13話 食事会(1)
葵が来てから一日が経ち。
もう既に葵の存在に違和感はなくなっていた。
「おはようございます、琉生さん」
「ん、おはよー」
朝に挨拶をして。
「ん、おいしー」
しっかりした朝ご飯を作ってくれて。
「服、洗濯しちゃいますね」
朝から家事をしてくれて。
葵に割と助けられそうな感じだった。食費だけでお手伝いさんが住み込みで働いてくれてる感じ。かなり快適かもしれない。
自分は朝から部活だ。いつも自分で朝の準備をしているので別に苦じゃなかったが、葵がいると母がいた頃を思い出す。堕落してしまいそうだな。
「今日の昼食は私が用意しときますね」
「ん。じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
見送られて、俺は学校へと向かっていった。
順調に部活を終わらせ、十二時前。俺は部活終わりのコートでラリーをしていた。
「なあ加瀬」
「ん?」
俺の相手は俊介で、隣には啓吾がいる。器用にもラリー中に話しかけてきた。俺にそれほどの余裕はないんだが。
「今日ゲーセン行こ」
「あー」
打ちながらなので途切れ途切れに言ってくる。
いつもならオーケーしてるんだが、今は葵がいる。葵をほっといて行くのはどうなんだろうか。
「あ」
「うぇーい」
やられた。後方に吹っ飛んでいったボールを取りに行って、また戻る。
サーブを打って、またラリーが始まる。
「今親戚の子が居候してっからなー」
咄嗟に建前を使った。まあこう言うしかないだろう。
「まじか」
「まじ、だなっと」
強打を打って点を取った。別に点数数えてないけど。
「康介誘えばいいじゃん」
いつもはそうするだろうから、無理なんだろうけど。
「用事あるって」
「じゃあ無理だな。俺んちならいけるが」
葵は割と大丈夫だろうけど、啓吾は人見知りだろうからきつそうだ。
「今日はゲーセンの気分なんだよ」
「まあじゃあ一人で。俺今日夕方に用事あるしな」
芽衣を向かい入れなければいけない。そういえば葵にも伝えてなかった。関係性も含めて。言おうと思ったが、他の話になっちゃったんだった。
「しゃあない、一人で行くか」
「メダル溜めろよ」
啓吾がゲーセンでやるのはコインゲームだ。預けることも可能。
「あげねえぞ」
「借りるんだよ」
「利子付くけど」
「がめついなー」
どうやら友達特権は使えないようだ。
まあ今回断る分は今度埋め合わせるとするか。啓吾は一人でも大丈夫なタイプだから別に大丈夫だろうけどな。
家に帰ったのは十二時半前。既に昼食は用意されていた。
簡単なパスタだ。ミートソースも作ってくれて、普通に美味しかった。
「ごちそうさま。普通にうまかった」
「どうもです。琉生さん今日は何か予定あるんですか?」
「いや、特に。あ、いや」
啓吾の誘い断ったから、ないっぽいこと言ってしまった。
「今日夕飯来客がね」
「夕飯、ですか?」
「うん。作りに来てくれる人がいる」
なんか、こうも意識しすぎると、芽衣のこと言いだしづらい。なんか照れる。
「えっと、どなたが、ですか?」
「・・・・・・・彼女」
自然と視線がそれてしまった。もっとスッと言えればよかったんだけどな。
「あ、琉生さんお付き合いされてる方がいるんですね」
「うん、まあ」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
二人とも黙ってしまった。これは気まずい沈黙だな。
「・・・・・・・私、邪魔ものですね」
「いや、そんなこと・・・・・」
なくはないな。否定できない。
「というか、私がここにいること自体駄目じゃないですか」
「それは・・・・・昨日話したから」
「でも、絶対嫌だと思います。私がここで寝泊まりしてること」
「それはそうだろうけど」
それを容認できたとしても、認めてくれたとしても、嫌なものは嫌なのだろう。ただ、仕方がないから我慢してるだけで。
そう、芽衣は我慢してくれているのだ。俺は芽衣に我慢させている。
けど。
「やっぱ私・・・・・」
「大丈夫だよ」
「え?」
「芽衣さんはそんな程度で怒る小さい人じゃない」
まあ、実際は大丈夫だと思ってる。我慢させてる自覚はあるけど、信頼されてることを信じている。
ただ、まだ短い関係で、どの辺が信頼されてるかは定かではないが。
「・・・・・いい人なんですね」
「ん。可愛い人だよ」
「でも、来るときは席を外した方がいいですよね?」
「いや、いつも通りにしてる方がいい。気遣わないほうがいいよ」
そっちの方が芽衣は気にしてしまうと思う。
「そう、ですか」
「ご飯作るの芽衣さんだし。芽衣さんの手伝いでもしたら?」
俺はその間だらだらしてるし、芽衣だって葵のことを知れば多少なり安心できると思う。
「・・・・・・・そういうなら、はい。分かりました」
「あと、葵さんのこと、事情とかは言ってないからね」
「お気遣いありがとうございます。料理中にでも自分で話します」
「聞かれたらでいいと思うよ」
わざわざ自分から切り出す必要もないだろうし。
「・・・・・・・あの」
「ん?」
「なんか、本当にありがとうございます」
「なんの感謝?」
頭を下げていきなり感謝を告げた。そこまで感謝される覚えはないんだけどな。
「私を受け入れてくれて、です。彼女さんがいるのに、良くしてくれて」
「んー、そんなことないと思うけど」
「謙遜しなくても」
「いや、そういうことじゃなくて。俺最初めっちゃ嫌そうな顔したでしょ」
寝起きってこともあったけど、いきなりすぎて外面に気遣ってなかった気がする。
「確かに、『うわっ』みたいな顔してたような」
「だよね。俺だって別に誰だって歓迎するわけじゃないし」
「それは当たり前です」
いい人だったら、嫌な顔せずにもてなすんだろうけどな。葵ならやってのけそう。
「最初は仕方なくだったけど、今は違う。凄く手伝ってくれてるから、感謝してるよ」
「簡単な事しかしてないですよ?」
「それがありがたいんだよ。俺駄目になりそう」
元の生活に戻りたくない。と言っても、多分普通に戻っても何も感じないんだろうけど。
でも、休みの日にだらけられるのは普通に嬉しい。
「じゃああんま甘やかしちゃダメですね」
年下に甘やかされる自分の不甲斐なさを感じながら、葵の大人っぽさも感じる。俺やっぱお兄さんじゃないのでは。
「まあ俺は、尽くされる方が好きだし」
「なんですか、それ」
くすくす笑いながら葵は席を立った。
「また私の遊び相手をして貰えますか。予定がなければ」
「ま、そうだね。適当に時間潰そっか」
俺も続けて席を立った。
まあ別にすることがない訳では無いけど、わざわざ時間を作ってやることでもない。俺は今したいこと、今できることを優先する主義だ。後でやればいいことは優先順位が低い。
この判断は、後で後悔しそうなんだけどな。
昼食後から夕方にかけては、ずっと葵と遊んでいた。
将棋のリベンジもし、オセロでは完敗し、チェスでは圧勝した。殆ど何も考えずにやっているので、時の運感が半端ないが。
意外だったのが、葵は花札もできた。このご時世で花札できる女子中学生なんてレア過ぎる。これに関してはほぼ運なので、勝ち負けはどうでもよかったけど。
「私の勝ちです」
「まあ序盤からぼろ負けだったけどね」
折り返し地点で俺の十五倍くらいの点差つけられてた。役全部引き当てればどうにか追いつけたかな。
「あの、買い物って行かなくていいんですか?」
「あとで芽衣さん迎えに行くついでに行くから大丈夫。それより、負けたしおやつにするか」
時計を見るともう三時。時間的にもぴったりだ。
「何かくれるんですか?いいですよ、別に。何か賭けてたわけじゃありませんし」
「ま、俺も食べるからね。ホットケーキ作るか」
「ほ、ホットケーキ!」
お、良い反応をする。
「要らないの?」
「いりますっ!!」
予想外の勢いで訴えてきた。好物っぽいな。
「好きなの?」
「大好きです!・・・・・・・嫌いな女子なんてそうそういないと思います」
冷静さを取り戻しながらそう言った。まあ、甘いものが苦手な女子自体少ないからな。
いつもは休日の朝食にたまに作るんだが、高くないしおやつに作ってもいいだろう。あんまりお腹空いてないけど、芽衣もあんまり大量に作るわけじゃないだろうし。
「食べ過ぎないようにね」
「はい!」
流石にホットプレート出すのは面倒くさいので、フライパンで綺麗に焼いた。まあ一応負けたので、葵には生クリームを作って貰って、間食の時間を楽しんだ。
「じゃ、そろそろ行ってくるよ」
もう予定の時間だ。適当なジャージを着て、財布を持って玄関に立った。
「どれくらいで帰ってきますか?」
「んー一時間ぐらい」
あんまり買い物に時間はかからないと思う。案外距離があるからどうしてもそのくらいはかかってしまうけど。
「分かりました」
「今日も遅くなっちゃってごめんね」
作る時間でどれくらいかかるかは分からないけど、夜遅くになってしまうのは確かだな。まあ、そう思って間食に少しお腹に溜まるものを選んだんだが。
「いえ、私は適当に暇つぶしてますね」
「うん、じゃあ行ってきます」
「はい」
葵に見送られて玄関を後にした。
外に出ると少し肌寒い空気が肌をなでる。この時期の夕方はまだ寒い。熱いよりは過ごしやすくていいが。
学校の前はもう人通り少ないだろうけど、違う道を通ることにした。というか、こっちのほうが簡単で、尚且つ早く着くと思う。
線路を渡って飲食店の通りを歩く。十字路を二回通って路地に入る。車一本の道をしばらく歩くと公園に到着する。
「あれ、芽衣さん」
もう既に芽衣さんは公園の入り口で待っていた。公園に人はいない。
「こんばんは」
「うん、待った?」
時間は予定とぴったりくらいだ。
「ううん、全然。少し部活早く終わったから、先にいたの」
「そっか。じゃあ時間遅いし、早く行こう」
もたもたしてたら葵に悪いし。芽衣も部活終わりでお腹の空く頃だろうし。
「うん!そうだね」
その返事を聞いて、芽衣の速さに合わせて隣並んでスーパーに向かった。
何を買うかは事前に考えていたようで、素早く買い物を終わらせ俺の家への帰路についた。
手には一つのビニール袋。俺んちに元々ある材料もあったので、さほどの量を買わなかった。
暗い静かな夜道を並んで歩く。しばらくして、大人しくついてきていた芽衣が口を開けた。
「琉生君、笹原さんってどういう人?」
「んー、良い子」
「テキトーだね」
「一言で言うとね。多弁になると、芽衣さん拗ねそうだし」
「そんなこと・・・・・・・ないこともないけど」
「でしょ」
彼女の前で他の女子の話なんてするもんじゃない。俺からは言えないこともあるし、会ったときにいろいろ知ればいいと思う。
「納得はしてるからね?笹原さんの事情もあると思うから」
「あ、俺は葵さんて呼んでる」
面白半分に言ってみる。
「・・・・・・・何日かで、随分と仲いいんだね」
「まあそうだね。社交性ないって自負してたから、俺もびっくりしてる」
「・・・・・・・」
「あーごめんごめん!ちょっとからかいすぎた」
何気なく取り繕わず話したらちょっと拗ねてしまった。芽衣も葵と負けず劣らず、まだまだ子供のようだ。一つしか違わないし。
「大丈夫だよー、別に。琉生君って人見知りしないんだね」
あんまり引きずらずに質問をしてくる。本当に大丈夫なようでよかった。
「んー、まあ普通にすると思うけど」
「じゃあ笹原さんがそれだけ話しやすいってこと?」
「そういう事かな。なんか子供っぽい空気纏ってるっていうか。小さい子には人見知りってあんまりしないから」
しっかりしてるところからは子供っぽさなんて微塵もないが、話しやすさがそう思わせてるのかもしれない。子供っぽいから話しやすいのではなく、話しやすいから子供っぽく感じているのかも。
「あ、私も葵さんって呼んだほうがいいかな?」
「ちゃん、じゃない?」
一応年下だから、俺がさん付けで呼んでることがおかしい。女子だからそうしてるだけだし、芽衣はちゃん付のほうが年上感が出ると思う。
「・・・・・まあ会ってからだよね」
「そだね。葵さんも今頃緊張してるかも。芽衣さんはフラットにね」
両方とも緊張してると、よそよそしい空気が流れそうでなんだか嫌な空気になりそう。ここは年上に頑張ってもらいたいな。
まあそんな懸念も杞憂だとは思うけど。
「そういえばさ、葵さんっていつまでいるの?」
「あ、確かに」
「聞いてないんだ」
そういえば、だったな。手術とは言っていたけど、そんなにすぐに済むものなのか。流石にゴールデンウィーク中には帰るだろうけど。
「今度聞いてみるか」
「そだねー」
一時同棲状態と言っても、短い期間の交流だから、このおかしな繋がりを大事にした方がいいかな。少なくとも、記憶の片隅くらいには残るように。
それに、一つ葵が帰るまでにやりたいことも出来たわけだしな。
そのことを芽衣に言おうとしたがやっぱりやめておいた。家が近づいているってのもあるが、それは今日が終わってからでも遅くはないから。
その後も、家までの距離を穏やかな気持ちで二人で歩いた。
「ここが琉生君のマンション!」
マンションのエントランスの前で立ち止まって、驚き風にそう言った。
「以前言ったでしょ」
驚く要素が一つもない。高級高層マンションでも無し。子持ち家族の一般的なマンションだと思う。
「そだね。でも、こんな学校から見えるとこだったなんて知らなかったよ」
「知る人ぞ知る事実だからね」
「隠してるの?」
「別に。そもそも聞かれないでしょ、そんなの」
クラスの奴らとは家で遊んだりはしないから、聞かれることはない。「どの辺?」と聞かれたら「この辺」とは答えるけど。
「寒いし行くよ」
「うん!」
先に芽衣が動き出した。エントランスの扉に手をかける。
「ちょちょ、そっちじゃない」
「え?」
「俺の部屋一階だからこっち」
右側の白い扉を指さす。一階住民用の扉だ。わざわざエントランスに入る必要はない。
カードキーをかざして扉を開けて進む。さらに少し歩いたちょっと奥の方の部屋が俺の家。
ドアは開いているだろうから、そのままドアに手をかけた。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
「・・・・・・・」
中から返事はない。電気はついているので、出かけてはないだろうけど。
「まあ、どうぞ」
気にせず靴を脱いで、芽衣を促す。
「ここが琉生君の!」
感激する要素がどこにあるんだか。
「そういえば、琉生君のお父さんは?」
「んー、今頃ネカフェかなぁ」
「え!?そんな扱いなの!?流石にそれは悪いよ!」
「冗談だよ。仕事で遅いよ。十時過ぎるってさ」
昨日は十一時くらいに帰ってきた。本当に大変そうだ。帰ってこないほうが楽そうなのに。
「そっか。良かった」
「ネットカフェもタダじゃないしね」
「そういう問題じゃないけど」
そう言いながらリビングまでの細い廊下を通る。リビングに出ていつも通り手を洗おうとすると、洗面所の扉が閉まっていた。
「なるほど」
色々察した。洗面所ではなく、キッチンの流しで手を洗う。
「じゃあ私は支度しちゃうね」
「うん。台所はテキトーに使ってよ。場所分からなかったら言って。後、今葵さんお風呂入ってるっぽいから、出たら手伝ってくれると思うよ」
それだけ言って、俺はキッチンから離れる。リビングのいつも食事をとるダイニングテーブルに腰かける。
「琉生君は手伝ってくれないんだ」
「ま、三人いても動きにくいし」
俺んちのリビングは広くないし、指示を出すのも大変だろう。
「そっか。じゃあ待っててね。時間かかっちゃうかもしれないけど」
「気長に待ってるよ」
「うん!」
部活終わりで疲れてるだろうに、流石だな。
ありがたみを感じながら、俺はスマホを取り出した。
しばらくして。というか、数分後のこと。
「すみません、お風呂入っていて」
「あ、葵さん」
葵がお風呂から出てきた。髪の毛はまだ濡れている。
「あ、初めまして。事情合ってここに居候させてもらってる笹原葵です」
「はい、初めまして。琉生君とお付き合いさせていただいている七瀬芽衣です」
「なに芽衣さん、親に挨拶する練習してんの?」
今のじゃ完全にそれだ。座敷で頭下げながら言うセリフだ。
「確かにそんな感じですね。聞いてますよ。芽衣さんって呼んでもいいですか?」
芽衣は緊張しているが、葵は割と大丈夫そうだ。軽く微笑んで、硬い感じはない。
「うん、勿論!じゃあ私は、葵ちゃん、で、いいかな?」
「はい!嬉しいです!」
「芽衣さん硬すぎ」
「だ、だってさー」
やっぱり最初は人見知りするか。まあ予想通り、というより、イメージ通りではあるな。
「琉生さんもですけど、私年上の知り合いとかいないから、嬉しいんです!今日は芽衣さんがお料理するんですよね。手伝います」
「芽衣さん年上」
「分かってるよー。じゃあお願い。まずは野菜を・・・・・・」
まだ硬いけど、どうやら大丈夫そうだ。
料理は女子二人に任せて、俺はくつろぐとするか。
お風呂に入ろうかとも思ったが、やめておいた。芽衣がいるってのもあるが、芽衣を送るのに外に出るからその後のほうが良さそうだ。
そうして、ゲームをしながら待つこと数十分。
「出来たよー」
「おお、やっとか」
「お腹空いた?」
「まあそれなりには」
間食を取ったとはいえ、育ち盛りの体はちゃんとしたご飯を求めている。
「今運ぶね」
「手伝おうか?」
「大丈夫だよ。座って待ってて」
そう言われるならそうするか。まあテーブルに差し出してもらった方が驚けるか。まあ何作ってるかは知ってるけど。
「どうぞ」
「へぇー、パエリアだー」
「随分棒だね!?」
反応がわざとらしくなってしまった。だって、匂いとか音とか普通にくるし、買い物見てたし。
「でもすごいな。こんなん作れるんだ」
無論我が家では出たことのない料理だ。何なら見たことあるくらいで食べたこともないかも。
「ですよね。私もびっくりしました」
「へへー、そうでしょ」
「まあ芽衣さんのことだから、家で練習してきてくれたんだろうなー」
「ば、ばれてる」
まあ流石にそうだとは思った。失敗とかしたくないだろうし。
「そうなんですか?」
「ま、まあ、あんまり料理する機会ないし」
「ですよね、普通は」
中学生はまだお母さんの味を楽しむお年頃だろう。まあ俺は、お母さんの味完全再現済みだけどな。
にしても、いい出来だな。綺麗な色合いで、匂いも食欲をそそる。
「にしても、琉生さん全く手伝ってくれませんでしたね」
少し意地悪そうに葵が言う。
「俺はふるまわれる方が好きなタイプだから」
「作れる人が言わないでください、それ」
何もしなくてもご飯が出てくるとか最高だと思う。それを、自分が作り始めてから知った。
自分で作らなければ分からない感覚だと思う。だから俺は、ふるまわれる側がいいと思う。真にそのありがたさを知っているから。
「まあとりあえず、食べよっか」
「うん。そーだね」
喋っている間に、二人が食器を並べてくれた。手を合わせて、いつもより心を込めて。
「じゃあ、いただきます」
「「いただきます」」
いつもよりちょっと賑やかな食事は割と早く終わった。遅めの夕食でお腹が空いていたからだろう。
料理で全く手伝わなかった分、片づけをすることにした。いつも通り食器を手際よく洗っていく。いつもより使った食器が多いことがちょっとおかしく思える。
「手伝うよ、琉生君」
「ん?じゃあ拭いてくれない。えっと・・・はい」
タオルを手渡す。それを受け取って、俺の隣で濡れた食器を丁寧に拭いていく。
「私は・・・・・することないですね」
「うん、葵さんは休んでていいよ」
三人いても邪魔になるだけだし。ここは年上が働くべきだ。
「あの、聞いてもいいですか?」
「どっちに?」
「どっちもです。お二人はどうやって付き合ったんですか」
あ、そう言う事か。いかにも中学生っぽい。
「それは」
「私が・・・・・告白したの」
「芽衣さんそんなに照れなくても」
少し顔を赤くして俯いた。今更だと思うんだが。
「へぇー、芽衣さん凄いです!」
目を輝かせて言った。なんだか楽しそうだ。
「そ、そうかなぁ」
「はい!だって普通そんな勇気ないです」
「直接してきたからね」
「え、本当ですか!?すごい・・・・・」
それは俺も思った。実際満身創痍っぽかったけど、それを実行できる人は相違ないと思う。俺も無理だ。
「だって・・・・・・・好きだったから」
それ言うのは俺も照れるからやめて欲しい。動く手を少し早める。
「そうですかっ」
両手を口元に当てて、葵も少し照れているようだ。
「「「・・・・・・・」」」
少しの沈黙が流れる。が、すぐにまた葵が口を開けた。
「あの、お二人はどこで知り合ったんですか?」
「ん。それは・・・・・いや、同じクラスになったのは二年からだけど」
正直俺も知らない。どうして芽衣に告白されたのか。一年の頃はあまり繋がりがなかったはずだ。特別記憶に残ることも俺にはない。
「芽衣さん、俺もファーストコンタクトにあまり覚えがないんだけど」
「そうなの?琉生君にとっては普通のことだったのかもね」
「琉生さん」
葵が呆れたような声を出した。割と遠慮ないんだよな。
「面目ない」
「ううん、大丈夫だよ。えっとね、去年の六月くらいだったかな」
※
それは、私が部活に慣れてきた時の頃の話。その日の天気は曇っていた。
ジャージを上下着て、少し肌寒い日。それなのに、私は凄い量の汗をかいていた。
「どうしよ・・・・・」
一人ぼっちの部室で、膝を抱えて蹲っていた。
怖い。どうしよ。動きたくない、出たくない。負の感情が渦巻いて、自分が追い詰められてるような気がして。心臓が激しく脈打って。
憂鬱と後悔が自分の中を駆け回って、私はパニックになっていた。
泣いていた。
ガラッ
「ッ!」
だ、誰かが入ってきた!中途半端に開いていた扉が完全に開けられる。
入って来たのは男子。大きなあくびをしながら私のいる部屋に足を踏み入れた。
「ん?」
私に気づいて足を止めた。泣いているところを見られて、何を思われただろうか。彼は硬直して、私を一瞥する。
見られちゃいけないところを見られたような、そんな気分だった。どうにか泣き止んで、ちゃんと説明しないと。
「ち、違うのこれはっ、だ、大丈夫だから・・・・・無視して・・・・・」
だけどすぐには収まるわけもなく、震えた声で最後は音が消えてった。一度鼻をすすっても、声が出せなかった。
「・・・・・・・ああ、なるほど」
「え?」
「壊しちゃったのか、それ」
彼が私に近づいて、腰を下げた。視線の高さを合わせて、手を伸ばしてくる。
「えっと、」
「ああ、しかも陸上部のか」
私の手から壊れたタイマーを取って、そう言った。
「う、うん。踏んじゃって」
「ふーん」
部活には慣れて来たけど、怒られたことは一度もない。道具を壊したらどれだけ怒られるのか。しかも他の部活から借りたもの。
怖い。みっともない。情けない。
・・・・・嫌だなぁ。
「はぁ、仕方ないな」
「え?ちょっとそれっ」
彼が動いた。壊れたタイマーを持って、そのまま部室を出ようとする。
「いいよ。今回は」
肩代わりしてくれようとしている。知り合いでもない私をかばってくれようと。
「で、でもっ」
「そもそもこれ床に置いたやつが悪いし。絶対俺らの誰かだし」
でも、不注意で壊したのは私。悪いのは完全に私だ。誰かが代わりに怒られるなんて。
「これ借りてんのは俺ら男子で、その道具の管理責任を問われるのも俺ら。君が気に病むこと一切ないから」
「そんなの、そんなわけ・・・・・ないよ」
ちゃんと部室にあったものだ。管理が特別悪かったわけでもない。そんなの屁理屈でしかない。
「・・・・・・てたら、こうするしかないじゃん」
「え?」
小声で何か言った。鼻のすする音と重なって聞き取れなかった。
「何でもない。とにかく、これはいいから。一個貸しってことで」
「あ、待って!」
私の制止も聞かず、壊れたタイマーを持ったまま部室から出て行ってしまった。
そうして、私の小さな事件は無事解決した。
※
「とまあ、こんなことがあったんだけど」
「あーね、なるほど」
思い出した。そんなことあったな確かに。言われてみれば思い出すものだ。
「へぇー、かっこいいですね琉生さん」
「そう?割と大したことなくない?」
泣いている女の子と遭遇したら、誰だってそうすると思うけど。
「進んで怒られる人なんてそういませんよ」
「そうだよ!私にとっては大きなことだったの!」
「そっか」
まあ泣いてたくらいだし、そうなのだろう。芽衣は小心者みたいなところあるし。
「それでさ、私のせいでペナルティで走らされて」
「ああそっか。そのあと謝りに来てたっけか」
確かスポーツドリンクを渡されたな。お詫びとか言って。
「そうそう。疲れてるのに私のことフォローもしてくれて、凄い尊敬した。優しくて、そんな風に何気なく人に手を差し伸べられて・・・・・・・そんなところが、好きになったの」
恥じらいながらそう言った。そこまで言われると・・・・・。
「あ、琉生さん顔赤いですよ」
「あ、本当だ。珍しい」
「・・・・・・・あーうん。俺すげーグッジョブだなー」
正直自分ながらいいことしてるな。かっこつけてそんなことしてたんだろうけど、それでもそんなこと出来る時期が俺にもあったとは。
「そうですね、凄いです!」
「うん!」
「・・・・・あのさ、話題変えてくんない?」
ここまで照れたのは初めてだ。隠せないほど照れるなんて、自分らしくない。
その後も葵の恋愛への好奇心が切れることはなく、しばらくその話を続けられてしまった。一度羞恥の制御が外れた俺は、なんだがいつもより火照ってしまった。
「じゃあ芽衣さん送ってくね」
夕食の後は三人でゲームをやって、もう十時を回っている。外は真っ暗だ。
「はい!私はもうちょいやってますね」
テレビの前でゲーム機を持ちながら言う。なんだか似合わないな。
「はまった?」
「いえ、今日は相手にならなかったので、次は戦えるくらいには強くなろうと思って」
「葵ちゃん弱かったもんね」
確かに、殆ど通常攻撃しかしてなかったし。
「こういうのは経験なくて」
「それ凄く偉いけどね」
テスト前ですらゲーム禁止しない俺からしたら考えられないな。
「あれまだ本気じゃないけどね」
「まじですか。頑張りますっ」
「じゃあ行ってくる」
「じゃあね、葵ちゃん」
「はい。あの、」
葵が芽衣を引き留める。少し目線を下げてから、もう一度芽衣の目を見て、また口を開ける。
「また、会えますか?」
「!・・・うん!もちろん!」
少し驚いた後、すぐににっこりしてそう返した。
「そういえば、葵さんはいつまでいるの?」
ちょうどいいので今聞くことにする。
「すみません、詳しいことは聞いてないんです。確か、五日くらいって言ってました」
「そっか。じゃあそれまでにまた連れてくるよ」
今日で二日目なので、少なくてもあと三日か。ということは、あの日も間に合いそうだな。
「絶対来るよ」
「はい!じゃあまた」
「うん、またね。葵ちゃん」
長く言葉を交わして別れを済ませて、芽衣と一緒に玄関の外に出た。
もう外は静まり返って、夜風が冷たく肌をなでる。夜の空は引き込まれそうな暗さで、月は薄く輝いている。
いつもはこんな時間には外に出ないので、なんだか変な気分になる。ちょっとワクワクするような感じ。
「長居しすぎちゃったね」
芽衣が歩きながら話始める。
「そうだね。大丈夫?寒い?」
「ううん、大丈夫。夜風気持ちいいよ」
「だね。もう夏もあっという間かもね」
ゲームして過ごせばすぐだ。それまでにテスト二回あるけど。
「楽しみだねー」
「俺暑いのは苦手だけどね」
百歩譲って暑いのはいいんだが、汗をかくのがどうにも気持ち悪くて面倒くさい。
「私は寒いほうが苦手かな」
「そうなの?」
「うん。冬苦手。雪は綺麗で好きだけど」
この辺は全然雪降らない。一、二月くらいだとたまに積もるけど。
「逆だね。冬俺好きだよ。虫いないし」
「そっか、確かに。私も着込んだら大丈夫かな」
「まあ、まだまだ先の話だけどね」
春にする話ではないかもな。でも、こういう話をすると先に楽しみを見いだせてなんかいい。
静かな学校の正門の前を通る。ここに来る時と違う道で芽衣の家に向かっている。
「この時間の学校ってなんか不気味だね」
「そうかな?行ってみたくない?」
「琉生君ホラーとか好きなの?絶対怖いの出るよ!」
「俺ホラーは信じてないから。まあ好きっちゃ好きかな。得意じゃないけど」
パソコンでたまにホラーテイストのゲームとかやるし。幽霊とかは所詮作り物だから、あまり怖くはない。
「そうなの?凄いね。私全然無理だぁ」
イメージ通りだな。絶叫の姿が目に浮かぶ。
「今度お化け屋敷とか一緒に行こうね」
「ちょっとぉ!話聞いてた!?」
「聞いたからこそ、だな」
怖がる芽衣、見てみたいなあ。といっても、お化け屋敷の記憶は自分にもないので、正直大丈夫かは分からないけど。
「もうっ!でも、遊園地とかは行きたいな」
「日本一怖いお化け屋敷のとこ行こう」
「私絶対無理だからねっ!」
二人で撃沈ってのも全然ある。ゾクゾク系は多分いけるけど、びっくり系だと俺も死ぬ。
薄暗いトンネルを通って、また外に出る。後は十字路の信号を渡って、小道に入ってしばらく歩けば芽衣んちだ。
「芽衣さん、葵さんどうだった?」
「すごくいい子だった。可愛くて、大人しくて、料理私より出来そう」
「そっか。まあ打ち解けてて良かったよ」
最初は硬かったけど、一緒に作業したからか仲良くなってた。葵が最初から柔らかく接してたおかげでもあるだろう。
「いい子だから・・・・・ちょっと心配」
「ん?大丈夫だよ、俺は」
葵もかなりかわいいと思うけど、今は芽衣一筋だ。葵に惹かれることはない。絶対に。
「ううん、そう言う事じゃなくてね」
「ん?」
「・・・・・まあ、なんでもない。葵ちゃんのことも信頼してるしね」
芽衣は少なからず信頼してくれてるけど、心配くらいはするか。俺とは違うだろうし。
一度芽衣が気になる表情をしたが、特に何の変化もなく明るい笑顔で話を続けた。どうやら気のせいだったらしい。
そのまま芽衣の家までいつも通り話して、家まで送り届けた。