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捨てる者、捨てられた者。

 それは、母のエリフェアが魔外前線で軽い運動(遠征)に行っていた、とある晩の時だった。




「父上。 いつになったらあの愚図を追い出すのですか?」




 ソフェルが図書室から魔導書を拝借し、自室に持ち帰っていた時。

 偶然、耳にしたことであった。




(…兄様?)



 彼女自身も解らぬうちに、身を縮ませる。

 声を辿ると、…曲がり角を少し行った先で、父のエドマスと兄のオルレスが廊下の壁灯の側で対面していた。


 密会――というよりは、恐らくは偶然立ち会ったのだろう。




「あの愚図を家族だと勘違いをしている母上も、ちょうど外征に出ていらっしゃいません。

 反対するものは誰一人としていないでしょう。」



 そんな、兄の嘲笑交じりの声が聞こえた。 闇夜で表情は見えないが、…見たくもなかった。



「…そうだな。 アイツさえいなければ、アレ(・・)を追い出すことに文句を言うものはおるまい。

 いつかは何かしらの才を開花させると思ったが…お前の言う通り、頃合いだろう。」



 父の静かな声。 …自身が報告を行っている時と同じ声調だ、とソフェルは聴きながら思っていた。




 彼女を―――妹を、追い出す。

 何を、言っているのだ?


 母の教育のおかげで、家の男性陣は他と変わっている、という認識はしていた。

 しかしそれは、「父と兄は少々頭の固い脳筋」程度だというもので、まさか血族を―――。



 …いや、まさか(・・・)ではなかった。



 自身が非力だと気付いた時に、必死に魔術への道を模索したことを思い出した。

 彼女も気付いていたのだ。『そういうこと』をする連中であるということを。


 ひそかにそれを「尻に火をつける」ための火種として、こっそり解っていた筈なのに。




 というよりも。


 「追い出すことに文句を言うものはおるまい。」 という言葉に、小さく「は?」と呟いてしまった。



 あの深い皺を刻む執事は不明であるが、「妹」は使用人たちの支持を一身に受けている。


 庭師や馬丁から始まり、侍従や侍女、料理人やメイド長。


 完璧でもなく毎日全てではないが、全員の仕事の補佐を行っている。幼いながらも、使用人としては完璧だった。

 戦闘術を除けば、将来は家政婦長(執事とほぼ同等の立場)になってもおかしくはなかっただろう。


 そして、誰もが一生懸命に働く「妹」を応援し、育み、支援し、受け入れている。

 


 実際に追放されなければわからないが、少なくとも使用人のほぼ全員が、当主に対して深い失望を抱くことは(かた)い。

 最悪、この屋敷の維持すらままならない事態すら誘発するだろう。



 それに、ソフェル自身が「『妹』の追放に賛成する」と、勝手に決定事項にされていることもまた疑問だった。


 母の無駄に面倒な溺愛と教育が、父と兄の目を盗んで行われていたモノだということなのだろう。

 …そう考えたソフェルはなぜかゲッソリした。



 第一。

 帰ってきた母がそれを聴いてどうするか、思い至らないのだろうか。


 もしかすると、兄を産んだ時点で母はどうでもよい存在になったのだろうか?

 …自身(ソフェル)も「ハイロニア家の者」として考えているのを見るに、「2人産んだからもういい」ということなのだろうか。




「では。」

「…うむ。」




 男性陣のトチ狂った密会を聴き終えた後。自室に戻ったソフェル。

 追放された「妹」に、自身は一体何をしてやれるのか、と思案し始めた。



 この家にいても、彼女を不幸にしてしまうだけだろう。

 そもそも自身一人では止められる筈がない。

 使用人の皆は、頼めば助力してくれるだろうが…彼らの立場を不安定にする選択を押し付けるのは気が引ける。「妹」を助けるのは、彼ら各々の判断に任せよう、と切り捨てた。




 そして、「さっさとこの家から出て行ってもらって、彼女の住むべき場所を協力して見つけよう。」と、結論を出した。






――――――――――――――――――――






 次の日。


 父の書斎に呼ばれたソフェル。

 「お前も喜ぶ催しがある。」 兄がそう言っていた。




 無表情で筆を走らせる父と、ニヤニヤする兄と共に。


 うんざりしながら暫く待つこと少々。




 怯えながら、不安に表情を曇らせた妹がやってきた。





「お前をこれ以上、我が家に置くことは出来ん。出てゆくのだ。」

「…。」




 父の宣言。 これといった感情のない、いつも通りの義務的なモノだった。



 先ほどまでの歪な笑みを消し、妹を睥睨する兄。

 …平民相手には、貴族然とした態度を取るよう躾けられている。ソレを出しているのだろう。



(結局、彼女の「力」が理解されることはなかった。)


 俯く妹の姿を痛ましく見守るソフェル。



 自身の細めた視線が、妹を怯えさせていることには気づいていた。


 追放された方が彼女の為になる。

 …彼女には悪いが、怯えさせるほうが都合がいい。





「魔力によって非力さを大きく補うソフェルと違い、基礎の魔法にすら手こずる愚図。

 この落ちこぼれがハイロニア家に連なることなど、到底看過出来ることではなかった筈です。」




 唐突に兄に話を振られるソフィア。

 昨日の密会の時もそうだったが、何を根拠に自身を同類扱いしているのか。 




「…そこで私を引き合いに出すのはやめてほしいのだけれど。兄さま。」



 正直に「同類扱いするのはやめてほしい」と答えられれば、どれほど爽快だったことやら。

 不快感で目元がつり上がってしまう。妹がそんな姉を見て更にビビってしまった。





「ハイロニアの名をこれ以上穢すことは許さない。今すぐに我が領土から出ていくのだ。

 我が領土の人間に、一切の助力を請うことは許さん。」

「…!」






「…ぁ?」




 追放された後、後を付いて行って手助けするつもりだった。


 「我が領土の人間に、一切の助力を請うことは許さん。」

 唐突に打たれたその楔。 そこまでして彼女を消したいのか?


 ―――母の助力を防ぐため? 或いは、私の本心に気付いて…?


 表情は変えず、しかしソフェルは困惑していた。









「おい、さっさと出ていけ、平民(・・)。」

「!!」




 どうすべきか思考している内、兄が妹の首元に手を置いていた。



「母上には俺からよろしく伝えておいてやるよ。『無能はハイロニア家から喜んで出て行った』とな。

 もう何も思い残すことはないだろ? 流石の愚図でも、自分の脚で家を出ることぐらい出来るだろ。」



 そう言いながら、首を掴んで書斎の外に放り投げる兄。



 ―――そこまでするの!?



 唐突の行為に、ソフェルは半ば呆然としながら驚愕していた。






 逃げるように出口へ向かう妹。


 追い立てるようにカツコツと靴の音を立てる兄。


 …少し距離を置いて、兄の後ろへ付いて行くソフェル。



 それを悲痛な表情で見守る使用人たち。

 執事だけが、いつも通りの険しい表情でソレを見つめていた。



 ―――母様への牽制だけじゃなくて、こっちがメインだったのかも。



 使用人の数人が小さく妹へ手を伸ばそうと、しかしそれを他の使用人が視線や腕で制して。

 使用人全員が、むず痒い思いを溢れさせながら、妹を見守っていた。







 玄関で立ち止まる妹。

 助けを請うように振り返った彼女に、兄が歩みを早めて―――。




「っぁ!」




 誰が発したかもわからない小さな悲鳴が、使用人の誰かから挙がった。



 兄が、また妹の首を掴んで、外へ放り投げたのだ。




「っ!」



 流石に看過できないと、忍ぶように兄に付いて行っていたソフェルも跳び出した。




 ソフェルが追い付いた時。


 妹は既に門から外に放り出され、塀の側で伸びていた。




「っ…。」

「お、ソフェルも来たのか。」



 こちらに戻ってくる兄。

 妹の視界から外れた故か、あの嘲笑が戻っていた。



「せっかくの門出だ、お前も送り物(・・・)をしてはどうだ? 最後の機会だぞ?」

「――送り物。」



 平静を保ち、兄の言葉を復唱する。



 ―――今生の別れになるかもしれない家族への、最後の交流がこの暴力か。



 少々表情に出てしまう。

 が、兄はどうやらソレを勘違いして受け取った様子。


「なに。 別に暴力でなくとも、お前には魔力があるだろ。火や氷や雷で痛めつければいい。」

(えぇ…。)


 クク…と鼻で小さく笑う兄に、内心で引くソフェル。

 何が…何が兄をここまで動かすのだろうか。




「ま、門の前に屍晒すのも面倒だし。 ほどほどにな?」

「…そうね。」



 手をプラプラと振りながら、兄は帰って行った。


 …。





 ―――――。ミシェル(・・・・)



 ボロボロになってしまった妹の側で屈み、内心で呼びかけるソフェル。


 妹の名を唱えられたのは、数える程度しかなかった。

 それでもいつか呼べる日の為に、忘れずに。



 だが結局、彼女を呼ぶことは出来なかった。




 彼女を抱きかかえ、屋敷から少し離れる。


 屋敷が見えなくなり、更に少し歩いた辺りで。

 近くの樹木の側に、彼女を座らせた。



 ――――兄と父が私を「あちら側」と勘違いしてるのが、逆に都合がよくなるなんてね。



 もしそうでなければ、兄か父が監視していただろう。

 誰の目もないことを確認し、得意の光魔法を発動した。



 ――――ごめんねミシェル。私が…今の私に出来るのは、これくらいしか。



 ここで自身一人で父と兄に逆らっても、敵わない。

 ミシェルは非力故に追放に処されたが、戦う力がある自分が歯向かえば、そのまま殺されるだろう。



 母がいれば、3人で逃げ出すことも出来ただろう。

 だが自身とミシェルの2人で、父と兄から逃れることを考えると――――。



 ――――何か、解決法を見つけて、その時は…。



 可能な限り、彼女へ祝福を授けた。


 『自然治癒』『滋養』『防護』『危機回避』。

 少しでも祝福の期間が延びるよう、『祝詞の継続』―――。



 ――――ごめんね。



 最後に彼女の頭を撫で。

 ソフェルは、その場を去った。










―――――――――――――――――――――――――――――







 次の日。

 陰鬱な気分のまま、眼を覚ますソフェル。



 …ミシェルを座らせた木陰へ向かったが、彼女は既にいなかった。



 領地全体とは言わないだろうが、恐らくお触れが出ていることだろう。

 少々後になって、ソフェルもお触れを見たことがあったが。




「手助けした者は居住権の永久剥奪、及び財産の没収。

 なお、没収した財産全ては、報告者の物とする。」




 …領民の欲望を上手く利用したお触れだ、と脳筋の割に知恵を絞った父を内心で貶した。




 話を戻し。



 非力な妹を追放したハイロニア家だが。

 早速、ミシェルを追放した影響が出始めていた。







 朝食ということで、食堂に向かう。


 食事の時間は基本的に定まっておらず、家族全員が顔を合わせることは少ない。

 全員に火急の用がある時は、使用人が全員に声を掛けて招集する、というのがこの家だ。



 さて。朝食を摂る旨を使用人に伝え、食堂へ向かう途中。



「おい!料理長!」



 兄の怒鳴り声が聞こえた。




「なんだ?」

「今日は!今日は、…、…いつもと違って1品たりないんじゃないか?」



 少々乱暴な口調のコック。

 不機嫌そうな料理長に対し、…噛みついた兄は、何やら言後を小さくして問いかけていた。



「あー、カップケーキか? もう出ることはねえだろうな?」

「なっ…!」

「作るヤツがいなくなっちまったからな。 アイツ結局、俺にさえ作り方を教えてくれなかったし。

 いつか教えてもらうつもりだったのに…あーあ、急にいなくなっちまってよぉ。」



 嫌味ったらしくそう言い放ち、兄を置いて行く料理長。



 ――この様子じゃ、父様のコーヒーゼリーも母様のクリームプリンも、

 ――私のハチミツクッキーも、もう出ないのかな。



 怒りに溢れる兄を見ながら、ソフェルは小さくため息を吐いた。


 …肩を震わせる兄は、心のどこかで「作るヤツ」に一瞬気付きかけたが。

 思考に挙がる以前に、無意識にそれを否定していた。





 広い食堂。 既に1人分の料理を並べてくれた使用人が、料理のある席の後ろで待機していた。



「ありがとう。」

「。」



 使用人から一礼を貰いながら、席に着く。

 …予想通り小皿1つ分、料理が足りなかった。



 ―――大好物だったのに。アレ。



 兄を大袈裟だと内心で小馬鹿にしていたが、いざ無かったとなると結構な動揺があった。

 …心構えしていた自分がこうなのだ、兄の方は計り知れないだろう。



 ミシェルは、家族の好みに合ったデザートそれぞれを、毎食必ず出していた。


 料理長の料理の味に合わせ、毎食出ても飽きが来ないように味を変え、一体どのようなトリックを用いたのか。

 料理長の言う「教えてもらうつもりだった」とは、そういうことだろう。 



 先ほど発狂していた兄は勿論、父もデザートのコーヒーゼリーを絶賛していたが。

 料理長もミシェルも、「ハイロニアの者が戦い以外の技術を身に着けてどうする」と父が憤怒することは目に見えていたため、公表していなかったのだ。


 ソフェルが考えてもそうなる結末しか見えない以上、正しい選択だったのだが。



「――この家の当主は頭がおかしい。」

「全くです。」

「…ちょっと。」



 後方の使用人が、独り言の呟き拾って返答してきた。

 使用人が堂々と当主を批判。 流石にまずいだろう、と口先だけで窘める。



「だって、奥様との話もなく一存で、しかも自身のご子女を。

 勝手なシキタリで、私たち全員の食後の楽しみを奪ったんですよ?」

「――っ。」



 「私たち全員の。」


 使用人の乱暴な口調も気になったが、それ以上にその一言に全て持っていかれた。

 …恐らくだが、使用人全員の好みを把握し、彼らの嗜好に合わせた一品を添えていた、ということだろう。


 驚いて、紅茶が少々器官に入りかけた。





「ふ、ふぅ…。  あなたは、使用人としてのマナーを少しは身につけなさい。」

「あー、はいはい。

 たく、ソフェルお嬢様は元傭兵や俺たちのような(・・・・・・・)元冒険者に対して注文が多いこった。」



 最低限、本当に最低限の作法しか心得てない使用人に、ソフェルは諦めた。



 武力ある下級貴族というのは少ない。

 武力があれば魔外前線で功績を挙げ、さっさと陞爵して上の方に行く。


 通常は、下級の貴族の子息子女から使用人を雇うのだが。

 武力のない使用人を認めないハイロニア家は、こうして元傭兵や元冒険者であふれている訳である。



 母も元冒険者である故に、きつくは言わない。

 兄も父も、実力主義故に何も言わない。


 …ハイロニア家で最も貴族然としているのは、ソフェルだったという訳である。






 図書室の書物を借りたり、中庭に出向き魔法の修練を行い。

 屋敷の中を回っていると、…こちらでも、ミシェルがいなくなった影響を確認できた。



 使用人たちの表情が、死んでいる。

 パタパタとしていた小さい働き者がいなくなったこともあり、屋敷全体が一回り静まり重くなったような。


 働きながら自身の後方に振り返り、――溜め息を吐くような使用人が、何人もいた。

 ミシェルがいなくなったことを、随分と引きずっているようだった。



 実力のある使用人の中には、兄や父に対して怨嗟の瞳を向けるような輩もいた。


 そんな有様だというのに、兄と父は「食事から一品消えてしまった」ことを気に掛ける程度で、ミシェルの追放に対し何も思うことはなかったようだった。


 ソフェルに対しては、ミシェルに手を出したことは一切ない(こっそり『光魔法の練習対象』にしてはいたが)ためそういった恨みはないようだった。

 逆に、魔術に心得のある使用人の幾名かは感付いていたようで、憐れみ、縋り、同情するような視線を送りつけてくることはあったが。





――――――――――――――――――――





 遂に、その日が来た。


 ソフェルとしては、2人がどのような対応を取るのかが非常に気になっていた事柄だが。




 母が、魔外前線から帰ってきたのだ。



 今回は依頼などではなく、私用で向かっていたとのことだったが。


 母のキモチワルイ溺愛を回避することも兼ね、姿をくらませつつ母を監視するソフェル。

 …光を利用した隠密技術が上がったのは恐らく母のおかげだ、とゲンナリしていた。



 母は、何かを探すように屋敷を探索し、…少し表情を険しくした後に、使用人の一人を捕まえた。


 そこまで見届け、ソフェルは一足先に父の下へ向かうことにした。

 接触は禁止されていたが、母が小さな娘をこっそりと観察していたのを、ソフェルは知っていたからだ。






「この、ハゲェ!!」



 コッソリと父の書斎の近くに潜み、待機していたソフェル。

 幾分か経過した後、予想通り母が父の書斎に突撃してきた。


 …母が「ボロボロの雑巾のようになった『兄』」を引きずって来るのは、想定外すぎたが。




「うるさいぞエリフェナ。」



 蹴り破られた扉の近くに進むと、父の静かな声が聞こえてきた。


 いつも通りの声調――でもなかった。少し緊張が入っていた。





「…彼と2人で、あの子を追い出したそうね。」



 突撃時の罵声と比べると、僅かに冷静に(本当に『僅かに』)なった声色で話す母。



 扉から覗こうとすると、父を睨んでる母が振りかぶって兄を後方――此方に飛ばしてきた。


 受け止めてもよかったが、「受け身を取ると思った」と言い訳を考えつつ、あえて避けた。

 グベチャっと音がした。




「話した筈だ。非力な存在はこのハイロニア家には必要ないと。

 アレがこの家にいたこと自体が異常なのだ。」



 改めて、書斎を覗く。


 こちらに背を向けてるので表情は見えず、しかし肩から怒りが伝わってくる母。

 父はそれに対し、筆を止めて顔を上げているだけだった。




「…私はそのアホ腐った考えに同意した記憶はない。」

「ふむ? 今まで一切の反論を述べなかったというのに、追放されると唐突に主張するのだな。」



 少々、語気に力が籠ってはいるが。 口調は平常の父だった。



「私が何か言ったとして、貴方は取り合ったのかしら?」

「勿論だとも。アレが『ハイロニア家にふさわしい者』だという証明があれな、だがな。」



 …父にその気はないのだろうが、ソフェルにはほぼ発言が煽りに聞こえていた。

 彼は、間違いなく強い。 故にあの傲慢な話し方を窘める存在がいなかったのだろう。




「…ここまでとは思わなかった。」

「初めから承知の上で婚姻を結んだと思ったが?」



 父には、母の言葉が文字通り『通じない』。恐らく兄にも。


 母にとっては「可愛い娘」だが、父にとってはただの「無力なだけの存在」だ。

 話を続けても、平行線のままだろう。



 母は早々に諦め、振り返った。

 その表情は、…怒りと、悔恨で歪んでいたようだった。





「ソフェル。」



 書斎を出た母が、父には聞こえないように小声で話しかけてくる。

 …いつものだらしない表情の母を恋しく思ったのは、この瞬間が初めてだろう。




「…。」

「あなたは、何も感じなかったの?」



 そう問われ。 ソフェルは、…閉口した。


 彼女の追放に対し何も出来なかった事に対し、忸怩たる思いがあるのは事実だ。

 だが、そう。「何も出来なかった」のだ。 何を言ったとして、全て言い訳になるだろう。


 黙って、俯くしか出来なかった。




「…そう。」



 母はそんな娘を見、眼を閉じながら俯き、行ってしまった。











 明くる日。


 ソフェルの部屋に、書置きがあった。





 「この家から出ていく。二度と帰ることはないだろう。」

 「あの子と暮らすためにまとまった金を漸く作れたのだが、全て無駄になった。」

 「これからの人生、あの子の軌跡をたどるために、全てを捧げる。」

 「貴方は、貴方の正しいと思うことをしなさい。」

 「愛している。」

 「―――エリフェナ。」



 ―――紙を握っている手が、震えていた。


 母に捨てられた―――と一瞬だけ(よぎ)ったが。

 ミシェルを見捨てた自分に、それを嘆く権利はないだろう。



 …母は、ずっと前から、ミシェルを救うために行動していたのだ。


 それを見、自身がハイロニア家での居場所を確保しようとしか考えていなかったことに気付く。

 妹を気遣ってはいたが、彼女に何もしてあげられていなかった、と。




「…。」



 どうすればよかったのだろう。


 あの時――妹が追放された時。

 父と兄を恐れずに、彼女と共に逃げればよかったのだろうか。

 もっと早く強力な力を得ていれば、彼女を救えていただろうか。





 そこまで考え。



 自分が、「ハイロニア家」に拘っていることに、気付いた。





 母は、父が拾ってきた冒険者だ。 だから簡単に身を切り離せたのだろう。

 だが…自分は、この家で生まれ、この家で育った。





 ここしか知らず、ここ以外で暮らすことを恐れ、


 …しかしミシェルは、自分より非力な妹は、そんな世界に放り出されたのだ。










「…。」



 恐怖は、まだあった。


 だが、覚悟は決まった。

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