12話 葵との奇妙な生活(2)
「ただいまー」
見慣れない靴のある玄関に、いつもの意味のない挨拶をした。だけど今日は、いつもと違って少し意味があった。
「お帰りなさい、琉生さん」
玄関に小走りで近づく人影があったから。
「ん、おかえり」
返事があることに慣れていなくて、二度目を言ってしまった。
「言われた買い物しておきましたよ。それと部屋の掃除も」
「掃除してくれたんだ。ゆっくりしてていいのに」
「いえ、暇だったので」
正直助かる。見た目散らかってないけど、細かいところで埃とか出てたりするからな。
「クローゼットは触ってません。あと、配置は変えてないつもりですけど、大丈夫ですか?」
「あ、うん。別にどーでも。ってか、掃除したの俺の自室なんだ」
てっきりリビングかと。
「リビングと琉生さんの自室を。何かいけませんでしたか?」
「いや、普通聞かなきゃまずいって思わない?何か変なものとか出てきたらさアレだし」
無論俺の部屋に変なものなんてないので、俺は大丈夫だが、中学二年生なら十分あり得ると思うし、そういうので普通は憚られるものだろうに。
「お父さんに聞いたら、そう言われたのですが」
「あのくそジジイ」
あるかもしれない可能性を見越したうえで、俺の部屋掃除させたな。
「それに、琉生さんの部屋なら問題ないと思いました」
「そう、なの?」
「はい」
なんでかは分からないが、その点において妙に信頼されてる。そうは見えない、という事か。
「まあいいや。夕飯の準備をするか」
「お風呂洗ってありますけど、どうしますか?」
そこまでしてくれてるのか。出来た子だ。
「もう遅いから先に準備するよ。葵さんは入っていいよ。女子は先に入った方がいいでしょ」
正直汗かいてるので、俺は夕飯よりお風呂を先にするタイプなのだが、今日はちょっと遅すぎる。今日は葵もいるから、気遣うべきだと思った。
「じゃあ、お言葉に甘えて、お先貰いますね」
「んー。って、そういえばシャンプーとか大丈夫?」
男二人の家なわけだし、女子用のシャンプーとか持ち合わせてないが。
「大丈夫です。持参してますので」
「そっか。用意いいね」
「お父さんが持たせてくれました。じゃあ行きますね。一時間くらいで出ると思います」
「うん、ゆっくりしてってね」
「はい」
そう言って、葵は水場へと姿を消していった。
「さて」
じゃあ夕飯の準備を始めるか。今日はハンバーグだ。これもかなり頻繁なメニュー。作るの簡単だし、美味しいし。
玉ねぎをカットして、半分炒めて、色々ひき肉に混ぜ込む。味付けも適当。何度も作った料理だ。もう体が作り方を覚えていると言っていい。
作ったたねに形を与えていく。適度な厚みの楕円形のものを三つ作った。
この後冷蔵庫で寝かすべきなんだが、時間がないのでもう焼いてしまう。
しっかりと焼き目が付くまで焼く。その間にデミグラスソースを作る。いつもは作らないのだが、葵がいるので、まあ見栄を張った。
串を指して汁が出ることを確認して、とりあえず完成。後は焦げないように火を離して、食べる直前で火を通せば、夕飯が食べれる。
後は添えるサラダとかを準備する。俺にサラダを味付けする技術などないので、キャベツとかレタスとかキュウリとかトマトとか適当に盛って、後でドレッシングでご自由にって感じだが。
「あのー」
サラダの準備中に声がかかった。お風呂場からだ。ドアは閉まったまま。
「ん?どした?」
どうやらお風呂からは上がったようだ。
「あ、あの・・・・・言いづらいんですけど」
「ん?」
「・・・・・・・洋服、持ってくるの忘れちゃいました」
「・・・・・まじか」
「・・・・・まじです」
意外なところで抜けてるな。まあ、いつもと勝手が違うから仕方ないか。
「あ、あの、すみません。お手数かけてしまうんですけど、琉生さんでいいです。・・・・・私の服、持ってきてくれませんか?」
「え、でも」
「私のお借りしてる部屋のバッグに・・・・・入ってますから」
「・・・・・それ、下着も含まれてるよね」
下着なしで服を着るわけにはいかないだろう。
「・・・・・・・仕方ないです。私の落ち度ですし、琉生さんならいいので、お願いします」
そんなところで遠慮されても。
「・・・・・はあ、全く。葵さんさ、遠慮しなくてもいいよ別に。むしろ遠慮してる葵さんに気遣うほうが面倒くさい」
「・・・・・・・はい」
「俺部屋戻るから、終わったら教えて。父さんも見張っとく」
「はい、すみません」
「ん」
リビングと玄関を隔てるドアを閉めて、父さんの部屋に入った。
「ん?どうした琉生」
「別に。仕事、終わりそう?ご飯できたけど」
「あー、すまん。持ってきてくれないか?もうバグがさぁ」
父さんの仕事も大変だな。こういう時期になる父さんは情けない声を出す。
「了解。野菜もトマト抜きで持ってくる」
「マヨでな」
「ん」
そういえば、葵さんに好き嫌い聞いておくべきだった。トマト嫌いな人多いからな。あと、アレルギーとかも。
それと、父さんには聞きたいこともあったんだった。今がいい機会だな。
「そういやー、なんで葵さんうちに来たの?祖父母の家とかじゃなく」
「あーそれはな、」
「あの!もう、大丈夫です」
葵からの返事があった。案外早かったな。戻るべきだけど、まだ話がな。
「それって重い話?」
「ん?いや違うが」
「じゃあ、葵さんに聞く。ご飯持ってくる」
父さんは仕事で忙しそうなので、聞けることなら葵に聞いたほうがよさそうだ。
リビングとを隔てる二枚のドアを開けて、リビングに入った。リビングのドアの前に、髪を濡らしたパジャマ姿の葵がいた。
「す、すみません。お手数をおかけしてしまって」
「別にいいよそんくらい。それより、髪濡れてるね」
水滴は垂れてないけど、湿ってる感じがする。
「すみません、焦ってしまって忘れてました」
「乾かしたげよっか」
少しからかってみる。
「・・・・・い、いえ。それより、ご飯を先にしましょう。もうお腹すいちゃって」
お腹を抱えて、そう訴えてくる。
「ん、そうだね」
ハンバーグを軽く温め直す。その間に葵は飲み物なりサラダなりインスタントの味噌汁なりを運んでくれた。父さん用の食事を部屋に運んで、食卓も整えて、席に座る。
「美味しそう」
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
ハンバーグを一口サイズにカットして、口に運ぶ。うん、いつもの感触。味はデミグラスソースでいつもと違うけど、良い感じ。
ご飯も同時に食べる。お腹が空いてるってこともあって、凄く美味しい。
「美味しい」
「良かった」
「凄いですね。本当に料理上手いですね」
「そう?」
まともに作ったのハンバーグだけなんだが。
食事中は喋らないタイプの俺だが、今回は話すことがあるので口を開く。
「あのさ葵さん。止まりに来るなら、どうして祖父母の家とか行かなかったの?」
「ああ、確かにそうですね。祖父母の家は遠いし、忙しいんです」
「そうなんだ」
「おじいちゃんおばあちゃんは、九州で旅館を営んでます。だからゴールデンウィーク中は流石にお邪魔できません」
「なるほど」
九州じゃ送り迎えないといけないだろうし、ゴールデンウィークは客足がいいだろう。孫一人に構う時間はないか。
「ちなみに母方父方両方九州です」
「そりゃまた大変だね」
お盆とか正月とかも帰省が難しい距離だな。
「はい。なかなか会えなくて」
祖父母も寂しいだろう。可愛らしくて大人しい、いい孫だろうに。
「あの、琉生さんの祖父母さんはどうなんですか?」
「ん?俺?」
「はい。自炊とか難しいですし、一緒に住もうとか考えなかったんですか?」
確かに、その選択肢はあったな。掃除とかも楽できただろうし。
「俺んちは割と近いよ。群馬のほうだったかな。でも、一緒に住もうってまでは流石にね」
「そうなんですね」
「ここ、母と暮らした部屋だし。おじいちゃんたちをこっちに引っ張ってくるのも気が引けたしね。父さんがそれでいいって言うなら、ここに残りたかった」
一人暮らしに憧れてたこともあったんだろう。父さんがほぼいないから、実質一人暮らしみたいなものだ。
「そっか。思い出の部屋なんですね」
「そんなたいそうなもんじゃないけどね」
ちなみに母方の祖父母は既に他界している。それをわざわざ言う必要もない。
「でも、それにしては・・・・・」
「母の痕跡が少ないとこ?」
「あ・・・・・はい。最初に思ったんですけど」
母がいないことを伝えたときか。確かに、思い出の部屋って言うなら、母の部屋が残されていてもいいと思う。
「父さんは、残してもいいって言ってたけど、俺は別に残さなくていいって思ったから」
「それは・・・・・どうしてですか」
少し真剣な感じで聞いてくる。母親の境遇が似てるから、少し力が入ってるんだと思う。
「俺の母はなんかへらへらした人だったから、多分そういうの喜ばないって思ったんだよ。それに邪魔だし」
「・・・・・あんまり琉生さんには似てなかったんですか?」
少し表情を緩めた。少し不謹慎なことを言ったのが、逆におかしかったみたい。
「ま、そだね」
その後は会話は減り、黙々と食事が進んだ。あまり気まずくない、心地いい沈黙。多分両者とも、沈黙は大丈夫なタイプだったようだ。
最後のハンバーグとご飯を食べきり、後は味噌汁のみ。味噌汁を飲む前に、面白半分に一つ葵に聞いた。
「葵さんってさ」
「はい?」
葵ももうすぐ食べ終わる。割と食べるペースは変わらないようだ。今日の俺はスマホをいじりながらじゃなかったので、いつもよりスローペースで食事をしていたようだ。
「結構甘えんぼでしょ」
「は、はい!?そんなこと・・・・・・・どうしてです?」
「だって髪乾かそうかって言ったとき、少し揺れてたし」
ちょっと反応が遅れたのを俺は見逃していない。
「そんなことは・・・・・・・ただ、最近お母さんにしてもらえてないと思って」
確かに病気だと機会自体がないな。
「・・・・・やっぱしてあげよっか?」
「い、いえ、大丈夫です!あの琉生さん、なんか私を子ども扱いしすぎじゃないですか?」
少し前のめりになって抗議してくる。
「まだ子供でしょ」
「私結構しっかりしてると思うんですけど」
「背伸びした子供」
「一つしか違わないじゃないですか」
確かに。じゃあ俺も子供だな。
「あんまり無理しなくてもいいと思うよ」
「無理なんて」
「してる」
周りに気を遣いすぎてる。自分を後回しにしてる。それは実に子供らしくない。悪い意味で。
「知ってる葵さん。人ってのは、甘えられた方が嬉しいんだよ」
「・・・・・・・」
「親だって、子供の内はそうして欲しいなあって思ってるよ。きっと」
親になったことはないので、実際のところは分からないけど。
「そう、なんでしょうか」
「そうだぞー、葵ちゃん」
いきなり変なおじさんが話に割り込んできた。
「仕事はどうしたんだよ」
「休憩なくしていい仕事は出来ないもんだ」
「飯の時いなかったくせに何言ってんだか」
だったらご飯こっちで食えばよかっただろうに。わざわざ飯食いながら仕事しなくても。
「それはな、俺なりに気遣いをと」
「はあ?」
「いやそれより、さっきの話、お前が言うのか?琉生なんて、全然甘えてこないし、クールすぎてつまんなかったんだぞ」
「確かに、その感じはありますね。さっきの話、琉生さんが言うには似合わなかったですし」
母にも死ぬ間際につまんないって言われた。俺、そんなにつまらない人間なのか。自分ではクールとか、そういうつもりはないんだけどな。
「手のかかる子の方が絶対楽しかったんだけどなー」
「んなこと言われてもな。父さんだけじゃどうしよもなかっただろうしな」
「まあそれもそうなんだけどな」
俺が思いのほかしっかりしてたからこそ、母がいなくなっても家庭が回っていったわけだ。俺がその「手のかかる子」とやらだったら、こうはならなかっただろうな。
「全く。そもそも、自分がもっとしっかり出来るようになってからそういうこと言えよ。仕事と家庭の両立出来てないし」
「ごほんっ。えっとだから、葵ちゃんは甘えられるときに甘えたほうがいいぞって話。じゃ、俺まだ仕事あるから」
無理やり話をまとめて、部屋に逃げて行った。
少し辛辣なコメントすぎたか。別に父さんの仕事は理解してるし、中途半端やってるんじゃないのも分かってる。だからこそ、コミュニケーションは少ないけれども、しっかり父さんを身近に感じられてる。
俺が家事やり始めたのも、来てもおかしくない境遇で反抗期が来ないのも、父さんを認めてるからだな。
「あの、言い過ぎでは」
「いや、割といつも通り」
「そうなんですね」
「うん」
ご飯を食べ合わってお茶を一飲みする。さて、じゃあお風呂に入るか。そう思って席を立つ。
「あのっ!」
「ん?」
「・・・・・乾かしてくれませんか」
葵が少し俯いた感じで言ってくる。
正直ガチじゃなかったんだが、そういう風な話の流れにしてしまった。
「・・・・・しようか」
まあ、話したいこともあったし、いいか別に。ちょっとうるさいほうが話しやすい話だ。
ドライヤーのある洗面所まで椅子を持って行って、乾かしてあげることにした。
「じゃあ、乾かすね」
「お願いします」
椅子の座る葵の後ろに立って、ドライヤーのスイッチを入れた。うるさい音と強い風が湿った葵の髪をなびかせる。
こうやって触れると、やっぱり葵の黒髪は綺麗だ。髪質もサラサラで、柔らかい感じ。嗅ぎなれないシャンプーの香りが鼻をくすぐる。
「こんな年の近い男の子にこんなことしてもらってるって、なんだか不思議です」
「まあ、そうだよね」
断言するが、普通はしない。ただ、この子の特殊な境遇と、たまに感じる悲しいとも寂しいとも感じ取れる負の感情が、俺に普通じゃない行動を容認させている。
「琉生さんが年が近いように感じないからですかね」
「それは俺が老けてるって言いたいの?」
「大人っぽいって言いたいんです」
この歳で老けてるも何もないか。
「いえ、ちょっと違いました」
「ん?」
「お兄さんっぽいんです」
「そうかな?」
「はい」
自分で言うのもなんだが、その言葉には少ししっくりきた。確かに自分はそんな感じかもしれない。特に、芽衣と接してるときとか、そういうイメージを持って接していたかも。
「葵さんは、お兄さん欲しかったの?」
今日一日話を聞いた感じだと、一人っ子っぽい。
「どうでしょうね。出来れば可愛い妹が・・・・・いえ、やっぱり無理ですね」
「ん?」
「私多分、お姉ちゃんにはなれないと思うんです。今回みたいなことがあっても、自分が頼りになるって思えないので」
「そうかな。俺はそうは思わないけどね」
葵は俺から見てもしっかりしている。いいお姉さんになれると思うけどな。仲のいい姉妹に。
「やっぱり兄か姉ですね。親は下の子に甘いって言いますし」
「やっぱ甘えたいんじゃん」
本心がこぼれたような感じだった。
「・・・・・・・そう、なんですかね。でも、私あんまり甘えるって分かんないんです」
ゆっくりと口を開いた。少し声量が下がって、ドライヤーの音で聞きづらい。しっかり意識して、聞き取る。
「私がわがまま言うわけにはいかないんです。お母さんが苦しくて、お父さんが大変で。私は、私も、しっかりしようって」
賢い子だからこそ、自分がどうするべきかを分かっている。分かってしまうから、何がしたいかよりも、そっちを優先してしまう。
「でも、こういうことしてくれたことはあったんじゃない?」
「そうですね。小学二年生の時でしょうか、お母さんに」
「五年ぶりが俺でごめんね」
「いえ、そんな。・・・・・嬉しいです」
「そう?」
こんなことするのは当然初めてなので、合ってるかとか、上手いかとか全然分からない。まあ本人がいいというならいいんだろうけど。
「久しぶりで・・・・・心地よくて」
なら良かった。
「もう少し、わがままになりなよ」
「そう言われると難しいです」
「確かに」
意識しちゃうと難しくなるってことはままある。
「おねだりとか、甘えたりとか。そうだ、これしてもらいなよ。俺よりお母さんのほうが上手いでしょ」
「そうですね、琉生さんより上手いですし」
「無理言うなよ」
現役のお母さんにこの技術で勝ってるなら、俺にはお母さんの才能があることになる。
「もう大体乾きましたね、もう大丈夫です」
「うん、そうだね」
行き届かない部分は自分でやってもらった方がいい。
「ありがとうございました、お風呂行ってきてください」
「・・・・・うん、そうする」
俺も話しておきたいことがあったのだが、もう話せる感じじゃない。明日芽衣が来る旨は、後で伝えることにするか。
でもなんだか、葵に信頼されすぎてるような気がする。まだ会って一日なんだけどな。
そんな奇妙な感覚を感じながら、リビングに葵を残して、洋服を持ってお風呂場へと足を運んだ。