1話 二人の始まり(2)
午後の授業も終わり、放課後。
今日の午後練は女テニは休み、男子だけで二面コートを使える日だ。ほとんど追加重量のないバッグを背負ったタイミングで前から来訪者があった。
「なー加瀬」
「どした、谷口」
近づいてきたのは谷口龍吾。亮と同じバドミントン部で、エースを担っている実力者だ。俺のクラスではちょっとちゃらけたまさに上位カーストのグループに入っている。
なのになぜか、いつの日かに俺と遊ぶようになっていた。
「土日どっちか遊ばね?」
「土日ねー、部活は?というか、可愛い彼女と遊べよ」
龍吾には他クラスに彼女がいたはず。
「彼女ってそんないいもんじゃないし。友達と遊んだほうが楽しいもん」
そう言ってのけた。まあ正直同感だ。想像でしかないが、気の許せる友達と遊んだほうが楽しいと思う。彼女の前だと格好つけないといけないからな。
龍吾はコミュ力の高い典型的なリア充だ。誰とも壁を作らず話せるし、ムードメーカーとしての素質がずば抜けて高いように感じる。ただ少し、先生とかに目を付けられるところはあるが。
「さいで。ま、俺は午後、午前」
「あ、じゃあ日曜行ける。俺は練習試合、午前」
「元気だなー」
前日練習試合があって、さらに午前中部活やって遊ぶとか、さすが全国プレイヤーの体力だな。俺だったら家でゴロゴロしちゃう。
「なになに、なんの話?」
途中で混ざって来たのは亮だ。一緒に部活に向かうのだから当然だな。ちなみに洋平と智也は既に部活へ行った。
「遊ぼうって話。亮君も来いよー」
龍吾は亮のこと、ふざけた感じで『亮君』と呼ぶ。前に世間的に流行ったゲームのキャラで、そんな名前のキュートなキャラがいたことから呼ばれてるっぽい。
「お、いいね。で、どこ行くの?」
「んー、カラオケとか?」
「あ、俺カラオケNGだから」
歌うのはほんと無理。理由は単純、下手だから。
「NGってなんだよNGって」
「ほら、亮君恥のない様を加瀬に見せてくれよ」
「こんなん気にせずにさ・・・・・」
小さな声で軽く歌い出した。周りもそれなりにうるさいのであんまり目立ちはしないが、それでも反応する人はいた。
「なに歌ってんのよ」
「お、真島」
うちのクラスのもう一人の委員長、真島萌香だ。背が小っちゃくて、委員長同士智也と並ぶと身長差が凄い。ちなみに萌香も吹奏楽部。
「いやさ、カラオケダメっつう加瀬のために、恥を捨てた俺の姿を見せてたんだよ」
「大沢はもっと恥持ったほうがいいでしょ」
「というか亮君存在そのものが恥でしょ」
「コメント辛辣すぎでしょ!?」
萌香に続いた龍吾の追い打ちに、亮が一歩下がる。大げさな反応には少しも痛みを感じなかった。いつもの冗談の範疇だ。
「相変わらず言われ放題だね大沢」
俺の隣に来て、状況を見ながら話しかけてきたのは、神谷由香里。眼鏡をかけた大きな目で俺を下から見据えてくる。女子テニス部二年のトップにしてリーダーだ。次期部長でもある。
「だな。いつも通り」
「その言い方も可哀そうだけどね」
そう言って手を口に当ててくすっと笑った。ジャージが大きいのか、手元が萌え袖になっててなんだか可愛らしい仕草だ。こういうところが、男子から密かに人気を集めてるのか。もうすでに何人かと付き合ったことがあるとか、ないとか。
「あのさ、昨日ネット緩めるの忘れてたって。うちの顧問怒ってたよ」
「あ、まじ?」
テニス部は部活終わりのコート整備で、最後にネットの針金を緩めて帰らなければならない。忘れがちの工程だ。
「すまん、みんなに行っとく」
「次忘れたら、なんか奢ってもらうからね」
「なんで部活の責任を俺がとらなきゃいけねえんだよ」
別に俺はコート整備責任者とかじゃないぞ。それにこの部長さんに償うってのもなんかおかしいし。
「いいじゃん。サイゼとかでいいからさ」
イタリアンのチェーン店だ。一食五、六百円くらい。ラノベ一冊分、結構高いなー。
「ま、忘れないから大丈夫だけどさ」
「お、言ったなー、約束だからね」
俺が毎回チェックすればいいだけのことだ。そのままにするのもネット的に良くないし、そもそも忘れること自体ごくまれだからな。
「もー部活やだー」
もう一人、この輪に入ってきた。部活への不満を垂らしながら近づいてきたのは女子バスケ部の石野那奈だ。
「おい次期部長」
由香里が那奈の頭をこつんとする。那奈は俺より少し大きいくらいの高身長で、由香里とは身長に結構な差がある。だから必死で腕を伸ばしているのでなんだかちょっとおかしい。
那奈は女子バスケ部唯一の二年だから、三年引退後は強制的に部長決定なのだ。
「いやそうなんだけどさー」
「美人は大変だな」
「ちょっとからかわないでよ!本気で困ってるんだから」
げんなりしている理由は分かる。バスケ部の顧問の先生がちょっとアレなのだ。以前に生徒にセクハラを働いてクラス担任を外されたっていう噂があるほどだ。その先生になんか目をつけられている感じ。
「まあさ、教師との恋愛なんてラノベならざらにあるし」
「ちょっと琉生。まじで怒るよ」
「冗談だ、」
ってと、そう適当に言おうとして視線を那奈に向けると、ガチで怒った眼をしながら握りこぶしを作っていた。
「ごめんなさい」
素直に頭を下げて謝っとく。確かにガチで悩んでる人にあの冗談は良くなかったな、うん。
「まあ、直接的な実害あるわけないんだし、頑張れ」
「精神的に害あるよー、もう。琉生さー、代わってよー」
「中身入れ代われたらな、代わってあげるんだけど」
そんなファンタジー起こるわけもない。
「代わったら絶対エロいことするでしょ」
口元を緩ませた意地悪な顔で由香里がそう言ってくる。心外だな。
「・・・・しねえよ」
「今の間なに?」
反応が正直な方向へと出てしまった。だって女子と入れ代わりなんてことになったら、普通出来ないことしたくなっちゃうもんだろ。
この反応を面白がって二人とも笑っている。
「加瀬正直ー」
「私で変なこと想像しないでよ琉生ー」
「ばっ、しねえって」
流石にこの状況はきつい。多分他の人にはあまり聞かれてないけど恥ずかしい。思春期の男子にそういう話やめてくれよ。
こういうときにとるべき行動は分かっている。
「じゃ、部活行くんで」
戦略的撤退。
「あ、逃げた」
「逃げた逃げたー」
「はいはい、逃げますよーだ」
冷やかしてきたのを開き直って、その場から離脱した。顔が熱い。本当にやめてほしい。今日女テニがなくてよかった。
もうコート残ってないだろうな。練習前には先にラリーをするために、一コート二コースずつのコートの早いもん勝ちの奪い合いがある。これだけ教室で話していたら全四コースすでに埋まっていると思う。
今頭にある熱を少しでも紛らわせるために、汗を流したかったんだけどな。仕方がないので、焦らず廊下をゆっくりと進んでいった。
午後練を無事に終え、しっかりネットを緩ませ、家へ帰宅した。
別に変ったことは何もない。帰った後、ゲーム、風呂、夕食を作って食べて、アニメ見てまたゲームして。大体いつも通りのルーティーン。
だけど、行動自体は何ら変わらなくても、いつもはないものが頭の片鱗で居座っていた。芽衣のこと。それをどうするかを考えていると、母さんの顔が頭をよぎった。
懐かしい記憶だけれど、内容は鮮明だ。だから逆に、それも俺がどうすべきかの判断材料になってしまって、余計考える羽目になってしまった。
それをゲームとかアニメとかと並行して考えているうちに、勝手に眠気はやってくる。俺はその欲求に身を任せて、早い時間に眠りについた。
早い時間で眠ったものの、起きる時間は変わらない。スマホのアラームで目を覚ました。流石に目覚めは良く、気持ちのいい朝だ。
今日はなんだか調子がいいので、朝早く行って誰かとラリーしよう。そう思い、テキパキと朝の準備をこなして、早い時間に家を出た。
天気のいい青空を眺めながら道を歩く。考えてるのは空青いなー、くらい。極力頭の中を空にして、いつも通りを心がけることにした。変に意識すると不審がられてしまうし、そうしたほうがいいと思った。
そう決めてしまえば、時間の進みは早かった。ちょっと調子悪かったけど、部活も何事もなく終わらせ、クラスでも馬鹿みたいなどうでもいい話をしながら過ごした。
でもやっぱ、完全に自然体でいるのは無理で。放課後が近づくにつれ、自分が緊張しているのが自分でもわかった。
それでもどうにか今日を過ごし、部活を終え、部活終わりを迎えた。
「・・・・・いない、か」
先についたのは俺だった。さっきみんなと過ごした後、出ていった教室。当然誰かがいるわけもなく、そこにはただただ静寂が続いていた。
いつも見ているはずなのに、夕日がさす誰もいない教室は、なんだか非日常感があった。誰の目線もなく、何でもできるような、暴れたくなるような衝動が僅かに浮きだつ不思議な空気だった。
まだ来る気配はない。完全に手持ち無沙汰になった俺は、一番後ろの窓側、自分の席まで行き、すぐ隣の窓を開けた。少し冷たい風が吹く外に顔を出すと、野球部がコート整備をする姿を捉えた。同じ背丈に同じ坊主、そしてそっくりな顔。野球部のそっくり双子兄弟を見かけた。片方はこのクラスにいるので、なんとなく目で追ってしまう。
そうしていると、廊下に気配を感じた。控えめな足音が小さく聞こえる。
来た。
そう思うと、心拍数が上がっていくのを自覚した。人生初めての経験。こんな感じなのかと、自分の体の珍しい反応に少し動揺する。
窓から首を引っ込めて、いったん自分の机に座る。どういう体制がいいのかとか考えてるうちに、答えが出る前にその人は姿を見せた。
「あ、あの、ごめんなさい遅くなっちゃって」
「あ、うん大丈夫。今来たばっかだから」
ちょっと不自然な声音になってしまった。台本をそのまま読んだ感じ。そんな自分に少し恥ずかしくなったが、すぐ立て直して机から降りて、彼女、芽衣のほうへ近づいていく。
一定の距離まで近づいたところで、俺は唾を飲んだ。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
しばらく沈黙が続いた。すぐには動かないようで、そんな彼女を見て、俺も無言を貫くと決めた。静かに相手が動くのを待つと決めた。
「・・・・・・・」
思った以上に長い沈黙だった。動かないと決めた以上、動けない。思考内で言葉を巡らせながら、恥ずかしい気持ちを抑えて、ただただ足が震えないように立っていた。芽衣は既に震えているけど。
そしてついに、その時が来る。
「あのっ!!・・・・・あの・・・・・私、加瀬君のことが・・・・・好き、です・・・・」
その言葉を聞いて、一気に心臓が暴れ出した。ドキドキ言ってるのが分かる。顔も多分赤くなってる。思考内で、『まじかー』と連呼してる。来るとわかっていても、こういう反応を示してしまうものなのか。
でも、平静はギリギリで保っていられた。俺よりも明らかに照れて、緊張している人がいる。それに、ここでかっこ悪いところは見せたくない。
芽衣は何も言わない。次は俺の番ということだ。俺の話す番。正直、言う事は決めていた。決めていたけど、今の彼女の反応を見て、俺の考えが少し変わった。
声が裏返らないように、慎重に口を開ける。
「・・・・・正直俺は、七瀬さんにそういった感情を抱いたことはない、かな」
「・・・・・・・そう、だよね」
ここまでが俺の台本。そしてここからがアドリブ。
「それでも、いいなら」
「・・・・・え?」
告白した後にすぐ下げてしまった顔を、また上げてくれた。目を見開いて俺を見つめる。
気恥ずかしさに一瞬目をそらしてしまったが、どうにか重い頭を動かして、また芽衣と視線を絡めた。
「それでもいいなら、だけど」
どう思われただろうか。好きでもないのに付き合うことを選ぶのは、誠意を見せた相手に失礼なことだと思う。そういう人間は嫌いだったし、お情けで付き合ってあげるみたいな感じですっごく嫌だ。
でも、俺はノーと言いたくなくなってしまった。だって、告白がこんな勇気のいることだなんて知らなかったから。顔を真っ赤にして、体温を上げて、身体を震えさせて、人の口を重くして、こんなに困難なことだとは思ってなかった。経験したことがなかったから。
俺だって初めて告白されるって経験をして、すごく緊張した。示したことのない体の反応を感じた。でも、俺のこの反応の何十倍も、何百倍の凄い反応が彼女の小さな体の中であったって思ったら、気持ちが少しだけ傾いてしまった。右に少し上がっていた天秤が、左に上がってしまった。
こんなすごいことができる彼女となら、一緒にいるのも悪くないと思った。
だから、選択権を自分から彼女に託した。この一言で俺から冷めちゃったなら仕方がないと、自分を納得させられる。
「・・・・・いいの?」
無言で頷く。もう、その一言で決まったように思った。
「・・・・・じゃあ」
少し俯いてそう答えた。
「うん」
俺は一言そう言って一旦言葉を止め、右手を掌を上にして、彼女の前に差し出した。そして、一つ息を吸って、
「これから、よろしくお願いします」
緊張が収まってないから、少し不格好な笑顔でそう言った。芽衣は俺の顔を見て、軽く目の端に涙を溜めながら、俺の手を取って、
「うん!」
と、満面の笑みで答えてくれた。