10話 新しく始まる、吸われる日常(1)
芽衣と付き合い始めて過ごす、第二週がやってきた。
最近は色々なことが立て続けに起きて、癒しはあれど心休まらない日々だった。回りもうるさかったし、なにより芽衣と付き合い始めて慣れない経験を積んだからだと思う。
そろそろ落ち着ける時間がやってくると期待して、月曜日の朝を過ごした。
週初めの天気は上々、熱いくらいに照らす日光が心地よい。太陽が見守る中で部活を終えて、最後のボールの籠を部室へ持っていく。
薄暗く誰もいないごちゃっとした部室。簡易ネットが数個並んでいるせいで、中は結構狭い。
定位置にボール籠を置いて、籠の上に置いていたラケットを取って、軽く伸びた。
「んー・・・ん?」
後ろで扉の閉まる音が聞こえた。
「お疲れ、琉生君」
中に入って扉を閉めたのは芽衣だ。
「おっ、お疲れ芽衣さん。どしたの?朝から」
朝からこんなことしてくるなんて、珍しいな。朝に話しかけてくること自体あまりない。
「・・・・・・・」
「・・・・・芽衣さん?」
「・・・・・血、吸いたい」
まじか。朝から。
「・・・・・血って、中毒性あるの?」
「んーどうだろ。でも、通常主食みたいなものだから」
「まあそれもそうか」
吸血鬼だったら、ふつう毎日飲むものだ。人間の好物とは少し違う。好物ではあるんだと思うけど、好物イコールじゃなくて、食事イコールだ。好物への欲求とは少し別種なのだろう。
「ま、汗あんまかいてないし、いいよ。はい」
その場にラケットを置いた。ジャージと体操服を着崩して、首筋を出した。
正直人来たらどうしようとは思うけど、扉はすりガラスになってるから誰か入ろうとしたら分かるし、二人でいるとこ見られても少しからかわれるだけだ。
「朝から本当にいいの?」
「そうしたいから来たんでしょ。まあ大丈夫だよ。でも飲み過ぎないでよ」
「うん!じゃあ」
俺に近づいて背伸びをして、肌にかぶりついてきた。座ってあげればよかった。身長差で少し飲みにくそうだった。
数秒そのままの態勢で吸って、ゆっくりと俺から口を離した。そして、軽く手を口に当てて笑みをこぼしながら、言った。
「ごちそうさま!」
「おそまつさま」
ふさわしい返事をして、笑い返した。ゆっくりと出した肩をしまう。
「・・・・・大丈夫?」
俺の体調のことだろう。今回は昨日よりも飲む時間が短かったので、身体は全然平気そうだ。
「うん平気。というか、大胆になったね芽衣さん。突発的に入られたら見られたかもだよ?」
すりガラスって言っても、ラグなしで開けられたら、俺が気づいても見られてると思う。少なくとも、着崩した俺にすり寄ってる芽衣、くらいには。
以前までは徹底して隠し通してきたのに、ガードがかなり緩くなったように思う。
「た、確かに、そうだね。危ないことしちゃった。でもね」
「ん?」
顔をさっと上げて、一度止めた言葉の続きを言った。
「甘えたくなっちゃった」
「なるほど理解」
もう可愛いから全部オッケーだな、うん。
「ま、いつでも言ってよ。人いないところ行けば、いつでもできるしね」
「うん、ありがとう!」
その笑顔を見てから、またラケットを持つ。
「じゃ、行こっか。ってやばっ」
軽く促して、絞められた扉のほうに視線を向ける。すると、扉の向こうに人影があった。入られると面倒くさいな、くそ。
カチッ
「あ」
どうやら、騒がれる心配はなくなったようだ。それとは別の問題が発生したが。
「ど、どうしよ、鍵閉められちゃった!」
急いで扉に向かって、誰かに気づいてもらおうとする。部室は中と外、両方鍵を使って開け閉めする。だから、外から鍵閉められると中から出られなくなる。
でも、それやってこの状況見られんのは、ちょっとやばい気がする。室内に二人きりだし。
それに気づいたのか、扉を叩くギリギリで芽衣の動きが止まった。
「・・・・・どうしよ、琉生君」
助けを求める目だ。確かにピンチだ。でも。
「なんか密室に二人で閉じ込められたってシチュエーションに少しワクワクしてる」
俺からしたらこんなベタなイベント発生、興奮案件以外の何ものでもないんだよな。
「ちょ、ちょっと琉生君!流石に余裕すぎだよ!」
「そうかなー」
「だって開けられないんだよ!?このままじゃ授業出られないんだよ!?放課後まで、このまま」
「いや、部活には出たんだし、朝いなかったらおかしいから、きっとすぐ気づくよ?」
部活に出て教室にいない。じゃあどこ行ったっていう話になる。断りなしに早退なんてするわけもないので、部室だってすぐ勘づくだろう。
「そっか。い、いやでも、私たちがここで二人でいるってことばれちゃうよ?」
「それはやばい」
密室で異性二人、良からぬ妄想を膨らませる輩も出てくるはずだ。そういうお年頃だからな。恋人関係の周知は許容できても、その『良からぬ噂』は許容できない。
「やっぱ呼ぶしかない、ね」
「いや」
実は俺が焦ってない理由は、噂が流れてもいいからってわけじゃない。解決方法が頭にあったから。
「こっち開くよ、実は」
左側の扉に手をかけて軽く動かした。出入口はこの右にある扉で、いつも開閉されない扉だ。扉の前にコート整備の時に使うモップが乱雑に置かれている。
こっちの鍵は何故だか壊れている。普段は開けられることのない、ちょっと重い扉だ。
「え、あ!ホントだっ!なんで早く行ってくれないの!?」
閉じ込められたって話してる途中で思い出したのだが、なんか焦ってる芽衣が可愛かったから、ちょっと面白がってた。
「ちょっと面白かったから」
うっかりごまかすのを忘れてしまった。
「ちょっとー」
俺の服を掴んで揺らしてくる。
「私本気で心配したんだからね?」
「ごめんごめんー」
この反応が見たかったから、ごまかさなかったんだけど。可愛いーなー。
もうちょい浸ってたいけどもう時間がないので、そろそろ動かないと。
「じゃあ、俺先出るから、芽衣さんは十秒後くらいに出て。そっから一緒に教室行こ」
「うん!まあとりあえず、良かった!」
その言葉を聞いて、モップをどかし、扉を開けて外へ出た。扉は開けたままに、自分の荷物まで歩いて行って、また部室のほうへと引き返す。その間に他のテニス部員はいなかった。もう先に教室へ戻ったんだろう。
テニス部は整備時間を余分にとるから、他の部より先に終わる。だからそこには、野球部と陸上部がちらほら昇降口へ戻るために、その通り道のテニス部の溜まり場付近を歩く人が数人いるくらいだった。
部室の前へ戻ったタイミングで、芽衣が中から出てきた。
「それじゃあ行こっか」
「そうだね、芽衣さん」
そして二人で、教室への短い道を並んで歩いた。
「はぁ」
四限終了直後に、俺は机に突っ伏してため息をついていた。
朝は大変だった。朝は教室に着いてからあまり時間がなかったので、正確には朝の会直後だが。普段は一緒には教室に行かないし、二人だけが遅く戻ってきたから、そこも地味に言及された。
改めて中学生の敏感さには驚かされる。恋が絡んでくると、少しの違いとか、変化とかを見逃さない。他人のことなんてお構いなしに、その時を楽しむための話題にする。
実際その話題自体にはさほど興味はないのだ。楽しければそれでいい。大抵の人は、今笑っていられればそれでいいのだ。
だから、本当に興味のある人は、あまり笑わず話をする。
「加瀬」
「・・・・・・・」
「加瀬ー、寝てるのー?」
「寝てるー」
「起きてんじゃん。起きなきゃ脇攻めるぞー」
ばっと体制を起こす。俺は脇が弱い。くすぐり全般に耐性はないが、特にここはやばい。触られただけでキュッとしちゃう。
「なんだよ、添にい」
他には誰も来ていない。智也一人のようだ。
「最近どんな感じ?」
「どんな感じとは?」
分かってるけど聞き返す。特に意味はない。
「七瀬さんと付き合ってみて」
「んー、まだ2週間も経ってないからな。今は楽しいよ、だいぶ」
正直に言った。それが智也にとって最善の答えだとも思ったから。
「へぇー、ラブラブじゃん」
「添にいはどうなの?」
「んー、ないよそんなの全然」
「ふーん」
まあないわけない。なければ俺にこんな話振らないはず。
俺はここ最近、あらゆる人と会話をし、反応を見て、洞察力が高まった。恋愛ごとに関しての反応は、割と分かるようになってきている。
添にいの行動は、恋愛に対する情報収集みたいもので、これで気を休めてるみたいな感じ。身近にそういう変化をした人が現れて、自分もなにか変えたいと無意識にでも思った結果が、この会話に繋がっている。
「ま、添にいはそんなんあんまり感じないからなー」
あえて追求しないでおいた。友達の好きな人が誰なのか、気にならないこともないが、まあどんなに迫っても言ってくれないだろう。だから察していないような口ぶりで、様子を見る。
「そうだからね。でもさ、加瀬って七瀬さん好きだったの?」
「んー、それ聞いてくるかー」
これまでは地味に答えてなかったことだ。その話が来たら答えを濁して上手く話を流していた。あまり言いたくないことだから。
でもこの状況で聞かれちゃうと少し困る。そらすとどう考えても不自然になる。隠したいことと思われると、今後さらに言いずらくなってしまう。
「無論!・・・って言いたいとこだけど、そうでもなかったよ」
正直に言った。別に隠したいって訳でもない。言わなくてもいいなら言わない程度のものだ。なんせ説明が面倒くさいし、理解されない可能性もあった。
だから、人を選んで話す分にはあまり問題はない。
「好きじゃなかったんだ」
「俺に好きな人はいなかったからね」
「告白されたから付き合うことにしたんだ」
「うん」
好きな人がいたなら、返事は変わっていたのかもしれない。好きな人のことを思って、好かれるという貴重すぎる機会をきっと棒に振るっていた。
色々な条件が重なって、この結果に至ったのだと思う。
「やっぱ顔か。七瀬さん地味に人気あるし」
「んー顔七割くらいかな」
正直不細工だったら付き合ってないと思う。それが現実だ。
「ん?芽衣さんって人気あんの?」
「まあうちのクラスでは割と上位に入ると思う」
それは割と初耳だ。確かに小さくて可愛いけど、周りの評判までそうだとは知らなかった。この手の話題に疎いからか。
「っていうか、七瀬さんのこと『芽衣さん』って呼んでんの?」
「ん?『琉生君』、『芽衣さん』だけど?」
そこ引っかかるとこか?
「いや、君さん付けだけど、名前呼び早くない?」
「んー俺も芽衣さんも初めてだから」
進展のスピードに関しては人それぞれだと思うし、比較経験がない以上は仕方のないことだと思う。それで問題がある訳でもなし。
「で、顔七割の他はなんなの?」
「性格一割、興味二割ってとこかな」
「性格少な」
「まあほとんど知らないからな。接点はあったけど、相手の性格分かるくらい深入りしたことなかったし」
テニス部以外たいした共通点なかったからな。芽衣に好かれた要素すら分からないくらいだ。
「ふーん。で、興味は興味か」
「まあ究極的に言えば、嬉しかったんだよ。例えばブスに告られたら、正直嫌だろ」
「正直すぎだろ。好意自体は嬉しいんじゃないの?」
「それは嘘だね。まあ少なくとも俺は嫌だ」
性格悪いこと言ってるけど、自分の正直な気持ちだ。そこに嘘をつく必要はない。
もちろん、不細工でも中身を認められるのなら、それはいい関係になるのだろう。けど、良くも知らないブスはお断りしかできない。なぜなら中身を見る機会自体が作れないから。
性格で人を判断しろと、母さんは言ったのかもしれないが、それは見れる人、もしくは見てもいいと思える人に限る。そこは自分を曲げないでいたい。
「まあそれはどうでもいいとして」
結局は仮定の話に過ぎない。こんなこと話しても、無駄に性格の悪さが露呈するだけだ。
「嬉しくて、困らなかったから、オーケーしない理由がないんだよ」
「なるほどなー。好きな人もいないから、困らないってことね。まあ断る理由があるから困るわけだしな。当たり前なことしか言ってないよ、加瀬」
「るせえ」
鋭いな。あっさいことを深そうに言ってるのばれたか。
「結局付き合うかどうかなんて、その程度の判断でしかないってことだよ」
「まー、話してみたら確かにな。両思いとか低すぎる確率だしな。って、そろそろ動きそう」
廊下にできた列を指さしてそう言った。給食を食堂まで取りに行く列。今週は三学年中最後なので、食堂で食事を取れる週だ。
「行くか。今日は?」
「A」
切符ほどのサイズの青い紙をポッケから出した。Aはパン食、Bはご飯食だ。ちなみに統計的に男子はB、女子はAが多い。
「俺もA」
「じゃ、行くか」
今回は特に智也の話はせずに、終わりになった。
洋平には協力を申し出て、亮には茶化すようにして、智也は泳がしておく。恋愛に関してはさほど興味はないが、色々なアプローチで俺はこの状況を楽しむつもりだ。
でも、今の話をしてて気づいた。俺は好きな人がいなかったから、芽衣のことを特別思っていなくても付き合うことにした。
じゃあ今、突発的に好きな人が出来たらどうするんだろう、と。
そんなほとんど無意味だって分かってる可能性を頭によぎらせながら、駆け足で廊下の列に二人で並んだ。