帰投
あたりにあれだけ湧いていた泥は乾いて小さくなりひび割れてカサカサになっていた。
しっぽで日光で程よく暖められた車両の表面を撫でる。
ビーイーが用意した帰還用の軽トラだ。
俺は全身にこびりついた泥を後ろ足で掻き揚げる。
先程ビーイーが操作する空中に浮かぶコンソールにちょっかいをかけようと彼女の肩口まで登って怒られた。
虫を払うように振り落とされた俺はビーイーに嫌われているのかと思ったがそうではないはずだ。
彼女はヘルメットを取り、動物が毛皮に染み込んだ水を振り払うように頭を振った。汗が飛んだ。
10cmくらいに刈り揃えられた短髪によく動く小さな眉毛、切れ長の赤い瞳に人形のように赤いほっぺた。女性。
彼女は大口を開けて俺に罵詈雑言を喚き散らしているのだろうがうまく意味がつかめない。
発狂しそうな彼女がヘルメットを俺に振りかざそうとするので一度身構えたが、何かを諦めたかのように放心し、それを頭上へ投げ捨てた。
ヘルメットは空中で静止したかと思うと、小さく折りたたまれてどこかに消えた。
「ヅー、こいつをおねがい……」
「ん……ちょっとまってね」
ヅーは途中で見つけた自らの右足をどうにかしてくっつかないかと右膝と格闘をしていたが、
半ば諦めたように、大きなため息をつくと彼女もヘルメットを脱いだ。ヘルメットは虚空に消える。
ヅーはビーイーよりは長いが短髪で、ゆったりとしたカーブを描く眉毛と丸い紫の瞳の面長顔。女性。
俺はビーイーに首根っこを掴まれ、ヅーへと手渡された。
ヅーは左腕で俺を丁寧に抱き、うまく動かない右手でぎこちなく撫でてくれた。
「今、お姉さんは忙しいから遊ぶのは少しまとうね?」
遊ぼうとしたわけではないのだが?
ビーイーがコンソールを操作すると空から地面に十の字とソレの影が投射される。
ビーイーがソレの位置を俺たちに被らないように調整し決定ボタンを押す。
CAUTIONのアナウンスがどこからか聞こえ、地面から毎秒十数cmづつソレが出来上がっていく。
ソレは巨大なタイヤをもつ丈夫そうな赤いトラックだ。
ビーイーはその巨大なトラックの次にクレーンを数台描画した。クレーンは車体を持たずに空中に浮いていた。最後に小さな軽トラ。
ヅーが俺の頭を撫でながら、
「これで倒したモンスターの使えるところを回収しに行くんだよ」
「別にその……ソイツにものを言ったってわかるはずないよ」
「だってさ、わかってくれるよね?」
俺は小さく首を傾けた。
「わかんないってさ」
ヅーは俺をからかっているのか、特に怒りは湧いてはこないが、癪だ。
ビーイーがコマンドを入力し終えると軽トラを残した重機のエンジンに火が入り、自動運転で出発した。
ヅーは器用に片足立ちして俺を軽トラのボンネットの上に乗せる。
「ねえ、ビーイー。この子の名前どうしようか」
「名前なんて付ける必要あるのか?」
「さっきこの子のこと呼ぼうとして詰まってたでしょう」
「ネコ」
「それじゃあアレとかソレと同じだよ。可愛そうでしょう」
「じゃあなんて呼べばいいんだよ」
「この子は多分、あの黒いドロドロから生まれたの」
「ドロドロ」
「安直すぎる……」
「じゃあタールだ」
「タール……いいね!」
俺の名前はタール。黒いドロドロから生まれた黒猫の、タールだ。
俺はしっぽを立てて小さく鳴いた。
しばらくして、大きな音を立てながら巨大トラックが戻ってきた。
巨大トラックの荷台には出発したときには存在しなかったコンテナがいくつも載っていた。流石に少々過積載に見える。
俺はこいつに押しつぶされるんじゃないかと軽トラックから飛び降りた。
軽トラの中で寝ていたビーイーもヅーも起きて、降車した。
ビーイーがコンソールを広げて積載物の確認をしている。
ヅーはそこいらに散らばっていた有り合わせの金属片で作った右足の義足の調子を確認しぴょんぴょんとジャンプし、
「上々」
「よかったね」
「拾い物は?」
「上々」
巨大トラックにはあそこで戦って倒したくじらのトライポッドを解体してアイテム化したものが積み上げられている。
ヅーは義足を引きずってビーイーに近づき、コンソールを覗き込む。
ビーイーのコンソールに写っているのは以下の通りだ。
これが多いのか少ないのか、良いものなのか悪いものなのかは俺にはわからないが、二人が上々と言っているのだから「上々」らしい。
俺がヅーを見上げて小さく鳴くと彼女は俺を拾い上げてくれた。
・コイン✕60000
・廃品カテゴリ✕300
・食品カテゴリ✕500
・建築カテゴリ✕100
・医薬品カテゴリ✕30
・重元素カテゴリ✕1000
・希少金属カテゴリ✕800
・インテリアカテゴリ✕20
・拠点防衛設備カテゴリ✕10
・フロート重機作製権限✕1
・中レベル住民作成権限✕1
・高レベルパーマネント修復権限✕1
・第7階層WAVE 5 発生権限✕1
「高レベルパーマネント修復権限だって」
その中で一つビーイーがピックアップして言った。
「家に戻ればその足も直せるかもしれない」
「後回しでいいよ、回数制限とかありそうだし」
ヅーはその辺の石ころをがらくたの右足で蹴飛ばした。よく飛んだ。中身のない四角い建物の壁を一枚貫通する。
「全然壊れない」
「……――ッ!」
俺はヅーの腕の中で若干放心していた。ヅーは歯を見せて笑った。ビーイーはムスッとした顔で、コンソールを閉じた。