足音。すぐにスーツの男が顔を出した。
「おかえり」
「おかえりなさい」
「ただいま。二人で遊んでたか」
何気なく聞いてくる。こうして三人で話すのはあんまりないので、なんか変な感じだ。
「ああうん。すぐに出るの?」
「まあそうだな。あんまり遅くなってもな」
行先は神奈川じゃない。詳しくは聞いてないけど、葵の母親の療養先はもっと遠いらしい。
「支度は出来てますよ」
「そっか。しっかりしてるなー、葵ちゃんは。じゃあちょっと軽く準備してくるから、少し待っててね」
「はい」
父さんはササッと自部屋に消えていった。恐らく、着替えたりするのだろう。
にしても、仕事の直後に長時間の運転なんて大丈夫なんだろうか。少し、いやかなり心配になるな。
「・・・・・もう、ですね」
「そうだね。ここそんなに居心地よかったか?」
「はい、それはもう」
顔をあげることもなく、何も捉えてない目で前を向きながら静かに言った。
最初はさすがに戸惑って、嫌だとも思ったけど、なんだかんだ色々やったな。もしかしたら俺は面倒見がいいのかも。
「寂しくなります」
「葵さんってぼっちなの?」
「友達いますよ。でも、琉生さんほど面白い人はいません」
「俺そんな面白かったかな」
ギャグとか特に何もしてないんだけどな。素で面白いって事だったら、ちょっと複雑だ。
「お兄ちゃんに欲しかったです」
「俺は葵さんみたいな姉が欲しかったな」
「私が姉、ですか?」
「しっかりしてるから」
そうだったのなら、俺はもっと楽できてただろうからな。今と違って料理もできないただの中学二年生を満喫していただろう。
仮定の話なんてなんの意味もないけど、想像するだけなら自由だ。
「ダメです。私が下じゃなきゃ」
「いいだろ別に。ひとつしか違わないんだし」
「それでもです」
やけに頑固にそう言い張る。なら、そうでないといけないのだろう。きっと俺は甘えられる側であって欲しいんだろうし、俺は芽衣に甘えればいいし。
少し、沈黙が二人を挟む。沈黙が心地よいと感じる。感じれる。
でもすぐに時間がないのを思い出して、俺が口を開く。
「ご飯前の続き、言わないの?」
俺が明日にしろと後回しにさせたことだ。つまりは、別れのセリフ。思ったより早くなってしまったのは仕方ない。
「もう忘れちゃいました」
「そっか。なら、仕方ないね」
「別れのセリフなんて、いらないです」
「確かに」
少し笑いながら言った。そうだったな。そういうタイプの人間だったのに、それを先に言わなかった自分がおかしくて。
特別な別れも再開もいらない。いつもみたいに、普通に。それがきっと正解だ。
「葵さん、ありがとね。結構楽できたし、楽しかったよ」
そろそろ父さんも出てくる頃合いだと思って、先にっておく。父さんの前でそういうとこ見せたくないし。
「なんで先に言うんですか」
「先に行ったのは葵さんだよ。だから、それのお返し」
夕方に言ってくれたのは途中だったかもしれないけど、それだけで十分だ。本当に大したことはしてないのだし。
「私だってまだ、」
「おまたせ。もういける?葵ちゃん」
「あ・・・はい。荷物は部屋に。とってきますね」
途中で話を遮られたまま、葵は使っていた部屋に戻ってった。
「ちょっと琉生、今何か話してた?」
「それはもう大事な事を」
「えぇー」
申し訳なさそうな顔で葵の部屋を見つめている。情けない父親だな。
「大丈夫だよ、嘘だから」
「ちょっと!?琉生は本当に、変なところで母さんに似てるんだから」
「母さんみたいな彼女は無理だったけど、母さんには近づこうと思って」
さらっと言う。芽衣は母には似ても似つかないから。
「そうか。まあほどほどに、な」
「お待たせしました」
葵が部屋から旅行用バッグを持って出てくる。本当に準備は完了していたらしい。
「うん、じゃあ行こうか。琉生は留守番か?別に来てもいいんだぞ」
「遠慮しとく。まじで、気をつけろよ」
「分かってるって。信用ないなぁ」
そう言って、庭の窓を開けてとぼとぼ出て行った。
「じゃあ琉生さん。本当に、ありがとうございました」
「うん。道中気を付けて。寝づらいかもしんないけど」
「はい。良ければ、今度は私におもてなしさせてください。私の・・・・・家に」
途中で言ってることの大胆さに気づいて縮こまってしまっている。無意識に家に男子を誘ってるんだから、そうもなるか。
「確かに、そっち行ったときお邪魔しようかな」
海は割と頻繁に行きたくなるし、一日歩くと疲れるから休憩に持って来いかも。
「ぜ、是非!」
「出来れば、芽衣さんと行くよ」
デートも悪くないかも。でも、葵の親御さんいるから少し恥ずかしい。
「はい!じゃあ、また」
「うん。携帯、なんかあったら遠慮なく連絡してね」
「なんかなくても、連絡していいですか?」
「うん。いつでも」
俺の携帯あまり連絡入らないからなぁ。別に登録人数少ないわけでもないけど、基本無駄話する人いないから。
「では、お邪魔しました」
「じゃねー」
最後は手を振り合って、別れを交わした。
外までは行かなかった。葵が車に乗って、運ばれていくのを家の中から確認してから、庭の窓を閉める。
「さて、お風呂入るか」
誰の返答もない独り言を言って、後ろを振り返る。眼前に広がったいつも通りの誰もいないリビングは、妙に広く、静かに感じた。