14話 葵にとって大切な日(2)
翌日。今日は見事に晴れた青空だ。
今日の部活は午後から。正直午前練だったら楽でよかったんだけど、まあ予定は予定で仕方ない。
午前中はいつも通り葵と適当に過ごして、午後に部活に出た。
「あれ?琉生帰るの?」
時刻は四時過ぎ。練習の休憩中に、帰り支度する俺に声をかけたのは康介だ。
「ああ、予定があって。片づけ任せた」
先生から許可も取った。まあ正当な理由さえ並べれば、駄目と突っぱねることも出来ないだろう。そこまで鬼な部活じゃない。
「七瀬とデートじゃないだろうな」
「芽衣さん今日は祖父母の家行ってる」
ラインで聞いた。よりによって今日で、変な偶然で残念だ。
「ああそうなの。まあじゃ、お疲れ」
「じゃなー」
まあ普段サボりとかはしないし、どちらかというと真面目な方だと思われてるけど、変な疑われ方したな。いつもはこう言うのないんだが。まあいいけど。
「さて」
これから寄るところが二つある。ササっと行って、準備を始めるとするか。
帰る時間はいつもと同じくらいの時間で、帰った後は買った食材でポテトサラダを作っていた。
レシピを見たところ割と簡単っぽくて、記憶の底から母が使っていた食材を思い出して、上手く作り上げた。まあ見た目は以前見たそれっぽい。
時間は六時前で、まあちょうどいい頃合いか。
「葵さん。俺買い忘れたものがあるから、ちょっと出てくるよ」
「私が行きましょうか?」
「いや、今火使ってないから大丈夫。ササっと行ってくるから、お風呂入っててよ」
「そうですか、分かりました。じゃあ先入りますね」
「ん」
そう言って沸きかけのお風呂に入ってった。洋服は事前に持ち込んでたっぽいな。
さて、じゃあ俺は急ぐとしますか。あまり余裕がない。
お店に入って、少し高い買い物をして、少し早歩きでまた家を目指す。
正直葵も少し不思議に思ってると思う。今日ご飯作ってないし。作ってる気配無くて、ちょっとおかしいって。
葵がお風呂から出る前に食事の準備を完了しときたいので、さっさと帰る。時間的には結構ギリギリそうだ。
玄関を開けて家に入る。まだ出てないので急いでセッティングに入る。
まあ並べるだけなので数分で終わった。割と余裕あったな。後は葵を待つだけだ。大人しくテーブルの席で待つ。
「今上がりました」
「帰って来てたのよくわかったね」
「音聞こえたので。ご飯もうできたんで、す・・・・・」
テーブルを見た後、その場で硬直した。心底驚いている様子。
「あ、あの、これは!?」
「うんいい反応!誕生日おめでとう」
サプライズしたのなんて初めてなので、なんだか面白いな。上手く行って良かった。
「私、誕生日なんて教えてないですよ」
「アドレスに書いてあったし」
「あっ」
ここにいるときに歳を重ねるのも面白い偶然だったので、祝うことにした。まあ成り行きではあるけど、悲しい理由でここに来ることになったわけだし。
「お寿司、買ってきてくれたんですね」
「流石に握れなかったし、あんまりすごいのも俺じゃあ作れないからね」
「・・・・・・・嬉しいです。会ったばかりで、いやいや泊めてくれてるのに、ここまで・・・・・してくれて」
目を光らせながら感激してくれている。いや、瞳が潤んで光を反射してるな。
「流石に感動しすぎじゃ。用意しただけであんまなんもやってないよ」
「私、感動しやすいんですよ」
ティッシュを取って流れかけた涙を拭く。大変な事続きでこういう感情が久しぶりだったのかもしれない。
「もう、大丈夫です」
「そ。じゃあ食べよっか」
「はいっ!あ、あの、これは?」
「俺からのプレセントと、芽衣さんからも」
芽衣には俺んちに来た日、別れた後に思い出して連絡しておいた。日程が合わないのは残念だったけど、プレセントだけ預かった。
スマホを出して画面を葵に向ける。あらかじめビデオ通話で繋げておいた。
「葵ちゃん、誕生日おめでとう!」
「芽衣さんっ!」
「行けなくてごめんね、葵ちゃん。明日帰るから、帰ったらすぐ向かうよ。間に合うかな?」
「はい!待ってます!絶対!」
泣きそうながらも、嬉しそうな顔でそう言った。まあ連絡がまだないところを見ると、本来の予定よりも一日二日は伸びそうだな。まあ言われたのが五日くらい、だしな。
「じゃあもう行くね。葵ちゃん楽しんでね!」
「わざわざありがとうございます!」
会話が終わったので、スマホを引き寄せて通話を切った。葵はまだまだ感激中だ。両手を胸に当てている。
「プレセントまでっ!・・・・・・・先に、開けていいですか?」
「どうぞ」
目の前で自分がかったものを空けられるのは、ちょっと照れ臭いな。
あるのはちょっと大きな箱と小さな包み。先に小さな包みから開けていく。
「ハンカチ!」
「それは芽衣さんから。明日お礼言いなね」
通話中に開けさせるべきだったな。まあ向こうも暇じゃないだろうし、別にいいか。
「はいっ、もちろん!じゃあこっちの大きいのは、琉生さんの」
「あーうん。まあそうなんだけど」
箱の包みを開けて、上の蓋を開ける。その箱のサイズ感とぴったりの中身を取り出した。
「・・・・・え!?これ、いつ?」
「偶然だよ、偶然。店歩いてたら目についたからさ、似合うな―と思って」
箱の中身はモフモフの熊の人形だ。ショッピングモールで目について、いつの間にか想像の中の葵が抱いていた。なんというか、凄いフィット感を感じて、即決してしまった。
「・・・・・子どもじゃないんだから」
「だと思って、小さいのもつけておいた」
「え?」
もう一回葵が箱の中身を確認する。もひとつ入っていたのは、大きいのの縮小版みたいな熊のキーホルダーだ。
「それならまだ使えるでしょ」
これなら別につけててもおかしくもないと思う。少しでも実用性のあるものを入れといてよかった。まあ、その分割と高くついてしまったが。
「・・・・・・・使えませんよ」
「ん?」
「いえ、ありがとうございます。一生大事にします」
「まあ、たまには触ってあげてよ」
熊も放置されちゃあ可哀そうだしな。小声の部分は触れないでもいいか。
感激を二連続も受けた葵は俯いて下を向いてしまった。最初であのありさまだったし、仕方ないか。
でもその熊はしまって欲しい。似合うと思って買ったのは確かだが、恐らく見たとき無意識に、
「これ、琉生さんの照れ隠しですよね」
「ん!?いや・・・・・・・鋭いね」
「琉生さんならそうかなぁって」
「感激で泣きじゃくってるのに、からかう余裕はあるんだね」
ちょっと無理して声出してる感はあるけど、意外と大丈夫そうかな。
「だって、どうしてここまで・・・・・・・。いえ、こんなに嬉しい誕生日は生まれて初めてで」
「そっか」
どうしても何も、したいからしただけだ。祝うのとかそういうのに理由なんていらないと思うし。まあわざわざ言わないけど。それが分かったから言葉を止めたんだろうから。
でも、理由はある。美味しいもの食べられるのと、サプライズしてみたかったことだ。初めてのサプライズ仕掛人は大成功だったけど、割とこっちも照れ臭いものだな。そもそも二人きりでするものじゃないような気がするし。
まあ、これが終われば後は美味しい食事を楽しむのみ。お腹もすいたしな。
「とりあえず熊しまって、涙拭こうか」
「・・・・・いえ、熊は出しておきます」
「・・・・・そう」
テーブルの端において、わざわざ目まで向けてきた。俺は熊に見届けられながら食事しなきゃならなくなった。これは葵の仕返しだろうか。
ちょっと動揺してる隙に、葵は再びティッシュで目元を拭いていた。そして、満面の笑顔で。
「じゃあ食べましょうか」
天使のように微笑んだ。
「おいしー」
目の前で幸せそうに葵がお寿司を頬張っている。それも相まってか、今日食べるお寿司は凄く旨く感じる。
「あの琉生さん、琉生さんはなんのネタが好きですか?」
しばらく食べてそう聞いてきた。凄いルンルンな雰囲気で話してくる。
「俺はサーモンかな。とろサーモンとか」
俺は大体寿司屋行っても決まったものしか食べない傾向があったが、とろサーモンを発掘してからはむしろそれしか食べなくなった。
「いいですね!私はマグロです!」
「マグロは鉄分良さそうだしね」
よくは知らないけど、そんな感じの味がするような。
「鉄分?」
「いや。マグロ美味しいよね。定番で」
「後はいくらとか」
「俺いくら自体はあんまり。イクラ丼食べて吐きそうになった記憶ある」
いくらって生臭いから、食べ過ぎるとなんとも言えない感じになる。軍艦巻き程度だったら美味しく食べられるけど。
「へぇ。私も食べてみたいです」
「神奈川なのに食べたことないんだ。江の島とか行かないの?」
どのくらいの距離かは分からないが、確実にここよりは断然行きやすいだろう。イクラの名産ではないと思うけど、海鮮が有名なところだからあると思うけど。
「まあ近いですけど、近いからこそ、逆に行きませんね。地元の観光地って行かないじゃないですか」
「ここ観光地ないからなぁ」
でも確かにそれは良く聞くな。地元民ほど、地元の観光地に足が向かないということ。今の俺ならデート行きまくるんだけどな。
「どの辺なの?家」
「えっと、大船のあたりですね」
「知らないなぁ」
流石に観光地くらいしか地名に記憶はない。
「鎌倉が近いところです。いいところですよ」
「へぇ。じゃあ割と海の近くなんだ」
「そうですね。ですから、目新しくないのであまり行きませんね」
「ふーん」
そういうもんか。一度観光地に住めば分かるのだろうか。
「琉生さんは海好きなんですか?」
「好きだよ。あの広大な水を見るとなんか落ち着く」
見てるだけで何もしなくても退屈しないような、そんな心地よさを感じた覚えがある。日光で煌めいて、波が穏やかに音を奏でて、トンビが時折鳴き声を発す。浜の砂は靴の中に入るし、潮風で髪はべたつくけど、それでも毎回最後には、また行きたいと思ってしまう。そんな場所だ。
「そうなんですね。私も好きです。綺麗だし、お魚好きだし」
「ああ、そっちね」
海の話をして、その言葉が出るとは思わなかった。今食べてるものをなんとなく見つめてしまう。
「私、沖縄行ってみたいんですよね」
「沖縄?行ったことないんだ」
「はい、旅行はあまり行けなかったので。琉生さんはどうですか?」
「小さいときにね。ほとんど記憶ないかな。確か幼稚園の年少とか、そんくらい」
俺と葵は親が病気を患ってしまったので、そういう機会が普通の家庭よりも少ないのかもしれない。母だけを置いては旅行になんていけないので、車圏内のところしか行けなかった。多分、葵も。
「海とか、凄いきれいなんですよね。テレビで見て、あの水に触れてみたいって思ったんです」
沖縄の水の透明度は凄いからな。暑いけど。
「ま、行けるよ。きっと、割とすぐにね」
「そう、ですかね」
「うん」
葵は今まで色々なことを我慢してきたのだろう。だからこれからは、わがままを許されるべきだと俺は思う。だからきっと大丈夫。
「そっか。じゃあ、楽しみに待ってます」
「そうだね。俺もどっか行こっかな」
多分このゴールデンウィークに行こうと思っていたところは行けないだろうし、その分遠出しても面白いかも。
「琉生さんは旅行とか、どのくらい言ってるんですか?」
「ん?俺も遠いのはあんまり。近場だと、キャンプとかは何回か」
「え!?キャンプするんですか?」
「母の趣味でさ、道具はあったから行こうと思って・・・・・」
しばらく俺のアウトドアの話を葵に聞かせながら、夕食を楽しんだ。こういう話をするのは苦手なんだが、今回は俺が折れることにした。今日の主役には逆らえないからな。
「ご馳走様でした」
あおいが両手を合わせて丁寧に言う。買ってきたお寿司も、作ったポテトサラダも綺麗に完食している。そもそも、さほどの量を買ってきていない。
夕食を食べ終えたあとには、もちろんあれがあるから。
「まだちょっと早いよ」
「もしかして、あるんですか!」
目を輝かせて期待のまなざしを向けてくる。もちろんそれに応えられる。
「うん。持ってくる」
冷蔵庫から四角い箱を取り出して、テーブルの真ん中に置いた。
「はい」
「・・・・・大きい、ですね」
「・・・・・だよね」
俺も思った。お店で見たときこの程度って思ったんだけど。
「ホールで買って来たんですか?」
「うん。その方がいいと思って」
「こんなに大きの、食べきれませんよ」
確かに。お寿司の量を加減したと言えど、そこまででもない。お腹がいっぱいにならない程度だ。俺だってそれほど余裕があるわけじゃないし。
「でもさ」
「はい?」
「これでいいんだよ。今回逃したら多分これから、これ買うことないなって思っちゃったからさ」
俺が大きいケーキを前にしたのは、母が生きてた頃が最後だ。母が死んでからは、誕生日にケーキ食べなかった時もあったくらいだ。
三人でも多かったし、父さんと二人じゃこれから絶対に買わないと思った。そしたら、買えるとき買っとこって思ってしまった。
「・・・・・ありがとうございます。嬉しいです」
「ん」
「でも、そうじゃありませんよ」
「え?」
何がだろうか。
「芽衣さんの誕生日も、です。今日以上のを用意しないとですね」
「そうだね、確かに」
今日以上って、ケーキ二段にでもしなくちゃいけないのかな。
「その時は私にも祝わせてください」
「もちろん。でも、芽衣さんの誕生日知らないな」
そういえば、だった。まあ付き合いは短いから仕方ないっちゃ仕方ないけど。
「早く聞いてください。気づいたら終わってたなんて、笑えませんよ」
「まだ過ぎてないとは思うけど、そうだね。今度聞いとくか」
もし誕生日が来てたら俺に言ってると思うから、今年度のは過ぎてないと思う。サプライズする必要なんてないし、後で普通に聞くとしよう。
「じゃあ食べましょう!食べきれないとは思いますけど」
「まあ明日の分、芽衣さんが来たときまたみんなで食べればいいんじゃない?とりあえず出すよ」
箱からケーキを取り出す。真っ白なクリームに包まれたショートケーキ。真っ赤なイチゴと真ん中にホワイトチョコを乗せたシンプルで贅沢なケーキだ。生クリームが大丈夫なことはホットケーキ作ったときに確認済み。
「わぁ!美味しそー」
「うん、だね」
もちろんケーキ屋で見たときも美味しそうとは思ったけど、家で見るとよりそう思う。見慣れないところにあるからか。
「早く食べましょう!」
葵もウキウキしながら言ってくる。
「あ、その前に。歌わないんですか」
「それはちょっと。俺音痴なもんで」
ハッピーバースデーのことだろうが、残念ながら歌は無理だ。
「そうなんですか?全然そんな感じには聞こえないですけど」
「歌と地声は違うから。それに、ここで歌われてもそっちも照れるでしょ」
二人の誕生日会でわざわざろうそく立てて電気消して歌うのは、やっぱちょっと気恥ずかしい。
「確かに。冗談ですよ、ケーキ溶けちゃうし」
「じゃあ切るね」
ゆっくりと包丁をケーキに入れていく。テーブルと垂直になるように意識して、丁寧に大胆に。
三回目の入刀を引き抜いて、ケーキは綺麗な六等分になった。父さんを入れた今日の分三切れと、芽衣さんを入れた明日の分三切れだ。
「はい、どうぞ」
真ん中に突き刺さってたホワイトチョコとフォークを添えて、葵にひと切れ渡した。
「ありがとう、ございます」
自分の分も一切れ取って、残りは箱の中に閉まった。
「じゃあ、いただきます」
落ち着いた様子で葵が手を合わせた。テンションは落ち着いたようだ。
「いただきます」
俺も続いて手を合わせた。
ケーキの先端を優しく小さく切って、小さめの一口サイズにする。そしてパクっと。
甘さが口の中に広がっていく。これ美味しいな。甘いもの好きの俺からしたら、結構評価の高い一品だ。ケーキ自体はあまり食べないけど。
「琉生さん」
「ん?」
下がった目線を上げる。ケーキに視線を落とした葵が呟くように続ける。
「私、忘れません。今日のこと、一生、忘れません」
テンションが落ち着いたと思ったけど、どうやら再び感激してたようだ。
「・・・・・そうだね。俺も、忘れない」
「ほんとですか?」
「記憶力には自信があるからね」
勉強というよりは主に思い出の保持に使ってるから、そっち系の記憶は強い、はずだ。
「沖縄忘れてたじゃないですか」
「成長してるからね」
ガキの頃の自分とはもう違う。まあ世間からしたらまだまだ子供だけど、自分からしたら凄い成長したと思うもんだ。
「約束ですよ。絶対に忘れないでください」
「うん、約束する。その約束を、忘れない」
少なくとも、よぼよぼのおじいさんになってボケ始めるまでは。どんなに幸せなことがあっても、逆に辛いことがあっても、塗り潰したりなんかしない。
俺と葵は、その一夜限りの贅沢を心行くまで楽しんで、葵の誕生日が終わるまでを一緒に過ごした。